第二話 大地はまた
ディアークは立ち上がって窓辺に向かう。
窓の外では、多くの人の笑い声や吟遊詩人の歌声が響き渡っていた。
「実を言うと、俺はグラノリュースを落とすことを諦めかけていた」
普段とは違う、力のない声。
「八十年前の戦前、南部の地は大勢の軍人や旅人で活気に満ちていた。将軍になり、領地を任されたときは、どれだけの可能性が満ちているだろうと心を躍らせていた。だが……」
可能性は枯れ果てていた――
「戦に負け、多くの人が去っていった。豊かだったはずの南部の地は、水と土しかなくなった。残った人々もどんどんと老い、疲れ、倒れている。山々は散散と荒れ果て、恵みを得ることもできない」
ウィリアムは黙って、ただ聞いていた。
「それでも必死に足掻いた。領主として必要な知識。将軍として必須の実力。必死に学び、実践した。だがどれだけ努力の水を注いでも、この大地が芽吹くことはなかった」
大地は荒れ果てたままだった――
「だが!!」
窓に手をかけ、一気に開く。
滞っていた部屋の空気が一気に流れ、外から暖かく花の香り漂う風が入り込む。
――たくさんの子供が笑い合っていた。
――ドワーフとエルフが屈託なく語り合っていた。
――人族と竜人が笑顔で拳を振るいあっていた。
体を、心を温める南の風を胸いっぱいに吸い込んで、
「今はこんなにも誇らしい!」
通りゆく人々全員に向けて叫ぶ。
誰もが驚き、振り返り、ディアークの満面の笑顔を拝む。
「見ろ! 貴殿が開発した飛行船! そして各国を救った英雄たる特務隊! それを一目見ようと、大陸中から数多くの人々がこの南部に集まってきた! 何もなかったこの南部に人種を超えたたくさんの人が集まった! 他では見られない、この領だけのものだ!」
胸にあふれるこの思いを、すべての人と分かち合わんばかりに両手を広げて喝采する。
「アインハード閣下~!!」
「南部ばんざ~い!」
「南部は平和の象徴だ!」
呼応するように住民たちも手を振った。
ディアークが笑顔で手を振っている間に、ウィリアムは立ち上がり、外から見えない窓の横にもたれかかる。
「よかったな。小さかった南部軍も大きくなって、いよいよ大将の位が見えてきたぞ」
「そうだな。大将になれば将軍会議や王侯会議での発言権も増える。グラノリュース攻略を進められると今まで強く望んでいたよ。だが大将になる前にグラノリュースを攻略してしまった」
順番が逆になってしまったな、と自嘲気味にディアークは笑う。そして言葉は続く。
――80年と。
「80年、俺はこの南部のために、グラノリュースを倒すために努力してきた。それでも俺には何をすることもできなかった。とてもこのような光景を生み出すことはできなかったよ」
窓を閉め、再び部屋の中が静かになる。
「お前がこの南部をまとめ上げていたから、こうまで簡単に事が運べたんだ。聞いたぞ、80年前にグラノリュースに侵攻したときのこと。当時はまだ無学の英雄が、敗戦して荒れ果て、さげすまれた南部をここまで再生させたんだ。卑下することはねぇ、誰にでもできることでもねぇ。胸張って言い切ればいい。自分の功績だってな。俺をうまく使ったのはお前だ。あの時、俺を軍に誘わなければ、俺もお前も望むものを手に入れられなかったさ」
机の上にあった、飛行船が中に入った球体のスノードームを手に取った。
サラサラとふわふわと白い雪が球体の中を舞い、飛行船に雪が積もる。
「今回の勝利は俺だけじゃねぇ、全員でつかみ取ったもんだ。俺もお前も特務隊も、人もドワーフもエルフも竜人も獣人も、誰もがいなければ成り立たなかった。犠牲になった者たちがいなければ何もできなかったんだ」
「……80年前、俺は犠牲を出しても何も為せなかった」
「成せただろ、今、この時に。お前は今に至るまでの80年、散っていった仲間のためにこうして足掻き続けてきた。その心に戦友たちがいるのならお前は1人じゃない。戦友たちは死んでない。お前と一緒に今の今まで、ずっと戦ってくれてるよ」
飛行船の周囲を祝福するように雪が舞う。
窓から差し込む光が雪を照らしキラキラと輝く。
ディアークはそれを覗き込むウィリアムを見て笑う。
先ほどとは違う自嘲を含まない穏やかな笑みだった。
