第二十三話 あの日の背中
飛行船に迫る竜。
飛んでも追いつけないと悟った俺は、すぐに基地があった場所上空に転移した。
見れば、飛行船団は旗艦だけが竜へ対抗するために回頭して竜と向き合っており、そのために離脱が遅れて、二手に分かれた飛行船の一団から孤立してしまっている。
竜は旗艦をおちょくるように飛び回り、喉奥にブレスをためていた。
急いで再び竜の真上に転移する。
今まで竜の近くに転移することは避けていた。
転移門の発生はわかりやすいからだ。
転移でブレスや攻撃を避けたとしても、出てくる位置が筒抜けでは、待ち伏せのように転移門から出た瞬間に攻撃され、急に変わった視界で逆にこちらが不意打ちを受ける。
戦闘に転移を多用できない理由だ。
でも今はそんなことを言っていられない。
目の前で大勢の仲間がやられようとしている。
許せるわけがない。
門を抜けブレスを吐こうとしている竜の上空に飛び出した。
攻撃されても避けられるように大きく上に。
『しからばここで大陸中の人間を滅ぼせば、かつての強さを取り戻せるのではないか。手始めに貴様らから無謀に空を穢した咎、思い知らせ地に這いつくばらせよう』
虫唾が走る。
咎なんて、ここにいる誰にもない。
唯一あるのは、
『太陽のごとき我が炎、地に落ち見上げよ』
俺とお前だけだ!
「見上げるのはテメェだ、クソ野郎!」
落下の勢いそのままに竜の首元へ思いっきり槍を突き刺す。
『グオッ! 貴様!』
「デカミミズが! 逃がすと思うか!」
『ならば貴様から堕としてくれる!』
槍を突き刺した瞬間に、ドライグウィブはブレスを引っ込め暴れ出す。
どんなに槍を深く刺しても巨大な竜の前には槍の穂先はあまりに小さい。
それでも首に刺さるのは竜にとっても致命傷に近いようで、振り落とそうと激しく体を翻す。
振り落とされまいと、歯を食いしばってしがみつく。
――今度こそ、離さない。
たとえこの身が焼けようと、こいつは落とす。
『ウィリアムさん! 無事でしたか!』
通信機から声がした。
「アグニ、早く逃げろ! 回頭して離脱しろ!」
『いえ、こちらはいまレールガンを準備して打てる状況です! 照準ももうすぐ合います! 退避を!』
レールガン、忘れていた。
確かにそれなら竜を落とせるかもしれない。だがあれは竜なんて素早いものを撃つのには向いてない。
照準なんて合わせる前に落とされるのが関の山だ。
それでもと、あいつらはやろうとしたんだろう。
その意気やよし。
最後まで足掻いて、命を賭けてこそ戦いだ!
「このまま撃て!」
『それじゃあ団長が巻き込まれるかもしれねぇぞ! こっちは細かい照準なんて出来ねぇんだ! うっかり当たって死んじまうぞ!』
「賭けてやろうじゃないか! 俺が死ぬか竜が死ぬか!」
気分がハイになり、危機的状況にもかかわらず仮面の下の口が横に裂けているのがわかる。
体が青く、赤く光る。いくつもの光が体を包む。
この緋色の光はベルじゃないな。以前にも一度味わったことがある。
「アグニ、ありがとう」
『何を企んでいるかは知らんが、首領たる貴様を焼けば文字通り烏合の衆となろう! 燃やし尽くしてくれる』
「やってみろ!」
竜が自らの体に纏うように白い炎を這わせる。
この炎は俺の加護でも防ぎきれない。だけどもう離すわけにはいかない。
左腰に下げられた剣を抜く。
身体を新たに白い光が包む。
槍と剣、2つの神器の刃で首を突き刺し、暴れる竜に必死にしがみつく。
俺の体を白い炎が襲う。
体が一気に焼けていく。
焼けた傍から癒えていく。
焼けて。
癒えて。
焼けて。
癒えて。
焼けて。
癒えて。
焼けては癒え、癒えては焼け。
ひたすらひたすらひたすらひたすら。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
まさしく地獄。
離せば楽になれる。
それでも離すわけにはいかない!
楽になるのはまだ早い!
