第二話 記憶のない少年
「お疲れさん、今日もボコされてきたみたいだな。」
「お疲れ様。手当てしてあげましょうか?」
短髪を逆立て野性的な笑みを浮かべた男と赤毛を肩まで伸ばした理知的に微笑む女性。
二人の顔を見た途端、先ほどの陰鬱な気分は吹き飛んだ。
傷む頬を無視して笑う。
「見ての通りボコボコだけど、平気さ。これでもだいぶ減ったんだよ」
本当は全身傷だらけで痛いけど、精いっぱい強がった。
男のほうはオスカー・アルドレアス、女のほうはソフィア・エルグレース。
面倒見がよくて気さくな、とてもやさしい凄い人たちだ。
「確かにな!昔は全身あざだらけだったが、今は数えるほどしか見当たらないな。あの教官の攻撃をそれだけしか受けないなら、かなりのもんじゃないか?」
僕の向かいに食事を置いて座りながら、オスカーが笑った。
「ウィリアムだって天上人だもの。それも私たちの自慢の弟よ?強いのは当然じゃない」
そして僕の隣に座ったソフィアが柔和な笑みを浮かべながら僕の頭を軽くなでた。
それが少し恥ずかしくて、身を縮こまらせる。
オスカーとソフィア、この二人は僕と同じ部隊の先輩だ。
遅れたが、僕の名はウィリアム。
姓はない、ただのウィリアム。
グラノリュース天上国の軍人で、天上部隊に所属している。
天上部隊はこの国に1つしかない特殊部隊であり、その名の通りこの国の象徴ともいえる部隊。
少数精鋭を謳っており、人数は10人ほど。
欠員がいれば、毎年一人ずつ入隊が行われる。
その中で僕は去年から入隊した新参だ。オスカーは3年目、ソフィアは4年目だ。5年目以降は王城ではなく、国内の基地で働くことになる。だからこの城にいる天上人は、ここにいる3人ともう1人しかいない。
実際に現場に派遣されるまでは訓練や勉学に励む、いわゆる研修のような期間だ。また訓練も少数精鋭であるために一人一人異なる内容となっている。防御術でボコボコにされる僕は、同じ立場の二人からしても異様に感じるらしい。それもこの1年で慣れてしまったが。
「あの高名なアティリオ教官からの攻撃を散々受けられる奴なんて、天上人でもそうはいないぞ。もっと胸を張れよ」
「そうかな?先生の担当は防御術だから、攻撃に関してはもっと上がいると思うよ。それに手加減もしているだろうし」
「そんなことないわよ。あの人は教官たちの間でもかなり強い人らしいわよ?」
ソフィアが青くなった僕の頬をつつきながら言った。痛い。
「そうなんだ。そんな人に教えてもらえるなんてすごくありがたいね。でも痛すぎて心も体も砕けそうだよ」
「はっはっは、痛みは人を強くするんだぜ、ウィリアム」
オスカーが豪快に笑う。
2人の話じゃ、どうやらアティリオ先生は他の天上部隊員の教官の中でもかなり強いらしい。
ちなみに天上部隊員には一人ずつ教官がつく。
その教官はある程度教える隊員にあった戦い方の人が選ばれるらしい。僕の担当がアティリオ先生になった理由はいまいちよく知らない。
僕は最初の時に一通り武器を手に取ってみたとき、一番しっくり来たのは槍だった。だから当然、担当になるのは槍が得意な人かと思ったら、そうじゃなかったのだ。
「でもどうして僕にアティリオ先生がついたんだろうね。槍が得意なんだから、他の教官の方が自然だと思うんだけど」
天上部隊を教える専用の部隊というものがあるが、その中には槍が得意な教官も当然いる。
その人じゃない理由を、さも当たり前のような感じでオスカーが答えてくれた。
「そりゃお前、槍を使える奴がもう一人いるからに決まってるだろ?」
「そうかもしれないけどさ、でもどうしてアティリオ先生?他にいなかったのかな」
「なーに?ウィリアムはあの先生が不服なの?素直で真面目なウィリアムが珍しいわね」
からかうようなソフィアの言葉に困ったように笑いながら答える。
「不服とかじゃなくて、単に不思議なだけだよ。まあおかげでいろいろな武器に慣れたのはいいことだしさ」
