第三十七話 さよなら、友よ
日が明けて、東の空が白んできたころ。
ガシャガシャと鎧がすれる音や武器が運ばれる音が連合軍拠点内に鳴り響く。
夜中の間にも悪魔による攻撃があったが、頑強な防壁がある拠点に戦力を集中させて攻撃するようなことはなかった。
初日から陣形を変えて、また本格的な戦いが始まる。
攻撃的な陣形に変わったことで、高位悪魔が集中する激戦が予想されていた。
――しかし、その予想に反して二日目、三日目と高位悪魔の出現は散発的で弱く、連合軍側の優勢で進む。
すでに連合軍は、アニクアディティの首都目前に迫っていた。
大きな被害が出ることもなくここまで進軍できたことに、兵士たちの士気は非常に高まった。
「……おかしい」
誰にも聞こえないように、ウィリアムは呟く。
それでも彼は、注意をしつつ勢いそのままに進軍することを判断した。
そうして、さらに一週間ほど経った日。
ついに連合軍は、アニクアディティの首都にたどり着いた。
目に見える位置にアニクアディティ王城。
もともと獣人が建てた城は高くなく、横と奥に長い様式だったが、悪魔たちによって改変され、高く禍々しい姿に変貌していた。
黒く、曲がりくねった遠近感を狂わせるおぞましい城。
城下町に辿り着いた先頭集団、その最先端にいるウィリアムの足が止まる。
「これは、結界?」
城下町にあったのは、すっぽりと町全体を丸ごと囲う結界。
周囲には悪魔の姿が見られない。
隠れているわけではなく、気配も何もない。
試しにウィリアムが軽く剣を振ってみるも、結界に穴が空くことはなく、まるで水面のように波紋を広げるだけ。
物も魔法も何も通さない不審な結界。
ウィリアムはレイゲンと連絡を取る。
「城下町まで来た。だがここに結界がぐるりと城下ごと囲うように展開されている。これを破らない限り、進軍は無理だ」
『破れないのか?』
無理だな。
ウィリアムは結界に触れながら言った。
「破るには圧倒的な火力がいる。傷なら入れられるが水みたいに空いた場所になだれ込むように結界が再生するから、破るには再生できないほどの大穴を開けないと通れない」
『貴様一人通ることもできないと?』
「通れたとしてもこの結界に何があるかわからない。防ぐためだけじゃなく、入ったことで何らかの影響がないとは言い切れない。何より周囲に悪魔の姿が見られないことが怪しすぎる。被害が少ないなら、慎重に行くべきだ。焦る段階じゃない」
『よかろう、では少し下がれ』
レイゲンの指示通りに、ウィリアムは率いる軍団に指示を出して、城下から距離を取る。
すると、左手のブレスレット型通信機から、レイゲンとは異なる声が鳴った。
『準備はできた。いつでもいけるぞ』
「ディアークか、味方の頭に落とすなよ」
『はっはっは、なに、ここ数日ずっと撃っているのだ。今なら飛び回るカモメですら百発百中で撃ち落とせるとも。安心して見ていてくれ。特等席でな』
連合軍の兵士たちの上に影が差す。
編隊を組んだ飛行船が城へ向けて砲門を向ける。
――そして、爆音伴う砲弾が降り注ぐ。
次々と砲弾が地上に向けて放たれ、飛行船と城の間、結界面で弾けていく。
水面に雫が落ちるように、透明な結界表面に波紋が広がった。
――徐々にその波紋は大きくなり、揺れていく。
「あと少し、あと少し……」
誰かがそうつぶやいた。
誰もがあと少しで結界が破れる。
そう思った。
――その時に、それは起こった。
「――ぁ」
突如、全飛行船が真っ二つに引き裂けた。
結界が破られる直前に城の内側から、空を横一閃に引き裂く強烈な衝撃波が放たれたのだ。
編隊を組んでいた飛行船は次々と上下に引き裂かれ、炎上して墜落していく。
それはヘルデスビシュツァーでさえも、例外ではなかった。
「ディアーク‼ ベル‼」
唐突に訪れた惨劇に、ウィリアムは叫ぶ。
上下に割かれた飛行船はいくつもの破片となって、地上にいた兵士たちを押しつぶすように墜落していく。
地上も、そして空さえも、さきほどまでの兵士たちの高揚が嘘のように、一気に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変化した。
唯一、巨大かつ堅牢ゆえに、まだ空中にいた旗艦ヘルデスビシュツァーでさえも、火の玉となって落ちていく。
「クソ、クソ!!」
ウィリアムは震える手で、手首にある通信機を繋げる。
「ディアーク、ディアーク!」
『……ウィリアム……すまない……』
ノイズ交じりのディアークの声。
「ディアーク! 無事か!?」
『これを無事と呼んでいいのか、わからないなっ……』
苦痛に悶える声に、ウィリアムは一瞬息をのむ。
「それならすぐに脱出を! 一度態勢を立て直す! このままじゃ――」
