第十一話 あなたについていく
目を覚ますと、どこか見覚えのある天井があった。
思い出した。
ここはいつもいる旗艦の中の治療室だ。
……俺はどうしたんだっけか。
そうだ、カーティスとシャルロッテに神器の移し替えを依頼して受け取って、そのあとにカーティスから宝玉について聞いていたんだ。
そうしたら――ッ!!
「クッソがあああッッ!!」
湧き上がる感情のままに、横たわったままベッドを殴りつける。
ベッドが大きく壊れた。
周囲に無意識に放った紫電が舞い、空気が焼ける匂いがした。
それでも怒りは一切収まらない。
体中を煮えたぎる熱が駆け巡り、更なる熱を生んで、頭をずっと沸騰させている。
じっとしていられない。
あの鷲、見つけ出して殺す!
壊れたベッドから抜け出して、病室を出る。
部屋から出ると銀髪が目に入ってきた。
「ウィルっ!? なにしてんのよ。まだ寝てなきゃダメじゃない!」
「うるさい! 今そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」
「何言ってんの! 少しは頭を冷やしなさい。今探しに行ったって手がかりなんて何もないわよ」
「だからって――!」
パシンっと音が鳴った。
頬にわずかに衝撃があった。
ベルにひっぱたかれたのだ。
痛いとかではなく驚いた。
怒りを忘れて呆けてしまった。
ベルは怒っていた。
「周りを見なさい。怪我した人が大勢いるの。あんたは師団長なんでしょ。みんなを率いる立場なんでしょ。そんなことじゃ、みんなを心配させるでしょ」
周囲を見れば病室の周りに人が集まってきていた。
そのうちの何人もが体に包帯を巻いていたり、松葉杖をついていた。
その中には鷲を追う際にすれ違ったエルフの姿も。
彼は俺を心配するような目で見ていた。
俺よりも自分の方が重症なのに。
唇を噛む。
怒りがどんどんと湧いてくる。抑えきれないほどの怒りを抑えるために唇をかみしめる。
本当に腹が立つ。
不甲斐ない自分に腹が立つ。
目の前の小さな少女に心配させてしまったことが、情けなかった。
「悪かったよ……みんなもすまなかった。もう大丈夫だから戻っていい」
そういうと集っていた部下たちは心配しながらも戻っていった。
その中で頭を怪我したエルフは最後まで名残惜しそうに残ってくれた。
彼に近付いて声をかける。
「大丈夫か?」
「え、ええ。私は大丈夫です。団長こそ大丈夫ですか」
エルフは少しばかり萎縮しながらも、それでも俺を心配してくれた。
「ああ、平気だよ。君があの鷲の向かう先を教えてくれてとても助かった。ありがとう」
「! いえ、とんでもありません。私には何もできませんでした」
「俺もさ、不甲斐なくて仕方がない」
「団長……」
「さあ戻って休め。俺より君の方が重症なんだから」
エルフは敬礼をして、自分の病室に戻っていった。
俺の病室は個室だったから他に人はいない。
でもベッドが壊れてしまったから病室に戻る気もない。
病室のある区画から外に出る。
外はもう暗くなっていた。
カーティスとシャルロッテのもとに向かったのは朝方で、雲の上に出たときにまだ東の空に太陽があったから、倒れたのはどんなに遅くても昼前だ。
だから倒れて結構な時間眠っていたことになる。
外に出て、人目がつかないところに来ても、後ろをベルがついてきていた。
「ついてくるなよ」
「……何する気?」
「なんでもいいだろ。ついてくんな」
いうとベルは立ち止まった。
俺はそのまま歩き出す。
頭を冷やすために数十分か、数時間か、歩き続けた。
基地からだいぶ離れた。
ここなら誰も見てない。
大きな音を出してもそよ風くらいにしか聞こえないだろう。
……あの鷲はいつから裏切る気だったんだろうか。
いや、もとから裏切るどころか、味方になったつもりもないのかもしれない。
思えばあの鷲はヒルダやアルドリエに教師の真似事をしていた時から俺を監視していたように思える。
何度か窓の外で見た。
どうして忘れていたのだろうか。
目の前の出来事に必死だったからか。
俺を監視していたあの鷲は、精霊の祭壇でごく自然に俺の傍にいる流れを作った。
あの祭壇は精霊の加護を得るほかに動物からの加護を得ることもある。
俺のところに精霊の儀式のタイミングで来れば、鷲が加護をくれるものとして俺が心を許すと思ったんだ。
――つまり最初から協力する気なんか一切なかった。
俺が欲してやまないものを、横から奪い取る機会を虎視眈々と狙っていたんだ。
俺が、俺たちが、多くの時間、技術、金、犠牲を払って得たものを。
あいつは何の対価も払わずに奪い去っていった。
「ちくしょう……ちくしょうっ…………畜生ッッ!!!」
心の底から湧き上がる全身を焼く怒りを、口から吐き出す。
でも、全然収まらないッ!
