第十二話 魔法使いの祖
鷲はむかつく。
この借りはいつか必ず返す。
俺は聖人だから長い時の果てにいつか必ずまた会いに行く。
そして目下取り組まなければならない問題は目の前のことだ。
例にもれずいつもの俺の執務室で。
「ああ、大丈夫だから、みんな部屋に戻っていいぞ」
「でもあんな高さから落ちたんですよ。もう少し休んだ方が」
「そうだよ。そもそも団長は働きすぎだよ。書類仕事は欠かさないし視察も全部まわってるし武器の開発もしてるんだよ。休みも取ってないし、こんな時くらい休んだ方がいいって」
アグニとアイリスだ。
昨日、俺が無茶してぶっ倒れたのを知った二人は、今日も仕事しにここに来ていると聞いて、目の色を変えてすっ飛んできたのだ。
仕事しようとしても、ペンやら書類やらを取り上げられて何もさせてもらえない。
ちなみに二人の後ろには、我関せずでソファに座って優雅にお茶を楽しんでるベルがいる。
「たいしたことなかったって。それに休みなら昨日一日取ったし」
「まさかあれを休みっていうんですか!? あれを休みって言ったら、この軍はブラック極まりないです!」
いや、確かに気絶を休み扱いはまずいかもしれないけども。
「ほら、エスリリを連れてきたから一緒に遊んできなよ。今日一日はボクと王女様が団長の代わりをするからさ。とくに急ぎの仕事もないって聞いているし」
「あそぼ! ウィル、あそぼ!」
すぐそばにエスリリが来て、猛烈に尻尾を振ってくる。
「エスリリ撫でながらでも仕事できるし」
「「ええ~」」「わふぅ~ん……」
高所から落ちて倒れたから心配してくれてるんだろうけど、仕事してないと退屈なんだ。
他にやることがない。
それに働きすぎだと言っているが、実は結構さぼっている。
アグニは席を外すことが多いので、その間に朝昼晩のパンの仕込みをしたり、気分転換に買い物に出かけたりしている。
休む日がないっちゃないが、正直なところ、まとまった休みをもらっても仕方がないので、細かくもらっているといったほうが正しい。
そう思っていたが、どうにもこの2人にはそう映っていないようだ。
エスリリも尻尾が下がって耳が垂れている。
……仕方ない。
「わかったよ、今日は一日休むよ」
小さく息を吐いてそう言うと、ぱっと3人は明るくなった。
「はい、そうしてください。前々からみんな悩んでたんですから。ウィリアムさんが休みを取らないって」
「そうだよ。上が休まないと下は休めないんだよ? そのへんも気を使って休まないと」
みんなよく働くなとは思ってたが、俺が原因だと? なして?
「気にせず休めよ。そんな狭量に見えるか」
「うん」「はい」
「よし、お前ら並べ。そのつるっつるの小さい脳みそにいかに俺が寛大か、直接脳みそに刻み込んでやろう」
「「わー」」
脅すと手を挙げて叫びながら逃げていく。
子供かお前ら。
まあいいや。
休むと決めたからにはとことん休もう。
椅子から立ち上がって部屋を出ようとすると、ソファで座っていたベルが付いて来る。
「なんだ?」
「今日休みなんでしょ? だから一緒に外をまわろうと思って」
「いや今日は父さんとまわるし、それ以外にいくつか行かなきゃいけないところがあるから無理だ」
「―――ェ」
おお、なんということだ、ベルの息が止まった。
いや、でも仕方ないじゃないか。
父はこないだ目覚めたばかりだし、昨日はあんなことがあったから何も話してない。
宝玉の件も話さないといけないし、まだ案内していないところもある。
父以外にもカーティスのところで昨日の続きを聞きたい。
よく考えれば、年上の初老の男のところばかりだな。
まあ年上と話すのはいろいろな学びがあるから嫌いじゃない。片方は父だけど。
「そんなわけで、悪いけどまた今度な」