「ならば正々堂々今回の戦の成果を俺にも誇らせてもらおうか。王侯会議で我が物顔のしたり顔で報告させてもらうぞ」
「どうぞやれやれ。こちとらこれ以上の戦功はいらねぇよ。目的は果たした。俺はもう軍を抜けて、ベルと一緒に争いとは無縁の生活を送りたいよ」
ウィリアムの言葉にディアークは目を見開く。
「なんだ、もう結ばれたのか。俺の予想では、2人は自分の想いに気づかずズルズルと長引くと思っていたのだが」
「結婚どうこうじゃない。ただお互いに軍人に疲れただけだ。どうせなら一緒に辞めてまた旅でもしながら、魔法の研究をしようと思っただけさ」
「そうか。残念だな」
「俺よりもディアーク、お前はどうなんだよ。念願だったグラノリュース攻略もできて、そろそろ落ち着いてもいいんじゃないのか」
「ふっふっふ、こう見えても既に目星はついているのだよ」
ディアークが勝ち誇ったように笑う。
困惑するウィリアム。
「なんだよ、実は妻帯者だったのか」
「いや独身者だとも。グラノリュース天上国を落としたら落ち着こうと決めていたのだ。何人かとは既にお見合いをしていてな。既に2人とは婚約寸前だ」
「早ッ!」
手に持っていたドームを落としそうになるウィリアム。
なんとか落とさずにキャッチし、ほっとした後でディアークを見る。
「婚約ってしかも2人? 手が早いというか多いというか」
「もともとその2人はこの屋敷で働いてくれていた者たちで慕ってくれていたのだ。なんだかんだと今までは断ってきたがその理由ももうない。こちらから謝罪と共に結婚を申し込んだら2つ返事で了承してくれたのだ」
「ちなみにそのお相手の歳は?」
「1人は30頃だったかな。もう1人は67だ」
「わお」
ディアークは見た目こそ40と少しだが、実際年齢は100近い。
彼が聖人になったのがほぼ今の見た目と同じ頃の齢のときである。
(年齢的にはおかしかないか。しかしまあ、お相手もよく67まで一途に想い続けたもんだ)
自分ならとっとと次に行くとウィリアムは思う。
そしてもう一つ、結婚しようとしているディアークに疑問を投げかける。
「結婚しようなんて俺は思えねぇな。聞きたいんだが相手は聖人か?」
「まさか。この国に聖人なんて数えるほどしかおらんし、この屋敷にそんな貴重な人材がいるわけないだろう」
「なら聞きたいんだが」
――自分より早く死ぬ人を愛することが怖くないのか。
そう、ウィリアムは問うた。
「……」
「俺は怖いよ。大事な人が自分より圧倒的に早く老いて死んでいく。友人たちは俺を置いて去っていく。子供が生まれても孫が生まれても、いずれ自分より早く老いて死んでいく。俺はそれを、人が死ぬのを、ただ見てるだけ」
静かに落ち込んだ声。
ディアークは一瞬だけ驚くも、すぐに柔和な笑みを浮かべる。
「なんだ、そんなことで悩んでいたのか」
「そんなことって大事なことじゃないか。1人だけ取り残されるんだ」
「見た目にそぐわず繊細だな。いいか?」
ディアークはウィリアムの頭に優しく手をやって、額を合わせる。
「俺たち聖人の長き人生において、彼女たちは一部でしかないかもしれない。でもな、彼女たちにとってはその短い人生が全てなのだ。俺と一緒に生きるだけで、そのすべてを満たすことができるなら。それだけの事実があるのなら。1人残されたとしても後悔なんてするわけがない」
ウィリアムが大柄なディアークを見上げる。
その姿は、まるで探していた父を見つけた子供のようで――
「傷つけばいい。後悔だってしてもいい。それでも俺は人を愛する。それで愛した人が幸せに生きられる日々を作れる。その思い出を抱えて、幸福に逝けるのだ。何度失ってもな。そして自分が逝く時に思い出すんだ」
ディアークが未来を想像して顔を綻ばせる。
「もうすぐ幸せに逝った妻たちに会えると、みんなのおかげでどれだけ自分が幸福に逝けたか話をするのだ。きっと小言も言われるだろうな。どうして自分の子をもっとちゃんと見てくれなかったのかとか、もっと家事をちゃんとしてくれとか、くだらないことばかり。それはもう楽しみではないか」
窓から差し込む光のせいか、ディアークを見るウィリアムは眩しそうだった。
次回、「無欲な王様」