「撃てェェェェッ!!」
聞こえているかどうかわからない。通信機も壊れているかもしれない。
それでも沸騰した心のまま叫ぶ。
あいつらならやってくれると信じているから。
◆
「照準合った! 撃つぜぇ!」
「本当に撃つのか! あそこには団長が!」
「ウィル! 離れてよ!」
外へ向けてウィルベルが叫ぶ。トリガーを握るヴェルナーにシャルロッテが食い下がる。
「撃たなきゃオレたちがやられる! 団長は言った! 賭けだってな! オレたちに賭けたんだ! なら応えなきゃならねぇだろうが!」
「……その通りですね。当てなければいい話です」
「正気か!? 味方ごと、それも団長ごと撃つなんて!」
「ウィル!」
ライナーは同意し、シャルロッテは止める。
それでもトリガーを握るヴェルナーは躊躇しなかった。砲台の外で暴れる竜とそれに立ち向かうウィリアムの姿を見据え。
「オレたちが背負うのは! 空を駆ける竜の紋! 天地守護する特務隊の名に懸けて!」
ヴェルナーが叫ぶ。
砲台が動き竜へ照準を合わせる。その背中にいるウィリアムに向く。
下唇を噛みながらもシャルロッテが協力して微調整を行う。ライナーが動力源を管理する。
「目の前のクソったれのトカゲ野郎を落としてやらァ!」
引き金が引かれる。
空に一筋の紫電が煌めく。
ほんの一瞬、瞬く暇もないほどの一瞬だけ。
しかし確かに貫いた。
竜の翼を貫いた。
「当たった! でも翼よ! 仕留めきれていないわ!」
窓にしがみつくように外を覗き込むウィルベルが叫ぶ。だが3人はそれに答えられる状況ではなかった。
「砲身が焼けているぞ! 消火急げ!」
「動力源も過電圧により融解してます! 急いで処置を!」
「ウィルベル! 手伝え! もうレールガンは使えねぇ、あとは託すしかねぇ!」
レールガン周囲の設備が煙を噴いたり溶けだしたりと惨事が起きていた。ウィルベルは室内と外を何度も見やる。
外は落ちていく竜とウィリアム。
中は燃えている砲と設備。
「外は団長に任せろ!」
「僕たちにできるのはここまでですよ!」
「このまま消化できなければ火が広がって爆発する! ウィルベル、手伝ってくれ!」
もう一度ウィルベルは外を見る。
既に竜は地に落ちていた。ウィリアムの姿も見えなかった。
一瞬の逡巡ののちにウィルベルは室内を向く。
「すぐに消火するわ。もっと壊れても知らないわよ!」
◆
あいつらはやってくれた。最高だ。
竜と共に落下していく。
地面に激突する前に首から剣と槍を引き抜いて離れる。
高所から地面に竜が落下したことで、爆発にも似た轟音が鳴り響き、辺り一面に地震と土煙が舞い、周囲を覆う。
衝撃によって俺は何度も地面を転がる。
「ゴホッ、ゴホッ……ぜはぁ!」
仮面をしていても中に土煙が入り込む。
姿は見えないがまだ竜は生きている。あいつらのおかげで片翼を奪い飛行能力を無くして弱ったが、それでもまだ生きている。
飛べなくてもあの巨体と魔法は脅威だ。
でも――
「さあ、最終ラウンドだ。古竜《大地の白神》。弱肉強食のこの世界で、生き残るのはどっちだろうな」
煙が晴れる。
そこには大穴が空き、折れ曲がった翼をもつ竜ドライグウィブ。
赤黒かった鱗は土で茶色く汚れている。
歯をむき出しにしてこちらを威嚇するように唸っている竜は、怒っているようにも笑っているようにも見えた。
『よくここまで我を追い詰めたものだ。悠久の月日を生きていたが、これほどまでに我を追い詰めたものは数少ない。あの世で誇るがいい』
「もう勝った気でいるのかよ。ここまで追い詰められてよくもまあ余裕ぶっていられるな」
『それは貴様とて同じで在ろう。癒えたとしても、我が炎はただ身を焼くだけにあらず。貴様の魂も焼く。気づいておらぬか? 加護の力が減じておるぞ』
自分の体を見下ろす。
確かに青い力が弱まっている。
でも代わりに、赤いアグニの加護が俺を助けてくれている。
彼女の加護のおかげで、気力が十全に湧いてくる。
これじゃあ助けてもらってるのは俺の方だな。
