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夢見る未来に福音を  作者: 相馬
第八章 《地に還る》
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第四十二話 甘えたい



 パン作りってのは時間がかかる。

 発酵時間が数時間必要になることはザラだ。まあ、ねだられることはわかっていたのであらかじめ仕込んである。

 それもちゃんと朝昼晩で発酵時間がちょうどよくなるように。


 ああ、前の世界ではホントたまに作る程度だったのに、この一年はずっと作っている。おかげで手慣れたものでうまくなってしまった。


 まあ、パンは好きなので特に困らないしいいことだ。日本人なのにって思うかもしれないが、それでも俺はパンが好き。


 もちろん白米だって食べたくなる。でもこの世界に米は多くない。


 実は灼島にそれらしいものがあったのだが、あの島はエルフとは違う理由で国交をしていないので滅多に食べられない。


 どうせ食べれないものを考えるより食べられるパンを工夫しようというのはそうおかしくはないだろう。


 そんなわけで、前の世界で覚えのあるクロワッサンやら揚げパンやら菓子パンを作っていたら、これがベルには大ハマリだった。


 もうほとんど毎日ねだってくる。


「いい感じに焼けてきたな」

「おお、こんな風にパンって作られるんですね」


 お手製のオーブンの中身を覗いていると、アグニも一緒になって覗き込んできた。


「見たことないのか?」

「お恥ずかしながら。祖国では待っていれば出てきたものですから」

「さすがお姫様」

「やめてくださいよ、もう」


 からかうとアグニは気恥ずかしそうに顔を逸らす。どうにもさっきからすぐに顔を逸らされる。


 なんでだろう。


「いい香りね! 今日はなーに?」

「クロワッサンとクリームパン。面白いからクマの顔にしてみたぞ。バケモノになったが」

「お、おぞましいわ……」

「それよりそっちは?」

「ふっふーん、抜かりはないわ。あたし特製のシチューを前に恐れおののくといいわ!パンにも合うしね!」


 執務室の隣、扉を挟んで併設されたキッチンはいろいろな香りが充満している。

 どれもが食欲をそそるような良い香りだ。


 もともとこのキッチンは南部の基地にいたときの執務室のように、仕事の合間に何か簡単なものが作れるようにと、俺の職権乱用で作らせたものだ。


この飛行船を建造する際、師団長の執務室は立派なものにということで設計段階ではかなり広かった。でもそんなものは仕事ができて見た目がおろそかにならない程度にとどめ、代わりに空いた空間に立派なキッチンを作らせたのだ。


