第六話 金で買える夢
【竜崩れ】の少年が目を覚ますと、そこは隠された寂れた港だった。
倒れていた少年の近くで、女竜人は火を起こして煙を上空高くに上げていた。
「思ったより早く起きたじゃないか。見た目より頑丈みたいで安心したよ」
女竜人は火がしっかりと燃えているのを確認すると、茣蓙を引いて腰を下ろした。
「アタシはリルカ。ある人に雇われてるもんさ。それでお前の名前は?」
「……マガツだ」
ふてぶてしく答える少年――マガツは空高く上がっていく煙を見上げた。
「これ一体、何やってんだよ。俺を助けたのか捕まえたのか知らねぇが、こんなことしてこれからどうしようってんだ」
「それはこれから会う人に聞いてもらいたいね。アタシだって、なんでアンタみたいなゴロツキを拾おうと思ったのか聞きたいくらいさ。……まあ、見どころがないわけじゃないみたいだけどね」
「ああ? 最後なんか言ったか?」
「なんでもないよ。……お、来たみたいだね」
人気のない港に向けて、一隻の至って普通の船が訪れた。
リルカが望遠鏡を覗き込んで船のマストを確認すると、土をかけて焚火を消す。
「ありゃどこの船だよ。こんななんの価値もねぇようなしみったれた場所にくるような船なんざ、怪しいですって言ってるようなもんだろ」
「あれがどこの船かなんて、アタシの知り合いの船に決まってるじゃないか。そのために煙を上げたんだ。そうとなりゃ、あの船がどこのもんかなんて自ずとわかるってもんだろう?」
リルカが所属する組織を思い出そうとマガツはボサボサの頭をひねる。
「あーなんとか商会っていったか? あれもそうなのか? でも商会ってのは陸地で人相手に物売ったりするやつらのことだろ? 船なんかいんのかよ」
「お前さん、物を知らないんだね。商会ってのは商人の集まりみたいなもんさ。アタシがいる【フォルゴレ商会】は灼島だけじゃなく大陸中をまたにかけてるからね。島の外に行くには船は必須なんだから、商会となれば船を持ってるってのは当然だろ?」
「うるせぇな、こちとらそんなもんとは無関係だったんだ。知らなくたってしょうがねぇだろ」
「まったく可愛くないガキだね。せっかく教えてあげたってのにさ」
話をしている間に、近づいてきた船からでてきた小舟が港にやってきた。
「お久しぶりです、リルカさん」
「ああ、久しぶりだね。大将は元気かい?」
「ええ、もちろん。リルカさんも元気そうで何よりです」
小舟に乗っていた竜人と軽く挨拶をしてリルカは小舟に乗り込んだ。
マガツも警戒しながら船に乗ると、小舟はやってきた船を目指していく。
近くで見る船は立派でもなく、かといってみすぼらしくもない至って普通の船だった。
だが初めて見る船に、マガツは無自覚に見とれてしまっていた。
「ほら、何ボーっとしてんだい。さっさと乗りな」
いつの間にか小舟に降ろされていた縄で船に乗り込んでいたリルカが言った。
慌ててマガツも船に乗り込む。
船に乗り込むと、またマガツは驚いた。
その船は外装はそれなりにしていたが、その中は外見とは似合わぬとても立派なものだったからだ。
さらに小舟から乗り移った2人を出迎えたのは、明らかに船長だとわかる立派な装備に身を包んだ一人の大柄な竜人だったのだ。
「久方ぶりだな。リルカ。息災だったか?」
「まあね。アズマの大将も変わらず健勝そうじゃないか。羽振りも良さそうだ」
アズマと名乗った竜人は親しげに笑い、リルカと握手を交わす。
「おかげさまでな。……して、今回の荷はそのくたびれた小僧か?」
アズマが面白いものを見たという感じでマガツを見る。