「……ああ、そう。昨日あんなことがあったのに、あたしのことはどうでもいいのね?」
途端にベルの機嫌が悪くなる。
「いや、どうでもいいって――」
「ふんだ! いいもん! あたしはエスリリとハンターたちをナンパしてくるから!」
まるで子供のように頬を膨らませてそっぽを向く。
気を引きたいのか、ナンパとか言ってら。
「いってらっしゃい」
「もう知らない! エスリリ行こう!」
今度こそ肩を鳴らして怒りながら部屋を出ていくベル。
エスリリは俺とベルを交互に見てどうするか悩んでいた。
「ベルについて行ってあげてくれ。変な奴に絡まれたら守ってほしい」
「わかった!」
撫でながら言うと尻尾を振って駆け出していった。
彼女がいれば悪い奴は匂いでわかるからナンパしても問題はないだろう。
そもそも見た目はよくても子供みたいな中身と容姿の彼女についていく男はいるのだろうか。
いたとしても金目的じゃないだろうか。
いや、昨日怪しい雰囲気になった俺が言うのもなんだけど。
「――っ?」
そんなことを思っていると、後ろから殺気を感じた。振り向くとアグニとアイリスが至近距離で睨みつけていた。
「な、なんだよ」
「団長、いや、ウィル。ウィルベルと何かあったのかい?」
「昨日あんなことがあったのにって言ってましたね。あんなことってなんですか? そういえば、ウィルベルさんは今日とても機嫌が良さそうでしたけど」
黙秘権を行使!
「さあ休みだ。2人が代わりに頑張ってくれるから助かるなー!」
「待ってください! 説明してからです!」
「待てー! 誰か団長を捕まえろー!」
騒がしい休日モドキが始まった。
◆
父と一緒にカーティスのもとへ行く。
宝玉がなくなった今、元の世界に帰る方法がない。でも次元であったり魂であったりの話は有益だ。
魔法で再現することができるかもしれない。
俺も元の世界に帰りたいが、最悪この世界で生きる覚悟も決めた。
だが父さんは違う。
帰らなきゃダメだ。
その為には、これまで以上に魔法やこの世界の真理について知らなければいけない。
「昨日はすまなかった。あの鷲の危険性に気づかずにこの部屋に招いてしまった」
錬金術工房の小部屋に入った途端に、カーティスが珍しく謝ってきた。
昨日、俺が鷲をこの部屋に入れるのを止めていたのを制止したカーティスは、責任を感じているのだろう。
「あれは俺も悪い。ずっとついてきていたのにその思惑を見抜けなかったんだから」
思えば、あの鷲は宝玉をずっと探していたのかもしれない。
戦争中に上層へ偵察を命じていたが帰ってこず、帰ってきたと思ったら、終わった後にあの宝玉を見つけてきたのだ。
わからないのは宝玉を見つけた際になぜ自分で持ち帰らなかったのか。
そのまま持っていけば、このような騒ぎを起こすこともなかった。
わからないことだらけだが、まずはわかっていることから聞くことにしよう。
「昨日は確か宝玉のもとになった人物について話す直前だったな」
「それはいいが、その前のことについてその男は理解しているのか」
「ここに来るまでに説明はした。わからなかったとしてもあとで俺が説明するさ」
カーティスが昨日破れた用紙の代わりに、新しい用紙を取り出して図にして説明する。
「おさらいだが、この世界は次元という入れ物に1つずつ入っている。次元は無数にあり、世界はどれもが根本の原理が異なっている。だから交わらないように次元で明確に区切っている」
「そしてあの宝玉は次元に穴をあけるもの。異世界に干渉できるのは精々人一人呼び寄せるくらいだったな」
簡単に前回の確認をする。
用紙には、世界を表すいくつもの丸と、それを区切る次元を表す線が丸の間に引かれている。
宝玉の絵が次元の線をぶち抜いて、二つの世界を示す丸をつなげる。
