第二十話 運命か呪いか
まるで蜘蛛の巣に捕らえられた虫。
荒れ狂う風の中、綱渡りをしているかのような、そんな苦しい状況の連続だった。
いくつも放たれる竜のブレスは、少しでも受け損なえば即座に炭化して崩れ落ちてしまうほどの熱量。
いや、触れなくても近くを通っただけで肌が焼ける強烈な熱気。
盾を6つ組み合わせる《純粋星華》で、錬金術と魔法両方で防御を完成させなければ耐え切れない。
盾3つの《純粋華》では防げない。もし盾が1つでも壊されればブレスを防ぎきることができなくなる。
一度たりとも、防御を失敗するわけにはいかなかった。
『クハハハッ! 防いでばかりでは我を倒せぬぞ?』
頭上を飛び回りブレスでひたすら攻撃してくるドライグウィブ。
盾の代わりに絨毯を取り出して空を飛ぶが、空中戦はさすがというべきか、やはり竜に分があるようだった。
幾度接近しようとも魔法やブレスによって距離を取られ、こちらの魔法は強烈な魔力とマナの塊でもある竜自身の体によって届かない。
「それなら!」
竜に向けて、ずしりと重みのある袋をいくつも投げつける。
竜の周囲に多くの袋が広がる。その袋たちを風の魔法で切り裂くと、中から鈍色の粉が飛び出して辺り一面を覆った。
竜は動きが速く巨大だから、武器の1つや2つをダメにする程度じゃ到底足りない。
だからといっていくつもの武器をダメにするわけにもいかない。
ならあらかじめ準備しておけばいいだけだ。
「《種子槍》」
都合のいいことに、この竜は体から常に火気を帯びた粉を噴いている。
これだけで普通の戦士ならば爆発の恐れがあって近づけないが、聖人である俺にはさほど脅威でもない。
そして火の気があるなら、わざわざタイミングを計って火を放つ必要がない。
『面妖なことを。小細工を弄したところで我には届かぬ』
「そりゃどうかな」
竜が鉄粉を鬱陶しく思ったのか、ブレスで辺りを焼き払おうと口を開く。
その喉奥に白い光が見えたとたんにニヤリと笑い、急いで盾を展開し距離をとる。
ブレスの白い輝きが強く光ったと同時に、ブレスとは違う赤い閃光が辺りを襲う。
そしてまた、グラノリュース王城に大爆発が巻き起こった。
辺りには灰の煙が立ち込め、残った金属粉が舞うことによっておこる摩擦が静電気を起こし、紫電が発生、暗くなった周囲を明るく照らす。
《開華槍》。
これは魔法に頼らない俺の技の中で最も火力がある技だ。
これで倒す、あるいは傷を負わせられなければ正直ショックだ。勝てる気がしない。
どうかせめて傷の一つや二つは負っていてくれと願う。
しかし、
『クフフ、これほどまでの攻撃久方ぶりである。なまった体を起こすにはちょうど良い刺激よ』
その願いはあっけなく崩れ去った。
暴風が吹き荒れ、あっという間に立ち込めていた煙が晴れる。
現れたのは、太陽を背に翼を広げる何ら変わらぬ威容を誇る古竜の姿。
「……まじかよ」
よく見ればいくつかの竜麟にはひびが入ったり割れて落ちたりしている。全くの無傷とまではいかないようだが本体にはノーダメージといってもいい。
多少の衝撃は入ったかもしれないが見たところ戦闘に影響が出るほどとは思えない。
……これはいよいよ本気でやばいかもしれないな。
「なまったままでいいぞ。どうせこの後また永い眠りにつくんだからな」
『面白い。我を討ち世界中にその名を轟かせるか、それとも我の武勲詩の一つとなるか』
精一杯強がるが、見透かされている。
この竜は、盟友とやらがやられてその敵討ちと言っている割に随分と楽しそうだ。
仲間を出汁にして暴れたいだけじゃないのか?
