第一話 竜の帰還
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更新再開です。
南部軍特務師団基地フィンフルラッグで恐慌が起きた。
グラノリュースをごく短期間で攻め落とした特務師団の帰還。
そのめでたき瞬間を一目見ようとフィンフルラッグの周囲に集っていた大勢の軍人や住民は、目的だった特務師団のすべての人間がそろった瞬間に、慌てふためき、一目散に逃げだした。
飛行船発着場に、大陸初となる巨大な飛行船が並び、誰もが震える光景があるにもかかわらず。
騒ぎを起こしているのは飛行船ではない。
歓迎に来た住民や兵士をパニックに陥れたのは、その横に現れた巨大な赤黒い生物。
神話に語られる伝説の古竜《大地の白神》だった。
遺骸になってもなお、猛烈な威圧感を放つドライグウィブの前では、一般の住民はおろか訓練された兵士ですらも腰を抜かして驚き、脱兎のごとく逃げ出した。
そんな山のような巨大な古竜の遺骸の上に立つのは、同じく竜の仮面をつけた男。
「せっかく帰ってきたのにひどい有様だな。もっとゆっくり来た方が良かったんじゃないか」
南部軍特務師団師団長ウィリアム・アーサー少将。
彼の横にいたウィルベルはあきれの声を出す。
「誰もこんなもの持ってくるなんて予想できないよ。てゆうか倒したの?」
「見ての通りな。首を貫かれればさすがの竜もイチコロだ」
ウィリアムは竜のうなじに当たる部分を指さす。
そこには内側からめくれ上がった穴が開いていた。
「一体何をしたらこんなことになんのよ。というか倒したならすぐに鈴で返事してよ、心配するじゃない」
「……いろいろあったのさ。倒すときからいろいろと」
歯切れの悪いウィリアムにウィルベルは眉根を寄せる。
何かあったのかと、口を開こうとしたとき――
「ウィリアムさん! こ、ここ、これって!」
「団長! 竜じゃねぇか! 勝ったんかよ!」
「こ、これは凄い! いったいどうやってこんなにきれいな状態で倒したのですか! これならいろいろな使い方が!」
「常識外れにもほどがあります! こんな馬鹿みたいなことまでできるのですか!」
アグニータとヴェルナー、シャルロッテ、ライナーが興奮した声を上げながら駆け寄った。
さらにショックから立ち直った師団員たちが、目の色を変えて我先にと竜へ殺到しだす。
「我らが団長が古竜を討ちとったぞ!」
「後世に伝わる偉業の瞬間! ぜひとも詩にしなければ!」
「ああ! これほどの素材! いったいどんなものが作れるのだろうか!」
竜の姿と、それを打ち取ったという事実に興奮した兵士たちは竜にべたべた触り、歓喜の声を上げる。
しかし、歓喜の声は徐々に怒号に変わり始める。
「素材にするだと!? 何を言っているのだ! これほど綺麗な状態の竜! 打ち取った団長の偉業を正しく伝えるべく、このまま保存するべきだ!」
「なんだと! 活用してこそ価値があるのだろう!」
「後世に伝えるのも立派な活用だ!」
「なんだとこの野郎!」「やったな貴様!」
竜の遺骸をどうするかで揉め始める団員たち。
でもそれは、ただの怒りではなく、ウィリアムの帰還、そして勝利を祝う彼らなりの喜び方だった。
「どうしたもんかな」
竜から降りようとしたウィリアムは、囲うように集まってきた兵士たちによって降りられなくなっていた。
頭を悩ませている間に、ウィリアムの傍に一人の小柄な少女がやってくる。
「ウィリアムさん! これ見てください!」
「おお、アグニ。ちょうどよかった、この騒動をなんとか――うっ!」
「ひぇっ!」
ウィリアムとウィルベルが引きつった顔を浮かべる。
駆け寄ってきたアグニータは全身を血まみれにしていた。
無理やりはぎ取った竜の鱗をぎらついた満面の笑みでウィリアムに見せた。
「これは凄いですよ! 凄い軽くて丈夫でとてつもない力を秘めた素材です! 研究すればもっとすごい武器ができるかも! ウィリアムさんの武器も新しく強化できるかもしれません! もっと調べましょう! 牙も角も舌も背びれも翼膜も生殖器も! あ、あとブレスを放つ器官も調べましょう! 魔石があればきっとものすごい大きさと純度ですよ!」
