第十五話 魔人
『どうした嬢ちゃん。ずっと不機嫌そうな顔をして。まあ理由はわかるけどな』
「なんであいつは1人で戦おうとするのよ。いつもいつも」
『心配なんだよ。嬢ちゃんを始めとしたみんなを死なせるのがさ』
「そうかもしれないけど……」
ウィルベルは自室にこもり独り言をつぶやいていた。
否、左手の指にはめられた橙色に光る宝石を嵌めた指輪と会話していた。
唯一声が聞こえるウィルベルに話すたびに、指輪の輝きは僅かに明滅していく。
『でも実際に竜なんてとんでもないぞ。あの兄ちゃんが言う通り、数を当てても意味がない。それこそ図抜けた英雄が何人もいないと話にならないからな』
「ならなおさら一人で戦わせるわけにはいかないじゃない。あたしだって、すっごく強いのよ。なんならウィルにだって勝てる自信はある。足手まといになんてならないし、役に立てるわよ」
半ば怒りながら言う事実。
しかし――
『無理だな』
指輪に宿ったリカルドは、その事実を否定する。
断言されると思わなかったウィルベルは、その言葉に思わず固まる。
リカルドは丁寧に説明する。
『いいか嬢ちゃん。古竜ってのはな、その肉体ほぼすべてがマナで構成されてんだ。だから当然、竜は魔法を使う。どれくらい高度な魔法を使うかは知らないが、ブレスなんかはいい例だ。とんでもなく強力だし、風も土も水も全部が災害級の高度な魔法を使うと考えたほうがいい』
「で、でもあたしだって魔法が使えるし、防ぐことだって――」
『無理だな。魔人ですらない嬢ちゃんに竜に攻撃を加えることは不可能だ』
魔人とは身体の多くがマナで構成されるようになった人間のことを指す。
そして竜はその魔人と同じく、体のほとんどがマナで構成されているため、敏捷で高い魔力を持ち、かつ魔法に対して高い適性と耐性を持つ。
『いくら嬢ちゃんが周囲のマナを魔法に変えて竜にぶつけても、竜に魔法が近づいた瞬間にマナに還元されてそよ風みたいになっちまう。一方で竜が放った魔法はどんなに初級レベルの魔法でもとんでもない威力になる。嬢ちゃんはそれをひたすら魔法を使って防がなきゃならない。向こうはノーガードで派手な魔法。こっちは一度でも防御をミスればお陀仏でちんけな魔法。勝てるわけない』
「でもそれじゃウィルだって――」
『あの兄ちゃんは魔法に頼った戦い方なんてしてないだろ。槍も剣も使えるし、盾を浮かして魔法でただ防ぐよりもずっと強い防御ができる。何よりクララがいるからな。兄ちゃんの技量とあの槍があれば、竜麟の守りだって貫けるだろ。そう考えれば、竜の気を引けて攻撃も防げる、勝てずとも互角に戦えるのはあの兄ちゃんしかいない』
ウィルベルは指輪をはめた左手を右手で強く握りしめる。
ぎりりと歯を食いしばる。
「どうしたら魔人になれるの……」
『……あまりおすすめしないぞ。寿命が長くなるってことは人間やめるってことだ。周りは老いて死んでいくのに自分だけ残される、同じ時を生きれないなんざ、辛いことこの上ない』
リカルドは魔人になろうとするウィルベルを止める。
彼に人間だったころの記憶はほとんどない。
覚えているのは人や物といった固有名詞に知識や技術といったものだけで、エピソード記憶は持ち合わせていない。
それでもリカルドは、何か深い思い出の元、忠告した。
しかし、それがかえってリカルドが魔人について知っている証左となった。
「なにか知ってるのね。教えなさいよ」
『なんでそこまでするんだ。落ち着いて考えろ。竜は別に嬢ちゃんたちを狙ってるわけじゃないんだろ。ここに来るまでにわざわざ人がいるところを避けてきて被害はなかったんだから、今回だってそうなる可能性は高いと思うぞ』
「知らないの? 軍人たるもの常に最悪を想定すべしって」
『軍人らしくない嬢ちゃんに言われてもなぁ』
「うぐっ」
自覚があるウィルベルは言葉を詰まらせる。
時間にも規則にもルーズなウィルベルは、自分が軍人に向いていないことをとっくに知っていた。
