第十一話 セレステとノワール
マガツとリルカは調査を終えて、ノワールがいる島に報告に訪れた。
マガツがノワールのもとへ赴くのはこれで二回目となる。
アズマとともに転移によって屋敷に訪れた3人をセレステが迎え、屋敷の中にいるノワールが三人をもてなした。
「リルカとうまくやれたみたいでよかったよ。初依頼だったけど、マガツは外の世界はどうだった?」
「どこもクソったれだな。東は腹の探り合い、北はごろつきの集まりで、灼島とたいしてかわりゃしねぇ。んなもんよりリルカの酒癖と寝相の悪さの方が手を焼くぜ」
「何言ってんだい。まともにお使いも果たせない子供が言うじゃないか。そんな子供のお守りをするんだから、酒の世話くらいしてもらいたいね」
「腹出して寝て翌日風邪ひく大人がよくいうぜ。たく、二日酔いで酒に焼かれた舌は変わらずよく回りやがる」
「ハッハッハ! 船の上でもこのような感じでな! 以前来た時に比べれば二人とも角が取れてずいぶんと賑やかな船旅となったのである」
食事をしながら、リルカとマガツの軽口を笑うアズマ。
その仲睦まじい関係にノワールもセレステもつられるように笑った。
ひとしきり笑い、食事も済ませた後にノワールはリルカとマガツにまた一つ依頼をする。
「二人に頼みがあるんだ」
「なんだい? もしかしてまた特異体質の子が見つかったのかい?」
「いや、今のところは。そうじゃなく、次からの調査にセレステも同行させてほしいんだ」
その言葉に、リルカとアズマが目を剥いた。
「お嬢を? もう体は大丈夫なのであるか?」
「ああ、ようやくさ。もう十分に良くなったから、そろそろ外の世界を見せてあげたいんだ。リルカも子守に慣れて、マガツも旅に慣れたころだろ? ちょうどいいと思って」
ノワールが隣にいるセレステの頭をなでると、セレステは心地よさそうに目を細める。
ほのぼのとした光景を見て、マガツは頬杖を突いて口を尖らせた。
「そうはいうけどよ、俺たちの旅は荒っぽいぜ? そんなひょろっこいのがついてこれんのか?」
「だいじょうぶ! こう見えても結構鍛えてるんだよ。毎日お勉強してるもん!」
セレステは細い腕をまげて力こぶを作る。
ちょっとだけ盛り上がった二の腕を見て、マガツはなおのこと眉を顰める。
「足手まといはごめんだぜ? ただでさえテメェら商会には敵が多いんだからよ」
「そういうな、こう見えてセレステは強いぞ。多分お前より強い。不安に思うなら一度し合ってみたらどうだ?」
「いいぜ、食後の運動にはちょうどいい。怪我したって知らねぇぞ?」
「よーし、がんばるぞー!」
食事を終えた若者二人は立ち上がり、意気揚々と表に出る。
ノワールも立ち上がり外に出るが、リルカとアズマは少しだけ慌てながらノワールの後を追った。
「大丈夫なのかい? セレステの体を治すのは大変だって聞いたけど」
「ああ、もう治ったよ。外の世界に慣れたマガツにも経験が足りないセレステにも、ちょうどいいと思って」
「そうはいうが、ノワールは来ないのか? 何かあったとき、リルカだけでは対処できない可能性があるが」
「リルカだけでも大丈夫だよ。……たぶん」
「……不安だ」
三人が外に出ると、既にマガツ、セレステが丁寧に手入れされた庭園の真ん中で、武器を持って向かい合っていた。
マガツは鞘に納められた刀を肩に担ぎ、小柄なセレステは槍を持っていた。
「へっ、いくぜ、準備はいいか?」
「いつでもいいよ!」
マガツが藍色の着流しを翻し、刀を抜き、ノワールに言った。
「手加減してやったほうがいいか?」
「いや、いらないよ。これも経験だし。峰打ちさえしてくれれば、何したっていい」
「ハッ、過保護と思ってたが、意外に話がわかるじゃねぇか」
マガツは犬歯をむき出して獰猛な笑みを浮かべる。
刀をぎらつかせると同時に、マガツの体から紅炎の神気が溢れ出す。
