第七話 ずっと会いたかった人
最近どうにも肌がざわつく感じがある。
何かの予兆だろうか。
机の横の止まり木にとまっている鷲も身震いをした。
偶然だろうが、なんか嫌な気がする。
「お前もなんか感じてんのか?」
「ピ?」
特に何もないようだ。
結局この鷲については何もわからないままだ。
この鷲はユベールの精霊の祭壇で加護をもらったということもあり、ともにいることが多くなった。
でもこいつは単独行動をとりがちだ。
呼んでも来ない時があるし逆に呼んでいないのに来るときがある。
灼島にいるときは捕らわれたベルやマリナたちを見つけてくれたり、こないだは宝玉を探してくれたりと助かっているのは事実だが、どうにも謎が多い。
頭がいいのか悪いのかもよくわからん。
マリナは兎の加護を得て、よく一緒にじゃれているのを見かけたし、ちゃんと意思疎通が取れていた。
俺とこの鷲にそんなものがちゃんと成り立っているのかいまいち自信がない。
まあ鷲は孤高のハンターだし、草食動物のウサギと比べるのもまた違うだろうけど。
一番の謎は、神気を大量にまとっていること。
聞いてもとぼけられるから、もしかしたら、こいつは自分が神気を纏っていることを理解していないのかもしれない。
そんな結論の出ないことを考えていると扉がノックされる。
入ってきたのは近くの部屋で待機している連絡員の1人だ。
「アーサー団長。件の男性が目を覚ましたそうです」
それは、待ちに待った報告。
「そうか、すぐに行くと伝えろ」
「はい」
連絡員が退出するまで我慢した後、すぐにいてもたってもいられなくなって途中だった書類も放り出して部屋を飛び出した。
目覚めた男性は、ずっと会いたかった人。
俺の父だ。
◆
旗艦ヘルデスビシュツァー内はいろいろな設備が整っている。総合管制、火砲管制、エンジン管理室、居住区や錬金術工房がある。
そして怪我をした兵士を治療するための治療室ももちろんある。
その一室に向かって歩く。
逸る心を抑えて廊下をゆっくり歩く。
戦いの傷が癒えていない兵士も多い。俺が慌ててはいらない心配をかけるから務めて平静を装う。
もうすぐ父がいるはずの病室だ。
重要人物として個室にしてもらっている。
「……記憶があるといいんだけど」
気になることも聞きたいことも話したいこともたくさんある。
不安も、当然に。
逸っていた心とは反対に、病室に近付くと足が重くなる。
目的の病室一歩手前の、扉の前で足は止まってしまった。
すると廊下まで誰かの声が聞こえてきた。
「ではもうすぐ我が軍の司令官がいらっしゃいますので」
「わかりました。ご丁寧にどうもありがとうございます。やっぱり軍の司令官は凄い人なんですか?」
「ええ、とても偉大な方です。各国の英雄ですから。我々の誇りです」
「そうですか。お会いするのが楽しみですね」
それは、とても聞きなれた声。
そして、久しぶりに聞く声。
病室から白衣を着た軍医が出てきた。
「アーサー司令官。件の男性が目を覚ましました。容体は安定していて聞き取りも可能です」
「ああ。俺一人で話をする。誰も入れるな」
「はい」
短く指示を出すと、軍医は敬礼をして去っていく。
誰もいなくなった廊下で、扉に手をかける。
浅くなる呼吸を抑え、深呼吸。
扉を開ける。
殺風景な部屋。
広さの割に物がない病室には窓を開け、風がカーテンを揺らす様を眺める一人の中年の男性。
ベッドから体を起こし、外を眺めるその姿が、少し、滲んで見えた。
「とう、さん……」
「? ……どちらさまで?」
その言葉に、一瞬心臓が凍り付く。
……あ、でも、そうか。
今は仮面をしていたのだった。これでは俺とわからない。
慌てて仮面を外して近寄る。
「俺だよ。父さん」
「えっ……どうして――」
「―――ッ」
言い終わる前に抱き着いた。
父さんの顔を見て、俺を覚えていることは明白だったから。
◆
「そんなことがあったのか。それは大変だったろう」
「本当にね。こうして生きていられるのが不思議なくらい」
上体を起こしたベッドに横たわる父の横に椅子を置いて、果物を剥きながら今までのことを話す。
あまり言いたくないことは言わなかった。
特に人を何人も殺したことは。
「父さんが覚えてる最後の記憶は?」
「んーそれが曖昧でなぁ、病院にいたことは覚えてるけどそのあとは知らん」
「病院? どっか悪いの?」
手元に向いていた視線を上げる。
しかし、父の顔はいたって普通だった。
「いや? ちょっと血圧と血糖値が高いだけでとくには。病院にはお前の見舞いだよ」
「俺の見舞い?」
「こっちじゃ知らんけど、向こうじゃお前は意識不明の寝たきりなんだ。保険とかが効いているから、家計は何とかなってるからいいけど、ほとほと困ってるよ」
ちゃかすように笑って言った。
一方で俺は頭を悩ますばかり。
俺は寝たきり? 死んでるわけじゃないのか?
