第十九話 勇者と古竜
竜がいる場所は、破壊された王城の上の階。
一フロアにいくつもあったはずの部屋とそれを隔てる壁は綺麗に取り壊され、まるで大きな舞台のよう。
そんな壁も天井もない広大な一部屋と化した王城で、赤黒い巨大な竜がうずくまり、火花交じりの息を吐いた。
そんな太陽を拝めるフロアに、竜以外に音を立ててやってくる者がいた。
その者は鎧をまとい、部屋にたたずむ竜に似た仮面をつけていた。
足音に気づいた竜が長い首を上げ、音のする方へ向く。
縦に開かれた瞳孔が細まり、口からは言葉と共に文字通りの気炎が吐かれる。
『何者だ。我が盟友の座に土足で踏み入る不届き者よ』
その声は口から音として発されたようにもマナから伝達されたようにも感じさせ、僅かにぶれる。
しかし、それが竜の神秘性と威容をさらに知らしめていた。
相対する面をつけた男は臆することなく答える。
「俺はウィリアム。話をしに来ただけのしがない男だ」
『世迷言を』
名乗りを上げたウィリアムに竜は牙を剥きだし睨みつける。
『その手に持つは我が盟友グランの至宝、二振りのうちの一つ。それを持つ貴様がしがない男とは、竜相手とはいえ謙遜の度が過ぎるというもの』
うずくまるようにまとまっていた竜の肢体がウィリアムに向き直り、翼を大きく広げる。
空を覆う巨大な翼膜により、ウィリアムは太陽から隠れ影に覆われる。
『しからば返してもらおうか』
「なぜ?」
『貴様が持つ剣は古来の英雄、我が盃を交わした最も偉大な英傑の化身。何も知らない者が持っていいものではないのだ』
「なら俺が持ってもおかしくは無いな」
槍の石突で床を突く。
開けた場所であってもその澄んだ音は辺りに響く。
千年生きる竜との対話でも、彼は退かない。
「この槍がどういったものか、元となった人物がどれだけ高潔な意志を持ち、何を成したのか。俺は知っているとも」
『……グランから聞いたか、それとも記録でも覗いたか。どちらにせよ、それだけで我らのことを知った気でいるのならば笑止千万。爪をかざす価値もあらず』
「そうかよ、確かにその時代を生きたわけじゃない。知った気でいられるのが不快かもしれないな」
床を突いた槍を横に、差し出すように前に出す。
「この槍を渡せというなら条件がある」
『矮小な人の子よ。我が盟友の剣を人質に取るというのならば、我がとる行動は1つのみよ』
鎌首をもたげるドライグウィブ。
脅すように前足を上げ、床に落とす。
半壊した城は揺れ、瓦礫が音を立てて落ちていく。
それでもウィリアムは臆することなく、目を見て言った。
「俺は何も無理矢理この神器を従えているわけじゃない。この意思を持つ武器と対話して行動を共にしているんだ。だから人質でも何でもない」
『ほう? 剣と対話していると? ……なるほど、確かに僅かに貴様からはリカルドに似た匂いがする。クララと近しい結果になったとしても不思議ではない。よかろう、条件とやらを言うがよい。かつての英雄、我が盟友の末裔ウィリアムよ』
竜は興味深そうにその顔をウィリアムに近づける。
火花交じりの竜の吐息が彼を包む。
「条件は1つ。この国を始めとして人類に危害を加えないでもらいたい」
条件を伝えられ、竜は目を見開き、
『クハハハッ! 竜にとって人も魔物もすべからく獲物にすぎぬ。たかが武器1つのために生き方を変えろと?』
笑った。
それでもウィリアムは言葉を紡ぐ。
「それだけの価値がこの神器にはあるんだろ? こうして盟友とやらのためにわざわざやってくるほどだ。人類がただの獲物に過ぎないわけでもないだろうに」
『わかっておらぬようだ』
竜が首を上げ、ウィリアムの周囲を這うように動く。
背後から長い首を回り込むように動かして顔を覗き込む。
『我が欲するは盟友たちの魂のみ。それ以外の人類など塵芥よ』
口が横に広がり、空気が焼ける匂いが辺りを染める。
「かつては人類を守るために悪しきものどもと戦ったんだろ?」
『彼奴らは魔物や人類はおろか、すべての生物を滅ぼそうとしておった。疎ましいことこの上なく、仕方なく英雄どもと協力したというわけだ。さあ、そして今、悪しきものどもがいなくなったこの世で、我が人類を擁護する理由がいかほどにあろうか』
「この武器が欲しいんだろ?」
『殺して奪えばよい。さてもう一つリカルドの剣も探さなくてはな。持ち主を知っているのならば教えるがよい』
