第十八話 戦う意味
飛来してきた竜は勢いそのままにグラノリュース王城の頂点近く、俺たちがグラノリュースと戦った部屋に顔を突っ込む形でそのまま突っ込んだ。
大質量を誇る竜の体当たりに、立派だった王城の上半分は瞬く間に瓦礫と化し、周辺に降り注ぐ。
幾人もの兵士が飛んできた瓦礫に押しつぶされる。
多くの家屋が倒壊し、巻き込まれた兵士が悲鳴を上げる。
生き残った兵士たちも持っていた武器を放り出して、一目散に竜から逃れようと上層から出る道を走り出す。
途中誰かが転んでも、誰も手を差し伸べも一瞥もせずに、我先に逃げ出すために踏みつけていく。
ただ転んだだけの兵士は助けを求めて手を伸ばしても、その手すらも踏みつけられて、彼は徐々に動かなくなっていく。
それを、誰も気づかず、見向きもしない。
彼はただ、群衆に紛れ、誰に気づかれることもなく死んでいく。
歯噛みする。
「これじゃあ救助もままならない! 秀英とエドガルドは!?」
パニックに陥った群衆を導くことは不可能だ。
何よりその元凶がすぐそばにいて誰も敵う人間がいないのだから、兵士たちが立ちどまって話を聞こうとするわけがない。
誰だって自分の命がかわいいんだ。
秀英と別れた場所、城の正門前まで走る。
途中で瓦礫が飛来して来たり、家屋が倒壊してたりと通れなかったりしたが魔法で防ぎ、道を作る。
そうして正門近くまでたどり着くと、そこで秀英とエドガルドが口論しているのが見えた。
「それでは被害が増えるばかり! 竜にこちらの意を伝え、向こうの意を汲むことこそ事態の解決に繋がります!」
「古竜の目的が不明な以上、安易に行動することは禁物だ! 竜の目的を探ることには賛成だが、それよりも先に今は民間人と兵士たちをまとめることが必要だ! 下手に刺激してまとまれていない彼らに矛先が向けば、今のままでは生き残ることすらできない!」
「秀英! エドガルド!」
2人に駆け寄り話を聞く。
どうやらこれからどう対処するべきか口論になっていた。
秀英は事態の解決を根本を断つことで、エドガルドはまず兵士と民間人をまとめることが重要だと考えている。
どちらも一理ある話ではある。
エドガルドのように民間人と兵士をいくらまとめたところで、竜がひとたび吠えるだけで恐らく彼らは恐慌する。だがまとめなければ事態をたとえ解決できたとしても行方不明者がでるし、安全行動をとらせることができない。
竜がいなくなっても、さっきのように二次被害に繋がってしまう。
秀英の方はうまくいけば事態の早期解決につながる。だがやはり危険だし、兵士たちをまとめる以上に困難なことだ。
「竜がこちらの意を汲むなんて期待するな。こちらが一方的に竜の目的に沿うように動かなければならないなら交渉なんて最初から捨てろ」
「だがそれではずっとこの国に竜が居座ることになる! 兵士や民間人たちが混乱してまともに国が立ち行かなくなる!」
秀英を説得しようとしたがなかなかに強情だ。
まあ別に説き伏せる必要もない。
「竜のもとへは俺が行く。2人は兵士たちをまとめろ」
「一人で行くっていうのか!? いくら坊主が強いって言っても相手は竜、それも千年生きた古竜だ。かなうわけがない!」
「何人いたって一緒だ。なら被害は少ない方がいい。だから俺一人で行く。それに上層のこととかこの国がどうとか関係なく、俺はあの古竜をここに足止めしなければならない」
師団が引き上げるためには、竜をこの地に確実に引き留めなければならない。
空中じゃ明らかにこちらが不利だ。
天上人でさえギリギリだった。竜相手となれば勝敗なんて火を見るよりも明らかだ。
それに今回は竜の目から逃れるためにできるだけ低空を飛ぶように指示している。
そうすれば遠目から見たときに目立たなくなる。
ただ問題はそうした場合、グラノリュースとアクセルベルクを隔てる山脈一帯の魔境に生息する飛竜たちに襲われる可能性がある。
軍用であり火砲も備えているとはいえ、危険であることには変わりない。
「いいからいうことを聞け! うまくいけば竜の目的もわかるし、上層の連中の被害も抑えられる!」
