第十六話 乖離する意思
レイゲンとの決闘があった後も、悪魔との決戦について細部や軍容についての話し合いが数日にわたって行われた。
最後の会議が終わったときには、ウィリアムとディアークたちが中央に着いてから一週間以上が経っていた。
「くそ、ふざけんじゃねぇ……」
南部に戻る馬車の中で、悪態をつくウィリアム。
そんな彼の斜め前に座っていたディアークが豪快に笑った。
「そういうな。総大将なんて大変名誉なことではないか! 誰しもなりたくてなれるものではないぞ」
「なりたい奴がいるなら変わってほしいね。そのためにレイゲンに負けたってのに、レゴラウスとヴェンリゲルが変なこと言うから厄介ごとを引き受ける羽目になったじゃないか。なんでレイゲンもあれで納得するんだよ」
ウィリアムの告白にディアークは目を丸くする。
「なんだ、レイゲン殿をケガさせないために剣を止めたわけではないのか? その場で言えばよかったろうに」
「痛くてそれどころじゃなかったんだ。胸の部分をざっくりだぞ?」
ウィリアムは斬られた部分である胸の部分をさする。
幸いにも治療が早かったことで縦に裂かれた傷は綺麗に消えていた。
「そもそも俺が総大将なんて頭おかしいだろ。なんで諸王は納得したんだよ。ここで自分たちが名をあげれば優位に立てるだろうに」
「無論それは頭にはあっただろうな。そして他の国もそれを狙っていることは明らかだ。だからこそ、その中で穏便な案として貴殿を総大将に据えたのだ。それなら他の国の台頭を許すこともなく、グラノリュースはアクセルベルクの属国という扱いから抜ける口実にもなる。そうなれば各国はアクセルベルクにグラノリュースをいいようにされることも無くなって安心できるからな」
各国の思惑を知っても、なおもウィリアムの気は晴れない。
「理解できないな。属国のままの方がいいだろうに。それにそもそも俺が総大将になるように提案したのはアクセルベルクの国王だぞ?」
「アクセルベルクはアクセルベルクで怖いのだよ。各国と強い結びつきがある英雄である貴殿に、軍から抜けられては困る。もし他の国に貴殿が行けば、アクセルベルクの持つ技術の優位性や軍事力が一気に揺らぐことになりかねない。そのためには貴殿に功を持たせ、グラノリュースの独立を認めて落ち着いてもらおうとしたのだよ。現状であれば、グラノリュースと南部は強い結びつきがあるからな」
納得したウィリアムはため息を吐いた。
「功を持たせたところで抜けるときは抜けるのにな。むしろそのせいで今すぐにでも軍をやめたいよ」
「そればかりは王にも見抜けなかったのであろうな! まあよいのではないか? 今回の戦いが終わったあとに軍をきっぱり抜けてもな。周囲は止めるだろうが俺は応援するぞ?」
ディアークの言葉が意外だったのか、ウィリアムはわずかに目を丸くした。
「いいのかよ、前は南部を頼むなんて大仰なこと言ってたくせにさ」
「無論今でもその想いは変わらないとも。グラノリュースともども南部を支えて欲しいと考えている。だがそれ以上に、今回の戦いが終われば貴殿はこの大陸を悪魔の手から救ったことになる。それほどの偉業を成した男に、これ以上の戦いを強いるのは酷だろう? ……ただでさえ貴殿はこの世界の者ではなく、そんな義理はないのだからな」
「……」
ふくれっ面をして頬杖をつきながら、ウィリアムは馬車の外の風景を見る。
虚ろな眼に映る景色は、中央の喧騒が遠のき徐々に緑豊かな南部の面影が強くなっていく。
「……義理がない。そう全員の前で言えればどんなによかったことか」
「辛い世の中だな。誰もが貴殿の事情を本当の意味で理解できないだろう。俺ですら貴殿の心中を察することもできないのだからな」
「総大将なんて聞こえはいいが、要はただのお飾りの特攻野郎だ。ただただ悪魔の王を討ち取るためだけの捨て駒。……英雄だなんだと言っても、やらされる役回りはそんなもんばっかりだ」
吐き捨てるウィリアム。
ディアークは目を伏せる。
「そうだな。長く生きたにもかかわらず、若い者たちにその役目を押し付けることになるこの身を恥ずかしく思う」
落ち込んだディアークを見て、少しばかり目を伏せる。
それでもまだ、ウィリアムの目は虚ろなまま。
気まずい雰囲気が漂うまま、二人を乗せた馬車は揺れながら南部を目指して進んでいった。
◆
王侯会議に出席したウィリアムとディアークが南部に到着すると、すぐに主だった面子が集まり、連日会議が行われた。
議題は当然悪魔との戦争について。