「本気でやっていいんだろ? わりぃが、一瞬だ終わらせてやるよ」
マガツは刀を構え、その動きに合わせて形を変えるマガツの神気。
「すごいね! 【加護】、初めて見た!」
「残念だったな、俺のはただの【加護】じゃねぇ……って、ノワールは言ってたぜ」
「そうなんだ! マガツってすごいね」
目を輝かせるセレステに、マガツは獰猛な笑みを引っ込めて微妙な顔をした。
「……調子狂うぜ、こいつといると」
一度深い息を吐き、再び目をぎらつかせる。
「精々ケガしねぇように気を付けるんだな!」
「うん! マガツも気を付けてね!」
そして、二人は互いにぶつかった。
◆
「ガハッ……嘘だろ……」
綺麗に手入れされ、芝や花が彩っていた庭園は、見るも無残な光景へと変化していた。
芝はめくれあがって土が見え、地面には大穴が開き、周囲には焼け跡が広がっている。
その庭園の端で、マガツは傷だらけで力無く木にもたれかかっていた。
「マガツ、大丈夫?」
そんなマガツに声をかけるセレステには、一つも怪我はなく、変わらず無邪気な瞳がマガツを心配していた。
「圧倒的じゃないか。これは驚いたね」
セレステの戦いに、冷静なように見えてリルカすらも驚きを隠せなかった。
「セレステは俺より強いよ。よーいどんなら、そうそう負けないと思うよ」
セレステに代わってノワールが二人に近づきながら言葉を紡ぐ。
マガツはノワールの手を借りながら立ち上がる。
「生きてるかい?」
「ぅぐ……んだよ、あのガキ……滅茶苦茶じゃねぇか」
「だからお前より強いって言っただろ? まあ、今回は向かい合ってよーいどんだから、マガツには不利だったと思うけどさ」
ノワールはマガツの体を見て、簡単な応急処置をするが、その途中で感心したように驚いた。
「驚いたな。あんなの食らったのに軽傷で済んでるのか。頑丈だね」
「このくらい唾つけときゃ治る」
マガツはノワールの手を払い、自力で立ち上がる。
「【加護】じゃねぇ。あんなもん初めて見たぜ。ホント、あいつは何者なんだよ」
「ただの世間知らずの女の子だよ。だから、いろいろ教えてやってくれ」
「チッ、まあ確かに足手まといにならねぇことは確かだな。だがその分、金は貰うぜ」
「ああ、期待していいよ。ただ――」
ノワールは笑いながらマガツの肩に手を置いて、強く握り――
「手ぇ出したらわかってるよな?」
「あ、あぁ……」
「ならよし!」
柔和な普段とは違う本気の威圧に、マガツは少しばかり慄いた。
マガツの返事を聞いてノワールは元の笑顔に戻り、セレステの方へ向かう。
勝負に勝ったはずのセレステは、なぜか肩を落としていた。
「ごめんなさいノワール。ちょっとやりすぎちゃった」
荒れ果てた庭園を見てしょげるセレステに、ノワールは肩をすくめる。
「いいさ。すぐ直せるよ。それよりセレステは外の世界に行くが何か不安はないか?」
外の世界と聞いて、セレステは一気に笑顔を咲かせる。
「ないよ! 外の世界が楽しみ! ノワールは来ないの?」
「俺はここを離れるわけにはいかないんだ。大丈夫、リルカもマガツもいるから」
ノワールはセレステの頬に手を添えて、優しくなでた。
「前にも話した通りだ。外でいろいろ見て、学んで、見つけておいで。自分の夢を」
「うん! 帰ってきたときにいっぱい話せるように学んでくるね! お土産は何がいい?」
「セレステがいいと思ったものがいいな。とにかく体に気を付けて。二人の言うことをちゃんと聞くんだよ」
「はーい!」
まるで父と娘のような二人。
セレステのほほについた土汚れを手で拭いながら、ノワールは微笑んだ。
◆
旅に出ることになったセレステは私室で必要なものをまとめていた。
「あれとこれとそれとー、これはいるかな? んー……旅って何持っていけばいいか、わからないよー」
