第四十一話 破壊の創造
左翼を担うレゴラウスが率いる軍団。
その一角は地獄だった。
周囲は草木をはじめ水もそして土すらも、あらゆるものが腐敗していた。
辺りには連合軍の兵士たちの死体が転がり、腐り、虫が湧いていた。
その腐敗していた領域で倒れている者の中に、レゴラウス、シャルロッテとライナーの姿があった。
そして、もう1人。
「応援に来たときにはこれか。……遅かったな」
白髪で右腕にとげとげしい義手をした目つきの悪い男。
ヴェルナーが倒れているシャルロッテの息があることを抱えて確認すると、安堵の息を吐いた。
そのとき、頭上から声が降る。
「……まだ、生き残りがいた……面倒だ。全部腐ればいいのに」
声のしたほうを見あげれば、そこにはヴェルナーに負けず劣らずの目つきと姿勢の悪い悪魔が宙に浮いていた。
背丈は高いが背筋は曲がり、一見大柄には見えないその悪魔は、シルエットだけなら人間ではあるものの、動物の皮膚を寄せ集めたような肉体を持っていた。
さらに腕には大量のキノコが生えており、そのキノコからは白い胞子が絶えず撒き散らされていた。
「テメェか、これをやったんは」
「……言わなきゃわかんない? これだから低能な人間は……」
悪魔が元凶であると理解したヴェルナーは、すぐに火炎魔法を放つ。
「……低俗な魔法」
しかしすぐに、火炎は撒き散らされている胞子によって防がれた。
「ケッ、胞子のくせに燃えにくいたァ誰も思わねぇだろうがよ」
手に持つ宝石が埋め込まれた杖を回しながら、悪態をつくヴェルナー。
「まあいいか、やるこた変わんねぇ。オレぁぶっ壊すだけだ」
「野蛮……これだから嫌なんだ」
悪魔が緑や紫、茶色が混ざった汚濁に塗れた魔法を放つ。
ヴァルナーも対抗して真っ赤な爆炎魔法を放つ。
2つの魔法がぶつかり合い、周囲に爆散する。
ヴェルナーの炎は広がり、消えていく。
悪魔の放った魔法は塵のように拡散して辺りに落ちていく。
その後も何度も魔法をぶつけ合うが結果は同じ。
互いの魔法が相殺し合うだけで、一見して互いの体に届くことはなかった。
――だが着実に、変化はあった。
「……あ?」
ヴェルナーが突如ふらつき、膝をつく。
(んだァ? 攻撃は食らってねぇ、魔力切れ? だがこの程度で切れるほどやわな鍛え方はしてねぇ)
鼻に手を当ててみれば、血が付いていた。
「……思ったより早かった。そこの女のものをもらっていたのかな……」
「あぁ? 何言ってんだテメェ」
「わからなくていい。そのまま腐って死んでいくといいよ」
悪魔が説明するのも面倒とばかりに、再び魔法を放つ。
ヴェルナーも同じように魔法を放つが、相手には届かない。
それどころかめまいがひどくなり、身体に力が入らなくなる。
「クソが、何だってんだ」
「……どうせ君にはわからない。そこの金髪の男は惜しいところまでいっていたけど、頭の悪そうな君にはわからない。低能な人間にはわからない次元の話」
「……ライナーか」
ヴェルナーはふらつく足を叩きながら、立ち上がる。
ちらりと近くで倒れているライナーを見る。
まだ息はあるが先ほどよりも苦しそうな顔を浮かべていた。
(こりゃ時間がねぇな、だがこいつが何をしているのかわからねぇ。ライナーの野郎はわかったのか?)
ふらつく体と朦朧とする頭をなんとか動かして、辺りを見回して何か手掛かりを探す。
(このなかで明らかに違うといやぁ、周囲の状況だ。どこもかしこも腐ってやがる。毒か? だがどいつもこいつも解毒剤は用意していたはずだ。即効性じゃねぇなら対策できたはず。にもかかわらず効いてねぇってことは、毒じゃねぇってことだ)
ヴェルナーは免疫力を上げ、毒を無効化する薬を念のためもう一度服用する。
薬は錬金術で作られ、通常の薬よりも強力な効果を発揮するもの。
それでもヴェルナーの体調は回復しない。
(毒じゃねぇならなんだ? 辺りには腐った死体……腐った?)