「加護として発現するには当人が強く意識する必要がある。それも無意識レベルになるほどにな。だがただの人間に次元を意識することなどありはしない」
「つまり宝玉は次元を意識することがある存在か」
「そんなものは1つしかいない」
丸と線の外側。
すべてを見渡せそうな位置に書かれた文字。
――神。
「信じられないな」
「そうか? お前のいた世界ではどうか知らないが、この世界では神の存在は確信されている。加護は、もとより神が人間に与えた世界を変える力なのだからな」
「それは後付けじゃないのか。加護があって、それは神が俺たちに与えたものって人間が定義したものだろう」
「だがそれ以外に次元を扱える存在などいない。そして神が世界に干渉したことは太古の昔は幾度となくあった」
「信憑性が薄いと思うが?」
「この国に一時期とはいえ住んでいたのなら知っているだろう。この国の住民ならば誰もが知っているおとぎ話を」
グラノリュース天上国に伝わる誰もが知っているおとぎ話。
それは俺も知っている。
師であるアティリオが牢の中で語ってくれた話だ。
大陸各地から湧き出てくる悪しきものどもと戦う、人、ドワーフ、エルフ、竜、獣人の英雄たち。
彼らは協力することで悪しきものどもに対抗することができていた。
しかし悪しきものどもは次元の彼方から無限に湧き出てくる。
彼らは戦いに疲弊し次々と倒れていった。
それでも戦い続ける英雄たちの前に一人の少女が現れた。
その少女は自らを神の子と名乗り、悪魔たちをこの世界とは異なる次元の向こうへ追いやったという。
その神の子は自らが死ねば、また悪しきものどもが現れたときに対抗できないからと、自らの身を光り輝く宝玉に姿を変えた。
その宝玉によって世界からは永劫悪しきものどもが現れることはなくなった。
――というお話だ。
「おとぎ話じゃないか」
「だが現に宝玉は存在した。そしてその宝玉は次元に干渉することができる。事実であると考えるには十分すぎると思うが?」
「宝玉が先でおとぎ話があとにできた可能性だってある」
「ならばかつてを知るものに聞けばよい」
「そんな奴がいるかよ」
「いるだろう。昨日お前の手に渡したはずだ」
そういうことか。
それをするならもう1人いるな。
ここに来る前に機嫌を損ねてしまったし、こんな理由で会いに行ったら、またへそを曲げられそうだ。
空間魔法を使って槍を出す。
俺には、クララの意識がわずかにしか感じられなかった。時間が経てば聞こえるようになるかもしれないと言われたが、今はどうだろうか。
『やっと出してくれたわ。あの中は何もなくて退屈ね。どうせ私の声は聞こえないんでしょうけど』
「……まじかよ」
聞こえた。
今まで聞こえなかったのが嘘のようにクリアに聞こえた。
まだ若い感じのハリのある高い声だ。落ち着きがあって知性を感じる。
俺が槍と会話していると父さんが変な目で俺を見てくる。
いや違うんだ。物に話しかける痛い子じゃないんだ。
「驚いた。聞こえるようになってるぞ」
「ほう。これは驚きだ。変化したことといえば剣から槍へ変わったことくらいか。武器によって聞こえる対象が変わるのか? だが同じ剣でも聞こえないものと聞こえるものと差があるな。もう一つを検証しなければなるまい。他に昨日何か変わったことはあったか?」
「昨日あったことなんざあの一件くらいしかないな。そのあとは……ないな」
昨日一日を振り返っても神器を受け取ったことと鷲を追いかけまわしたこと、気を失って目を覚ました後のベルと話したことくらいだ。
まさかベルとの会話がきっかけなんてないだろうし、心当たりはない。
「あとでベルと会ったら試してみよう。それでこのクララという女性に質問なんだが……」