直属の上官がウィリアムだからこそ彼女は軍人としてやっていけているが、他の部隊であれば彼女の行動は問題である。
ウィルベルは一度ため息を吐いて、再度リカルドに願う。
「竜が襲ってこないにしても、あたしは魔人になりたいの。聖人でもいいけど、あたしは魔法使いだから魔人になりたい」
『聖人でもいいってなんだよ。何が目的で聖人や魔人を目指すんだよ』
彼女が魔人を目指す理由。
それは、力ではなく――
「寿命が欲しいの」
何か、別の願いだった。
『なんだ、もう老化を感じてるのか? 大丈夫だって! 嬢ちゃんは老けどころかすごく若い、ていうか幼い! 胸もないし!』
「砕くわよ」
ウィルベルは左手を握りしめ、壁にぶつける構えをとる。
『タンマ、それはなし! 胸はある! ナイスバディだ! 大人びていて超綺麗!』
「嘘をつくなー!」
『どうすりゃいんだよ!?』
一頻り暴れた後、毒気の抜かれたウィルベルは息を吐きだし、膝を抱える。
『それでどうして超人になりたいんだよ。寿命が延びたっていいことないっていったろ?』
「そうね。それはわかるわよ。あたしだって、周りの人だけ歳を取って見送るだけなんて嫌だもの」
『それじゃあなんでだよ』
「だからなるのよ」
『はい? わからん。嬢ちゃんMか?』
「残念ね、あたしはSよ。どっちかといえばね」
ウィルベルは左手薬指の指輪を撫でる。
とても愛おしそうに。
「今のままじゃ、あいつはまたひとりになっちゃうもの」
『……』
ウィルベルは、朴訥に語りだす。
「約束したの。世界を超えて、世界を変えて。全部終わらせたら一緒になろうって。でも今のままじゃあいつはまた一人になっちゃう。あいつを置いて、あたしが先に逝っちゃうもの」
『自分と同じ苦しみを味わってほしくないって思うかもしれないぞ』
「そんときは言ってやるわ。あんたをずっと一人にするなんて苦しみを、あたしにずっと味わわせるつもり? って。……あいつはこの世界に家族も何もいなかった。1人だったのに、みんなのためにここまでずっと戦ってきた。今だってそう、また一人で戦おうとしてる。だからせめて、あたしはあいつの横にいたい。ずっと迷惑をかけてきたから、今度はあたしが支える番。あたしがいるよ、ずっと一緒だよって」
指輪に1つ涙が落ちる。
「あいつの隣に立って、愛してるって言いたいの」
瞳に浮かんだ涙を拭って、ウィルベルは指輪に向かう。
「だから早く魔人になる方法を教えなさい。若くてピチピチで可憐な状態なら皺ができるまで時間が稼げるもの!」
『それが本音じゃないだろうな! ちょっと感動した俺の気持ちを返せ!』
「教えなさいよーー!」
『わかったからぶんぶん振るな! 気持ち悪い!』
指輪に対して数々の嫌がらせをしていたウィルベルはその言葉を聞いて大人しくなる。
リカルドは息をしていないにもかかわらず息を整える。
『そうはいっても魔人になる方法なんて知らないんだ。気づいてたらなってるもんだからな』
「え、そうなの? 気づかないものなの?」
『そうだよ。魔法使いじゃないとわからないからな。昔は結構いたから魔人になったことはわかるけど、どうやってなったかなんて実はよくわかってないんだ』
昔は魔法使いが多かった、という事実にウィルベルは驚く。
「昔も魔人は少なかったの?」
『いや、昔は聖人よりも魔人の方が多かったぞ。魔法を使えないやつでも魔人になるし、逆に魔法を使えても魔人にならないやつもいる。魔法の有無は魔人になるのには関係ないんだ』
ウィルベルは頭を抱える。
「そういえばお母さまもお婆様も多分魔人なのよね。里を出たときは気が付かなかったけど、今思えば絶対そうね」
『そういや嬢ちゃんはどこ出身なんだ? ファグラヴェールは最後はどこに行ったんだ?』
「あんたの言っているファグラヴェールが誰かは知らないけど、あたしの家系はみんな里にいるわ。雲の上の。具体的な場所はちょっとわからないけど」