会議には南部軍の指揮官たちと特務師団の幹部がやってきていた。
しかし、アグニータは帰郷し、またヴェルナーやライナー、シャルロッテの姿もなかった。
「各国が連合を組んでアニクアディティを攻略する。悪魔に心理戦は通用しないために海上を含めた包囲作戦などはしない。やるのはただただ一点集中突破」
ディアークが全員の前で地図や情報を黒板に書き込みながら説明した。
その傍らで、ウィリアムが何も言わずに座っていた。
「ドワーフの錬金術により兵站や兵士の装備を底上げし、エルフの精霊術によって悪魔たちの魔法を無力化していく。高位以上の悪魔が現れたときは竜人や獣人、聖人が対処する。各師団長以上は全員が高位の悪魔討伐経験者で編成される予定だ」
質問の許可を求めてアイリスが手を挙げた。
「高位の悪魔の討伐経験者などそう多くいるものでしょうか? アクセルベルクで高位悪魔と戦えるものはたかが知れています。ボクたちの中でも参加しただけでまともに対峙したものはごく一部。他の国も似たようなものと聞いておりますが」
「その通りだ。どこの部隊も怪しい術を使う高位悪魔に勝る者は少ない。かといって王や将軍が表立って戦うわけにもいかない」
「ではどうするんですか?」
「高位の悪魔を討伐した経験のあるものは少ない。しかし高位の悪魔に匹敵、あるいは凌ぐものと戦い、倒した経験のあるものなら、もう少しばかりいる」
ディアークは部屋にいる者たちを見て笑う。
「君達、特務隊だよ」
その言葉に部屋にいる何人かはハッとして、また何人かは不満げに顔を歪ませた。
「つまり俺たちはバラバラになり、各団を統率しろというのか?」
不満げな顔を浮かべたカーティスが言った。
ディアークは鷹揚に頷く。
「そうだ。報告によればグラノリュース国の天上人は単騎でも高位の悪魔を討伐せしめていたという。その天上人と戦える特務隊であれば、十分に高位悪魔とも戦えると判断された。何より諸君らは先の戦いにおいて各種族が協力し合う戦場に身を置いている。その経験をぜひとも活かしてほしい」
「師団規模の指揮経験があるものはいない。それにグラノリュースの内情は未だ不安定だ。猫の手も借りたいような状況で我々がここを離れれば、辺り一帯の治安が悪化しかねんが?」
「だからといって高位悪魔を野放しにはできん。なに、心配するな。今回は各教団の聖騎士たちも協力してくれる。グラノリュース国にも聖騎士が派遣されて治安維持に協力してくれるから安心するといい」
言い聞かすようなディアークだったが、集まった面々は一様に唸り、眉間に深い皺を刻んでいた。
「それでもグラノリュース国は広大だよ。聖騎士が派遣されると言っても精々が上層だけで手いっぱいになるのが目に見えている気がするよ」
不安を代表して、アイリスが懸念点を指摘した。
「懸念は尤もだとも。しかしだからといって特務師団を南方で遊ばせていくわけにはいかない。貴団らは今や大陸屈指の精鋭部隊であることを自覚してもらいたい」
ディアークは譲らず、しかしてその不安を無視することもなく。
「安心して欲しい。何も完全にばらけさせるわけではない。ある程度は団体規模でわけるとも。単騎で高位悪魔と渡り合えるといっても厳しくなることは間違いない。だから連携が取れる部隊ごとに配属することは考慮しているとも」
部隊の説明といった戦略的な話をした後は、実際の戦いの戦術についての説明に移る。
「今回の戦いは大局的に見れば短期集中一点突破といったシンプルなものだ。攻撃目標はアニクアディティ首都ニュデリード。そこにいるとされる何千何万もの悪魔どもを従える悪魔たちの王を討伐することだ」
「悪魔たちの王……」
「当然だがこの王と呼ばれる個体は高位の悪魔よりもはるかに脅威といってもいい。知っての通り、悪魔は位が上がるごとにその実力は大きく上がる。何体もの高位悪魔を従える王となれば、その実力は筆舌に尽くしがたいものだと考えられる」
「そんな相手にいったいどうやって立ち向かうおつもりか?」
聞いたのは特務師団工兵連隊長を務めるヴァルドロ。
「高位悪魔だけでも手に負えない相手。そんなものをまとめる相手に勝てる見込みなどありそうにないと思われますが?」
「高位の悪魔に数を当てても無駄であるように、王級の悪魔に対してただの精鋭をいくら当てても無理だろう。そのことからヴァルドロ殿の指摘は尤もだ」
「しからば――」
「ならば勝てそうな者を1人送り込む。それしかない」
その言葉に会議室はざわめきたつ。
そんなものがいるのか?