「あまり深い意味はないと思うわよ。私の教官だって合ってるとは思えなかったから。実際二年目で教わることが無くなっちゃったから、それからはずっと独学よ。正直、あの教官はなんか気持ち悪くて、いやだったしね」
ソフィアが思い出したのか、不快げに整った眉を顰める。
オスカーは剣が得意だったので、剣術が得意な教官、ソフィアは武器を持って戦うのが得意ではないので、違う方法で戦う教官がついている。
ただソフィアは合わなかったのか、すぐに教官の教えを受けることはなくなったらしい。
さて、以上のことからわかる通り、天上部隊はグラノリュース天上国の中でもかなり特殊だ。その隊員も全員がかなり特殊で一般には謎に包まれている。かくいう僕もその一人。
ただ、僕は中でも変わり種らしい。
といっても、さきほどの他の部隊の兵士の話の通りに、あまりいい意味ではないんだけどね……。
「まあ、ウィリアムに優秀な教官がつくのは決まっていたことかもな。ウィリアムは俺たちより強いしな」
「そうね、なんでそんなに力が強いのかしら。ちょっと調べてみたいわね。」
「やめてくれよ。力が強いだけじゃないか。脳筋なオスカーと戦っても勝てないんだから、そんなんじゃないよ」
出来損ないといわれた僕の唯一の取り柄。
それは体が頑丈で力が強い。
見た目はもちろん鍛えられた体格をしているが、それでも見た目よりもかなり強い力が出せる。
でもそれだけ。
たかが人より力が強いだけで、オスカーやソフィアのような一騎当千といわれれば当然ノーだ。それを活かせなければ意味がない。
だから僕なんてまだまだだ。
そういうと、オスカーがいやいやと首を振りながら否定した。
「力が強いってのは大事だぜ?その力の使い方もわかってきた今、戦えば結構いい勝負するんじゃないか?」
「まだ秀英にも勝ってないんだ。厳しいよ」
「まあ、あいつはウィリアムと違って槍に専念してるからな。教官もものすごい槍の使い手らしいし、そら相性が悪いわな」
秀英とはもう一人の天上人で、僕の一年先輩にあたる。もともと武術を修めていたらしく、かなり強い。
ただそのせいか、かなり自信家だ。
「あー、あの高慢な感じの子ね。強いのは確かだけど突っかかってくるのよね」
「ソフィアにも絡んだんだね」
「まあ魔法でボコボコにしたから、あれ以来一度も絡まれてないけどね」
「俺でもあいつ相手じゃ負けてないが、ボコボコまではいかないぞ。やっぱりソフィアは強いな」
「すっご……、どうやって勝ったの」
「それはもちろん、素手よ。魔法を使ったけど、傍から見たら槍持った人が素手の人に負けたようにしか見えないでしょうね。まあ入隊したばかりの自信家な新人君には、いい薬になったんじゃない?」
「えぇ……結構えげつないことするね」
ソフィアの所業に戦慄した。
仮にも男、それも自信満々に武器を持って挑んだら、相手は素手で軽く圧倒してきたら、正直相当ショックだろう。それも女だ。
女だから劣ってるとかいうつもりはないけど、どうしたって体格差とかで女性は不利だ。でもソフィアは関係ないとばかりに素手でコテンパンにしたらしい。
やられた側としてはたまったものじゃない。
見ていた人からもいろいろ言われるだろうし、相当えげつないことをしている。
ま、やられたのは僕じゃないし、秀英は高慢でそりが合わないから笑えるけど。
ソフィアに秀英に勝った話を詳しく聞こうとすると、それよりも気になる話が2人から出てきた。
「それはそうと聞いた?新しい天上人の話」
「そういえば、もうとっくに新しいのが入隊してもいいころじゃないのか?まだ一度も見かけてないな」
「それなんだけど、なぜか今年は入らないらしいわ。儀式してるけど反応がないって」
「そりゃなんでまた。そんな事態は聞いたことないな」
そういえばもうそんな時期か。
天上人は欠員がいれば毎年一人ずつ新しい隊員が入ってくる。
入隊は春ごろのはずなのに今はもう秋だ。
にもかかわらず、一度も新しい天上人を見ないのは、そんなことが起きていたからなのか。
「ウィリアムにも後輩ができると思ったのにな。いつまでも一番下じゃ窮屈だろ」
