第二十三話 記憶の鍵
戦いは終わった。
ソフィアをはじめとした天上人を恨んだイサーク元教官が起こしたマドリアドでの戦いは、双方痛み分けの形で一旦の幕引きとなった。
あの戦いの後に、四方から攻めてきていた軍を挟撃する形で他の町からの援軍が到着、劣勢になった軍は撤退。
軍は司令及び副官の死亡、3割以上が死亡あるいは捕虜となった。
マドリアド側は町の南方の五割の防壁と家屋が倒壊、ハンターの死傷者も数多く、継戦は困難となった。
戦いは夜に終わり、朝方まで救助者の救出にあたっていた。死者の遺体は広場に集められ、葬式をした後に一斉に燃やすらしい。
助かったのは町の大部分が石材でできており、燃えるものが少なかったため火事が起こらず、被害が大きくならなかったことだ。それでも代わりに家屋の下敷きになって亡くなったものも多くいる。喜ぶことは到底できなかった。
僕は今、人命救助に当たっている。夜通し作業をしていても到底時間も人も足りていなかった。僕は力持ちだし、何かしていたかった。
あの時、ソフィアからの贈り物をもらって気を失ったあと、人づてに顛末を聞いた。それが信じられなくて、信じたくなくて、そのままこうしてずっと作業をしている。
「ウィリアムさん、もう休んだらどうですか?ずっと動いてますよ。戦闘もしてたし倒れちまいますよ」
「大丈夫です。頑丈だけが取り柄なので」
「こっちはウィリアムさんがいれば助かりますけど、倒れられると困るんですが」
「僕は別に倒れてもいいですけどね」
「え?」
今話したのは南東付近で一緒に戦ったエイルラムさんだ。彼と今南東にほど近い、大砲の被害にあった地区にきて、捜索を行っている。
ここにだって短い間とはいえ、一緒に戦った仲間がいたんだ。休んでなんかいられない。ソフィアのように失いたくない。
思い出すと胸が痛くなる。その痛みを消すために、ひたすら手を動かす。ずっとこの繰り返しだった。
そして時間が過ぎて昼になると、声をかけられる。
「ウィリアム」
この町で呼び捨てにしてくる人は二人しかいない。
他の人は僕が活躍していることを知っていたり、単に親しくないといった理由でさん付けで呼ぶ。
そしてその声が女性のものだったので、あてはまるのは一人しかいない。
「アメリア」
「もうずっと働いてるでしょ。休まないと倒れちゃうよ」
「大丈夫だって、頑丈なのは知ってるでしょ」
「大丈夫じゃないよ、顔色悪いし、何も食べてない。このままじゃ死んじゃうよ」
その言葉を聞いて、いっそ死んでもいいと思ったが、さすがにこの場でいう気にはなれなかった。仕方ないから休むかと思うと、気が抜けたのかふらついてしまった。
「ちょっと!」
「少し足場が悪かっただけだから」
ふらついたのをがれきばかりの足場のせいにした。アメリアが怪しむが無視して近くの休憩できる広場に移動する。そこで配っている水や食料をもらい、乱暴に腹に押し込む。栄養補給が済んだのでまた立ち上がって現場に向かう。
するとそれを見たアメリアが咎めてくる。
「ちょっと!ちゃんと噛んでゆっくり食べなきゃだめよ」
「うるさいな、腹に入れば一緒だよ。すぐに戻らなきゃ」
「何言ってるの!ずっと動いてばっかりだったんだから休まなきゃだめだよ、部屋に戻ってゆっくり寝なきゃ」
「そんな暇ないよ。まだ埋まってる人がいるかもしれないんだ。助けなきゃ」
「もう捜索は十分に進んでるの!さっきのところだってあなたが抜けた分、他の人が入ったから大丈夫よ」
もう捜索は十分終わってるらしいので、仕方なく座りなおす。
することなく座っていると否応なく、考えてしまう。
ソフィアを守れなかったこと。そしてソフィアからの贈り物のこと。
そのどれもが衝撃的過ぎて、いまだに混乱している。現実を受け止めきれない。
彼女とはこの世界で気が付いてから、ずっと一緒だった。たった一年半しかなかった僕の人生には、いつだってソフィアとオスカーがいたんだ。
家族のように思っていたのに、これからもずっと一緒だと思っていたのに、もうお別れなんて、受け止めきれない。
オスカーはどうやって整理をつけたのだろうか。あの後、気を失って目が覚めてからもオスカーとは会っていない。悪い夢だったのだと思い込んで救助作業をした。
……彼に会ってみよう。
「オスカーはどうしてるの」
「あれからオスカーさんはずっといつもの宿にいるよ。ソフィアさんも一緒に……」
アメリアにオスカーの居場所を聞いて、すぐに宿へ向かうことにした。ソフィアの死が夢だったのだとわずかな希望を抱いて。
アメリアの宿はギルドの近くだったこともあり、無事だった。ただ大砲による振動などで窓ガラスが割れていたり、家財が壊れていたりしていた。それでも何とか寝泊まりできる状態だったのでそのまま宿として使わせてもらっているらしい。
宿へ歩いて向かっていると、アメリアもついてくる。何も言わずにそのまま歩く。
宿につき、オスカーと一緒に使っていた部屋に入る。
