第十四話 大地の白神
会議室。
円卓を囲うのは師団長ウィリアムと参謀長アグニータを始めとした師団の幹部達。
ウィルベル、カーティス、ヴェルナー、ライナー、シャルロッテ、エスリリ、アイリス、ヴァルドロ、ルシウス、ジュウゾウ。
計十名。
そしてウィリアムの後ろには、報告に来たドワーフのハルヴァルが全員に手渡された竜に関する報告書を読み上げる。
「……以上のことから伝承に謳われる古竜《大地の白神》であると断定。現在は大陸南東付近でこちらに向かっています」
「ということだ。各員には事前に指示を出した通りに、兵の撤退と住民の避難を最優先にしろ。戦おうと思うな」
話を聞いたウィルベルが手を挙げる。
「いいかしら」
「なんだ」
「その《大地の白神》? って、どんな竜なの?」
ハルヴァルが報告書をめくり、説明する。
「《大地の白神》、それは大陸各地に伝わる各国の創立に関わる物語に必ず登場する竜であり、数千年の時を生きた古竜とされ、その力は神々に匹敵すると言われています。強力無比な古竜の中で《大地の白神》は浄化の炎を司り、その咆哮は大いなる戦の前触れ、世界の危機に姿を現すともいわれています」
「灼島に伝わる言い伝えではかの竜は我ら竜人の祖。我らの島の火はすべてその竜から生まれたとされている。太古の昔にエルフの英雄と結ばれたのちに、息子である竜人と戦い倒れたとされていたが……」
ハルヴァルの説明に補足する竜人族のジュウゾウ。
しかし、
「どうして息子と戦ったのよ」
「さてな! 俺は伝承についてはさっぱりだ!」
彼は武芸にかまけてばかりのジュウゾウにウィルベルは呆れの視線を向ける。
一頻りの基本情報を共有したところで、ウィリアムが方針を示す。
「とにかく竜は長く生きた個体ほど強く賢い。当時はまだ古竜まで至っていなかったが、それでも伝承に残る竜の戦いはどれも人に成し得るものじゃない。いくら装備と部隊を整えても有象無象じゃ竜には勝てない」
「つまり逃げると?」
ジュウゾウの問いに頷く。
「そうだ。本当にあの竜が伝承通りなら、積極的に人を襲うことはないはずだ。ここに来るまでどうやらどこの国も被害は受けていない。ここもその可能性がある。どのみち軍として戦っても勝ち目はないなら、やり過ごすしかない」
彼の方針にジュウゾウは不満を覚える。
「随分と弱腰だ。大陸の英雄殿ならば竜とて相手にできるのではないか? 聞けば強力な神器を自らの槍に仕立て直したらしいではないか!」
漏れ聞く噂でウィリアムが新たに神器を手に入れたことを聞き、にもかかわらず戦おうとしないことが不満だった。
自らが従う将にふさわしくないと。
だがウィリアムはジュウゾウが言外に含むその意を理解しながらも、一笑に付す。
「だからなんだ。神器1つでなんにでも勝てるなら竜人の王であるレイゲンはとっくに大陸制覇を成し遂げているだろう。神器はたかが一つの武器でしかない。だが相手は竜。全身が武器だ。よしんば勝てたとしてもこちらに大きな被害が出ることは免れない。たかが見栄や意地のためにその被害を出すことを許容しろとでもいうのか?」
「だが仕留めることができれば大陸の平和につながる。それは被害が出たとしても見返りが取れるほどの偉業ではないか! ここには大陸最高の軍、そして英雄がいるのだ。十分に勝つ見込みがあると思うのだが?」
「気に入らないな」
ジュウゾウの言葉にウィリアムは怒気を放つ。
大きな声を出したわけでもないのに、全員がびくりと体を震わせる。
「被害が出たとしても見返りがある? 被害に遭ったものたちは生き残った連中がいるなら死んでもいいなんて考えると思っているのか? 大陸の平和のため? それなら大陸中の連中も戦わせるべきだ。俺たちが犠牲を出して行う必要はない」
「本気で言っているのか!? 大陸の平和を願うアクセルベルク軍人だろう! ならば命を賭して戦うべきではないか!?」
ジュウゾウが食い下がる。
しかし、
「なら一人で戦って死ね」
ウィリアムは突き放す。
「戦いの勝敗を決めるのは準備だ。不意遭遇戦など避けるべきことだ。ましてや相手は歴史上でも前例のない古竜。そんな相手に無策で戦いを挑むのが平和のためだと?」
ウィリアムの周囲のマナが震える。
聖人である彼の神気が怒りに満ちる。
「本当に大陸のために竜を討つならば万全を期すべきだ。それは決して今のような唐突な襲撃でぶつかることじゃない。今は耐え、準備を整える時だ。いいな」
