第八話 商会の会長
三人の前に現れた少女はアズマと親し気に話していた。
「しばらくぶりだな、お嬢。また大きくなったのではないか?」
「うん! また五センチ大きくなったよ!」
「そうかそうか! それは健勝この上ない、何よりの知らせである。して、かの御仁はどこにあらせられるか?」
「いつもの場所にいるよ。荷物はわたしが持っていくね」
「無論、俺も手伝おう。リルカ、マガツ、お前たちもな。屋敷まで持っていくぞ」
名前を出されたマガツが我に返って、後ろにある大量の荷物を見た。
「そりゃいいけどこの量をか? このガキ一人増えたくらいじゃ、大して運べねぇだろうが」
一つ一つが重い上に、数十個もある荷物は普通に運んでは日が暮れる。
だが少女はむしろ不思議そうな顔をして首を傾げた。
「運べるよ?」
「いや、そうかもしれねぇけどよ。こんだけの量を運ぶには非力なテメェがいたところで無理――」
と、マガツが言っている間に、少女は木箱や樽を積み上げて軽々と持ち上げた。
「よいしょ」
「はぁ!?」
何度目かわからない、自分の想像を超えた出来事にマガツは口が塞がらなかった。
その様子を見て、またリルカとアズマは声をあげて笑う。
「ハッハッハッハ! 言っただろう? この世界には不思議なことがたくさんあるのだ。小さな世界で作り上げたその色眼鏡はとっとと捨ててしまったほうがよいぞ?」
「クククッ、いいじゃないか、大将。この世間知らずなほうがよっぽど面白いよ。こんな間抜け面を逐一晒してくれるんだからね」
2人の会話を意にも介さないほどに、マガツは衝撃を受けていた。
今までの人生は灼島の片隅、小さな世界で文字通り血反吐を吐く思いで生きてきた。
目に見える世界が全てで、戦いですべてが決まるのが当たり前だった。
でもその世界があっという間に音を立てて崩れていく気がしていた。
「おーい、早く行こうよ~!」
目の前にいる自分よりも幼く、華奢な少女が自分よりも力が強いこと、この島自体が今まで目にしたこともない力が働いていること。
自分がとても小さな存在であるということに、マガツは無意識に手を握りしめていた。
◆
荷物を屋敷の倉庫に運んだ後は屋敷に上がり、マガツ、リルカ、アズマの3人は座布団に座り相手を待っていた。
「ここで待っててね! 呼んでくるから!」
白髪の少女が元気に屋敷の主を呼びに行っている間、マガツは落ち着きなく、辺りを見回していた。
それを見ていたリルカは宥める。
「落ち着きな。そんなんじゃ舐められちまうよ。まあ、この屋敷の主はそんなことしないだろうが、慣れない場所でも堂々としてな」
「そうはいうけどよ。こんな大層な屋敷、今までとんと縁がなかったんだよ」
「なに、この場所に礼儀作法など一切無用である。それを咎めるような繊細な者は見ての通り誰もおらんのだからな」
「テメェらが大雑把に手足が生えたような野郎だってのはとっくに知ってらぁ。だがこれから来る野郎はすげえ奴なんだろ? 何されるかわかったもんじゃねぇ」
今までの人生では格上に奪われてばかりだったマガツは警戒心を露にする。
2人が大丈夫だと言い、信用できたとしても心の底から気を抜くことなどできなかった。
そうしてマガツがそわそわしているなか、部屋に向かって二つの足音が近づきだした。
1つは先ほどまで一緒にいた少女の元気かつ軽い足音。
もう一つはゆっくりと、少し重い足音。
その音が聞こえたとたんに3人は姿勢を直す。
「おはようございます!」
襖を開けて先ほどの白髪の少女が入ってきた。
そして――
「セレステ、もう昼過ぎだ。おはようじゃないぞ」
――少し遅れて黒髪の青年が入ってきた。
「――ッ!」
その青年を見た瞬間、マガツの背筋に戦慄が走り、思わず身構えた。
「マガツ?」
明らかに体が強張ったマガツを見て、リルカが怪しむがそれどころではなかった。
(なんだこいつ……何もねぇ?)