『それは決してしてはならない。いまここで引けば、これ以上の被害が出る』
「だが!」
『ウィリアム』
ディアークは彼の必死の訴えを、名前を呼んだだけで遮った。
有無を言わせぬ迫力がその声にあった。
『ウィリアム、頼みがある』
「なんだよ……」
周囲の混乱の声がそこかしこから上がる。
それでも二人の会話は途切れない。
空に浮かぶ、ぼろぼろになっていく飛行船を見上げて。
『俺の……最後の頼みだ』
――ただの1人の友として。
『南部を、この世界を、頼む』
「っ! なにを――!」
友は叫ぶ。
『我らは誇りを守り、名を守り! 偉大な先人たちの眠るこの地を、死に場所と見つけたり! これは死ではない! 人類が生きるために必要なことだ!』
「ディアーク、一体何を!!」
『生きろ、ウィリアム。お前が生きれば、忘れなければ、俺達は生き続けられるのだ』
諭すようなディアークの声。
しかしウィリアムは喉が張り裂けんばかりに怒りを上げた。
「ふざけんじゃねぇぞ! そんなことさせるためにお前にその船を預けたんじゃねぇ!生きて、帰らせるために預けたんだ!! 壊して返すなんて許さねぇぞ!!」
『……申し開きもできない。それでもやはり、俺にはこの生き方しかできない。このようにしか生きられない俺を、許してほしい。……妻にも伝えてほしい。不出来な男で申し訳ないと』
その言葉を最後に、通信は切れる。
「……っ、おまえは……」
ぼろぼろになり、今にも落ちそうなヘルデスビシュツァーのエンジンが火を噴く。
いくつもあるエンジンのうち、動いている物はほんのわずか、それも壊れかけだった。
それでも南部が作り上げた最高傑作の飛行船は、今まで以上の速度を上げて空を駆ける。
――結界の先、アニクアディティの城へ向かって。
轟音を立て、火の流星となって。
悪魔が張った結界に、ヘルデスビシュツァーが火と煙を上げて突っ込んだ。
空中で不自然にひしゃげ、爆発が起こる。
大地を震わす大爆音。
爆発に紛れて、ガラスが割れる音。
――結界が壊れた。
結界が割れた後も、ヘルデスビシュツァーは木っ端微塵になって、地上に降り注ぐ。
飛行船団、ディアークの最後の一撃。
「結界が壊れたぞ!」
「南部の父の雄姿を見たか!!」
「我らは永久不滅なり!」
結界を壊し、敵に一撃を加えた彼らの行為に、兵士たちは勇気づけられる。
ただ一人を除いて。
「……ばかやろう、馬鹿野郎! ……結婚するんだろ、幸せをつくるって言ってただろ……こんなところで死んでんじゃねぇよ!」
仮面の目元から涙が流れる。
「最後の最後に、人に大きすぎるもん押し付けて、満足そうに死んでんじゃねぇよ……」
雫が一つ、地面に落ちる。
――でもすぐにウィリアムは顔を上げた。
「すぐに隊列を整えろ! 飛行船が落下した場所には救助隊を編成して送れ! 突撃の時間は終わりだ! 周囲を警戒して、悪魔に備えろ!」
「でも、結界が破れた今こそ攻めるべきじゃ!?」
側にいたアイリスは歯を食いしばって涙をこらえながら、意見した。
しかし、
「こんな隊列も乱れ、混乱した中で攻められるものか! よしんば攻めたとしてもすぐに包囲するように悪魔たちが攻めてくる! とにかく被害を確認して再編しろ!」
「わかった!」
ウィリアムは彼女の意見を切り捨てた。
即座にアイリスはウィリアムの指示通り、軍団をまとめていく。
その間――
「……」
ウィリアムはただ、城を見つめていた。
「アイリス」
「はいっ! 被害は今確認中で――」
アイリスがすぐに被害を報告しようとするも――
「先に行く。軍団をまとめて、ゆっくり来い」
「――え?」
ウィリアムは唐突に駆け出した。
「ま、待って!!」
飛び出したウィリアムの肩に手を伸ばす。
でも――
「まって……ウィル――」
その手は届くことなく空を切り、ウィリアムの背中は小さくなっていく。
さらに事態は動く。
「こいつら! 潜んでたのか!」
周囲から堰を切ったように溢れ出す悪魔ども。
「伝令! でんれーい!! 周囲から突如大量の悪魔の軍勢が! 中位に率いられた軍団規模の数が左右から挟み込んでくる形で接近中!」
「っ! すぐに戦線を整理する! 我が隊は後退して後続部隊と合流して悪魔たちを押し返す! 隊列を組んですぐに対応せよ!」
アイリスは部下からの報告に、すぐに切り替えて指示を出す。
一瞬だけウィリアムが走っていった方向を見やる。
悪魔の群れに埋もれ、ウィリアムの姿はもう見えなかった。
一瞬だけ、彼女の瞳が潤む。
「ウィル、死ぬな。まだ話したいことがたくさんあるんだから!」
彼女もまた剣を振るう。
もう、大切なものを失くさないために。
次回、「南部の父」