「んだよ、喧嘩売ってんのか。こちとら本当にくたびれてんだよ。テメェら商会の連中がたいした腕もねぇくせに見下してきやがるからな」
「この俺を相手にしてこの態度、なるほど、体裁も悪ければ口も悪い。また随分と骨が折れそうな依頼を受けたものであるな」
マガツの喧嘩腰の物言いにも動じず、アズマは笑って受け流す。
「ここでは貴様が俺を謀ろうとせぬ限り、安全は保障してやろう。ゆっくりとするがいい。その代わり、船賃としてこき使わせてもらうぞ」
「……勝手にしやがれ、クソったれが」
「ではひとまず休むがいい。その様子ではまともな仕事などできまい」
「チッ、礼は言わねぇぞ」
船内に入っていくマガツを見送ったリルカは溜息を吐く。
「まったく、あんなガキのお守りをしなきゃならないなんてね。旦那は何を考えているんだか」
「フッ、あの御仁は俺たちにはわからぬようなことでさえ見通すのだ。さながら未来が見えているかのようにな。あの少年が何かを持っているのだろう」
「アタシにはそうは見えないけどね。まあ、見どころがあるのは確かだけどね」
「お前にそういわれるとは、少将へそ曲がりではあるが、あのマガツという少年は気骨があるようだ。俄然興味が湧いた」
「フッ、アズマの大将、あんまり言うと爺さん扱いされちまうよ?」
◆
「マガツ! マガツはいるかーーー!!!」
大海原にポツンと浮いた船上で、アズマの野太い声が響く。
するとぼさぼさの紺髪を掻いて、あくびをしながらマガツが出てきた。
「うるせぇなぁもう、声がでけぇんだよ、船乗りの連中はよ」
「何を言っている。聞こえないよりは聞こえる声の方がいいに決まっているではないか」
「へぇへぇ、で、なんのようだよ」
「お前に一つ、聞きたいことがあってな」
マガツは眉をしかめる。
「マガツよ、お前には夢があるか?」
「夢?」
ああ、とアズマは頷いた。
「人生を十全に生きるには夢が必要不可欠である。力でも恋でも遊びでも何でもいい。是が非でも叶えたいことがお前にはあるか?」
「叶えたいこと、ねぇ」
マガツは少しだけ考えるとニヤリと笑った。
「強くなって、俺のこと見下しやがった灼島の連中全員に復讐してやることだよ」
これ見よがしに言うマガツ。
「小さい!!」
アズマの剣の鞘がマガツの額にしたたかに撃ちつけられた。
「ッテェ!」
「竜人の男のくせに、なにをそんな小さいことを得意げに言っている!」
「~~~テンメェ、ちくしょうめ!」
額を抑えてうずくまるマガツに、アズマは言った。
「よいか、マガツ。この世界は広い。お前が生きていた世界なんて、ひどくちっぽけなものである」
「……るせぇよ。テメェらと違って、【竜崩れ】の俺には何も――」
「【竜崩れ】かどうかなど、そんな小さいことなどどうでもよい。そんなものよりもっと悪いものが今のお前には沁みついている」
「【竜崩れ】がちいせぇだと?」
マガツの顔が険しくなっていく。
だがアズマははるか向こう、大海原の先を指さした。
「マガツ、この海の向こうには何があると思う?」
「あ? 知るかよ、そんなこと。灼島の掃き溜めにいた俺が知るわけねえだろ。喧嘩売ってんのか」
「それが悪い癖だ。自らを卑下し、貶めている。【竜崩れ】という言葉を過度に気にするのも、お前自身が角持ちたちを羨み、それを持たない自分を蔑んでいるからである」
「っ!」
マガツの瞳が揺れる。
「よいか? この海の向こうには、竜人とは異なる種族が住んでいる。人、ドワーフ、エルフ、獣人。角を持つのは、俺達竜人だけだ。角も鱗も持たないお前と同じ見た目の者など、この世界にはごまんといるのだ」
「……」
