プロローグ
戦乱の時代では、平和は夢で希望だった
じゃあ平和になった今、夢と希望はなんだろう
アイリス・ミラ・ルチナベルタ
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――【悪魔大戦】が収束してから3年。
かつて悪魔との戦いがあった過酷な大陸は、今は目立った戦いもなく平和な時代を築いていた。
空には多くの飛行船が飛び交い、他国に渡ることが容易になり、いくつもの種族が笑いあう和やかな光景が身近なものとなった。
それは、かつて鎖国的で多くの国民は暗くつらい日々を送っていた旧グラノリュース天上国もまた同じ。
多くの血が流れたグラノリュースの城下町も今では各国との交易によって栄え、たくさんの観光客や産業でにぎわっていた。
「安いよ安いよ!灼島特製のお団子だよ!南部風にアレンジした新商品もあるよ!」
「こっちはドワーフ謹製の酒を使った肉料理だ!力がつく逸品だぜ!」
「エルフが愛用する工芸品はどうですかー!玄関に飾ると災いを避けるし、縁結びにも効果がありますよ!」
大通りにはたくさんの屋台が出ていて、それぞれが特有の商品を売っている。
数年前までは搾取される一方、ろくな産業も特産もなかった町はたくさんの人でにぎわい、活気にあふれていた。
たくさんの親子連れや旅人、商人が行き交う明るい商店街の通りを、一人の少女が走り抜ける。
「そこのお嬢ちゃん! 足を止めて寄っていきなよ! 美味しいお菓子があるよ!」
「おばちゃん、ごめん! ちょっと急いでるの!」
「お、そこの別嬪なお嬢さん! デートかい? 縁結びのお守りは必要かい!?」
「もうすでに相手はいるから大丈夫!」
露店を出している人たちに掛けられる声に元気に答えるもその足は止めない。
どこか必死にも、どこか嬉しそうにも見える少女の胸には、盾と太陽の紋章が刻まれたブローチがあった。
竜の仮面を被せた尖がり帽子をかぶせながらも、彼女の銀髪は陽の光を反射して銀色に輝きながら風になびいて後ろに流れる。
少女はそのまま商店街を抜け、最南端にある一際大きな城へ向けて駆け抜ける。
城の門番は少女を知っているのか、一言あいさつしただけで門を開ける。そんな門番に少女は一言、礼を言って中へ駈け込んでいく。
勝手知ったるかのように速足で進む少女の足は迷いなく、あっという間に城の中でも最上階のほう、立派な部屋に駆け込んだ。
「アイリス! アイリス!」
ノックもせずに部屋の主、ひいては城の主の名前を呼ぶ。
名を呼ばれたのは綺麗な金髪を背中まで伸ばした女性。
かっちりとした正装の上からでもわかる細くしなやかな腰に対してその上下は豊かなものであった。
「どうしたんだい、ウィルベル。何かいいことでもあった?」
アイリスと呼ばれた女性は、いきなり入ってきた不躾な来客にも嫌がることはなかった。
古い友人である2人には必要がなかった。
「ビッグニュースがあるのよ! あ、あのね、あのね! ええっと……」
「落ち着いて、ほらお茶でも入れるからさ」
「それどころじゃないのよ! あいつがいるって!」
「あいつ?」
急いできたことで息を切らしていた少女ウィルベルは息を整えてその名を呼んだ。
「ウィルが、ウィリアムが生きてるって!」
その言葉の意味をアイリスは理解できずに、一度固まる。
何度も頭の中で反芻して、ようやく理解ができたときに彼女の頭は動きだす。
「え、えっと、ウィルベル。言いにくいんだけど、ウィルはもう――」
「生きてるのよ! 確かな筋からの情報だから確実よ! どこにいるかはわかんないけど、絶対いる!」
確信めいたウィルベルの言葉にアイリスは込み上がる感情を処理できずに変な顔をした。
信じられないような、嬉しいような、困ったような。
端正な顔を歪ませて、震える嗚咽交じりの声で確認する。
「ほ、ほんとに?生きてるの?本当に?」
ウィルベルはこくこくと頷く。
アイリスは泣き崩れ、ウィルベルが支えて抱きしめる。
少しの間だけそのままでいた2人は、やがて落ち着くと椅子に座り直して話をする。
「ウィルが生きてる……正直信じがたいけど、でも事実なんだよね」
「そう思っていいと思うわ。でもどこにいるかまではわからないの。だからこれから探しに行くわ」
決意に満ちたウィルベルを見て、アイリスは頷いた。
「そっか、それならボクも行きたいところだけど、あいにくとこの2年で立場ができてしまったからね。あまり自由に動けないんだ」
「アイリスが忙しいのは知ってるわよ。今はグラノリュースの大臣様だもんね。だから気にしなくていいわ。元から1人で探すつもりだったし」
「そっか、協力できなくてごめんね。こっちでも情報を集めておくからさ。代わりといってはなんだけど、エスリリを連れていくといいよ。彼女の鼻はきっと役に立つよ」
懐かしい仲間の名前を聞いて、ウィルベルは嬉しそうに顎に手を当てる。
「んー、そうね。じゃあエスリリを連れて行こうかしら。それと久しぶりにあいつらにあっていくのもいいかもね」
「そうするといいよ。あとレオエイダンにもできれば寄ってあげて欲しいな。アグニータ様は変わらず沈んだままみたいだしね」
「あー、なんかずっと縁談を断ってるって言ってたわね。国王様が困ってるって聞いたわ。昔は娘を取った相手だから嫌いだったらしいけど、いなくなったらいなくなったで余計嫌いになったって」
乾いた笑いを浮かべるアイリス。
かつての仲間が元気がないと知ってから、なんとかしてあげたいとずっと思っていた。
ウィリアムを一途に想っていたアグニータは、悪魔との戦いには王族であるために参戦することができなかった。
そして、何もしなかった自分の知らないところでウィリアムが死んだことを彼女はひどく落ち込み、ふさぎ込んでしまったのだった。
「ま、とくにあてがあるわけじゃないし、挨拶と修行もかねていろいろ回るわ。ここ数年はずっと他の大陸に行っていたから、久しぶりのこの大陸を旅するのも悪くないし」
「その話もゆっくり聞きたいな。今日は仕事が溜まっているからあまりゆっくりできないけどね。いつ頃出る予定?」
「すぐにでも出ようと思ってるわ。ここに来たのも知らせるためだし。近くにいる人たちに一通り挨拶をしたら、すぐに出るわ」
「そっか、大したもてなしもできないけど、ゆっくりくつろいでいってね」
「ええ、ありがとう」
久々の再会もほどほどに、二人は別れてまた笑って歩き出す。
すぐにまた会えるとわかっているから。
次回、「もう一つの始まり」