意識不明でどうして目を覚まさないのかわからないと、まるで先日までの父さんみたいな状態というわけか。
つまり……どういうことなのだろうか。
元の世界に帰るとなると、俺はその体で目を覚ますことになるのか、それとも元の体とは別で戻ることになるのか。
できれば元の体で目覚めたい。
そうじゃないと俺が俺だと認めてもらえないかもしれない。かもしれないというか、まず認められないだろう。
目の前に意識不明の家族がいるのに、そっくりとはいえ別人が家族を名乗っても俺なら信じない。
むしろ怒るだろう。
「わからないことが増えた……そういえば体に違和感とかはない?」
「とくにないなぁ。むしろ調子がいいくらいで若返った気分だよ」
やっぱりか。
父も俺と同じく聖人に近付いている。
その理由は察しがついた。
正直、信じたくない。
でも、こうして父さんの顔を見れば見るほどに、それは確信に近付いていく気がする。
「あとはなんか変なもんが周りに浮いている気がするな。なんやろこれ。触れないのに動かせるぞ?」
「ああ、それはマナって言って魔法の元となる力だよ」
「まほう? なにいってんの?」
「気持ちはわかるけど事実なんだよ。ほら」
疑う父の目の前で手のひらから水を発生させる。
すると父は口をあんぐりあけて目を見開いた。
瞬きするのも忘れ、震える手で俺を指さす。
「なんだ、そんな手品身に着けたんか」
「違うよ。ちゃんと魔法だよ。まあその辺も含めてさ。いろいろ説明もかねて外を案内するよ」
体調も良さそうだし、服も軍服の替えがその辺にあるはずだ。
俺が立ち上がると、父は首を横に振りながら残念そうに言った。
「そうしたいのはやまやまなんだけど、このあと軍の司令官と話があるからあとでな」
「え? それならもう済んだじゃないか」
「何ゆうてんの。まだよ」
「え、だって司令官って俺だよ」
「はっ?」
また瞬きも忘れて俺を見る。
まあ確かに学生くらいの自分の息子が他の世界で軍の司令官だなんておかしいよな。
逆の立場だったら俺も同じ顔をしていただろう。
父のこんな顔を見るのは久しぶりだな。少し面白い。
「いや、でも各国の英雄って……」
「各国で悪魔の相手をしていたらそうなった」
「こんなすごいもん作ったって……」
「これでも工学系の出だよ。おおよその原理は知っているから飛行船くらいは作れるよ」
めちゃくちゃ苦労したけどね。
驚いた顔をしているのは笑えるが、いちいち待っていたら日が暮れる。
外に出たらもっと驚くことになるのだから、とっとと外に連れ出して驚かして慣れてもらおう。
◆
ウィリアムが父親に会い、外を案内している頃。
ウィリアムと仕事場が同じアグニータは、部屋に入りその姿が見えないことに疑問を覚えた。
「おかしいですね。今日は特に予定は入っていなかったはずですが……」
アグニータはチャイムを鳴らして兵を呼び出し事情を聴く。
「城で保護した男性が目を覚ましたために、事情聴取に向かわれました」
「そうですか。わかりました。その男性はどこにいるのですか」
「治療室にいます。ご案内しますか?」
「おねがいします」
そうしてアグニータは案内を引き受けてくれた兵士の後につき治療室に向かう。
しかし、案内された部屋にはウィリアムの姿はおろか、保護された男性も見られなかった。
これには案内をしていた兵士たちも首をひねる。
「ここにいたはずなのですが……」
「ということは恐らく団長が連れ出したのでしょう。あとはこちらでやりますから戻っていいですよ」
「はっ、わかりました」
敬礼をして案内をした兵士は元の部屋に戻っていき、残ったアグニータは考えを巡らせる。
(今日中に決裁してほしい書類がいくつかあるんですけれど。連絡を取ってみますか)
アグニータは腕にはめられている通信機を使ってウィリアムに連絡を取る。
少しの時間が流れた後に声が聞こえる。
『アグニか、どうした』
「ウィリアムさん、今どちらに? 今日中に決裁してほしい書類がいくつかあるのですが」
『そうか。少ししたら戻る。夕方までにはちゃんと終わらせておくよ』
「わかりました。それで今は何を?」
『まあ、ちょっとな。じゃあそういうことで』
「え、ちょっ……切られましたか」
ウィリアムがさぼるとは思っていないアグニータは、何か隠し事をしていると察した。
それがいいことか悪いことかわからないが、彼女にはとても気がかりだった。
懐中時計を取り出して、時間とこれからの仕事について確認する。
(今日の仕事は基本的に書類ばかり。いつもいつも同じで嫌になっちゃいますけど、時間を融通できるのはいいところですね。ええ、今日の分は明日に回して探しに行ってみましょうか)
そうしてアグニータはウィリアムを探すことにした。
自らの好奇心を満たすために、彼女は旗艦の外へ繰り出した。
次回、「素直になれなくて」