「あ、はい」
「ああ、でもどうしましょう、私ひとりではウィリアムさんの武具を作るので精一杯、もっと研究するには……そうだ! ウィリアムさん、レオエイダンにいる両親に頼りましょう! 父と母ならきっと協力してくれます! こんなに面白いものレオエイダンのドワーフたちが黙っていませんよ!」
「あ、はい」
兵士たちを止めるどころか率先して竜の体を剥ぎ取っていたアグニータを見て、ウィリアムは顔を引きつらせ、ウィルベルは鼻をつまむ。
結局この騒動が収まったのは1時間後、日が昇り切ったころにようやく収まることとなった。
◆
「ひどい目に遭った」
「それはこちらの台詞だ。大戦果を挙げて帰ってきたと思ったら次は竜だ。短期間でどれだけの戦果を挙げてこちらの肝を抜けば気が済むのか! 俺の心臓をもう少しいたわってもらいたいな!」
アクセルベルク南部領主館。
質素ながらも品のある立派な部屋、その主である浅黒く焼けた肌を持つ大柄な男ディアーク・レン・アインハード中将が大口を開けて、広い肩を揺らして笑う。
向かいに座っているウィリアムは肩をすくめた。
「俺だって予定外だ。古竜の相手なんて二度とやりたくないな」
「それでも倒してしまうのだから、貴殿も規格外というものだ。しかも古竜相手に自軍に被害なし。結果だけ見れば貴殿が相手をしてくれたことがこの国、世界にとって唯一の正解だったと言えるのでは?」
「犠牲もなし、ね……」
仮面を斜めに被り、素顔をさらしたウィリアムが目を細める。
「それで、この後はどうするつもりだ?」
何もなかったようにウィリアムは尋ねる。
「まずグラノリュース天上国を空けているのが少々問題だ。何かあっても我々は対処できない。代わりのものを派遣しなければならない」
「そうだな、最後立ち去るときは逃げるようで心象はあまり良くなかったな。結果、竜は退治したんだからイイブンだろうが」
ウィリアムたち特務師団はグラノリュースから撤退するとき、事前に周囲の町や住民に説明していたとはいえ、土壇場でアクセルベルク軍を頼りにやってきた者たちを見捨てた。
名目上は捕らわれた民を奪還するために戦ったアクセルベルク軍に、彼らを庇護する義務はない。
当然、あらかじめ竜が来たときには軍はもちろん、周辺の町にも撤退すると伝え、撤退する前には十分すぎるほどに避難誘導と支援を行っていた。
しかし、竜の威を前におびえたグラノリュース民たちは、アクセルベルク軍を頼りに撤退する直前の土壇場になって、助けを求めに飛行船に群がった。
本来であれば、町人を助けなければいけない町の為政者が率先して。
この事態により、アクセルベルク軍は撤退が遅れ、竜に襲われるという被害を被った。
報告を聞いたディアークは眉を顰め、首を横に振る。
「さほど気にすることでもあるまい。事前に説明しグラノリュース軍にも話を通していたのだ。むしろ説明を受けておきながら自らは何もせず、直前になって助けを求めるその為政者は、腹を切ってしかるべきだ。町民だけでなくわが軍をも殺す所業。貴殿は仕方ないと思っているかもしれないが、俺は怒っている」
ディアークがこぶしを握る。
「土壇場になって冷静な判断ができる人間はそう多くない。グラノリュースはアクセルベルクに比べれば後進国だ。全員に兵役なんてない。戦時の対応の訓練なんて積んでない」
「だからといって罪がなくなるわけでない。これで貴殿らが死んでいたらどうなった? 竜は殺せず、グラノリュース天上国にいる大勢の人間だけでなく、アクセルベルクもレオエイダンもユベールもすべてが滅んだかもしれない。その責任をその町の住人が取れるのか?」
捲し立てるディアークにウィリアムは両手を上げて降参の意を示す。
熱を帯びたディアークは一息吐いて気を静める。
「自覚してもらえると助かる。貴殿と師団の価値は既に大陸有数だ。些細なことで失うわけにはいかないのだ」
「そりゃどうも。俺としては何度やめようと思ったことか」
「ふっ、誰しもが通る道だ」
ディアークは穏やかに微笑んだ。
次回、「大地はまた」