「ふっざけんじゃ、ねええええっ!」
拳を地面に振り下ろす。
紫電を纏った拳が地面に触れ、蜘蛛の巣状に紫電が伝っていく。紫電を追うように火が燃え上がる。
豊かなグラノリュースの植物が燃えて、荒れた地面が露になる。
「クソクソクソ……くそぉ…………」
地面に膝をつき、うずくまる。
……もういやだ。
この世界でどんなに頑張っても報われない。
最初は記憶のないときにこの国の民のために戦ったとき。
家族のように思っていた、『僕』が努力した理由。
ソフィアが死んだ。
この国のことを思う強く賢い、優しい人。
どれだけ見下されても、それでもと、ずっと努力し続けたのに、守れなかった。
そのあともひたすらに人が死なないように、仲間を守れるように努力した。
グラノリュースに再度攻め込むまで誰も死なせることなく行けた。
でもこの国でまた、大事な人が死んだ。
マリナが死んだ。
この国に虐げられ、自分の人生を生きた時間は僅か3年。
純粋で儚い、だけどたくましく生きた少女。
だけど、彼女はもういない。
守れたはずなのに、守れなかった。
それでも、そんな彼女の死を無駄にしないように必死に戦った。
だけど追い打ちをかけるように父までこの世界に連れてこられた。
前の世界で必死に家族のために生きていた父を。
父から家族を、家族から父を奪った。
だけどまた、それでもと戦って、やっと得た勝利と宝玉。
それすらもあの鷲は無駄にした。
絶対に殺す。
絶対に許さない。
これじゃあ俺も、父さんも、元の世界に帰れない。
今までの努力が水の泡だ。
たくさんの人の命が、無駄になる……ッ。
「人の命を、人生を。なんだと思ってんだよ……どんだけ俺たちが血反吐吐きながら進んできたと思ってんだッ」
自分が何に怒っているのかもわからなくなってきた。
ただただ連鎖的に怒りが湧き上がってくる。
今までは気にならなかったような理不尽にも怒りが湧いてくる。
「なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ……もっといただろ、適当に生きてるやつが。異世界に来たいと思った奴なんか。悪いことなんか、なにも、してないじゃないか」
燃えるものがなくなった火が消えていく。
代わりに目から涙がこぼれる。
「必死に生きて! 必死に戦って! それでも何も手に入らない! 望んだものは何も! 大嫌いな世界に連れてこられて、嫌々この世界のために戦って! 十分やっただろ! なのになんで俺の願いの邪魔をする! なんでかなわない! なんで、なんで……」
嗚咽が止まらない。
声も出せなくなりそうだった。
「……なんで、誰も助けてくれないんだよ……」
この世界のために散々戦った。
でも俺の願いのために戦ってくれた人はいない。
みんな、戦うのはこの世界に生きるウィリアムという男のためだ。
一緒に生きたいといってくれる。
でも俺はそんなものを望んでない。
前の世界で生きた俺を誰も見てくれない。
助けてくれない。
帰らせてくれない。
唯一理解してくれた、あの眠たげな少女はどこにもいない。
「マリナ……俺は、生きるのがつらいよ……お前が、こんな姿になってまで生きてくれたのに、俺は願いを叶えられなかった」
腰にある剣に話しかける。
何も返してくれない。
むなしくなった。
けど全て吐き出したからすっきりした。
すっきりしすぎて胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
何もやりたくなかった。
空を見上げても何も見えない。
分厚い雲に覆われて月も星も見えやしない。
……そうだ、たった一つ、元の世界に帰れる可能性があるじゃないか。
