第八話 素直になれなくて
「彼女か?」
「んなわけない。遊んでる暇なんかない。基本的に仲良くならないようにずっと仮面をしてきたんだ。最近になって外すようになったけど、少し前までちゃんと距離を取ってたんだよ」
父さんを連れて基地内を案内している時にアグニから連絡が来た。父親の前で女子から連絡が来ると彼女か、と聞かれるのは世界を超えても変わらないらしい。
さすがにこういうのはちょっとうざいが、同時に父親だと実感する瞬間でもある。
「なんでまたそんなことするん?」
「……この世界が嫌いだったから。元の世界に帰るなら仲良くなる必要なんかないし」
この世界が嫌いなのは今でも変わらない。
だから、この世界では前の世界でははばかられるようなことも平然とやった。
父に言えないことを沢山。
「なんでそんなにこの世界が嫌いなんだ? いい人ばかりに見えるし、みんな慕ってくれてるみたいじゃないか」
「この世界に無理やり連れてこられたんだ。俺は前の世界でそのまま生きたかった……。倒れた日、その週末に久しぶりに家族にあうことを楽しみにしていたのに」
「それで仮面なんかして顔を見せないなんてしてるんか。そんなんでよく司令官になんてなれたもんだ」
「なる気なんかなかった。もともと軍人になることさえ。元の世界に帰る方法を見つけるために協力してくれるからってことで軍人になったんだよ。そのときから仮面をつけてた。それでもいいからってことで入ったんだ」
「随分と気に入られたんやな」
父はなんだか、呆れているような嬉しいような顔をしていた。
父は俺よりも気楽な性格をしている。
この世界に来ても特にここの人たちを恨むようなことはないようだ。
まあ俺のときとは状況が違うし、目の前に少し変わったとはいえ息子がいるんだ。
それもずっと寝たきりだと思っていた息子が元気な姿で。
……ちくりと、心が痛む。
父さんの中の俺と、今の俺は違うんじゃないだろうか。
この世界でしたことを父が知れば、失望されるのではないか。
……早く、元の世界に帰りたい。
「父さんは元の世界に帰りたくないの?」
「帰りたいけど、ここにはお前がいるからな。もう定年も迎えているから仕事の心配もない。まあ学生だったお前と比べるとそこまで必死に帰ろうとも思わないな」
またちくりと痛む。
「家族が心配じゃない? 母さんも姉さんも」
元の世界に残された家族のことを聞けば、父は笑った。
「みんなもう自立してるんだ。今更父親がいないくらいでうろたえたりしないわ。もともと仕事の関係でみんなバラバラだったんだから。それにきっと元の世界でも父さんは病院のベッドで寝てるだけで、死んでないなら心配もしないだろう」
「ベッドで寝た切りなんだよ? 心配するでしょ普通」
「確かに急にお前が倒れたときはみんな心配したけど、命に別状はないと言われたときはそりゃもう安堵したもんさ。それからは心配なんぞせずに信じて待っとるよ」
「何を」
「起きるのをさ」
背中を父さんが叩く。
いい音がしたが不思議といたくなかった。
代わりに、視界がぼやけた。
「こうして無事に生きているって知ったらみんな喜ぶ。会えなくても、声が聞こえなくても、生きているならそれでいいのさ」
だから、この世界で生きてもいい――
父はそう言った。
その言葉に素直にうなずくことができなかった。
だってみんながそう思っていても俺はそう思えなかったから。
やっぱりみんなに会いたいから。
「当然、会えるに越したことはないけどな。それでも会うために無理して自分の人生を生きれないなんて、そんな本末転倒なことを誰も望んでない。会えなくてもちゃんと生きてるなら、父さんと母さんはそれで充分嬉しい」
「でも――」
「団長? こんなとこで何やってんだぁ?」
父さんと話していると不良みたいな声が聞こえた。
振り向くとそこには白髪で目つきと口の悪い男がいた。
男の右腕には、見たことのない、黒く艶のあるごつごつした手甲が装着されていた。
「ヴェルナーか。こっちはちょっと散策していただけだ」
