第八話 夢は遠く
ヴェルナーに記憶を渡した。
上手くいけば、これで彼は魔法使いになれるだろう。
だけど問題は彼だけじゃない。
ライナーとシャルロッテ。
あの二人も一緒だった。
つまり、あの二人もあの研究に協力していたんだろう。
そこで、ヴェルナーだけに記憶を渡して二人に渡さないのは不公平だ。
ヴェルナーに与えたのは、魔法を使える能力ではない。
魔法を使って賠償させる責任なのだ。
だから、二人にもその責任を負ってもらう。
だけど――
「入るぞ、シャルロッテ」
三人のうちの一人、俺が納得できない人がいた。
切れ長の目で、青みがかった銀髪を持つ生真面目な印象を受けるシャルロッテ。
規律に厳しく、いつも危ない実験をするヴェルナーとライナーを叱っていた彼女が、どうしてこんなことをしたのか。
「団長……」
病室に入れば、ひどく気落ちし、顔色の悪いシャルロッテ。
目は赤く、光はない。
「気分はどうだ」
「軒昂です。……と、いうべきなんでしょうか」
ベッドの上で、横たわることなく膝を抱えてうずくまる。
いつもきれいに整えられていた髪も、今はぼさぼさだ。
ベッド横、少しだけ椅子を離してから座る。
「正直、驚いた。お前はあの二人をいつも止める側だったから」
「……やはり、団長もそう思いますか」
ああ、と頷く。
「つまらない長い話ですが、聞いてください」と、珍しくシャルロッテは前置きした。
「私には、夢がありました」
「夢?」
「はい。人に聞かれたら、笑われるような大言な夢です」
膝に顔をうずめたまま、彼女は語りだす。
「私の夢は、聖人になって錬金術と武術、知識、技術……全てにおいて世界の頂点になることです」
いい夢だといいたかったのに、言葉に詰まってしまった。
シャルロッテはクスリと笑う。
「無謀だと、不可能だと思いますか?」
「いや、そんなことは思わない。……ただ、意外だった」
「意外ですか?」
俺の中で、シャルロッテは一番現実的だと思っていた。
現実を見て、できないことはしないでできる中で最善を尽くそうとするタイプだと。
ヴェルナーやライナーとは違う、言ってしまえば安定志向。
だから、こんな子供のような大きな夢を持っているとは思わなかった。
「私みたいな才能無しのくせに、こんな非現実的な夢を持つのはおかしいですか?」
彼女の自虐に、迷うことなく首を振る。
「お前に才能がないなんて思ったことはない。今までたくさん師団に貢献してくれてるだろ」
「ヴェルナーやライナーには劣るでしょう?」
答えに窮した。
彼女とあの二人は違う。
一概に比べることもできないし、何より、彼女の真意がわからなかった。
「私の夢は大言壮語と言われても仕方ありません。それは、私が一番わかっています。武具の開発も飛行船開発も学識も武芸も全部中途半端です。カーティス殿どころか、ヴェルナーやライナーにも勝るところはありません。そんな私が頂点に立つなんてできるはずもありません」
そんなことはないと、言いたかった。
でも、安易に慰めることもできなかった。
「私には、天才たちと肩を並べられるほどの才能はありません。……でも、諦められなかったんです」
「シャルロッテ……」
「団長と出会う前……私は腐っていました」
話は、俺達が出会う前にさかのぼる。
「私は北部の、一応は精鋭と呼ばれる部隊に配属されました。そこでも、限られた人生の時間の中で、たくさんのことを極めようとしました。この部隊なら、私は自分を高められると。私は自分と部隊のために改善しようとたくさんのことを行いました」
彼女が特務隊に入る前のことは、大まかに聞いている。
人間関係に支障をきたし、元の部隊ではもてあまされていたと。
彼女は彼女なりに、部隊のためにと足掻いたんだろう。
だけど――
「ですが、元の部隊の人たちには、無駄なことをするなと逆に叱責を受けました。お前はただの飾りだ、お前なんかがこの部隊で何をしても無駄だから、じっとしていろと。……私には、それが耐えられませんでした」
彼女は自分の夢のために、ひたすら邁進していた。
でも彼女がいた場所では、その夢はただ邪魔だったのだ。
「結果として、私は左遷されました。その先がここ、特務隊でした。飛ばされたとき、私は絶望していました。精鋭部隊にいたとしても、私の夢はかなわない。落ちこぼれなんて呼ばれている南部軍に行っても同じだろうと。しかも配属された先の隊長は仮面をつけていて、所属しているのは、訓練も受けず、成人していない少女たち。……南部軍の中でも底辺、特務隊とは名ばかりの窓際なんかで叶うわけないと」
これには、わずかに苦笑した。
確かに窓際と思われてもおかしくない、異常な部隊だっただろう。
「ですが、入ってみれば我が身の小ささを思う体験ばかりでした」
見たことのない技術。
信じられない戦闘力。
聞いたことのない知識