マガツが警戒したのは、その男が威圧感あふれる危険な人間だからではない。
本当に何もないからだった。
(リルカもアズマもだが、竜人には空気を震わすような特有の威圧感がある。隣にいるガキも髪の色と肌の色は違うが、似た気配がする。……なのに、この男からはマジで何も感じねぇ)
青年は二十代くらいの黒髪でそれなりに鍛えられており、厚い胸板が和服の襟からわずかに見える。
着ているものも着心地優先のものであるが、屋敷の中だからか、帯刀している様子もない。
それだけならば普通だが、異質なのは、黒髪の一部、ほんの一房が、まるで水晶のように透き通った青色になっていることだった。
肉体に異質なことがあるのに、異常なくらいになんの力も感じない。
(考えすぎか? ガワだけ鍛えた見せかけ野郎か?)
そこまで考え、マガツは体の力を抜いて座り直した。
マガツが落ち着いたのと同時に男は部屋に入り、白髪の少女の隣に座った。
「アズマ、リルカ、二人ともお疲れ。頼みを聞いてくれて助かったよ」
「なに、これくらいお安い御用である」
「アタシとしちゃ、ちょっと面倒な依頼だったから、追加手当が欲しいくらいさ」
冗談で笑う三人は気心が知れたようだった。
そして、置いてけぼりのマガツに黒髪の青年が話しかけた。
「お前が例の子か。名前を聞いても?」
「人に名前を聞くときゃ、自分からって習わなかったか?」
相手の男を信用できないマガツの態度を見たリルカが眉をひそめて注意する。
「マガツ、立場を弁えな。この人は――」
「いいさ。浮浪児に礼儀を求めるほど狭量じゃない。俺はノワール。【フォルゴレ商会】の会長だ。よろしく頼む」
あっさりと名乗った青年――ノワールは次に隣に座る少女を見た。
「この子はセレステだ。仲良くしてやってくれ」
「セレステです! よろしくね!」
「あ、ああ……よろしくな。俺はマガツだ」
邪気など一切なく、セレステと名乗った少女は屈託なく笑った。
初の手合いにマガツは戸惑うも、気を取り直してノワールをまっすぐ睨む。
「んで、そのフォルゴレ商会の会長が俺に何の用だよ。罰でも与えようってのか?」
「罰なら必要ないだろ。そもそもあの火付けはお前じゃなくてもう一人の竜人がやったことだ。止めようとしたんだろ?」
マガツが驚き、身構える。
「なんでテメェがそれを知ってやがる。あの時には誰も――」
「いなかったろうさ。俺だってそこにいて見たわけじゃないからな」
「ならなんで知ってんだよ」
「そんなことはどうでもいい。それにどうせ説明してもわからん」
「馬鹿にしてんのか?」
「わかるように説明するのが面倒なだけだ」
危害を加える気がないことを察したのか、マガツは構えを解いて座りなおす。
しかし依然として警戒心を強めたまま。
それを気にしたのか、ノワールはマガツと横にいるセレステに声を掛ける。
「疲れてるだろ? もうすぐ夕方だ。先に風呂にでも入ってこい。話はそれからにしよう。セレステ、マガツを案内してやってくれ」
「はーい」
「おい、待てよ。まだ話は終わってねえぞ」
立ち上がったセレステがマガツを誘おうとするも、マガツは座ったままノワールを睨む。
しかし、ノワールは――
「先に風呂入ってくれ。ちょっと臭うんだよ」
「は?」
「旦那、それ言っちゃダメだって。マガツだって年頃なんだからね」
「フッ、海の男は臭いなんて気にせんからな」
「……っ、て、テメェら」
マガツは青筋浮かべながら、しぶしぶ立ち上がりセレステについていって部屋を後にした。
「すまないね、旦那。まだ気が立ってるみたいでね」
若い二人が出て静かになった部屋で、リルカが申し訳なさげに謝った。
それをノワールはなんでもないと首を振る。
「こちらこそ面倒な仕事を押し付けてすまない。聞いた話じゃ、領主の家の者ともめたんだって?」
「まあね、確かに少々面倒だったが、そこはアズマの大将が何とかしてくれたよ。商会通してちゃんと説明してくれたからね」
「あの程度ならば何の問題もないのである。あらかじめこうなることは予想できていたのだから、できなければ俺の手腕が疑われるというものだ」
「そうか。なんにしろ、みんな無事に最後の特異体質の子を保護できて、本当によかった」
ノワールが安堵の息を吐くと、リルカもアズマも気が抜けたように笑ったのだった。
次回、「大陸事情」