着替えや勉強道具、日記を荷物に一通りまとめたセレステは、次に何を持っていくべきが悩んでいた。
「お金は持った、ペンも持った、本に日記に食器に人形におもちゃに……」
明らかに旅に必要のないものもまとめて入れるセレステのかばんは、彼女の身の丈に並ぶくらい、非常に大きくなっていた。
部屋にあったものも家具を除いてほとんど無くなっており、もはやもっていかないものを探すほうが難しいくらいだった。
それでも部屋の中に何かないか、机や棚の引き出しを確認する。
すると、セレステがあるものを見つけた。
「あ、久しぶりだ! これ必要かな? でももしかしたらエルフの人に会ったら話のきっかけになるかもしれないし……。まだ空間に余裕はあるし、空いた時間に練習もできるし……持ってっちゃえ!」
棚から取り出したのは装飾が施され、立派な材質で作られた木箱。
その中にあったのはある楽器。
「ノワールがくれたから、ちゃんと練習しないとね。帰ってきたときにたくさん曲が弾けるようになったらきっと喜んでくれるよね」
嬉々としてセレステは楽器を荷物にまとめて背負う。
後ろから見たら彼女が見えなくなるくらいの大きさでも、セレステは軽々持った。
「セレステー! 時間だぞー!」
「はーい、行きまーす!」
丁度よくセレステを呼ぶノワールの声が聞こえた。
元気に返事をして彼女は屋敷の外に駆け出していく。
セレステが玄関から出ると、既にノワールたち4人が揃っていた。
5人は屋敷から遺跡の転移装置を使って港に戻る。
準備していたアズマの船にリルカ、マガツが乗り込む。
立派な船に乗り込む直前に、セレステは振り返り、見送りのノワールに手を振った。
「行ってくるね! ノワール!」
「ああ、セレステ。ちょっとまって」
呼び止められ、セレステはノワールのもとに駆け寄った。
「これをあげる」
別れ際にノワールが渡したのは、何の変哲もない鈴だった。
受け取ったセレステは何かあるのかと思い、鳴らしてみる。
するとそのベルからは澄んだ高い音が鳴り、不思議と何度も音が響き渡った。
「これはなに?」
「昔拾ったちょっと変わった鈴さ。セレステが鳴らすと俺に伝わるようになってるんだ。困ったときに鳴らすといいよ。ただし、あまり乱用しないこと。あくまで緊急時だけだよ。あまり頻繁に会うと土産話が無くなるから」
「わかった! 大切にするね! それじゃあ、行ってきます!」
ノワールに見送られながら、セレステは船に駆け乗っていく。
リルカとマガツも小さく手を振り、別れの挨拶をする。
船の汽笛が鳴って、帆は広がり、ゆっくりと桟橋から離れていく。
船が遠く、桟橋から互いの姿が見えなくなるまで、セレステとノワールは手を振り合っていた。
……船が見えなくなり、港にぽつんと立ち尽くすノワール。
「もういいの?」
ノワールの後ろの木陰から、誰かの声がした。
その声にノワールは驚くことはなく、踵を返して森の中に入り、屋敷へと戻り始める。
「あとは勝手に育ってくれる。彼女がうまく夢を見つけて自立してくれることを願うよ」
移動し始めたノワールに合わせて、木陰にいた人物も森の中を移動する。
「ようやく寄り道が終わった。やらなくてもいいことに時間をかけすぎ」
「そう言うな。やるべきことはやってただろ? なんにしろ、これですべての準備が終わった。あとは計画を始めるだけだ」
「ここまで長かった。……始めたらもう戻れない。それでも進む? ノワール」
「当然だ。むしろそれは俺の台詞だぞ、マグダラ」
木陰の奥で、小さく笑う声がした。
「互いの夢をかなえるだけの計画。今更引き返す気なんてない」
「そうか、なら遠慮なく行こう」
ノワールは足を止め、もう見えなくなった船を見て笑う。
「この世界をひっくり返す。さあ、【黒い物語】の始まりだ」
次回、「南の青葉」