第十話 訳アリの子供たち
不思議な島にある不思議な屋敷の中、そのさらに浴場の中には一人の竜人の少年がいた。
服を脱いでいても、その少年の体のどこにも竜の角や鱗はなく、ただの人間と変わらなかった。
少年――マガツは湯につかり、暗くなって星が瞬き始めた夜空を見上げてため息を吐く。
「なんだってんだぁ、ここは。あんときからわけわかんねぇことばっかりだ」
つぶやくもそれに答える声はない。
ただ――
「マガツ、ここに着替え置いておくねー」
浴場の外から、無邪気なセレステの声が響いた。
片手をあげてマガツは答える。
「おおー、あんがとよ」
「どういたしまして!」
湯につかり、適度に体と心がほぐれたマガツは気分よく返事をする。
しかし、次に聞こえてきた音に再びマガツの体と心は強張ることになる。
「マガツ、背中流し合おうよ!」
セレステの声がすぐ後ろから聞こえた。
「テメェ、なに入ってきてんだ! 今俺が入ってるところだろうが!!」
「え? 知ってるよ? だから背中流そうと思って」
マガツは振り返りそうになるのをこらえ、目をつぶって怒鳴った。
「テメェ女だろうが! 俺が出るまで入ってくんじゃねぇ!」
「なんで?」
「なんでもクソもねぇ!」
「えー、うー、わかった……」
しぶしぶ、がっかりといった感情を存分に小さく華奢な一糸まとわぬ背中で表現したセレステ。
マガツは湯のせいか、それとも別のもののせいか真っ赤にして必死に顔をそらしていた。
木戸が閉まる音が鳴り、セレステが出て言ったことを確認したマガツは、長い息を吐いて湯船に顔半分沈めた。
「なんだってんだあいつは……。訳アリっつってたが馬鹿な以外は普通に見えんな。もしかしてあいつも竜崩れか?」
顔を出して長い髪を後ろに流して考える。
「竜崩れだからここに連れてこられたのか? 髪と肌の色は竜人とはちげぇが、さっきのセレステからは竜人に似た何かを感じる。ただの人間とは違うか?」
湯から上がり、体をふいて服を着て外に出る。
更衣室の出口すぐ横で、セレステが床に座り込んでいた。
「何してんだよ」
「ノワールから言われたのはマガツの案内とお風呂に入ることだもん。だからマガツが出るまで待ってようと思って」
「律儀なこった。ほら、出たから入ってきやがれ、あとは勝手にやるからよ」
「わかった、待っててね!」
「いや、だから俺は……って聞いちゃいねぇか」
マガツの言葉を聞き終わる前にセレステは颯爽と風呂場に入っていく。更衣室に入るわけにもいかないマガツはその場で立ち尽くす。
「あれ、これあいつが出るまで待ってなきゃいけねぇのか?」
◆
少年少女2人が風呂から出てくると、大人3人は違う部屋に移動して、食事の準備をしていた。
出てきた食事は灼島でしか生きていなかったマガツには見たこともないものばかりだった。
「んだこりゃ、本当に食えんのか?」
「失礼だな、ちゃんと食える。ぎりぎりの生活してたくせに食わず嫌いか?」
「そんなんじゃねぇ、見たこともねぇもんばかりなんだよ。もっと知ってるもんねぇのか?」
「それを食わず嫌いっていうんだよ。いいから食いな。ここで食える飯を残すんじゃないよ。そこいらじゃ食べられないくらいうまいんだからね」
マガツの文句をリルカが嗜める。
ほかのアズマやセレステは満足そうに食事していた。
ただセレステの料理だけは他のものとは少しだけ違っていて、マガツはセレステの料理に興味を持った。
「そいつはうまそうだな、よこせよ」
「だめ、行儀悪いよ。マガツ」
「いいんだよ。あいにくろくな育ちじゃねぇからな。テメェと違ってな」
「え? じゃ、じゃあ少しだけ……」
マガツがセレステの料理に手をのばすと、ノワールが真剣な声で止める。
「駄目だ。セレステ、自分の料理は自分で食べろ。マガツも勝手なこというなら取り上げるぞ」
「チッ、わぁったよ」
そのあとは静かに食事が進んだ。
5人がそれなりに食事をとり終えたところで、ノワールが今後について話をする。
「今後についてだが、マガツ。お前はこれからリルカとともに各地を回ってもらいたい」
「ああ? なんで俺がそんなことしなきゃならねぇんだ」
「別にしなくてもいい。これはあくまで依頼だ。強制じゃない。断ればまた前と同じ生活に戻るだけだ。リルカにも同じように依頼って形で各地を回ってもらってるんだよ。お前をここに連れてきたのも彼女に依頼したからだ。当然だが路銀は渡すし、報酬も出す。どうだ?」
