第十三話 生きてくれれば
父と並んで、基地から少し離れた位置にあるマドリアドを訪れる。
今は仮面を斜めに被ることもせずに外しているから、仮面がトレードマークだった俺に気づく人間はいない。
街を散策しながら話すのは、当然先ほどのこと。
「なんか難しい話してんのな。いまいちわからんかったわ」
この世界に来たばかりの父には、いきなり神器だのなんだのの話なんて分からなくても仕方ない。
「さっきの話は俺でも理解が追い付かないからそんなもんだよ。父さんは気にせずのんびりしてればいいよ」
「そうはいってもなぁ。ここにいてもやることないし。結局帰れないのか?」
「なんとしてでも帰る方法は見つけるよ。父さんだけでも帰らなきゃ、母さんも姉さんも心配するし悲しむよ」
家族二人もずっと寝たきりじゃあ、残った家族じゃやっていくのも難しいだろうし、絶対にどちらかは帰らなくてはいけない。
「おまえはどうすんだい。帰る方法を見つけてもここに残るのか?」
少し、答えに窮した。
「……帰るよ。ちゃんと帰る。この世界にいるべきじゃないと思うしね。父さんがボケたら誰が世話すんのさ」
「なんの、まだ数十年はボケんわ」
久しぶりに軽口を叩きあう。
この感じがとても懐かしい。
やっぱり家族ってのはいいもんだ。時折うざいがだからこそ気兼ねなく接することができるし。
「そういえば俺が倒れてからどうなったの?」
「意識不明で回復の見込みがないって聞いたときは大変だった。母さんは泣いたり怒ったりだったし、学校をどうするかもすごくもめたんだ。結局一年経った時に学校は退学することになった。あとほんの少しで卒業だったのにごめんな」
「いいよ、仕方ないことだし」
わかっていたつもりだけど少しショックだ。
もうあまり覚えていないけど、研究も頑張って論文もほとんど仕上がってあとは発表するだけだった。
成績もがんばって上から数えるほうが早いくらいだったのに退学。
経歴的には高卒か。結構キツイな。
「俺もう26だよ。それなのに無職で職歴なし。これは帰ってからが大変だね。また大学入りなおさなきゃ」
笑って冗談にする。
父さんだって母さんだっていろいろ考えてくれただろうし、学費だって払ってくれた。治療費だってあるし仕方ないことだ。
だけど、俺が笑っても、父さんは微妙な顔をしていた。
「ここに残ってもいいんだよ」
「え?」
放たれた言葉に、思わず聞き返す。
「だからここに残ってもいいって言ったんだ。向こうに戻っても大変なことばかりだし」
「でも、それじゃあ母さんたちが……」
「母さんも上の姉ちゃんももう子供じゃないんだ。心配はしてるし悲しむだろうけど、それなら父さん一人帰って事情を説明すれば大丈夫。帰ってこいって怒られるかもしれんけど、そんときゃこっちでなんとかしたる」
「でも――」
「会いたい気持ちもわかるけど、こっちの世界の人たちだっていい人ばかりじゃないか。みんなお前を慕ってるし、お前も大事に思ってるんだろ? 向こうに言ったら二度と会えないんだし、経歴に傷がついた前の世界よりここの方がよっぽど幸せに生きれるぞ?」
否定したくて、首を横に振る。
「経歴とかそんなことどうでもいいよ。みんなに会いたいもの」
「向こうに戻ったら、今度はこっちの世界の人に同じことを思うに決まってる。往復できればそれが一番いいんだろうけどな。ここの人たちだってみんなお前に会いたがる」
買いかぶりすぎだ。
俺に会いたいなんて奇特な奴はそう多くない。
そいつらだって何十年と生きれば俺のことなんて忘れるだろうに。
何よりこの世界の人間じゃない俺がここにいるのはふさわしくない。
うぬぼれるわけじゃないが、飛行船のように時代に合わない開発をしてしまうかもしれないから。
「まあ、いますぐ帰れるわけじゃないなら結論は急がないけどな。ただ覚えて欲しい」
「なにを?」
