第十六話 不穏
落ち着いたアグニは泣き腫らした顔をこすりながらも、最初よりもずっと晴れやかな顔になった。
「ウィリアムさんが生きてる。ウィリアムさんが生きてる。ウィリアムさんが生きてる。ウィリアムさんが……」
ちょっと怖いけど……というかこれはこれで異常な気がするわ。
ま、泣いてるよりは笑ってるほうがいいよね、これならきっと協力してくれるし。
会った時あいつがどうなるかちょっと怖いけど、いい気味よね!
「今すぐ探しに行きましょう! こんなところでのんびりしている場合ではありません!すぐにでも捜索隊を組織して、大陸中を探し回りましょう!」
「待って待って! あまり大事にしちゃだめよ!」
「え、どうしてですか?」
ちょーっと元気になり過ぎたかしら?
あいつのことになると周りがよく見えなくなるのは、相変わらずなのね。普段はもうちょっと頭がキレて、いい感じのお姫様なのに。
「あいつがなんで姿を隠したままなのかわからないの。もしかしたらあたしたちにばれたくないからかも。だから大手を振って捜索を始めると余計に姿を消すかもしれないから、あくまで極秘にね。あいつが本気出して隠れたりなんかしたら、あたしでも見つけるのに少しだけ苦労するからさ」
「隠れてるのは傷が癒えてないとかじゃないですか? 報告では、ウィリアムさんは相打ちになって、戦いの場となった城は不可思議な形状に消失していたというくらいですし」
「これ、見てみて」
アグニに渡したのは一枚の手紙。
グラノリュース国に行った時のオスカーとアメリアから預かったやつ。そこには一文しかないけど、これならきっと怪我をしてるわけじゃないってわかって――
「確かにこれはウィリアムさんの筆跡! さんざん見てきたから間違いありません。しかもこれはおなかが空いていた時の筆跡ですね。料理が食べたくて急いで書き上げたときと同じ特徴です!」
「あたしは今、アグニが怖いわ。筆跡1つでそこまでわかるの? エスリリの鼻よりいろいろわかるんだけど」
「わたしにもわかるよ! ウィルがこの紙を書いたときはたぶん元気! あと別の女性の匂いがするよ!」
「いや、誰も聞いてないし張り合わなくていいから」
「ほかの女性、ですと……?」
あ、やば。
エスリリ余計な事言った。っていうか、それあたしも聞いてないんだけど……
女って何? アメリアとマリアってこの匂いじゃなくて?
「エスリリ、それはマリアってやつの匂いじゃなくて?」
「うーん、わかんないけど、あの二人からしたニオイとは全然違う人の匂いがしたよ。たぶんマリアって人じゃないと思う」
「……つまりあの人が帰ってこないのは、知らない女性と逃避行するためですか、そうですか」
「いや、状況的にそうなってるのかもしれないけど、あいつの性格からしてそんなことするかしら。複数の女性囲うなんてしたがらないと思うわ」
「いえ! あの人は意外に純情です。押せば行けます! いかせるんです!」
「やっぱり数年の間、アグニをほったらかしにしたのはよくなかったわね。これも含めてあいつには責任取ってもらわないといけないわ」
ちょっと呆れ笑いながらため息を吐く。
頑なに特定の女性と深い仲になろうとしなかったウィルが、急に女性と、それも複数の人と仲良くするなんてとても信じられないんだけど。
3年経ったから変わっててもおかしくないけど、ウィルは聖人で目立つ。そんな複数の人を囲ってたら噂になっててもおかしくないと思うし、たぶんアグニが思ってるようなことはやっぱりないんじゃないかしら。
「とにかく、あたしたちはこれからいろんな場所に行ってウィルを探してくるから、アグニはレオエイダン内をお願いしたいの。それっぽい人がいたら連絡して」
「私も行ったらダメですか?」
「そうはいうけど、アグニは仮にも王女様よ? そうそういろんなところに行くわけにもいかないし、それに体調だって万全じゃないからね。レオエイダンは今、大変なんでしょ? 大戦で被害が大きくて、ヴァルグリオって人も亡くなったんでしょ? 立て直しにはアグニが必要よ」
「……ウィルベルさん、成長しましたね。前は、軍とか政治のことなんて知ったこっちゃないわ! とか言いながら公費を横領しそうだったのに」
「一体あたしをどんな目で見てたの? そこまでお金に汚くないわよ。ねぇ、エスリリ」
「え……そ、そうだね! そう、かもしれないね。そうか、なぁ……」
「おつかれさまでした~」
「ああ! ごめんなさい! ウィルベルさんはお金にとてもきれいな人です!」
……まあいいわ。
超大人できれいな美女であるあたしは二人の軽口を笑って流すことにした。おふざけみたいな空気になっちゃったけど、実際アグニをそうそう連れまわすことなんてできないのよね。いてくれれば楽しかったけど、どうしたって彼女は顔が知れてるから目立っちゃうし。
あとは気分がよくなったからか、最初よりは顔色や雰囲気はよくなったけど、やっぱり本調子には程遠い。
ここで療養してもらいながら、国の運営とあとはもしウィルらしき人を見かけたときに報告してくれたほうがいいと思う。
レオエイダンだけでも彼女に任せられれば、探すべき場所は自然と絞られてくるからとても助かるのよね。
「というわけで、あたしたちは大陸を回るわ。エスリリの鼻があれば大分助かってるし」
「そうですね……なら、私は私のできることをやります。お二人とも、ウィリアムさんをどうか、見つけてください」
「任せなさい。アグニの分までぶん殴ってきてあげる」
「フフッ、よろしくお願いしますね」
そのあとは久しぶりの再会をお菓子とかお茶を飲みながら楽しく過ごした。
やっぱり長い付き合いだから、話しだけでもとっても楽しかった。
◆
日も暮れ、夕飯の時間が近づいて来たころ、あたしが高すぎる天井の廊下を歩いていると、見知った顔が前からやってきた。
気が引きしまった顔をした立派なひげを蓄えたドワーフの男性。
「ご無沙汰しております。ウィルベル殿」
「よーっす。ヴァルドロ。元気してた?」
「こんにちはー」
かつての師団の同僚のヴァルドロは、小さく会釈をすると、目元にしわを寄せて笑顔を浮かべた。
「ええ、息災であります。お二人ともお変わりないようで。ウィルベル殿は見違えるように立派になりましたな」
「ふふーん、当然よ。ヴァルドロは変わらないわね」
「ドワーフ故、数年では変化がわかりにくいのです。ところで、姫様のご様子は……」
ヴァルドロもアグニの様子を気にしていたみたい。これにはあたしじゃなくてエスリリが答えてくれた。
「もう元気になったよ! たぶん、もう少ししたら前みたいになってくれると思うよ」
「なんと! それは誠ですか」
「ほんとうだよ!」
「そうですか、それは本当に良かった。お二人には心より感謝申し上げます。姫様の件に関しましては国王も王妃も心を痛めておりましたゆえ」
「ま、あんな調子じゃそうなるわよねー。ま、もう大丈夫だと思うわよ。安心して」
「そうですか。本当に、本当にありがとうございます。それとお二人に相談したいことがあるのですが、このあとお時間よろしいでしょうか」
「?」
笑顔だったヴァルドロが一転して険しい顔をした。
……何か他にあったのかな?
次回「腕の欠片」