「そうかい、それでそっちのは……ああ、あんときのオッサンか、もう体は平気なんかよ」
「あのとき?」
父が戸惑っているので簡単に説明をする。
意識を失っていた間に保護をしたのが俺を含めた目の前にいるヴェルナーと他数名だと。
すると父はヴェルナーに頭を下げて礼を言う。
「助けていただいてどうもありがとうございます」
「別に礼なんて要らねぇよ。団長に頼まれたからやっただけだ」
「それでも息子の頼みを聞いていただいた上に命を助けてもらったんですから礼くらい言わせてください」
「ああ? 息子? ……そういやそんなこと言ってたっけか」
なんか自分の父が部下に頭を下げている姿を見るのはなんだか複雑な気分だ。
謝罪をしているとか情けない姿ではないがなんか複雑だ。
話題を変えるためにヴェルナーの腕に付けられている物について聞く。
「それで、その腕についているのはなんだよ。武器には見えないが」
「これか? これは今新開発中の武器だ。いくら団長でもまだ教えられねぇな」
「爆発させなきゃいいけど、事故は起こすなよ」
「ちゃんと片づけはするから心配すんな」
「そういう問題じゃないんだけどな」
どうにもその武器からは妙なマナの動きを感じる。
今までの錬金術で作られた道具とは明らかに違う。ただ実際にどういう動きをするのかわからないから止めるには足りない。
まだ試験段階だからおかしなマナの動きなんだろうか。
ヴェルナーはその後、一言二言話して、背中を向けて手を振りながら去っていく。
「変わった人だな」
「不良みたいだけど優秀な奴だよ。元は技官だったけど戦いでも強いし」
「仲いいんだな」
「まあ、それなりに」
その後も基地内を案内していった。
飛行船がどういうものかどうやって作ったのかも。
元の世界で俺より生きているから、父さんは飛行船についてほとんど理解してくれた。
「よく作ったもんだ」
「必要だったからね。知っているにもかかわらず作るのに3年もかかった」
「上出来じゃん」
父が乱暴に頭を撫でる。
普段なら別に気にしないが、こんな周りに部下しかいない場で撫でないでほしい。
……それでもこの手を払いのけられないのは、やっぱり父に会えて、こういうやり取りができて――
自分でも思った以上に嬉しかったんだろう。
◆
飛行船の陰に隠れ、2人の後を追う葡萄茶色の頭が一つ。
「……なにしてんのアグニ」
「静かにっ。今ウィリアムさんの意外な一面がっ」
「あんた、ついにストーキングまでするようになったのね……」
旗艦から出たアグニータは、割とすぐにウィリアムの姿を発見した。
声をかけようとしたところ、すぐ横に見慣れないウィリアムに似た初老の男性がいたために後をついて様子をうかがっていたのだ。
その行為と姿は間違いなくストーカーだった。
そんなアグニータを旗艦に向かっていたウィルベルが発見した。
「ウィルベルさんこそ何をしているんですか? 討伐に行かないんですか?」
「最近は悪魔が出たって話を聞かないのよ。だから暇してんのよね。ウィルのところに遊びに行こうと思ったんだけど……あれは何をしてるの?」
「わからないですけどウィリアムさんに似ていてとても仲が良さそうなんです。あっ! ウィリアムさんの頭を撫でました! 特に拒むことなく受け入れてます!」
「えっホントだ! ちょっとどういう関係!?」
こうしてストーカーが一人増える。
ウィルベルは2人を追っていく中で、ウィリアムの隣に立つ男性のことを思い出す。
「思い出したわ、あのおっちゃんは城で保護した人よ。ウィリアムがお父さんって言ってたわ」
「ということは実父ですか! どうりで似ていると思いました。これは私も挨拶しないといけませんね」
「どう挨拶するつもり?」
「いつもウィリアムさんと仲良くさせてもらってますって」
「誤解されないかしら?」
「上等です!」
暴走するアグニータにウィルベルは若干引く。
飛び出そうとするアグニータを引き留めながら、ウィルベルはウィリアムの様子を見る。