「……承知いたし申した」
ジュウゾウが引き下がる。
ウィリアムの怒気が収まるとその場の者は、ほっと小さくいきを吐いた。
その後はウィリアムが方針と指示を出し、各連隊長が仕事を分担する。
飛行船使用の際は、超低空を飛行することを条件に本国との連絡を計り、竜が襲来するまでの間に、師団はもちろんのこと、占領したグラノリュース国民全員への避難指示を徹底させていく。
「竜が来ても、こちらから手を出すことは厳禁だ。襲われた場合のみ応戦を許可する。その判断はこの場にいるみんなに任せる。だが最優先は避難だ。勝とうなんて考えるな」
「ですが相手は空を飛びます。逃げることは難しいのでは?」
「そうだな。その場合殿は俺が務める。独立部隊員はその補助だ。あくまで遅滞戦闘にとどめ、兵や住人の避難だ」
たった一人で立ち向かう。
そう言ったウィリアムにアグニータは目を剥いた。
「危険すぎます! 1人で竜の相手をするというのですか!?」
「竜相手に数を当てても無意味だ。飛行船の火砲も恐らく当たらない。余計な被害を出さないためにはもうこれしかない」
アグニータは押し黙る。
彼女自身、竜の被害を抑える方法は見つからない。
空を自在に飛ぶ相手への攻撃手段を持つ人間など、ウィリアム以外には1人しかいない。
「あたしも戦うけどいいわよね?」
しかし、そのもう1人の助力すら、ウィリアムは拒否する。
「前に出て戦うのは俺だ。ベルは竜の攻撃から避難している連中を守れ。魔法が使えるならできるだろ」
「そんなの他の部隊員でもできるでしょ。あたしだって空を飛べるんだから戦った方がいいに決まってるじゃない」
「竜相手に生半可な魔法は効かないぞ。それは竜人相手に十分わかってるはずだ。魔法しか使えないお前じゃ無理だ」
「気を引くくらいできるわよ!」
「いらん!」
怒鳴るウィリアム。
ウィルベルは顔の白い肌を真っ赤にして椅子から立ち上がって抗議する。
「一人で戦って生き残れると思ってるの!?」
「2人で戦っても変わらん!」
なおもウィルベルは食い下がろうとするも、ウィリアムが言い放つ。
「団長命令だ。聞き分けろウィルベル」
「……ッ!」
ウィルベルは下唇を噛みながら椅子に座る。
それを見たウィリアムは、今度は穏やかな声で安心させるように言った。
「死にに行くつもりはないよ。生きるためにやってることだ」
そうして、乱然とした論争に満ちた会議は終わる。
船の中でも外でも、穏やかな空気は一切流れることはなかった。
◆
竜が来るという知らせを受けて3日。
兵士たちは聞き分けがいいが、もともとこの国に住んでいる住民、特に上層に住んでいた住民の避難に反抗する意志は強かった。
「なんで俺たちがここから出ていかなくちゃならないんだ! でていくならお前たちだけ出ていけ!」
「そうよそうよ! この侵略者たちが!」
「わしらは断固としてここを動かん! 平和を守ってくれたグラノリュース王の築いたこの町で死ぬんじゃ!」
自分たちの家の前でバリケードまで築いて座り込みをする大勢の上層民たち。
上層の連中の俺たちに対する敵対心が強い。
そりゃそうだ。
彼らは中層以下のことを碌に知らずに、大して働きもせずに上流階級の暮らしを送ってきた。
そんな何も知らない裕福な彼らにとって、それを乱した俺たちは悪者だろう。
自分たちが毎日使ったり食べたりしているものは、誰が作ったものでどうやって運ばれてきたのかも知らないで、この国は素晴らしい、お前たちは悪者だとのたまう。
……反吐が出る。
自分たちのために幾人もの人間が苦しんで命を落としているのに、それを知ろうともせずに当然だと思っているのだから。
そんな上層の住民に対して、アクセルベルクの兵士たちはたじたじだ。
竜が来るから逃げろと言っても、俺たちを信用していないようで略奪をすると考えている。
竜が来るのにそんなことをしても意味がない。
そもそも避難先に俺たちが自腹を切って食料やらを用意しているのだ。
そんなことも考えない連中に時間を割くのはもったいない。
でもやらないわけにもいかない。
「竜なんか来るわけないだろう! でたらめ言うな! とっとと出ていけ!」
「矮小なドワーフなんかがこの町に入ってくるな! 野蛮な竜人だって同じだ! 帰れ!」