芸もなく、悪魔が再び魔法を放つ。
ヴェルナーは今度は爆炎魔法ではなく、風魔法で逸らすのみに抑えた。
視界が保たれたまま、左右に分かれていく悪魔の魔法を目を凝らしてじっと見た。
もう一度、悪魔が放った魔法を風だけで逸らす。
多少自身に魔法がぶつかってもお構いなしに。
膝をついても、鼻や口から血が出ても。
ただひたすら観察。
汚い紫や緑、白といった色が混じり合ったその魔法は臭いも酷いものだった。
――しかしその中に、ヴェルナーは確かに見た。
かすかに見える程度の、とても小さな生物。
ヴェルナーはふと、懐かしく楽しかった記憶を思い出した。
◆
「前も思ったけど、よく魚を生で食べようなんて思うわよね、怖くない? それになんか気持ち悪いし」
あれは、特務師団が結成されて、南部でひたすら練兵を行っていた時期。
グラノリュースに攻め入る前の話。
ウィリアムが作った料理を前にしたウィルベルが微妙な顔をして、文句を言っていた。
「文句あるなら食うな。これは俺の好きな料理だから、いらないなら俺が食う」
「何言ってんの、食べるに決まってんじゃない。あんたのお気に入りってことはきっとおいしいんだろうし」
「ウィルの作る料理は美味しい……種類はないけど」
白髪交じりの黒髪の眠たげな瞳をしたマリナが笑った。
「悪いな、料理のレパートリーが少なくて。でもその分何度も作ってるから、それなりに自信あるんだ」
ウィリアムの執務室に併設されたキッチンで作られた料理が、テーブルの上に並べられていく。
その日の料理には魚を生のまま切ったものを並べただけのものがあった。
それを見て、軍医であるマリナが懸念を口にした。
「でも本当に大丈夫? ……魚のお肉も火を通さないと危ないと思うんだけど」
「なんで危ないのか知ってるか?」
マリナは首を横に振る。
「ううん、知らない……明らかになってない。一説によれば、死んだ魚のマナが滞って濁ることで、体内に不調を起こすって」
「へぇ、そんな風に言われてるんだな。でもいわゆる食中毒になるのは、食べ物の中にある目には見えない生物が原因だ」
「目には見えない生物?」
「なにそれ、透明人間?」
違う違う、とウィリアムは説明する。
部屋にいたヴェルナー、ライナー、シャルロッテ、アグニータも興味を持ったのか、耳を傾けた。
「いわゆる微生物とか細菌ってやつだ。魔法で見えないとかじゃなく、単に小さすぎるんだ。そんでもって小さいから、体を作るのが簡単で、すぐに大量に増えるんだ。でも目には見えないから厄介なんだ」
「え、じゃあここにある食べ物とかそのびせーぶつだらけなの?」
「微生物というか細菌だな。細菌にはいろいろあって、体にいいものも悪いものもいる。俺たちの体の中には何万何億って数の細菌がいるぞ」
「うげっ」
ウィルベルはうめき声をあげ、露骨に顔を険しくして自分の体をまさぐった。
ウィリアムは何でもないようなことを言っているが、この世界の人間にとって、この話は常識を覆すほどの意味を持っていた。
「そんで食中毒を引き起こす細菌は熱に弱い。だから加熱処理すれば、傷んでなければ食中毒ってのは抑えられるんだ」
「なるほど……じゃあ、これは加熱してあるの? 見た目は生のままだけど」
「いや、加熱してない。生のままだ」
「うげげっ」
ばっちぃものを見るかのようにウィリアムが作った料理を見るウィルベル。
ウィリアムはそれを面白いものを見たという感じで、ニヤニヤとしたり顔だった。
「細菌だが、何も加熱しか対策がないわけじゃない。魚なんかにいる細菌は真水に弱いから、きれいな水でちゃんと念入りに洗えば平気だ。手にも細菌はつくからよく洗った後で酢みたいなのを使えば、安全に食える。あとはー、ああ、寄生虫なんかもいるな」
「それは有名ですね、動物なんかにはそれに寄生する小さな虫がいて、それが僕たちの体に入って悪さをするというものですね」
ライナーの言葉に、ウィリアムは頷いた。
「そうだな、その寄生虫も一般的に熱に弱いから、火を通せば問題ない。それもあって火は浄化の光なんて呼ばれてるんだろうな。微生物も寄生虫も毒素をもたらすことがある。その場合、毒素を分解しても元の生物をなんとかしないと改善しないから、精々気をつけろ」
「なるほどね、じゃあ火を通せばいいのね!」
「ああ……て、おい! 料理を燃やすな! そんなに強い火じゃなくていいんだよ!」
「いやよ! 大量にびせーぶつがいるなら、全部燃やし尽くしてやるの!」
「料理が全部燃えるわ! 燃やすなら、その沸いた頭を最初に燃やせ!」
ウィルベルが暴れるのを周囲が止める。