たった一人で送り込むなど正気か?
第一どうやって送り込むのか?
そんな言葉が飛び交う。
ざわめく会議室、ディアークはたった一度、両手を叩く。
「言っただろう。高位の悪魔の相手が精一杯の精鋭では悲しいかな、王級には勝てない。いくら集まろうともな」
「しかし王級にたった一人で挑んで勝てる者など――」
「いるではないか。諸君らの身近なところに1人、数々の武功を上げているものが」
会議室にいた全員が息をのむ。
「まさか――」
部屋中の視線が一か所に注がれた。
視線の先は、ディアークの陰に隠れるように座っていた竜の仮面をつけた男。
「特務師団長改めグラノリュース天上国国王、そして連合軍総司令官のウィリアム・フォル・アーサー。彼しかいない」
「ちょ、ちょっと待って! 本気で言ってるの!?」
ウィリアムが果たす役割を聞いて1人が立ち上がり、待ったをかけた。
ウィルベルだ。
「1人でなんて無謀よ! いくらウィルでも王なんて1人で戦えるわけないじゃない!」
「だがほかに共に戦えるものがいないのも事実だ。他のものを連れて行っても足手まといになりかねない」
「あたしがいるわ!」
「ダメだ」
ウィルベルの言葉をぴしゃりと両断したのは、ずっと沈黙を守っていたウィリアムだった。
彼は立ち上がり、地図や軍編成が記された黒板の前に立つ。
「高位悪魔に確実に勝てると言えるのは各国の王。そのほかには数えるほどしかいない。ウィルベル、お前はその数少ないうちの1人だ」
「それならあたしが王討伐に参加しても不思議じゃないでしょ? 今までだって一緒に――」
「今回の戦いの勝敗を握るのはいかに早くこの戦いを終わらせられるか。それにはどうしてもまず高位の悪魔を倒す必要がある」
ウィルベルの言葉を聞こうともせずに、ウィリアムは続ける。
「悪魔はいずれ復活する。すぐにじゃないが必ずな。となれば長期戦は圧倒的に不利。だから短期で決めなければいけないが、そのために一番の障害はやはり高位の悪魔だ。それなりの数がいてなおかつ一体でもいれば一団を相手にできるからな。……だからウィルベル、お前の力が必要だ」
「どういうこと?」
「ウィルベルは単騎でも確実に高位悪魔を葬れる。その上、誰よりも機動力がある。だから戦場で高位悪魔を狩りまくってもらう。それがこの戦いの成否を握ることになる」
一見して筋の通った考えに、一瞬ウィルベルは言葉に詰まる。
でも到底、納得はできていなかった。
「で、でもそれじゃあんたが……」
「俺のことはいい。たった一人の死ぬかどうかもわからない命よりも確実に死ぬ大勢の命を助けろ」
有無を言わさぬその言葉に、ウィルベルは思わず押し黙る。
しかし、その顔はすぐに真っ赤に染まる。
「あんた、自分が何やろうとしてんのかわかってんの!? みすみす死にに行くようなことをして、誰も心配しないと思ってんの!?」
ウィルベルの叫びにウィリアムは目を伏せる。
「そんなのはどこにいたって一緒だよ。どこで戦っても戦場自体が死にに行く場所だ。それを早く終わらせるにはこれが一番だ。それに俺だって死にたいわけじゃない。信じろよ」
「こっち見て言いなさいよ。あんたが嘘つきなことくらい知ってるんだから」
「……」
黙るウィリアム。
しかしてすぐに、彼は誰とも目を合わせることなく視線を上げて――
「話は以上だ。特務隊を母体とした特務師団は本日を以って解散する。各員は今後通達される辞令に従い行動されたし」
会議の終了を宣告した。
ウィリアムは何も言わずに部屋を後にする。
しかし、特務師団の者は誰一人、席を立とうとしなかった。
次回、「見えない代償」