第五話 魔炎の災禍
南部軍特務師団基地フィンフルラッグにある立派な研究所。
その中の広く頑丈に作られた部屋の中心に、白髪で目つきの悪い男が立っていた。
その右腕には、とげとげしいデザインをした金属製の手甲。
「本当にやるんですか? 可能性があるとはいえ、危険極まりますよ」
「そうだぞヴェルナー、せめて団長に相談してからの方が……」
「必要ねぇ。危険なことは百も承知だ。そうでもしねぇと追いつけねぇだろうが。それはお前らもわかってんだろ?」
部屋の隅で彼を見守るのは、金髪を耳のあたりで切りそろえた、線が細そうに見える男性ライナー・ネーヴェニクスと、青みがかった銀髪を一部編み込み背中まで流した切れ目の女性シャルロッテ・ヴァン・グリゼルダ。
心配する2人の声を無視するヴェルナーは右手に付けられた道具をいじる。
その手甲はヴェルナーの右腕を肩のあたりから指の先まで覆っていた。
指先はまるでかぎ爪のように鋭い形状をしており、肩やひじ部分に刻印の施された赤い宝石が埋め込まれ、明滅していた。
「始めるぞ」
その言葉と同時にこぶしを握る。
手甲が細かく震える。
固唾をのんで見守るライナーとシャルロッテ。
右腕に付けられた装置から鳴る駆動音が徐々に大きくなっていく。
そして埋め込まれた宝石の部分が赤く光り、激しい炎が噴出した。
その様は、まるで悪魔の翼のようだった。
「ヴェルナー! 大丈夫か!」
心配したシャルロッテが声を上げる。
「こんくらいなんてこたねぇ! ……ハハ、フッハハハー! これがマナかッ!!」
興奮の叫びをあげるヴェルナー。
その言葉を聞いてライナーとシャルロッテは上手くいっていると思い、顔を見合わせて僅かに笑みを浮かべた。
これで自分たちがずっと欲しかったものが手に入る、2人に追いつける、と。
しかし――
「グガッ! ォォアア!」
一転して、ヴェルナーの笑い声はうめきに変わり、部屋に危険を知らせる警報が鳴り響く。
「ヴェルナー! どうした!」
「強制解除を! あつっ!?」
「来ンな! 離れてろ!」
猛烈な熱を発する装置を抑え込もうとヴェルナーが右腕を抑えるが、一向に炎は収まらず、部屋中の酸素を燃やし尽くす勢いで燃え続ける。
「ゴホッゴホッ!」
「このままでは……」
ふらつき膝をつくライナーとシャルロッテ。
膝をついた床さえも焼けるような熱を持っていた。
そのとき部屋の異変を嗅ぎつけた研究員たちが3人のいる部屋にやってくる。
「この部屋だ! 異音がするぞ!」
「こじ開けろ! せーのっ!」
熱で歪んだ扉をこじ開けて入ってきた研究員たちは、目の前に広がる光景に目を剥いた。
「ヴェルナー少佐! これは!?」
「すぐに団長を――」
しかし、部屋の扉が開いたことで新鮮な空気が部屋に流れ込む。
――その瞬間、研究所が吹き飛んだ。
◆
『緊急事態だ。休暇中に悪いがすぐに研究所に戻ってこい』
休暇中で町に食べ歩きに出ていたウィリアムの手首の通信機から、聞こえた緊迫した声が届く。
「カーティス? 何があった」
『研究所の実験室から爆発が起きた。今までの比ではない。消火に勤しんでいるが消えない炎が上がっている』
「なに!? 原因は!?」
『不明だが直前の使用申請が行われているのはヴェルナーだ』
ウィリアムはカーティスから入った緊急連絡に舌打ちをして、近くでパンを頬張っているウィルベルとエスリリに駆け寄った。
「ベル、エスリリ。緊急事態だ」
「どうしたのよ」
「くんくん……なんか火の匂いがするよ」
「火事だ。ヴェルナーがやらかしたらしい。俺はすぐに戻るが2人はどうする」
2人の少女は目を見合わせて頷くと、ウィリアムと共に転移で研究所に出る。
――そこには3人が想像した以上の惨状が広がっていた。
「すぐにもっと水を! 一向に収まる気配がないぞ!」
「これは普通の炎じゃない! どんなに水をかけても消えないんだ!」
「周りのものを壊せ! 火種になりそうなものをすべてどかすんだ!」
「あああーー!! 俺の足が、足がーー!」
3人の目に飛び込んできたのは、大きな研究所の一棟が大きく燃え上がっている様子だった。
消火するためにたくさんの水が掛けられているが一向に火の手は収まらない。
鍛えられた多くの軍人が火にまみれ、叫んでいた。
ガラガラと頑丈なはずの研究所が壊れ、中から次々と重傷者が運ばれていく。