「前の世界にまだ俺の体はあるんだよな。死んでないんだよな」
そうだ、なんで気づかなかったんだろう。
前の世界で死んだと思ったらこの世界に来た。
それならこの世界で死ねば、前の世界に帰れるんじゃないだろうか。
肉体だってあるんだ。
ありえない話じゃない。
この世界はただの夢。死ねば覚める淡い夢。
冷たい風が頬を撫でる。
「死ねば……解決するな、ははっはは」
乾いた笑いを浮かべる。
腰には、唯一俺を理解してくれた、《月の聖女》がいてくれる。
……どうせ死ぬなら、いっそ――
剣を抜く。
抜いても、剣にいつもの白い輝きは見られなかった。
「……お前も死ぬのかよ」
もう、この世界で生きたくない。
――父さん、ごめん。
剣を振り上げる。
そのときに冷たい風に流されて、お日様の匂いが鼻腔をくすぐった。
不意に軽い衝撃が背後からやってくる。
暖かい体温が背中から伝わる。
この匂いは、この温もりは――
「死ぬなんて……言わないでよっ」
「っ! ……ベル」
ウィルベルがいた。
首に回された小さくても温かい手。
「あなたがどれだけ努力してきたか知ってるつもり……ううん、きっと何もわかってなかったのね」
いつになく、優しい声音。
剣を落とし、震える手で、首に回されたベルの手を握る。
「あなたは別の世界からやって来て、家族や友人と会うこともできずに、離れ離れの1人きり。それでもずっと休むことなく戦い続けて、みんなを率いる師団長。……すごいね、がんばったね」
―――がんばったね。
今までだってすごいと、誉れだといわれたことは何度もある。
そのどれもが心に響かなかった。
でもなぜか、この言葉は胸に優しく染みた。
空っぽだった胸が、何かで満たされていく気がした。
わからない、わからないけど、涙が出てきた。
俺はこんなに泣き虫だったろうか。
喉奥から何かがせり上がってきて、嗚咽が漏れる。
ベルの手が頭を撫でる。
「ねえ、前に言っていたこと、覚えてる?」
唐突にベルが問いかけてきた。
「……前? いつのことだよ」
「初めてあなたが旅の目的を語ってくれて、あたしについて来るかどうか聞いたとき。上に立つ人がどんな覚悟をもっていかないといけないのか」
馬車の中でベルと話をした時のこと。
「すべての人が幸せに生きられるのを目指すのが上に立つ者の義務、犠牲を出すのは、犠牲になった人たちの非難を受ける覚悟がある時だけ。命を懸けて果たす覚悟があるから、人はついて行くんだって」
「よく覚えてるな。もうそんなことは忘れたよ」
「覚えてるわよ。あのときの言葉。とてもかっこよかったから」
我ながらきれいごとを言ったと思う。
犠牲無しで終わらせることは俺にはできなかった。
結局、俺は統治者には向いていない。
王だなんだと言われたが、俺には人の上に立つ資格はない。
「偉そうなことを言っておきながら、できなかったよ。みんなを守るなんて、俺にはできなかった。願いを叶えることも」
握っていた手を離す。
でも――
「いいえ、そんなことないわ」
離した手を、ベルがまたつなぎ直してくれた。
顔を上げて横にあるベルの顔を見る。
雲間から差す月明りに照らされた彼女の顔は、今まで見た中で最も大人びて見えて――
とても、綺麗だった。
「いったでしょ? 戦い続ける限り、進み続ける限り、先に逝っただけで彼らは死んでない。あなたはずっと、全員が生きる道を探してる。犠牲になった人を想って、ずっと心を痛めてる。今だって自分が元の世界に帰れないことよりも、みんなが命を懸けて手に入れた宝玉を奪われたことで、みんなの犠牲が無駄になることを憂いてる」
ベルの空いた手が頬に触れる。