ウィリアムは仮面から唯一覗く目元を細める。
「知ってどうする」
『決まっておろう』
竜が纏うマナの動きが活性化し、辺りはむせ返るほどの熱気と身の毛もよだつ殺気に満たされる。
竜の巨大な顎がウィリアムの後ろから、耳元でささやくように、とても愉快そうに――
『我が盟友の命を討ち、弄ぶ者には死を』
告げられた瞬間に、ウィリアムは振り向きざまに槍を振るい、竜の目を穿とうとした。
しかしそれよりも先に、竜は飛びあがり、大空を舞いながら高らかに名乗りを上げる。
『我はグウィバー。《大地の白神》。大地を震わし空を駆ける、天つ日に生まれし最古の竜。精霊と浄炎を司る光炎の王』
大地を見下ろすその口には、噴き出し滾る白き炎。
『汝らに滅びを告げるものよ』
そして空を一色に染め上げんばかりに、太陽のごとく輝く白炎がドライグウィブの口から放たれ、一直線にウィリアムへ向かう。
「この世界に太陽は2つもいらない。お前よりずっとまぶしい太陽が、俺の傍にいる」
彼の前には、6つの花弁を持つ盾の華。
――《純粋星華》
竜のブレスは華を避け、左右へ別れる。
ウィリアムは悠然と炎が過ぎ去るまでただ立っていた。
やがてブレスは止み、華は解け、再び両者は互いの姿を視認する。
ドライグウィブは、自らのブレスを防いだウィリアムを興味深そうに。
ウィリアムは、自らの大切なものを貶めたドライグウィブを苛立たし気に。
『我のブレスを防ぐとは、口だけのただの凡百な匹夫ではないようだ。――よかろう、汝を英雄と認めよう。そして、竜を相手にした英雄の末路は2つに1つ』
「竜のくせに狭量でせっかちな奴だ。そのデカい頭は飾りらしい。――認めようが認めまいが、たとえ古竜であろうが、俺の家族を貶めたお前がたどる道はたった1つ」
ドライグウィブが地上に舞い降り、牙をむき出しウィリアムを睨む。
ウィリアムは盾を周囲に展開して、槍を構えてドライグウィブを睨む。
そして――
『今世の勇者よ。滅してやろう』
「神代の古竜よ。殺してやるぞ」
巨大な咆哮を皮切りに勇者と古竜は激突する。
ただ背中を預けた仲間のために、ただ友の仇を取るために――
◆
「輸送艦から順次発進を! 旗艦は殿を務めます。各艦の状況は!?」
「輸送艦壱番弐番、既に完了しています! 参肆番は今しばらくかかるとルシウス連隊長から!」
「輸送艦の護衛としてタプファーゲン級とソリデヴァーレ級が一隻ずつ随伴するとのこと! 各艦、直に離陸準備は完了します!」
竜が城を破壊している最中、アクセルベルク軍が駐留している基地では続々と飛行船が離陸準備を進めていた。
「急がせてください。本艦の状況は?」
「現在点呼を取っています!」
旗艦で指揮を執っていたアグニータ。
しかしここで、彼女に悪い知らせが入る。
「飛行船周囲に大勢の地元民!! 竜に怯えて周辺の町から、この基地に向けて住民が押し寄せてきています! 兵士たちがその対応に当たっており、離脱準備が滞っています!」
「なんですって!?」
アグニータはその状況を見て歯噛みする。
動揺が伝わらないように冷静を装う。
「周辺の町と都市のギルドや役員には説明していたはずです。何をしているのですか?」
「それが一部の町は我々がここを離れることを良く思わないようです。事前の説明で納得できないと、土壇場で抗議しに来ました!」
今度こそアグニータは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「何を馬鹿なことを! そんなことをすればお互いに対処ができないとわかり切っているでしょうに!」
「やってきた住民の中には役員もいます! 彼らが率先して先導している模様! 我らの助力に感謝すると、一方的に通達して乗り込もうとしております!」
「やめさせなさい! 旗艦周辺にいれば離陸時のエンジンに巻き込まれます! 強引にでもすぐにここから離しなさい!」
近くの町の人間たちの土壇場でのあまりの行動、アグニータは焦りと怒りを露にする。
しかしまたしても状況は動く。
「王城にて竜がブレスを放ちました!」
「ッ!」
部下からの報告に、アグニータは城を見る。
そこでは、竜が上空に舞い、城に向けてブレスを放つ姿があった。
(ウィリアムさんが戦っている。私たちを逃がすために戦っているのになんて体たらく!)