「随分と楽しそうだな。仲間がやられて怒り狂ってると思ってたんだが」
『然り、今でも貴様とその仲間は憎い。我が心の奥底にある憎悪の炎はなお滾る。しかしそれ以前に――』
竜が一際強い熱気を全身から放つ。
『我は竜。戦と炎の化身。身を焦がすほどの情熱と闘争の赴くまま生きてこそ竜よ! 故に感謝もしている。我が盟友を討ち、我の中に湧き上がる感情に身をゆだね、思うがままに戦えるこの時こそ竜の本懐! ましてや相手は今世の勇者! 昂らずして何が竜か!』
奴は叫ぶ。
「……この戦闘狂が」
竜。
確かに前の世界の伝承でもこの世界でも、竜がいる場所では必ず戦が起こり、火の手が上がる。
世界を守るためでも滅ぼすためでもどんなときでも竜の姿がある。
戦うことこそが竜の存在意義のように。
だから今、こうして戦いに没頭することは奴にとって至上のことなのだろう。盟友の仇を討つという名目のもとで強者と戦えるこの状況が。
まったくもって理解ができない。
俺には戦いを求める感情なんかないし、戦場に英雄だなんだとロマンを求める質でもない。
ひっそりと、ただ友人や家族と一緒に生きたいだけだ。
「……いや、だからこそ戦わないといけないのか」
すとんと納得がいった。
心の片隅に、どうして俺が戦わないといけないのか、疑問があった。
他のアクセルベルクの連中に任せてもいいと思った。
でもこれは、いずれ片付けなければならないことだ。
今でなくても、いつか必ずこの竜は俺たちとぶつかった。
平和と戦争。
相容れない考えを持つのだから。
考えれば、実力主義で闘争心の塊である竜人たちの祖なんだ。
その性質は推して知るべしだったな。
とにかく《開華槍》が効かないとなると、やはり近づかなければならない。だが空中戦で近づくのは正直難しい。
さて、どうしたもんか。
悩みながらも、その後も幾度もブレスを防ぎ、魔法で応戦する。
時折種子を撒き開華させても精々鱗を剥がし、軽く殴った程度の衝撃を与えることで精いっぱいだった。
だがまだこちらも攻撃は受けていない。
竜は魔法に関しては、当然今まで相手にしてきた中では最も強力だが、ブレスと同程度で何とか防げるレベルだった。身体構造的に最も強い魔法はブレスなんだろう。もちろん他が弱いわけじゃない。
きっと今までこの魔法と巨躯でほとんど圧倒してきたんだろう。
今どうにか戦えているのは、竜が魔法のみでこちらを攻撃しているからだ。様子見のつもりなのか、それともこちらの槍を警戒しているのかわからない。
そんな戦いが膠着していたときに一人の乱入者が現れた。
『――ん?』
突如、竜に向かっていくつもの見覚えのある剣が飛来していく。竜は避けようともしなかった。
剣が竜に突き刺さり爆発を起こす。
だが剣は竜の体よりも圧倒的に小さく、鱗を落とすことさえできていなかった。
「ならこれはどうっ!」
剣が飛んできた方を見ると、そこにはやはり白き剣を従える銀髪の魔女がいた。
「ベル! 何やってんだ!」
「何って助けに来たに決まってるでしょ! あっちはもう撤退はできるし、あとはあんただけよ!」
「だからってお前がここに来ても――」
『水を差したな小娘』
竜の声が聞こえた瞬間に、ベルの前に盾を6つ組み合わせて展開する。
直後に彼女のいる場所を白炎が襲う。盾ごと彼女を炎が呑み込む。
「ベルッ!」
『余所見していいのか』
「なッ!」
炎が来る。
さっきまでの戦いで直感的にそう判断してしまった。
しかしそれは間違いだった。
やってきたのは炎ではなく、巨人の腕と見紛う太く強靭な尻尾。
剣のように鋭い鱗を粗いやすりのようにまとった死を予感させる竜の尻尾。
「ガハッ――」
ここに来て初めての竜の肉体による攻撃に一瞬反応が遅れ、もろに直撃した。
絨毯の上から吹き飛ばされ、下にある無残になった城に落下し、床をいくつも突き抜ける。
落ちた傍から上から瓦礫が降ってくる。
ああ、生き埋めなんて、なんて間抜けな最後だろうか。
◆
「ウィルッ!」
竜の息吹が止み、視界が開けた瞬間にウィルベルの視界に入ってきたのは、ウィリアムが竜の尾による一撃で遥か下方、グラノリュース王城に叩きつけられる光景だった。
『嬢ちゃん! 今は竜に集中しろ!』
「でもウィルが!」
『前を見ろ! まだ盾が浮いている。それならあいつは無事だ! とにかく竜に追撃をさせるな!』
指輪から直接伝わるリカルドの声を聴いて、ウィルベルは納得して竜に向き直る。
そこにはつまらなそうな雰囲気を纏った竜が憎々し気にウィルベルを睨んでいた。
『つまらぬ。つまらぬ幕切れよ。小娘。貴様がいなければあの小僧は斯様な最後を迎えることは無かったろうに。遅かれ早かれこの時が来たとはいえ、最後くらいは選ばせてやったものを』
「馬鹿にしないでよ。あいつもあたしも自分の死に方くらい、誰に与えられるでもなく自分で選ぶ。そしてそれは、今じゃない」
ウィルベルが尖がり帽子のつばを上げて古竜ドライグウィブを睨み返す。