『聞こえてるなんて嬉しいわ。なんでも聞いてちょうだいな。覚えてることは少ないけれど』
「宝玉になった少女を知っているか?」
『……』
神器から声が聞こえなくなった。
声は聞こえずとも、核となる部分が埋め込まれた握っている柄からダイレクトに彼女の意志が伝わってくる。
伝わってくるのは悲哀。
どうやら、まるっきり覚えていないわけじゃないようだ。
『昨日、私を投げた相手がそんなものを持っていたわね』
「ああ、むかつくクソ鷲だ。仲間のふりをしてずっとあれを狙っていたようだ」
『そう、私から言えることは1つだけ……あの鷲を相手にするなら覚悟しておかなければいけないわ。あれは人間の手に負えるものじゃない。戦うつもりなら人間をやめるつもりじゃないと相手にもならないわ』
クララが真剣な声で、脅しのように言った。
彼女は、何か知っている。
「あれは一体何なんだ。ずっとついてきていたし大量の神気を纏っていたが」
『あなたたちがどう呼んでいるのかわからないけど、私たちはあの鷲をこう呼んでいたわ』
――時と運命を司る神、アークノルン。
つまり、カーティスの予想は正しかった。
「神か。ふざけてやがる」
『あの鷲はその神の使い魔。きっと鷲を通してあなたを見ていたんでしょう。あの宝玉を回収するためにあなたを利用したのね』
「なんであの神は宝玉を欲しているんだ」
『あの宝玉はその神の愛娘だから。自らの子を取り戻したかったんでしょうね』
「つまりおとぎ話は本当だった。あの宝玉のもとになったのは、次元を超える力を持つ神の子だったわけか」
なんとも規模がでかい話だ。
理解が追い付かないし実感もない。
愛娘が宝玉になり親がそれを欲しがっていた。神ではなく人としての話に落とし込めばわからない話ではない。
しかしそれが本当だとするならば、その愛娘は神の子、本来なら人間たちがいるこの世界に現れるはずがない。
どうして宝玉になるに至ったのか。
『ごめんなさい、どうして宝玉になったのかまでは覚えていないわ。どうにも人は覚えているけど、出来事は覚えていないのよ』
「いや、十分すぎるほどだ、ありがとう。もう一つだけ聞きたいことがあるんだ」
『何かしら』
太古の英雄に聞きたいことはいくつもある。
中でも――
「ファグラヴェール。この名前に聞き覚えは?」
『……ええ。あるわ。とてもとても懐かしくて、強くて、大好きだった人の名前。私の憧れだった人』
ファグラヴェール。
それはベルの家名。
グラノリュースがベルの容姿に驚き、名前を聞いて興奮していた。いや錯乱ともいえる。
そしてリカルド、ベルの指輪になった男もベルを見て驚いていた。
それは決して見た目が可憐だからとか恰好が珍しいからではない。
偶然じゃなく、彼女の祖先が何かしら関わっているはずだ。
そしてクララは肯定した。
彼女にとってとても思い出深い人だと。
答えるクララからなんとも言えない深い親愛と敬愛、懐古の念が伝わってくる。
『私たちと行動を共にした仲間の中に魔法使いがいたわ。当時は魔法使いはたくさんいたの。今はそうでもないみたいだけど』
「今まで会った中ではエルフを除けばベルしかいないな。俺は例外だし」
昔はたくさんの魔法使いがいたとは、今とはどう違うのだろうか。
残念ながら、記憶のない彼女たちに聞いてもわからない。
『昔ともに戦った魔法使いの中でも1人、抜きんでた力を持つ人がいた。太陽の光を反射して輝く綺麗な銀髪に、空のような澄んだ瑠璃色の瞳をした女性。髪も肌も白くて、体が日光に弱いからって、いつも黒い三角帽子にローブを羽織っていたわ』
「そっくりだな。ベルに」
『彼女に似てるんではなくて彼女が似ているのよ。その人は最古の魔法使いにして当時最強の魔法使い。彼女の名前はフリッグ。フリッグ・ファグラヴェール』
次回、「生きてくれれば」