「オスカー……っ」
そして息をのむ。
そこにはうつろな顔をしてベッドに向かいあうようにして椅子に座ったオスカーと。
ベッドに寝かされていたソフィアの遺体があった。
「……」
声をかけるとゆっくりとオスカーがこちらを見るが、その顔はひどいものだった。こんなオスカーを見たことがなくて、そしてそれがソフィアが逝ってしまったことを強く僕に突き付けていた。
オスカーの顔はひどく泣きはらしていた。そんなオスカーとベッドに横たわっているソフィアを見ると、視界がにじんだ。
立っていられなくなり、ベッドにしがみつくようにして座り込む。そのまま僕はしばらく泣き続けた。
気が付くと眠ってしまっていたようで、窓の外は暗くなっていた。それでもオスカーもアメリアもそばにいてくれた。
オスカーに僕が聞きたくても聞けなかったことを聞く。
「オスカー、ソフィアは最後に何を言ってた?」
「……俺たちのことを家族だと思っていた。愛しているって」
その言葉を聞いてまた涙がにじんでくる。僕はこんなに泣き虫だっただろうか。
オスカーは僕を見て不思議そうな顔で聞いてくる。
「……ウィリアム、贈り物はどうだった?」
「……受け取ったよ。でもまだあけてない」
「そうか」
ソフィアからの贈り物。
確かに受け取った。でもまだ開いてない。正確には使ってない。
彼女は僕に今までとても欲しかったものをくれた。
でも彼女からの贈り物を使うのは正直怖い。オスカーの質問も僕の不安と一緒なんだろう。
僕たちのやり取りを聞いて、事情を知らないアメリアが聞いていいのか不安になりながらも質問してくる。
「あの、ソフィアさんからの贈り物って何ですか?」
「……僕にはね、記憶がないんだ。騎士として働く前のね」
「騎士として働く前?子供のころってこと?」
「そうだね、正確には一年半前までの記憶が一切ないんだ」
「え?……ど、どうして?」
「さあ、どうしてだろうね。僕にもわからないんだ……だからかな、ソフィアは失った記憶を取り戻す術を、僕にくれたんだ」
どうして僕には記憶がないのか、どうして僕は異常に力が強いのか、どうして魔法が使えないのか。どうして僕が天上人の一員なのか。
記憶があれば全部の謎が解けると思っていた。だから記憶を取り戻す方法をずっと欲していた。それをソフィアはかなえてくれたのだ。
魔法を使えるとはいっても、脳なんてとても複雑で記憶の復元なんて尋常じゃない。それでも彼女がその方法を作り出せたのは、前の世界の知識とこの世界での努力が実を結んだからなのだろう。
彼女は最後に僕に、とっても凄い贈り物をしてくれた。とても短剣なんかじゃつり合いはとれない。
「じゃあ、もう記憶を取り戻したの?」
「いや、まだだよ」
「どうして?」
……どうして、か。これは記憶を失わないとわからない。
「怖いんだよ。自分が自分じゃなくなるのが、怖い……記憶を取り戻しても、たった一年半の記憶しかない僕じゃ、20年近く生きた、前の世界の僕には勝てないよ。きっと今のままではいられない」
オスカーがさっき聞いてきたのはこの懸念があるからだ。
もし僕が変わってしまったら、オスカーやソフィアのことなんて知るかと思うかもしれない。たった一年半ほどの友人なんてと思うかもしれない。
でもそのたった一年半が、僕にとってはすべてだった。
たとえかつての僕でも、それだけは踏みにじられたくない。
「そうかもしれないな。でもなウィリアム、お前は記憶を取り戻せ。きっとそれがソフィアの願いだ」
「どういうこと?」
「ソフィアはお前に記憶がないことを不安に思っていること知っていた。脳科学者だったから、その辺については俺よりもよほど理解があったんだろうよ」
「そうかもしれないね」
「そんな彼女が長い時間かけて完成させたんだ。使ってやれよ。嫌な記憶だったらまた消せばいいんだよ。お前は深く考えすぎるところがあるけどな。世の中、ぶつかればなんとかなることもあるんだぜ」
オスカーらしい、後先をなにも考えてない。
でも時にはそういうのがやっぱり必要なのかな。
……そうだ、ソフィアが僕のためにくれたんだ。
「……わかったよ。今晩にでも使うとするよ」
「ああ、そしたら今後のことを話そうぜ」
そういうとオスカーはソフィアの身体をもって外に出る。
葬儀に向かうのだろう。僕とアメリアも向かう。
ギルド前の広場ではすでに多くの遺体が並んでいた。その中にソフィアの遺体を並べる。
神官らしき人が口上を唱え、祈る。そうして周りの人も片膝をつき、握った手を額に当てて死者の冥福を祈る。
目を閉じて、祈る。どうか、彼女が安らかに幸福に逝けますように。
――ソフィア、いままでありがとう。あなたは僕の家族、お姉ちゃんだったよ。僕、幸せだったよ。
数えきれないほどの感謝と後悔を、もうここにはいない彼女に送る。
祈りを終え、並んだ遺体を荼毘に伏す。
多くの人が泣いている。多くの人が声を上げている。つらい、光景だった。
次回、「怒りと決意」