『弱者に選べるものなど何一つ――――ム?』
ウィルベルの顔を見たドライグウィブは、言葉を止め、がっかりしていた口調を一転させた。
面白いものを見たかのように。
『貴様ファグラヴェールか。いや、若い。そして思慮も胸も足らん。別人か』
「うっさいわね、ぶちのめすわよ」
ウィルベルに殺気を向けられても、竜は過去を思い出すように顎を上げる。
『思い出す、懐かしき名よ。ファグラヴェール、最古の魔法使い。我が盟友の1人。だが我とは相容れない憎き相手よ』
「あんたのいうファグラヴェールが誰かは知らないけど、あたしたちに当たるのはやめてもらいたいわね」
『我が貴様らを相手にするのは必然。我が盟友を討ち、その亡骸をぞんざいに扱うのだ。ウィリアムと名乗ったあの男も貴様も、纏っているのは最も勇ましき英雄が2人。リカルドとクララである』
ウィルベルは左手に嵌められた指輪を撫でる。
そこには力強い神気を放つ意志がある。
「……リカルド、あんたからあいつを説得できない?」
『難しいな。グラノリュースですら俺たちの声ははっきり聞こえなかったんだ。竜であるあいつに俺たちの声は聞こえないだろ。よしんば聞こえたとしても、俺をあいつに渡せば嬢ちゃんはどうなる?』
「あんたが無事に説得してくれれば安全じゃない?」
『俺にそんなことができると思うか? あいつは生粋の戦闘狂だ。生半可な説得じゃまず曲げられねぇ。クララでもできなかったんだ。可能性があるとしたら、エルフのフェイルミオスだけだ』
「じゃああんたのせいで目の敵にされる一方じゃない」
『なんてこったい、自分の人望が怖いぜ!』
「あとで100回壁にぶつけてやるんだからね」
神器と会話するウィルベル。
一見すれば、こそこそと独り言を放っているだけのウィルベルを、ドライグウィブは攻撃するでもなくただ見ていた。
『哀れ愚か惨め。世代を超え、時を超え、姿を変えても焦がれるのか、ファグラヴェール。恋慕を断つこともできずに引きずり続けるその姿、なんと愚かで惨めなことか』
その視線は細まり、見下すようだった。
ウィルベルは怒りで目を険しくさせる。
「誰が誰に焦がれてるですって?」
『貴様の祖先フリッグ・ファグラヴェール。我らと共に戦った魔法使い、当時最強の魔法使いであった。我ともよく仕合うたものよ。しかしリカルドを巡り、クララと衝突し、我らのもとから去った。惨めな魔法使いよ』
「……あたしが大婆様の遠縁であるのは確かよ。でもあたしは別にリカルドなんて知らないし好きでもないわ。あたしがここにいるのは大事な仲間のためよ!」
『気づいておらぬか。なおのこと因果な事よ』
ウィルベルが指を鳴らし、周囲に10を超える輝く剣を出現させる。しかし竜は意にも介さず首を振る。
呆れて声も出ないと言いたげに。
しかし、次に放たれた言葉にウィルベルですら無視できないもので――
『あの男は英雄リカルドの子孫。そしてファグラヴェールの子孫である貴様が巡り合う。なんと因果な事であろう。まるで呪いのように』
「……え?」
思わず呆けたウィルベル。
竜はニヤリと笑い、会話の最中にずっとためていたブレスが滾る顎を開ける。
『ここでその呪い、我が浄化してくれよう』
『嬢ちゃんっ!』
「――もうっ!!」
ウィルベルはすぐに態勢を整え、左手と右手の指輪を光らせる。
「リカルド!」
『あいよ!』
彼女の正面に一際巨大な光の門が現れ、ブレスに真っ向からぶつかり、押し合い始める。
「リカルドでも押し切れないって、どんだけ!」
『そら古竜のブレスだぜ!? ぶつかれるだけ褒めて欲しいぜ!』
なおも軽口をたたくリカルドは無視して、ウィルベルはブレスの軌道から急ぎ離脱し、再びドライグウィブに《玉響剣》で攻勢をかける。
ただし今度は――
「《玉響剣・陽炎》」
剣は竜とぶつかる前に弾け、周囲一帯の空気を陽炎のごとく揺るがした。
『小賢しいッ!』
竜はブレスを撒き散らし、あり余るその熱で幻影をかき消した。
しかし、周囲にはウィルベルの姿はない。
『ほう……?』
竜は漫然と空を見上げる。
「変わる世界の邪魔をするな」
そこには、赤き加護を纏い、太陽を背に迫るウィルベルがいた。
「《赫赫天道》」
『―――ッ!』
目前に現れた小さき太陽に、初めてドライグウィブは驚き、翼をはためかせ全力で退避する。
「――ちぇっ!」
『グゥオオオオオ!! やるではないか!』
眼前に迫った太陽を回避するも、ドライグウィブの右目は焼け、白くなっていた。
しかし、それでも古竜。
なおも健在で、近くに迫ったウィルベルに対して前足を振るう。
大技を使った直後の彼女に槍のごとき鋭き爪が彼女に迫る。
巨大な竜の手から逃れようともしない彼女の体を、青き光が包み込んだ。
途端、彼女は笑う。
「間に合った!!」
彼女に迫った竜の腕は、直前で引かれ、一気に彼女の視界が開く。
――ウィルベルの目に飛び込んできたのは、青き加護の光を纏い、ドライグウィブの背中に槍を突き刺したウィリアムの姿だった。
次回、「離脱」