彼の顔は、彼女が今まで見たことがないほどの、優しい笑顔だった。
「あいつ、あんな顔するのね」
「とてもいい顔をしていますね。私たちにも見せたことない顔です……やっぱり帰りたいんですね」
一転して2人の表情に影が差す。
「仕方ないわよ。だってあいつは、ずっとそのために戦ってきたんだから」
「そう、ですよね」
まるで自分に言い聞かせるように2人は呟く。
そこに、さきほど飛び出そうとした気力あふれる二人いなかった。
◆
父の案内を一通り行った。
夕方ごろに仕事があるために、少し早めに父を俺の自室の近くにある空き部屋に案内して、そこで今後について説明した。
「もうすぐ元の世界に帰れるかもしれない。だから安心してよ」
「帰れるんか? 世界を渡るなんてそう簡単じゃないだろ?」
「確かにね。でもここに来れる以上、帰れる方法だってあるはずだ。実際にこの世界に俺たちを連れてくることができる道具は手に入ったから、それを調べれば帰れるかもしれない。まあまだわからないことが多いから、もう少しかかるけど」
「なら心残りは無いようにせんとな」
もちろんそのつもりだ。
この世界は嫌いだけど、この部隊の奴らには世話になったし、後腐れのないようにはするつもりだ。
父には何かあったら、俺の自室か執務室を訪れるように言って別れる。
仕事をするために執務室に戻ると、部屋にはアグニとベルがいた。
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま。どうした? まだ晩飯には早いぞ」
「別にいいじゃない。いちゃいけない?」
「そういうわけじゃないが」
何故かご機嫌斜めなベル。
アグニを見てもどうにも彼女の表情も優れない。何かあったのだろうか。
聞いても教えてくれなさそうなので、気にせずに仕事をすることにした。
決済が必要な書類は机の上にまとめてあった。
大した量じゃなかった。
でもその時間がとても長く感じた。
この空気のせいか。
ベルは最近悪魔たちの動きが不自然になくなっていることから暇なことが多い。
でも食事時でもないのにこの部屋にずっといることもないから、今日はなんだか様子がおかしい気がする。
無理に聞いてさらにへそを曲げられても困るから何も聞かないが。
やがて時間は過ぎ、陽が落ちて夕食の時間になった。
いつも通りに俺がパンを作ってベルが料理をする。アグニは2人の手伝いだ。
今日は父さんの分も作ろうと思って、パンは多めに焼くことにした。
「今日は随分とたくさん焼くのね。お腹空いてたの?」
「いや、ある人に持っていこうと思ってな。できればベルも多めに作ってもらえると助かるんだけどいいか?」
「……まあいいわ。一人分?」
「ああ、ありがとう」
歯切れが悪いけど本当に何かあったのだろうか。
何とも言えない空気がキッチンに流れる。
居心地悪いことこの上ない。
この2人とも長いが、こんな空気になったことなんてなかった。もしかして喧嘩でもしたのだろうか。
キッチンの中はずっと静かなまま、パンが焼ける匂いと具材が焼ける音だけが聞こえる。
誰も何も言わないまま食事が出来上がる。
いつもだったら2人と食べるが、今日は多めに作った料理を父さんにもっていかないといけない。
「悪いけど今日は別のところで食べる。食い終わったらまた戻ってくるよ」
「どこで食べるの?」
「まあちょっとな」
父と飯を食べるのがなんだか気恥ずかしかったから濁す。
2人とも俺より年下なのにちゃんと自立している。
そんな2人の前で親と食べるというのが、おかしくはないことだけど、少しだけ恥ずかしかった。
こんなところが、まだ自分は大人になり切れていないんだなと思いながら、二人分の食事をもって部屋を出る。
まあ女子2人水入らずの方が話は弾むだろう。
2人とも仲がいいし、喧嘩したのならなおさら俺がいないでちゃんと話し合うべきだ。
何も知らないし、頼まれてもいない俺が仲介なんて碌なことにならないだろうから。
次回、「槍と指輪」