「お前を【竜崩れ】だなどと蔑む輩は世界を知らん。裕福な生まれでありながら、その生まれだけに満足し、狭い世界でしかいばれない小さき者である。そんな人間に復讐することを生きがいにすることのなんと小さきことか、つまらぬことか」
うずくまっていたマガツが立ち上がる。
アズマは彼の顔を見ると、フッと笑う。
「お前はまだ若く、力もある。何よりも今、こうしてあの島の外に出れたのだ。これから先、今まで見たことのない数々の出来事や出会いがお前を待っている。もちろん、【竜崩れ】だなどと蔑むものはどこにもいない。どうだ? これでもお前はまだあの灼島の小さい人間に復讐をすることが夢だというのか?」
「……どうだかな」
マガツははるか水平線の向こうを見て言った。
「俺にはわからねぇ。俺にはやっぱりあの島のことしかわからねぇ。夢だなんだ言われたって、やりたいことなんざあのむかつく野郎どもに一泡吹かせるしか思いつかねんだよ。この船に乗ってもこの先に何が待ってんのか、もしかしたら、灼島以上の悪夢が待ってるかもしれねぇ。……馬鹿みてぇに夢を信じられるほど、ぬるい人生送ってねぇんだよ」
未だ猜疑心に満ちたマガツだったが、アズマはそれすら笑ってみせた。
「なに、見ろと言われて見れるような簡単な夢はただの欲である。夢が無いなら、そうであるな。金を稼ぐといい」
「あ? 金だあ? 一気に夢がなくなったな。それこそ欲じゃねぇのかよ」
「フッ、何も金を夢にしろと言っているわけではない。夢が無いなら世界を知りながら金を稼げ。そしていつか、その金で夢を買うのである」
「夢を買う?」
「ああ、いつか思わず買いたくなってしまうようなデカい夢をな」
アズマは船の欄干に背中を預け、空を見上げる。
マガツは船の欄干に腕を組んで顎を乗せ、遠くを見つめた。
「……その夢が金で買えないもんだったらどうすんだ?」
「そのときは俺にいうがいい。俺の商会がお前の望むものを揃えてみせるのである」
アズマは黄昏れるマガツの頭を軽く小突いて――
「俺の夢はこの商会を世界一の商会にすることである。マガツに欲しい夢ができたならその夢も俺がそろえてみせよう」
「……へっ、それがホラじゃねぇことを祈ってるぜ」
二人はニヒルに笑い合い、欄干から離れる。
するとタイミングよく、キャビンから酒瓶を手にしたリルカが現れた。
「あ~気分が悪い、完全に飲みすぎたね。大将~薬をくれないかい?」
寝癖に少し乱れた黒い着物姿で現れたリルカを見て、アズマとマガツは笑った。
「夢を揃える商会も今は酔っ払いの世話係かよ。将来が楽しみだぜ」
「酒におぼれて見る夢も悪くない。まあ、その後の現実が怖いのであるが」
アズマは近くの船員に行って酔い止めを準備させる。
船員が持ってきた酔い止めを飲んで幾分か気分が和らいだリルカは、周囲の景色を見てあることに気が付いた。
「おや、もうここまで来たのかい。目的地はもう目と鼻の先じゃないか」
「ん? ああ、確かにそのようだな。すっかり話し込んでしまったようだ。いかんいかん、この年になると説教くさくなって仕方ない」
リルカとアズマがなにもない海域を見て話しているのを見て、マガツは眉をしかめた。
「目的地っつってるけど、そういやこの船どこに向かってんだよ。まだ近くには何もねぇぞ?」
アズマは含みのある笑顔を浮かべ――
「マガツ。これから先に進むなら、もう何も知らなかった元の生活には戻れんぞ? 覚悟はいいか?」
挑発気味なアズマに、マガツも挑戦的な笑みを浮かべた。
「ケッ、無理やり連れてきたくせによく言うぜ。……いいぜ、もとより前の生活に未練はねぇ。俺の世界がちいせぇっつうなら、この世界がどれだけ広いのか、確かめてやるのも悪かねぇ」
次回、「不思議な島の変わった少女」