「どこにいても、たとえ会えなくても、お前がちゃんと生きて幸せになってくれれば、父さんも母さんもそれで満足だよ」
「っ……」
歩いていた足が止まる。
「だからあまり危険なことはしないでくれ。無理に帰ろうなんてしなくていいから、ちゃんと自分の人生を生きてくれ。家族を想ってくれるのはうれしいけど、一番大事にするのは自分の人生だぞ?」
その言葉は鋭い大きな棘となって、深く心に刺さった。
俺は今まで、自分のことだけ考えて生きてきたつもりだった。
この世界の人間なんてどうでもいい、自分のために生きるんだと。
元の世界に帰ることが、家族のために生きることが、自分のためになると思ってきた。
でも俺は、ちゃんと自分の人生を生きてるだろうか。
楽しいとか幸せとか考えずに、ただ帰るために無心でここまで来た。
それを父さんと母さんは望まないのだろうか。
……どうしたらいいのだろうか。
よくわからなくなってしまった。
まただ。
この国に来てからずっと、何をしたらいいのかすぐにわからなくなる。
「父さんはここにきて日が浅いから帰りたいけど、もしそれが難しいなら仕方ない。人生諦めも肝心だぞ? まあまだ若いから頑張るのはいいけどな!」
「それでいいの?」
「そうするしかないならそうするだけさ」
そう言って父さんは再び歩を進める。
遅れないように俺も歩き出す。
胸に突っかかりを覚えながらも、その後はマドリアドを案内した。
今は仮面を斜めに被ることすらしていないから、誰も俺とはわからない。でもこの町には、唯一俺が仮面をする前を知っている人がいる。
偶然にも、そのオスカーやアメリアに会った。
相変わらず2人は仲良くやってるようだ。
父を紹介すると驚いて、そして再会したことを祝福してくれた。
「お父さんと会えたんだね。おめでとうウィリアム」
「よかったじゃないか。グラノリュースも倒したし、あと少しで帰れそうじゃないか」
「ああ、うん。まあそうだね」
純粋に喜んでくれる2人に曖昧に笑って答える。
父との再会はできれば元の世界でしたかった。この世界でしても嬉しいが、それ以上に元の世界で父の凶報を表すから。
まあでも死んでるわけじゃないならまだいい方か。
「こいつの父です。どうもよろしく」
「えと、ウィリアムの元先輩です。今はハンターやってます」
「私はこの宿屋の娘でアメリアです。ウィリアムとは仲良くしています」
「そうですか、息子がお世話になったようで。ご迷惑をおかけしませんでした?」
「とんでもない、俺たちが迷惑をかけてる側です。先輩だなんていいましたけど俺よりよっぽど立派で教えることなんて何もないですから」
……なんか気まずいというかむずがゆい。
親と友人じゃ当然接し方が違うから、それを見られるのが恥ずかしかった。
できるだけ黙っていよう。
しばらく3人は話続け、適当なところで切り上げた。
どうやらオスカーとアメリアには用事があるらしく、ギルドの方へ歩いていった。
「気のいい人たちじゃないか」
「まあそうだね。少し前まで疎遠だったしいろいろあったけど、2人がいい人だからおかげでまた仲良くなれたよ」
本当に、二人はいい人だ。
幸せになってもらいたいもんだ。
「そういえば名前、どうしてウィリアムなんだ?」
父が聞いてきて、ようやく思い出した。
ウィリアムと名乗っている理由を言ってない。
「ここに来たとき、どういうわけか記憶がなかったんだ。自分の名前も覚えていなかったときに、周りからウィリアムって呼ばれたからずっとそのまま通してる。まあ、前の世界とこの世界では別人ってことで」
気が付けば日が傾いていた。
もう基地に戻らなければ、帰ったときにはもう暗くなっているだろう。
もう季節は春の中盤で、大陸の南に位置するグラノリュースは暑いくらいだ。それでも今日みたいに晴れた日の夜は冷える。
早く帰るとしよう。
◆
また数日が流れて、戦争が終わってから3週間がたったころ。