「なにより私には衝撃的なことがありました」
「それは?」
シャルロッテは顔を上げ――
「あなたです。団長」
俺を見て言った。
「私の夢を体現するような人。優れた技術と武術、それどころか見たことのない魔法や知識を持って偉業を果たし続ける団長を見て、私は心が躍りました」
私自身、忘れかけていた夢を、思い出させてくれました――
「人は大人になるにつれて、夢を見なくなっていきます。大人になって、現実を見て、その難しさを前に挫折して、夢に向かって努力した自分の存在を否定されるのが怖いから。夢から目を逸らして、現実を言い訳に自分をごまかし続けます」
視線を外し、虚空を見つめるシャルロッテ。
「そうやって誤魔化しているうちに、やがて人は自分の心の声が聞こえなくなる。本当の夢を見られなくなる。特務隊に来る前の私もそうでした」
――でも、団長が思い出させてくれました。
ぎゅっと、シーツを強く握りしめる。
「もう一度思い出したこの夢を、私は忘れたくない。目の前で夢を体現する団長についていって、私も自分の夢を叶えたい」
各分野で頂点を取るという、彼女の壮大な夢。
「ヴェルナーやライナーにいくら器用貧乏だなんだと言われても変えなかったのは、その夢があったからか」
「はい。あの二人のように何か一つに絞れば、活躍できるのはわかっています。でも私は、どれか一つに絞るなんてしたくなかった。全部で、活躍したかったんです」
欲張りな夢だ。
現実を見ろと、誰かはいうかもしれない。
でも、彼女の気持ちはわかる。
誰だって子供の頃は一度は、なんでもできるスーパーヒーローに憧れた。
でもその憧れを持ち続けるのは、とても難しい。
多くの人はそんな非現実的な夢なんてと、笑うかもしれない。
だけど、その夢を本気で願って叶えようと足掻き続ける彼女は、誰よりも今を生きている。
それは夢を諦めた誰にも得ることのできない、かけがえのない輝きだ。
「でも努力すればするほど、理想は遠く、はるか先にあるんです。団長のようになりたくても、私には、あの竜を相手に立ち回る想像ができませんでした。この飛行船をゼロから作ったり、各国との関係を取り持つことなんてできる気がしませんでした」
そんなことはないと、言いたかった。
俺だって、最初はできると思ってやったことなんて多くない。
ただ、やらなければならなかったから、そうしただけだ。
「団長にあって私にはないものを得るために、私は、魔法を使えるようになりたかった。……そうすれば、ほんの少しでも、団長の持つ勇気と知恵を得ることができるんじゃないかと」
――結果は、御覧の通りでしたが。
シャルロッテは力無く笑った。
その顔はとても痛々しかった。
「私たちには魔法を手にする資格はありませんでした。何から何まで、私には団長と同じことはできませんでした。団長は不相応な夢を見た私を笑いますか?」
自虐が過ぎるシャルロッテの言葉に、俺は首を横に振る。
「不相応な夢なんてあるもんか。こんなに努力し続けられるお前を笑うなんてできるはずがない」
「いくら努力ができたとしても、1%の才能が無ければ人は決して大成しません。私がそうでした」
「そんなことを言うな」
シーツを握りしめたままの彼女の手に、そっと触れる。
「お前に才能がないなんて、誰が言うものか」
俺の言葉に、シャルロッテは僅かに潤んだ目で見上げてくる。
「飛行船ができたのもシャルロッテ、お前がいたからだ。お前ら三人、誰が欠けても造りだすことはできなかった。お前がいなきゃ、ヴェルナーやライナーの持つ技術を組み合わせることなんてできなかった。俺たちにない視点を、お前はずっと持ってくれていた」
暴走しがちなあの二人を諫めて、うまく活かしているのは、他でもない、彼女なのだ。
「俺達には、お前が必要だ。シャルロッテ」
彼女の目を見て言った。
シャルロッテは、一瞬だけ顔をくしゃりとゆがめ、再び顔を膝にうずめる。
「私は……団長のようになりたい。一番になりたい。……だから、魔法が欲しい」
「ああ」
「でも私には叶えられなかった。多くの被害を出して、それでも魔法を手に入れられない。夢とは、程遠い」
「……ああ」
「こんな私は、もう必要ないでしょう? 必要だったとしても、もうここにはいられないでしょう? こんな、夢見がちな馬鹿な女を」
顔をうずめてしまったシャルロッテの肩に手を置いて、彼女をベッドに横にならせる。
できるだけ優しい声で――
「それを決めるのは俺だ。お前が追いかけた団長は、そんな残酷なものなのか?」
「それは――」
横になったシャルロッテの目元に手を当てる。
「今はゆっくり休め。すぐに忙しくなるからな」
「団長……」
少しして、彼女から規則正しい寝息が聞こえてくる。
「夢を見ろ、シャルロッテ。俺が魔法をかけてやる」
最後に彼女の額に手を当てて、俺は部屋を後にした。
次回、「北へ」