なんにしろ、これ以上はもう攻撃を受けられない。傷を受けても体の形を維持できる加護がなければ、次に傷を受ければ間違いなく助からない。
マリナの加護の癒しがあっても体の形が大きく変化しては、命を失うまでに修復が間に合わない。
でもそんなことは当たり前だ。
「戦いはいつだって命がけだ。加護がない程度で揺らぐものか」
『クハハッ、その意気やよし。これほど血沸き肉躍る戦いは久方ぶりよ。今世の勇者ウィリアムよ。その名、末代まで語り継いでやろうぞ』
勇者、ね……。
「俺は勇者じゃない、俺には勇気なんてもんはない」
今まで一度も、俺は自分を勇敢だなんて思ったことはない。
こいつに挑む時、俺は恐怖で体がすくんだ。
それどころか、この世界に来てから、俺はずっと恐れてきた。
「痛いのも辛いのも失うのも死ぬのも何もかも、俺は怖い。勇気なんかない、ただの臆病者だ」
『ほう? そのような弱者が、なぜいまだこの大地に立っている? 我の前に立っている? ただの臆病者に、この竜と戦う度量があると?』
「臆病だから、戦うしかないんだよ」
他人に任せるなんて、不安で不安で仕方ない。
独りになるなんて、怖くて怖くて仕方ない。
だからこそ――
「あいつらを守れないなら、『俺』は死んだも同然だ」
『クハハハ!!』
竜は声を上げて笑った。
『よく似ているな。貴様は』
「ああ?」
聞き返すも竜は答えない。
『恐れを知り、己を知り、勝てぬと知ってもなお立ち上がり、自らの信念を貫き通す。それを人は勇者と呼ぶのだ。死を恐れ、しかして生きるために死に立ち向かう貴様は、我が盟友にも劣るまい』
「そりゃどうも」
竜に認められるとは、悪くない。
だがこいつはただ俺を認めたわけではない。
この会話にも意味がある。竜にとってはブレスをためるための時間稼ぎに過ぎない。
周囲を見るが、ここはどうやらもともと基地として使っていた場所の近くらしい。人も物も飛行船もないから寂しい地。
離れたところにわずかに残された木箱や物資があるのみだ。
左手に持っていた《月の聖女》を鞘に納める。
持っている武器は槍と剣、短剣が4本と盾が3つ。このうち短剣は竜には歯が立たない。剣は切れ味が鋭いが竜麟を超えて肉を断つには足りない。
盾は3つでは竜のブレスを防げない。精々燃えるのを遅らせるのが関の山だ。
だけど竜を殺すにはこれだけで十分だ。
右手に持った槍、石突を地面にぶつける。
「空を飛べないならただのでかいトカゲ。倒すことは造作もない」
『ほざきよる。この状況、貴様にとってもさほど良いものではあるまい。盾を失い、辺りに遮蔽物もない。さて、この状況でどう我が攻撃を防ぐつもりか』
「必要ねえな。言っただろう、飛べないドラゴンはただのトカゲだってな」
ドライグウィブが前足を強く地面に叩きつける。
衝撃で地面が大きく揺れ、地割れが起こる。
裂け目から白い炎が高く吹き出し、俺の体を照らし出す。
「もう日も落ちてきた。トカゲはおやすみの時間だ」
『口の減らぬ男よ。その口の悪さと共にその名、灰も残らぬ体に代わり、我が魂に刻んでくれよう』
ドラゴンが口を開き、幾度となく見た白い炎が溢れ出す。
槍を肩の上に持っていき、走り出す。
『燃えよ、今世の英雄よ』
一直線に炎が迫る。
竜に向かって走り出したこともあいまって、炎と俺の距離が急激に狭まっていく。
防ぐことはしない。どのみちできない。
竜を倒す方法はこれしかない。
炎にぶつかる直前に槍を後ろに引き絞り、体をしならせ、大地を踏みしめる。
身体の周囲に紫電が散る。
――槍をぶん投げる。
前の世界でも散々練習した身に染みた動き。もっとも強い俺の攻撃。
「《神貫く槍》!」
槍が炎に飲まれながらも竜に向かっていく。
きっと炎の先には大口を開けた竜がいる。
鱗のない柔らかな肉の口がある。だから倒すにはブレスを放つこの瞬間しかない。
これで竜を殺せる。
その対価は……目の前に迫る炎。
この身を包む青い炎はもうない。加護の力は減じ、守りたいと思う家族もそばにいない。
だから発動するわけがない。
――ああ、ここで死ぬんだな。でも竜と相打ちで仲間を逃がせたなら上出来だよな?