「死ね! あんたたちのせいで旦那は死んだのよ! 死んじゃえ!」
沸騰しそうになる頭を抑えて、座り込んで抗議している集団の前に出る。
そのとき、上から声が聞こえた。
「はいはーい、そこまでにしてくださーい」
とても軽い口調の声と共に、目の前に細長いものが地面に突き刺さる。
どこか見覚えのある槍。
そして、少し遅れて男が一人、上から降りてきた。
着地の際には音がしない。
衝撃をうまく吸収していることからかなり腕の立つ人間だ。
「ほら、皆さん避難しましょう。ここにいても何もないでしょうに。この人たちが信用できないというなら私たちを信用してくださいな」
飄々としたその声の主は、エドガルド。
『双星』の異名をとる天導隊の生き残りだ。
「エドガルドさん! こんな奴ら追っ払っちゃってください!」
「そうです! エドガルドさんなら一瞬よ! 天導隊なんだからこんな背の小さな弱いドワーフなんか!」
地面に突き刺した槍を回収したエドガルドは、俺達に背を向けて住民たちに向き合った。
住民を説得しようとしていることから敵ではないようだ。
まあ彼が敵だと思っていたわけではないが。
彼も住民の避難に積極的に協力してくれるらしい。
「彼らに悪気はありません。むしろ皆さんのことを思ってくれてるんです。ほら、略奪されないか心配なら、私と弟子が皆さんの家を責任もって守りますから、近くの避難所に行きましょう」
「でも!」
「この国の兵士が信じられませんか? 大丈夫! たとえ盗まれたって責任もって皆さんが満足できるように食事や物資はご用意しますから!」
「……そこまでいうならあいわかった」
「エドガルドさんがそこまでいうなら」
エドガルドの説得で集団で抗議していた住民はしぶしぶと腰を上げ、立ち去っていく。
随分と信用されている。
彼のひょうひょうとした態度はある意味余裕の表れなんだろう。
聖人だし、かなり年齢を重ねているだろうから、積み上げた実績と信頼があるということか。
抗議していた住人が散ったことで、アクセルベルクの兵士たちも安堵してそれぞれの持ち場に戻っていく。
「ん? おっ坊主じゃねぇか! 元気か?」
エドガルドは振り向き、一人残った俺を見つける。
「ああ、機嫌は悪いけどな」
陽気な声に、適当に返せば、彼も困ったように肩をすくめた。
「坊主の立場からしたらいいことではねえわな。竜なんか長いこと生きてるが、お目にかかったことがねぇ。どうすりゃいいか俺にもわからん」
「長年生きてるのに?」
「こりゃまた手厳しいね。そうだな、長年生きててもわからないことや知らないことは山ほどある。こうして坊主が城を飛び出して軍を引き連れやってきて、国を落としたあとに、こうして竜からこの国を守ろうとしてるなんて、わかるわけないじゃんか」
「……」
別にこの国を守りたいわけじゃない。
見捨てていいなら見捨てていく。
だが立場というものがある。
占領したらしたで、果たすべき責任というものがある。
ここで住民をすべて見捨てたら、追われることは確実だ。
そうでなくても非難を受けて、今後の統治に問題が出る。
でもだからといって、師団全体で竜と戦うわけにはいかない。
被害がでかすぎる。
だから一人でいくしかない。
悪いが、まだ師団長の地位を降りるには早いんだ。
「あそこに建てられた避難所。竜相手に持つのかい?」
エドガルドが少し離れたところにある、上層の壁際に建設された避難所を指さした。
知れたことを聞いてくるエドガルドに肩をすくめる。
「さあ? 竜がどれほどのものかわからないからな。現状で建てられるシェルターとしては最高のものを作らせた。あれでダメならみんな死ぬだろうさ」
「まあそうだわな。んま、とにかく上層の住民に関しては任せなよ。きっちり指示通りに避難させるからさ」
「よろしく頼む。……そうだ一つ聞きたいんだが」
「なんだい」
立ち去ろうとするエドガルドを呼び止める。
「アティリオはどこだ?」
その質問にエドガルドは応えなかった。
飄々としたエドガルドもこの質問には困ったようだった。
歯の奥に何かが引っかかったように――
「坊主が思っている通りのことさ」
「……そうか」
そういって、エドガルドは両手の槍を弄びながら去っていく。
俺は自分の体を抱きしめて、視線を落とす。
……嫌なことばかりだ、この世界は。
この体の持ち主も、きっと同じ気持ちだったんだろう。
次回、「魔人」