「あたしはね、そんな人について行きたい。みんなが幸せになれるように、常に最高を求め続ける人。みんなの理想で在り続ける人」
月明りの下で見つめ合う。
「あたしの最高の想い人」
唇に柔らかい感触が伝わる。
目の前に長くきれいなまつげが見える。
離れたとき彼女の顔はほのかに赤く染まっていた。
きっと俺もそうだろう。
沈黙が流れる。
「わからなくなったよ。これからどうすればいいのか」
空を見あげていう。
「元の世界に帰ることが目的だった。そのための唯一の手段はあの宝玉だった。それが無くなって、復讐する相手もいなくなって。……父さんがこの世界にやってきたけど、もう元の世界に帰る方法が思い浮かばない。この世界で生きたくない。きっとまた失ってしまうから」
情けない弱音。
想いを告げてくれた少女にこんなことを言うのは男として情けないと思う。
でもこの気持ちを吐き出さないでいるのは無理だった。
「何かをやろうとすれば何かを失う。マリナがいない。父もこの世界に連れてこられた。次は何が起こるんだろうな。進み続けるのは辛い。人を導くのは怖い。人を失うのが怖い。未来を目指すのが怖い。それならいっそ世界の端っこでのんびり暮らしたい」
これなら彼女は幻滅するだろう。
そうすればきっと俺は楽になれるから。
ベル以外にも俺を慕ってくれる人は、今の俺を見てきっと離れていく。
でもそれがいい。
それが自然だ。
そう思った。
――それでも彼女は笑ってくれた。
「なら全部終わらせて一緒にのんびり暮らしましょう。世界を変えて、世界を超えて、全部が終わったその後に。またみんなで平和に暮らしましょう」
それはなんの答にもなってない、ただの願い。
でもそれは言外にそんなものでいいんだと、いってくれているようだった。
未来を見つめすぎるなと言われているようだった。
不思議と心が軽くなる。
辛いことが無くなったわけじゃない、悲しいことを忘れたわけじゃない。
でも彼女を見ていると、不思議と心が軽くなる。
きっと悪くないと思ってしまう。
ベルの手を握る。
右手にはめられた指輪の冷たい感触が伝わる。
――そうだ、彼女に渡すものがあるんだった。
「ベル、手を貸してくれ」
「? なーに?」
先ほどまでの大人びた感じとは一転して、いつもの幼い感じの彼女に戻る。やっぱりベルはこっちのほうが似合っている。
魔法で収納していた、今朝シャルロッテから受け取ったものを取りだす。
立方体の小さな箱を開けると、橙色の光が溢れ出した。
それをみたベルが驚いた表情を浮かべて俺を見る。
「これって!」
「使いやすいように作ってもらったんだ。剣じゃなくて指輪なら、ベルにも使えると思ってな」
「……ああ、そういう?」
「?」
ベルが指輪を手に取って眺める。
神器の核が埋め込まれた指輪。
強い力を秘めた核は輝き、その周囲にあしらわれた宝石がその輝きを反射してキラキラと輝く。
さながら太陽に照らされている星々のよう。
「これはどの指にはめたらいいの?」
「好きな場所に嵌めろよ。この世界でどの指にどんな意味があるのか知らないからさ」
「そ。ま、ウィルにそんなロマンチックなことを期待するだけ無駄よね」
やっぱり期待していたんだろうか。
別に断りたいわけじゃない。
「世界を変えて、全部終わったら、そのときに一緒に生きよう」
「プロポーズかしら? 世界を超えなくてもいいの?」
「元の世界には帰りたいよ。でもいいんだ」
彼女の手の中にあった指輪を取る。
「みんながいるなら、きっとどこにいても生きていけるから」
左手の薬指に指輪をはめる。
これが今の俺の精一杯。
次は世界を変えて、覚悟を示して見せるから。
次回、「魔法使いの祖」