本国との連絡を行う飛行船の第二便が基地に帰ってきた。
今回、執務室に報告してきたのはハルヴァルというドワーフだ。
一度レオエイダンで悪魔退治に出かけたときに、俺たちが乗る船の通信兵として一緒だったドワーフだ。
ひげを短く切りそろえた好々爺然としたハルヴァルだったが、このときだけは顔に酷い皺を刻み、険しくしていた。
「悪い知らせがございます」
「悪い知らせ?」
身構える。
「灼島から出たとされる竜がこちらに向かっているとの報告がありました」
「なんだって? 灼島からここに来るまでは途中にユベールやアクセルベルクがあるはずだ。もう墜ちたのか?」
最悪の事態かと浮足立つも、ハルヴァルは首を横に振る。
「いえ、竜は目覚めた後、エルフですら立ち入らないようなユベールの最奥の森にしばらくいたようでした。その後はユベールから回り込むようにしてグラノリュースに向かっているとの報告が」
ハルヴァルが机の上にある大陸図を指さしながら竜が通るルートを示す。
竜人が住まう灼島は、南北に細長い大陸本島と海を隔てた北東にある。
アクセルベルクがある本島の海を挟んだ東、灼島の南にはエルフの国ユベールがある。
実はユベール、国土のほぼすべてが深い森に覆われており、森の民であるエルフですら未開の地が大半だ。
その未開の地に灼島に封印されていた竜がしばらく棲みついたらしい。
大陸中央にあるアクセルベルクから遥か東の未開の森から、時計回りに竜は回り込むようにして大陸最南端であるグラノリュース天上国に向かっているらしい。
らしい、というのは追っているわけではなく、あくまで目撃情報が多発しているということだ。
だが、直線的に南下するのであれば、アクセルベルクやユベールを通るはずなのに、そこを通らないということは明らかに何かある。
「なぜここに向かっているんだ。人里を襲うならここ以外にたくさんあるはず。食料だってユベールの未開の地の方が豊富なはずだ」
「わかりませぬ。ただわかっているのが、その竜は伝説に残っている偉大な竜の姿そのものであると」
「なんだと?」
伝説に語られる古竜。
それは世俗に疎い俺でも知っている。
グラノリュースやアクセルベルクを始め、各国には国家が樹立する際の物語がある。
それはどれも各種族の英雄が登場するし、国のでき方はどこも違うが、各国の英雄たちの間には関係があり、共通することがある。
その共通点とは、彼らの仲間には竜がいたこと。
自在に空を舞い、白炎を纏って悪しきものどもを一網打尽にする雄々しき竜。
その竜の名は――
「本当に《大地の白神》か?」
「伝承通りの外見です。発見された竜麟も赤黒く白炎を宿していたそうです」
「最後に目撃されたのはどこだ」
「アクセルベルク南東。ここから飛行船でおおよそ1週間ほど行った場所です」
「たった1週間か!」
すぐに対策を取らなければならない。
竜の目的が何かわからない。
本当に伝承通りならこの竜は対話することができるはずだ。グラノリュースに辿り着くまで目立った被害がないことからもしかすれば杞憂に終わる可能性もある。
だが戦いにおいて楽観視は禁物だ。
部屋にあるチャイムを乱雑に連打する。
すぐさま部屋に待機していた伝令兵が数人やってくる。
「いいかっ、竜が来る。本日より飛行船の使用は俺の許可あるまで禁止とする! 基地内の兵士全員に近々戦闘が起こることを通達、基地を放棄する準備も含めて避難と戦闘準備を徹底させろ!」
「はいっ!」
「中層や上層で復興作業に当たってる連中を呼び戻せ! 一般住民には事情を説明して避難させろ! 期限はたった一週間だ! 避難先は密閉空間を避けて頑丈な場所だ。なければ手頃な平野に塹壕を掘れ!」
「はっ!」
怒鳴るように兵に次々と指示を出す。
伝令兵は即座に短く略式の敬礼をしたのちに部屋を駆け足で出ていく。
「各連隊長と独立部隊をここに連れてこい!」
次回、「大地の白神」