「全然そんなことないよ。むしろちょっとほっとしてるよ」
「ん?どうして?」
新しい天上人、つまり後輩ができる。
正直なことを言うと嫌だった。
どうしてか。
「僕には天上人として胸を張るのに必要な力がない。そんな状態で先輩面なんてできないよ」
切実な言葉。
二人が困ったような顔を浮かべた。
気を遣わせたくなくて、努めて元気にソフィアに聞いた。
「ソフィア、魔法教えてよ!」
最近までは鍛錬と勉学でかなり毎日切羽詰まっていた。最近になってようやく余裕が少しずつ生まれ始めたから、この機会に新しいことを学びたい。
そう思ってソフィアに魔法を教えてと願うも、彼女はまたしても困ったような顔を浮かべた。
「私も教えてあげたいところだけど、そもそもマナが感じられないとどうしようもないわよ……どうしてウィリアムだけ感じられないのかわからないけれど」
「ま、魔法が使えたって使いこなすには才能が必要だぜ。オレも使えても初歩しかできないし、難しい魔法となるとちんぷんかんぷんだ」
「そんなぁー」
がっくり。
どうやらマナが感じられないと魔法は使えないらしい。僕にはマナは感じられない。
まあ感じられるオスカーが魔法を満足に使えないのは、本人の頭の問題だと思う。いや、馬鹿にしてるわけじゃないけど。
一騎当千の天上人。
そう呼ばれる理由は彼らが異世界人であり、優れた知識を持つこと。
そして彼らには優れた肉体と、魔法という才能をもってこの世界にやってくる。
天上人は優れた力を持って国を守り、優れた知識を持って国を豊かにする。
何気なく話しているが、オスカーとソフィアは本当にすごい人だ。
そんな二人と何もない僕、なんだか一緒にいるのも惨めに思えてきた……
「まあまあ、そう落ち込まないで。正式配属される前に、ウィリアムにとっておきのプレゼントを用意してるから」
僕が肩を落としたのを見かねたのか、ソフィアがそういった。
その内容に僕は首をかしげる。
「プレゼント?そんなのいいのに。お金なら使い道なくて困ってるくらいなんだから」
出来損ないの天上人とはいえ、国に軍人として仕えている以上、給金は発生する。それも精鋭中の精鋭である天上人だから、結構な額だ。
だけど僕にはそのお金の使い道が特にないから、たまっていく一方だ。欲しいものが特にない。
それをソフィアも知っているはずだし、何かめでたいことがあるわけでもない。むしろ何かあるのはソフィアの方なのに。
僕の疑問にソフィアは首を横に振った。
「何言ってるの、こういうのは気持ちよ。それにただのプレゼントじゃないわ。もしかしたらあなたの悩みを解決できるかもしれないの」
「悩み?なんかあったかな」
眉根を寄せる。
僕の悩みを解決してくれるようなプレゼントか?思いつかないな。
というか今の悩みは強くなって二人にも胸を張って天上人ですっていうことなんだけどな。
それ以外に悩み、か……
1つだけ、悩みがある。ほかの天上部隊員みんなにあって僕にはないもの。
僕が出来損ないと言われる根本。
とはいえその代わりのように、ほかの人にはない膂力があるのだから、対価にでもしたのだろうと思っていた。
なによりその悩みを解決する方法が全く思い浮かばない。
プレゼントで解決するなんて思えないし。
「まあ楽しみにしておけよ。俺も少し協力したがすごいぞ。ソフィアにしかできない芸当だ。さすが元脳科学者だな。」
「もうほとんど言っちゃってるじゃない。元ボクサーだから頭打たれすぎておかしくなっちゃったのかしら?とにかく、今かなりいいところまでできているの。楽しみにしていて!」
「おい、誰の頭がおかしいって?」
目の前で漫才を始めた2人がおかしくて、自然と笑いがこみあげてくる。
「はは、ありがとう!僕も何かお返しを考えておくよ!」
笑いながら、もしかしてと淡い期待を抱きだす。
ソフィアのプレゼント。
僕がずっと欲しかった、いや、知りたかったもの。
ほかの部隊員にあって僕にはないもの。
――それは前の世界での記憶だ。
次回、「かの国の形」