ノワールの話を聞いてマガツは少しだけ考える。
(確かに悪い話じゃねぇ、だがそれよりも先に聞いておかなくちゃならねえことがある)
マガツはまたノワールを警戒しながら話し出す。
「それに答える前に、俺をここに連れてきた理由を教えろよ。なんでこんなところに連れてきた? 説明が面倒とか言ったらぶった切ってやらぁ」
「そう殺気立つな。今まで大変だったのはわかるが、すぐに殺し合うなんてこれからはやめたほうがいいぞ」
よし、とノワールは話す準備をして――
「マガツ、お前は【加護】を理解しているか?」
「【加護】? なんだそりゃ」
「そっからか。それじゃあ最初から説明しよう」
ノワールは唇を湿らせて饒舌に話し出す。
「【加護】っていうのは【神気】っていう力の入れ物なんだ。神気っていうのは、この世界を作った根源素といわれる力の一つで、人の意思によってのみ操ることが――……」
「旦那、旦那」
調子よく話していたノワールの肩をリルカが叩く。
「どうした?」
「もう限界みたいだよ」
リルカが指さす方を見ると、マガツが既に頭から煙を出していた。
「え、まだ全然最初なのに……」
「これじゃあ、いくら説明しても意味がないね。どうしたもんか」
リルカが呆れのため息を吐く。
ノワールは眉根を寄せて悩んだ。悩んだ結果カタコトで――
「マガツ、強い、理由、知りたい」
「なんだそんな理由かよ」
「え、今のでわかったのかい?」
説明にもなってない説明で再起動したマガツに、リルカが驚いた。
「まあ、詳しい理由に関しては、追々説明するよ。それで? 依頼は受けてくれるか?」
「……いいぜ、その依頼、受けてやる。あのクソったれな灼島から出られるなら願ったり叶ったりだ」
警戒を解いて笑みを浮かべるマガツ。
ノワールも頷き、リルカを見た。
「というわけだ。リルカ。これからはマガツを連れていってくれ。その分の駄賃は弾む」
「やれやれ、ガキのお守りをしなきゃならないとはね。言っとくけどアタシにガキのうまい扱いなんて期待しないでおくれよ」
「心配するなよ。お前は自分で思ってるよりも子供の面倒を見るのが得意だよ」
◆
北部でフォルゴレ商会本部を襲おうと画策していた男二人を始末したリルカとマガツ。
マガツにとっては初めてのノワールからの依頼だったが、特に何の問題もなく無事に終わろうとしていた。
ただマガツは依頼を受けてみて、ノワールが言っていた理由だけで自分がこうして雇われているとは思わなくなっていた。
理由は仕事の内容が誰にでもできるようなものだったこと、リルカ自身も何か思うところがあるようなことをこの期間で時折口にしていたからだった。
一仕事終えた2人は今、アクセルベルク東部で食事をとっていた。
「んで、これからどうすんだ」
「一区切りついたからね。旦那のところへ向かうとしようか。報告も溜まってるしね」
「ちょうどいいか、野郎に今度こそ問い詰めてやらぁ」
「問い詰めたところで、お前さんに理解できる気がしないがねぇ」
リルカは最後の一口を頬張り飲み込んだ。
「そんなことよりも、セレステと打ち解けてもいいんじゃないのかい? あの子も訳ありだって知ってんだろ」
「あんないかにも幸せですみたいなやつと仲良くなろうなんざ思わねぇな。訳ありっつって俺と同じだったとしても、あんなところじゃ絡まれることも命のやり取りすることもねぇ」
「それ、誰から聞いたんだい?」
「誰ってお前からだよ。言ったじゃねぇか、俺と同じ訳ありだってよ。それはつまり俺と同じってことだろ? 竜人の証もねぇしな」
リルカがわざとらしく大きなため息を吐き、額に手を当てて天井を仰ぎ見る。
「かぁ~、いや、アタシが悪かった。ちゃんと説明しなかったアタシがよくないね」
「だから何だってんだ。あいつの訳ってのを教えやがれ」
「お前、不思議に思わなかったかい? あのセレステの言動を見て、何か違和感を抱かなかったかい?」
「違和感? のほほんとしてて馬鹿みてぇな奴だとは思ったがな。本当に俺と大して変わらねぇ歳か疑問で仕方ねぇ」
「なんだ、わかってるじゃないか」
リルカの言葉に理解ができなかったのか、マガツは苛立つ。
「いいからとっとと結論を言えよ。あいつは何なんだ」
「アタシも全部を知ってるわけじゃないから、下手なことは言えないね。言えることがあるとすれば、彼女はオマエとは比べ物にならないくらい、とんでもなく厄介な体質の持ち主なんだよ」
次回、「セレステとノワール」