炎がとてもゆっくりに見えた。
走馬灯だろうか。
昔の記憶がよぎる。
あれは確か数年前だ。
今みたいなやり投げの練習で怪我をして入院したとき、父さんが言ってくれた。
『やりたいことがあるのはいいけどな。もうちょっと肩の力を抜いて周りを見ろよ。そうすればもっとうまくできる。あまり心配させないでくれ』
泣きそうな顔でそう言って、病院を去っていく父さんの背中はいつもより少しかっこよく見えた。
そして、もっとうまくやろうと思ったんだ。
今回はうまくやれたよな?
目をつぶって炎を受け入れる。
父さんは悲しむかもしれない。
でもこうしないとみんな死ぬ。
それだけは受け入れられないから。
炎を待つ、きっと耐えがたいほどの苦しみがあるんだろう。とても怖い。
……そう思って待っているがなかなか来ない。
肌を焼く熱気があるがそれだけだった。そんなに思考加速しているだろうか。
恐る恐る目を開ける。
「――ッ!?」
後悔した。
目の前にあるのは炎じゃない。1人の男の背中だ。
「父さんッ!!!」
その存在を認識した途端に俺と父の体に一際強い青い光が宿る。
白く輝く炎の中でも確かに見えるほどの強い光。
でも、それでも父さんの体は炎に冒されていく。身体の節々が黒く炭化していく。
「なんで!? 駄目だ!!」
すぐに《月の聖女》を抜いて父さんに押し付ける。炎とは違う優しい白い光が父を包む。
だけどまったく間に合わない。
癒す以上の速度で火傷が進む。
体にしがみついたときとは違う、全力で敵に放つ竜のブレスだ。
俺の弱った加護をもってしても、《月の聖女》をもってしても対抗できなかった。
徐々に焼けていく父の姿。
辛いはずなのに父さんは倒れない。
何も言わずにただ両手を広げて俺を守っている。
炎が一瞬止んだと思った瞬間、目に入ってきたのは、炎を吐きながら首を振り回し暴れるドライグウィブ。
首を振り回したことで強烈な炎がまたやってくる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も!
そのたびに父さんは守るようにただ立っている。
やがて炎が止み、地面が大きく揺れる。
力なく倒れるドライグウィブ。
そして次に、軽い音を出して倒れる父。
――父だったもの。
「父さんッ父さんッ! 死ぬな、死ぬな!」
うつぶせに倒れている父を仰向けにする。
剣を強く押しつけて体を癒す。でもなぜか剣だけが白いまま、父さんの体は白くならなかった。傷が一切治らなかった。
赤黒くなった表皮が全身を覆っている。
視界がにじむ。
「返事を……してよ……父さん!」
父の体は今なお白い炎で燃えていた。慌てて消すも状況は変わらない。
胸に耳を当てる。猛烈に熱い。人が発する熱じゃない。俺の耳も焼けそうだった。
そんなことは気にもとまらなかった。
……どんなに耳を押し付けても心臓の鼓動は聞こえない。
涙が、止まらない。
「何かいってよ……あの日みたいに……なにか」
父の手を取る。
かさかさしていて焼けるほどの熱を持っていた。
そして、腕が肘のあたりでとれた。
まるで人間の腕ではないように、乾いた小枝のようにあっさりと折れた。
それでも父は何も言わない。
何も言えないのだ。
父だったものの前で俺は叫ぶ。
またしても守り切れなかった悔しさと悲しみを吐き出したくて、ただ叫ぶ。
陽は沈んでいた。
次回、「エピローグ~帰郷~」