アグニータがすぐに周辺住民たちを退去させる指示をだそうとすると、またしても彼女の五感を大きく刺激する出来事が起こる。
「ッ! 旗艦周囲に爆発が発生! ……これはウィルベル少佐によるものです!」
「どういうことですか? 一体何が?」
「……半ば脅迫に近い形でウィルベル少佐が住民たちを退去させました! 他の独立部隊が周辺住民の説得にあたっている模様!」
ウィルベルを始めとした独立部隊が爆発や銃声による威嚇によって住民たちを退去させる。
詰め寄ってきている住民のほとんどは非戦闘員であり、竜以上に身近に命を脅かす銃声や爆発の衝撃に恐れおののき、先ほどまでの抗議の威勢は急速にしぼんでいった。
彼らには恐怖や混乱に対する耐性はない。
だからこそ、事前に説明していたにもかかわらず、竜が現れた際にこうして軍の動きを邪魔する動きを見せたのだ。
竜の前に目前に迫る脅威の前に、彼らは蜘蛛の子を散らすように旗艦から離れていく。
「彼女たちには感謝しないといけませんね……周囲の安全を確認し準備ができた艦は順次発進を!」
「了解! 輸送艦はすべて離陸準備が整ったとのこと! 既に壱番艦は離陸、弐番艦以降エンジン点火しました!」
「護衛艦も同じくすべて完了! 輸送艦と同時に離陸!」
旗艦以外の飛行船がすべて離陸準備と周囲の安全確認を終え、順次発進していく。
エンジンの唸る音が各所から轟くのを聞いて、アグニータは小さく息を吐いて安堵する。
しかしすぐに気を引き締めて最後の確認をする。
「全艦離陸した後は本艦です! 準備はできていますね?」
「はい! 住民を退去させた独立部隊も艦内に戻ってきました! いつでも……いえ、ウィルベル少佐が離脱していきます!」
「えっ!?」
アグニータが顔を上げてブリッジの外に目をやると、そこには箒にまたがり城の方へと駆けていくウィルベルの姿があった。
ウィリアムを心配していることが、箒の速度とそれを操る彼女の挙動からあからさまに見て取れた。
(……低く飛ぶと飛竜がやってくるかもしれない。でもこれだけの数と大きさの飛行船、襲ってこない可能性も十分にある。何より対空砲火もある。私たちだけでも大丈夫)
ウィルベルが抜けた際の影響を即座に考慮したアグニータは、手首に備えられた通信機を使ってウィルベルに連絡を取る。
「ウィルベルさん、聞こえますか」
『アグニ? 悪いけどそっちのことはヴェルナーたちに任せるわ。飛竜程度ならきっと大丈夫だから』
「はい、こちらのことはこちらで何とかします……どうかよろしくお願いします」
『……ええ、たとえ死んでもひっぱたいて起こして、あいつを連れて帰ってくるから』
ウィルベルと同じく、ウィリアムのことが心配なアグニータはウィリアム以外に唯一竜に対抗できると思われるウィルベルの参戦に、ウィリアムの意に背くとわかっていても送り出してしまう。
通信を切ったアグニータは戦いの始まったグラノリュース王城を見やる。
そこでは竜が空を舞い、幾度も眩しいブレスを吐いていた。
その挙動からウィリアムが古竜と戦っていることが明らかだった。
アグニータは指示を出しながら、胸を抑えて願う。
(今だけでもいい。どうかあの人が無事に生きて帰れるようにどうかッ!)
次回、「運命か呪いか」