確かに衝撃的な話だったが、その後のウィルベルの暴れ方によって、そのこともいつしか忘れていた。
細かいことを気にしないヴェルナーはそんなものかと、流していた。
◆
「寄生虫、そんでもって微生物。そいつらが体内に入り込んで毒やらなんやら悪さしてるってことかよ」
なんてことない、ありふれた日常だった。
でも今となっては、とても大切な思い出となっていた。
「相変わらずあの野郎の頭ン中はどうなってんのか、わからねぇことだらけだぜ」
「……何を言ってるんだ? 面倒だから、とっとと倒れて、腐り果ててくれ」
「腐るのも微生物のせい、か。なるほどな、道理でこの有様なわけだ」
ヴェルナーは自分自身に魔法を使う。それは解毒といったような魔法ではなく、ただの攻撃魔法の応用だった。
克服したヴェルナーは、再び立ち上がる。
それを見た悪魔は、不快げに顔を歪ませた。
「……克服した? ……でもありえない、この世界の人間にそんなこと……」
「ああ、確かに目にも見えねぇちっちぇえ生き物なんか気にするようなやつぁ、軍人にはいねぇだろうな。でも中にはそんな変人もいるんだよ。誰も知らねぇような知識や力を軽々手に入れて、使いこなすようなバケモンがな」
「この世界の人間どもにできることなんてたかが知れてる……ただのまぐれだ。次はない」
悪魔がまた魔法を放ち、ヴェルナーもまた魔法を放った。
だが悪魔に火力が集中するようにしていたヴェルナーの魔法は形を変え、薄く広がるように周囲一帯を埋め尽くした。
「……え?」
悪魔が目を見開く。
「テメェの魔法のタネは割れた。もう勝ち目はねぇ」
「……嘘だ嘘だ、俺の研究の成果、こんなあっさりと? ……こんな、粗暴で野蛮な原始人ごときに!?」
「カビの生えた野郎だな。テメェみてぇな腐った野郎に舐められちゃ終わりだぜ」
ヴェルナーは目を閉じて集中する。
薄く熱い炎が周囲一帯の地面に倒れる仲間たちを包むように放たれる。
倒れていたライナー、シャルロッテ、レゴラウスを始めとした仲間たちの、苦悶に満ちた顔が穏やかなものになっていく。
理解できない現象に悪魔は激昂した。
「……ふざけるな、ふざけるな! こんな破壊しか能のない奴に! 俺の、このクシャダが生み出した生物が負けるものか!」
「フッハッハ!! 破壊しか能がねぇとは、とんだ誉め言葉が出たもんだ!」
いいか、とヴェルナーは口を横に歪めて、高らかに笑う。
「破壊ってのはなァ! 新たな奇跡の幕開けだ! オレはあの訳わかんねぇ団長の下で、何度常識を破壊されたかわからねぇ! でもそれがなんだ? 常識? 努力? 破壊されて当然だ! だからこそすべてに価値が生まれる!」
興奮したように叫ぶヴェルナー。
彼の右腕の義手に埋め込まれた宝石が明滅する。
「破壊は創造の種になる。この世界は何度もテメェらによって壊されかけた。でもそのたびにオレたちゃ進んできた」
ヴェルナーの言葉を聞いていられないとばかりに、悪魔は今までにないほどの濃密なマナを形成し、その中におぞましいほどの生物を生み出し始める。
目には見えない細菌も寄生虫も、目に見えるほどの、ヒュドラやキメラといった大きくおぞましい生物も。
それだけで連合軍を壊滅させられそうなほどの量の生物を生み出す魔法を、ヴェルナーにぶつけようとしていた。
「人間ってのはな、止まってからがスタートなんだよ。順調に進んでるときってのは、進んでるだけで進化はしてねぇ。ぶつかって、止まって、破壊されて、そこでようやく進化は生まれる」
「進化? そんな遅く不確定な現象は俺の前では無価値に等しい! 魔法も碌に使えず進化してないお前たち劣等種に、俺が作った生物が負けるものか!」
悪魔の怒りで空気が震える。
対してヴェルナーは一歩も引くことなく、不敵な笑みを浮かべて、義手である右腕の上に大きな炎を生み出し、それを小さく圧縮していく。
「生物をいじるなんて馬鹿みてぇなことやってんじゃねぇよ。そいつらが生態系やら自然を滅茶苦茶にすれば、何らかの形で、星が生命に破壊をもたらす。そして生まれるのは、純然たる新たな強い生命だ。そこに何の意味もねぇ」
「俺の作った生物は最強だ! この星を滅ぼすまで、消えるものか!」
「なら試してやるぜ」
ヴェルナーの炎がほんの指先ほどの大きさにまで小さくなる。それに反比例するように炎の輝きは青に変わり、一際強く輝いた。
同時に、この世の全ての異形を集めた、それだけで世界を破壊できそうな悪魔の禁呪が放たれる。
「《巫蠱死滅》!」
ヴェルナーが義腕を振るう。
「《大地之真価》」
2つの魔法が混じり合う。
大きさの全く異なる魔法がぶつかったその瞬間、世界は青く染まった。
次回、「勇者の花」