怒鳴るように2人に指示を出す。
直後また一際大きな轟音が竜の咆哮と共に鳴り響き、城の上から俺たちのところへ瓦礫が降ってきた。
慌てて2人が退避しようとするが瓦礫が多く逃げ切れない。
「くそ、こんなところで!」
「フンッ!」
エドガルドは悪態をつきながら、秀英は魔法で何とかしようとするも瓦礫が大きく多いために対処できていなかった。
盾を組み合わせて展開し、二人を覆う。
「おおっ、これはすごいな」
「……悔しいがお前が適任のようだ。済まないが任せる。死ぬんじゃないぞ」
「誰に言ってんだ」
納得してくれた2人は踵を返して颯爽と兵をまとめに走る。
見送った俺は、瓦礫と叫びが舞う城を見上げる。
離れていても感じる、圧倒的な威圧感。
『グォォオオオ!!』
再び轟く竜の声。
聴くだけで、体の一部を見るだけで、心が怯え、心臓は縮み、身体はすくむ。
「……ハァ、ア、ハッ」
震える足を止めることができない。
2人の前では強がっても、やはりいざ立ち向かうとなると折れてしまいそうだった。
呼吸が粗くなる。
視線は落ちて、胸を抑える。
「はぁ、はぁっ!」
怖い。
逃げ出したい。
ここまでの強敵に一人で立ち向かうのは初めてだ。
今度こそ本当に死ぬかもしれない。
戦わなくて済むかもしれないし、事前の《大地の白神》の情報が確かなら、奴は穏和であり、人を積極的に襲うことはないはずだ。
でも、そんな希望的観測を目の前の光景が否定してくる。
人を襲わない? 対話が可能?
こんな道端の石ころのごとく人を死に至らしめられる怪物が?
――そしてそんな怪物に、どうして俺は1人で戦おうとしてるんだ?
怖い、怖いッ、怖いッ!!
どうしてこんな世界のために、よその世界の人間である俺が命を懸けて戦わないといけないのだろうか。
……どうして俺のすべてを奪ったこの世界のために、戦っているのだろうか。
今からでも戻って、全員で戦うべきか。
どんな結果になっても、俺一人なら逃げられる。
でもここで立ち向かえば、あいつらは生きられても、俺は死ぬ。
最後の瞬間まで一人で、骨も残さず焼き尽くされる。
自分の体を抱きしめても、体も心も冷えていく。
『ひとりじゃない。一緒にいるよ。ウィル』
ふと、心に沁みる声が聞こえた。
忘れるはずもない、大事な大事な人の声。
ずっと聴いていたいと思う少女の声。
腰に下げた剣を見る。
青い鞘に納められた剣を僅かに抜く。
露になった刀身から眩いほどの白い輝きが漏れ出る。
あの夜とは違う、とても暖かな光が折れてしまいそうな心と体を支えてくれた。
そうだ、そうだった。
俺は一人じゃない。
月はいつもそばにいる。
空を見上げて竜を見る。
先ほどは咆哮を聞いて姿の一部を目にすれば震えていた。
でも今は不思議と怖くない。
1人じゃない、戦う意味もちゃんとわかる。
手首に付けている通信機に指示を出す。
「アグニ、準備ができ次第離陸しろ。本国にこのことを伝えに行け」
通信相手は、今脱出しようとしているアグニたちだ。
『承知しました。ウィリアムさんは?』
「足止めは必要だ。俺なら帰るときも一瞬だからな。お前らは低く飛べよ。目をつけられては面倒だ」
『……ええ、事前の通りに。あなたの力になれないことをこれほどまでに悔やんだことはありません。横に並んでともに戦えればとどんなに思うことか。ここにいても感じる恐怖、あなたの場所ではとてつもないほどだと理解しているのに……』
勇敢な彼女の言葉に、怯えていた自分が情けなく思った。
少しだけ笑う。
「今まで十分すぎるほどに力になってくれている。その気持ちだけで、十分一人じゃないって思えるよ」
『どうかご無事で』
最後まで悔しそうにするアグニとの通信を切る。
彼女にも随分と迷惑をかけてしまっているな。
帰ったら礼の一つでもしてやらないと。
だがそのためにも目の前にいる脅威から、彼女たちを逃がさなければならない。
「さあ行こう。勝利に水を差した羽根つきトカゲに文句言ってやる」
言い聞かせるようにつぶやいて、意を決し城へと足を進めていった。
次回、「勇者と古竜」