「な、なによこれ……」
「うぅ、酷い匂いがするよ……」
消えない炎。
一般兵には謎でしかない現象だったが、魔法使いであるウィリアムとウィルベルの目には別のものが映っていた。
「こんなの、普通じゃない。この炎は絶えずマナが供給されてる。水をかけたって元を断たなきゃ燃え続けるだけだ」
「でもこんなことできる奴なんてこの基地にはいないわよ。魔法使いじゃないとマナを扱うことなんてできるはずないのに」
「とにかく元を探しに行かないといけない。俺が元を探しに行くから、ベルとエスリリは救助と鎮火作業に!」
「「了解!」」
すぐに散開し、行動を開始する3人。
ウィルベルは箒にまたがって飛び上がり、上からマナで作り出した水を放出する。
家屋が倒壊しそうになるほどの量の水を放出するも炎は一時的にしか弱まらなかった。
「燃え広がりすぎて消しきれないわ!」
「いや、十分だ」
しかし、その弱った一瞬でウィリアムとエスリリは中に突入する。
「エスリリ、鼻は利くか?」
「うぅ……何とかギリギリ。でもこれ以上先は厳しいかも」
「ならわかる範囲でいい。逃げ遅れた人を助けてくれ」
「わかった!」
充満する煙の匂いに顔をしかめながらも、エスリリは特異な鼻を最大限に使い、別れて救助活動に専念する。
ウィリアムは、仮面の口元を抑えて、マスクとしての役割を確認しながら考える。
(出火元はヴェルナー。今まで爆発を起こすことは何度もあったが、どれも屋外だったり屋内でも安全に行っていた。ここまでの被害を出したことはなかった……。腐ってもあいつは優秀だ。一体何をしていた!)
マナのつながりを追って、出火元と思われる部屋に辿り着く。
そこはエンジンといった大型機械であったり危険を伴う実験を行う部屋。
特別頑丈に作られていたその部屋が、大きく崩れ、すすけて黒くなっていた。
燃え盛る炎を前に、決死の覚悟で突入するウィリアム。
「なんだこれは……」
そこにあった光景は、
「ガアアアアア!!」
奇怪な形をした装置に右腕を包まれたヴェルナーが、焼けながら絶叫する姿。
部屋の隅には倒れているライナーとシャルロッテ。
何よりも炎を猛烈な勢いで吹き出す右腕の装置は、轟音を響かせながら周囲とヴェルナーからマナを吸収して大量の炎に変換していた。
しかもその装置は真っ赤に赤熱しており、限界が近いことが明らかだった。
「一体……何を作った!?」
ウィリアムはすぐにヴェルナーに近付く。
吹き出す炎に包まれるも気にせずに、傍に寄っただけで焼けるような熱さを持つ装置に触れる。
「《氷棺》!」
ウィリアムの手から冷気が放たれ装置に吸い込まれる。
炎を放つ装置が徐々に冷やされて炎が弱まる。
しかし、完全停止には程遠い。
「チッ、冷気は苦手なんだ! 内部はどうなってる!」
「グッ、だん、ちょぉ……ウッ!」
「ヴェルナー! しっかりしろ! 取れないのか!?」
ウィリアムが声をかけても、ヴェルナーは痛みによってうめき声をあげるだけで碌に返事ができないでいた。
ウィリアムはヴェルナーを励まし続けながら、マナ感知と空間魔法をフルに使い、装置の内部構造を探る。
(炎は魔法陣が刻まれた宝石から放たれている。なら宝石を破壊すればいいが、通常の宝石でこんな現象が起こるわけがない。もし宝石が大量のマナを吸収して放出しているなら、安易に破壊すれば行き場を失ったマナが暴走する。それこそヴェルナーに逆流するかもしれない……いや、これはまさか!?)
ヴェルナーのしようとしたことを理解したウィリアムは驚愕する。
「こんな馬鹿なことをした理由を吐かせてやるからな! とにかく構造はわかった、何をしようとしたのかも! それなら!」
ウィリアムは手甲に両手を添える。
「《雷電》! 《垂氷》!」
手が焼けるのも厭わずに、雷で装置の内部構造を破壊し、ヴェルナーにマナが逆流するのを防いでから氷柱で各所にある宝石を破壊した。
すると装置から放たれる炎が弱まり、やがて収まる。
そこでずっと痛みに苦しんでいたヴェルナーは意識を失った。
「どいつもこいつも相談しろよ……。なんて危険なことしやがる」
ウィリアムは惨憺たる有様になった周囲を見回す。
「あとでたっぷり説教してやる」
ヴェルナーとライナー、シャルロッテを担ぎながら外へ脱出する。
――焼けた奴を担ぐことが増えたなと、現実逃避をしながら。
次回、「焦がれた憧憬」