『どうやって来たんだよ』
「転移でちょちょいって」
『魔法使いって頭いいのか馬鹿なのかわかんないな』
指輪にもかかわらず溜息が聞こえてきそうなリカルドの声。
ウィルベルは魔人になる方法がわからずに途方に暮れ、ベッドの上に大の字に寝そべる。
「……また大事な時にあたしはいられないのかしら」
『確証はないけど、一つだけ魔人になる心当たりがあるぞ』
「ほんと!?」
寝ていた体をすぐさま起こして左手の指輪に詰め寄る。
『んん~どうしよっかな~教えるのやめよっかな~』
「何よ今更もったいぶらないでよ」
『じゃあリカルド様よろしくお願いしますにゃって言ってくれ』
無言で左手を振りかぶる。
『ああ! 嘘嘘! 頼むから壁にぶつけるのはやめてくれ!』
「いいからとっとと答えなさい」
『わかったよ、こほん』
指輪なのに咳払いするんだ、とウィルベルは内心思いつつ、黙って待つ。
『魔人になる方法……それはずばり! 魔物の肉を食うことだ!』
「……は?」
『だってそうだろ? 人間は食ったもんが体になるんだから、体をマナにしたきゃマナを食えばいいじゃないか。魔物は竜ほどじゃないが体の一部がマナでできているから、たくさん食えば魔人になるはずだ!』
自信たっぷりなリカルドに対し、ウィルベルの目は徐々に細まっていく。
「なにその脳筋みたいな考え。聖人はそんな方法じゃなれないわよ」
『そりゃ聖人の神気は食えないからな!』
心底愉快といいたげに、指輪の光が明滅する。
「今まで飛竜とか地竜とかのお肉は何度か食べてきたんだけど」
『結構大物を食ったな! でも魔物は体の一部だけしかマナになってないからな。その分魔法はブレスとかしかなくて狩るのも楽だけど、たくさん食わなきゃ意味ないぞ』
「どれだけ食べればいいの?」
ウィルベルは具体的な数字を求めると、
『そうだなー。飛竜とか地竜なら50体くらい?』
「多っ! そんなに飛竜も地竜もいないわよ! それにそんなに食べられないし!」
リカルドの答えに、ウィルベルは目を剥いた。
『一気に食えってわけじゃないぞ。毎日ちゃんと続けることが大事なんだ。あとは体の再生を促すために体を鍛えるといい。すると筋繊維が切れてその修復のために食ったものを使うからな。だからちゃんと毎日魔物の肉を食って体を鍛えるんだ』
「なんか健康教室みたい。騙されてないわよね」
まるで騎士を目指す少年を鍛えるようだと、ウィルベルは若干の疑いの眼差しを向ける。
『だましてないだましてない。実際昔は魔物を狩ったら大体食ってたんだ。今は魔物がだいぶ減ったみたいだけど。悪しきものどもは魔物で味は最悪だが一応食えるからな。戦った傍から食ってたんだ。目の前も口の中も最悪だったな』
「うえ、聞きたくなかったわ」
舌を出してうええというウィルベル。
しかし以前ウィリアムに食べさせられた飛竜や地竜の肉は美味しかったなと思い出す。
「魔物っていっても味はやっぱり違うのかしら」
『おっ、やる気出てきたな。魔物の中でも竜種はどれもうまかったな。基本的に強い竜種はうまいっていう俺の中では決まってるんだ』
「へえ、そう……ねえ、古竜って美味しいのかな」
少しずつ彼女の口が緩みだす。
『多分、絶品じゃねぇかな』
「一部だけでも剥ぎ取らせてくれないかしら」
『土下座でもしてみようぜ』
本題から逸れ始めたお調子者2人は雑談を続けた。
やがてウィルベルはベッドに横になり、意識を手放す。
『こんな少女に酷な決断させるとは、ウィリアムは罪な男だねぇ』
ウィルベルが眠りについても神器であり人の体を失ったリカルドは眠ることがない。
彼は自分の持ち主の意志を明確に感じ取ることができる。ウィルベルがリカルドの感情を強く感じる以上にリカルドは彼女の意志を理解していた。
『フリッグ。もしかしたら俺とお前もこの2人のようになってたのかな』
彼の言葉は誰にも伝わることなく消えていった。
次回、「壊れかけの籠」