 おかげでオーブンも窯もある。いろいろ作れてとても充実している。


「いいですね。私も何か作れるようになりたいです」

「アグニは料理とかしないの?」

「したことないんですよ。国ではみなさんがやらせてくれないんです。私にはやらせられないとかで。そこまでおっちょこちょいじゃないと思ってるんですけどね」

「それはたぶんお姫様に料理させるなんて畏れ多いからだと思う……」


 ベルが鍋をかき混ぜながらいう。

 一方でアグニは一転して元気そうに声を上げた。


「でも今度ウィリアムさんがお菓子の作り方を教えてくれるんですよ! とても嬉しいです!」

「え!? 何それあたしも知りたい! ずっと教えてくれなかったのに!」


 鍋を放り出して詰め寄ってくるウィルベルに、投げやりに返す。


「めんどくさいんだよ! パンは時間かかるけどシンプルで、菓子は工程が面倒なんだ」

「それじゃあなんで今になって? 今だってすごい忙しいんでしょ? まあ誰かさんは仕事を女の子に押し付けてどっか行ってたみたいだけど」

「やることがあったんだって。さぼってたわけじゃない」


 キッチンでギャーギャー騒いでいると、執務室の方の扉からノックの音がした。


「ちょっと出てくるから見といてくれ」

「わかりました。ずっと見てます!」


 アグニは焼けて膨らんでいくパンにかじりつくように見ている。

 箱入りとまではいかないが、大事に育てられたお姫様にはとても面白いらしい。


 キッチンと執務室を隔てる薄い扉をくぐり、応接用のソファに腰を掛けてから入室を許可する。


 入れ、と声をかけて開いた扉の向こうには3人の男女がいた。


「入るぜーって、んだこの匂い」

「ずいぶんと香ばしい香りがしますね」

「何か作っていたんですか?」


 入ってきたのは元技官3人。

 今は立派な武官になったヴェルナーとライナー、シャルロッテだ。


「いい時間だし夕食にしようと思ってな。仕事もあるし、ここで作ってる」

「ときどき食いもんの匂いがすると思ったらキッチンついてんのかよ。変な執務室だなオイ」


 ヴェルナーが部屋を見渡し、キッチンと執務室を隔てる扉を見つけて近づいていく。


「まあでもいいんじゃないでしょうか。ここで出されるお茶請けは高級将校たちの間で話題になっていますし」

「ん? それはどういうことだ」


 ライナーは向かいのソファに座り、菓子をつまんで言った。


「それはこの部屋で食べられる来賓用のお菓子は独特で美味しいですから、当然では?」

「たいしたものじゃないんだが。仕事の合間に適当に作ったやつだし」

「適当に作ってこれですか……団長は舌が肥えすぎだと思います」


 知らんがな。


 というかこの世界の料理にも違和感なく馴染めたし特に舌は肥えてないはずだ。


 なんなら前の世界では高い肉と安い肉の違いもわからないほどだし、酒だって高いものより安いチューハイだ。

 子供と言われればそれまでだけど、そんなわけで舌が肥えてるなんてことはないはずだ。


 シャルロッテ、ライナーと話をする一方で、キッチンの扉を潜ったヴェルナーは中にいたベルとアグニに絡んでいた。


「お? ウィルベルがいんじゃねぇか、また来たんかお前」

「なによヴェルナー。あんた、もしかしてあたしのシチュー狙いできたのね! あげないわよ、これはパンと一緒にあたしが食べるんだから!」

「んなわけねぇだろ。お前と違ってこっちはちゃんと食って育ってんだ。貧相な女から奪うほど飢えてねぇよ」

「あんですってぇ?」

「つぅか姫さんまで何してんだ?」

「パンの監視をしています!」

「はぁ?」


 扉の向こうから聞こえてくる会話を聞いて、ライナーは薄く微笑みながらこの部屋の噂を口にした。


「この部屋で出されるお菓子は美味しいですから、ここに訪れる機会をみなさん楽しみにしていたんですよ。最近は書類の提出が投函式になったので、皆さん訪れる機会が減ったと残念がっていました」

「なんじゃいそら、確かに書類渡しに来ただけなのにやたら居座るなと思ったら、そんな理由かい」

「だって甘いものは魅力的じゃないですか! それは来たくなりますよ。普通上司の部屋になんて行きたい部下はいませんが、ここだけは別です。毎日でも通いたいです!」

「ここは喫茶店じゃねぇ、菓子に毒され甘ったれた脳みそをしたアホンダラども」


 道理で、書類提出を手渡しにしていた時はやたら受け渡しに時間がかかるなと思ったら、連中居座ろうとしていたからか。

 そんなことするから投函式になったというのに。


 にしても、どうしてそこまでしてここの菓子を食いたがるのか。


「ときどき訪れた際にウィルベルさんがいますから彼女が作ったのではと。女性と縁がない男性からは彼女の手作りお菓子が食べたくて、団長から呼び出しを食らおうと不祥事を起こしかけたことがありました。猛烈なファンですね」

「嘘だろ……? 叱られるのに菓子が食えると思ってんのか? 男女そろって馬鹿どもの集まりなのかこの師団は。よく勝てたなおい」

「むしろそれで勝てたのでは? 独立部隊の私たちは無条件でこの部屋にきて食べれますし、羨ましくて彼らは訓練を頑張っていましたよ」


 開いた口が塞がらないとはこのことか。

 俺が戦争どうしようかとか人がたくさん死ぬななんて内心苦心していたのに、こいつらはそんなアホなこと考えてやがったのか。


「名誉と甘味で上を目指させるとは、やりますね、団長」

「むしろ堕落していってる気がする……下に落ちてるから上を向いてるだけじゃないのか」

「上にいるのに落ちてる人がいますからね、あそこに」


 ライナーが扉の向こう、ベルたちの方を指す。


「ちょっと! これはあたしが食べるためのお菓子とパンよ! 絶対上げないわ!」

「こんだけあんだからちっとくらいいいだろうが! これ1人で食べるつもりか!?」

「当たり前でしょ! ウィルが作ったものは全部あたしのものなんだから!」

「え? 私も食べれないんですか?」


 そこではベルがジャイアンみたいなことを言っていた。そんなわけないだろうに。

 呆れて怒る気も失せてしまった。もともとないようなものだったが。


 いっそ菓子を作るの禁止にしようか。

 あとはベルがここに来るのがいけないなら今後は控えさせるか?

 実力的にはこの師団のトップの彼女があんなだから、他の兵士も舌と頭が甘ったれてしまったのだろうか。


「それよりここにきた用件なのですが……」

「ああ、仕事で来たのか」


 シャルロッテが姿勢を正して書類を見せてくる。もう書類はうんざりだと思いながらも目を通すと、それは墜落した飛行船の修理状況に関する報告書だった。


「ドゥエルの回収は順調です。この国にはアクセルベルクにはない金属がいくつかあってそれを修理に使ったところ、面白い金属が作れました」

「へぇ、具体的には?」

「装甲に使われている金属は5種類以上の金属を錬金術で一つにしているのですが、そのうちの一つを変えてみたところ、硬度や靭性が向上しました。他にも組み合わせを変えたところ性能はそのままに軽くなったものもありますね」

「それで、もとの状態よりも改修した後は性能が多少ですが向上しました。消費した砲弾等も同様です」

「それはいい知らせだ。この金属の供給が安定するようなら今後はアクセルベルクにも流せるようにしておこう」

「ありがとうございます」


 この国にいたときは気にしなかったが、やはり鎖国していたためにこの国独自の資源が多くあるようだ。

 量にもよるがアクセルベルクに持ち帰ればもっと活用することができるかもしれない。


 逆もまたしかりだ。


「これだけか?」

「あとはこの書類ですね」

「げっ」


 渡されたのは収支報告。

 修理にかかった材料と工事費、その他諸々。


 軍って運営するのにこんなに金がかかるんだな……。


 遠い目をしてしまったが、別にこの金は俺の懐から出すわけじゃない。

 なんなら占領したグラノリュースの国庫から出してもいい。まあそれは俺の独断で決められる量は限られているのでしないが。


 3人の報告は以上のようだ。


「それで団長達はこれから食事ですか?」

「ああ」

「それならご一緒してもいいですか?」


 2人が提案してくる。俺は別にいいんだが問題は……。


「食べ物の恨みは恐ろしいのよ! つまみ食いなんてしたら呪ってやるんだから!」

「お前こないだオレの菓子つまんだくせに何言ってんだ! 人の部屋来てめちゃくちゃやったじゃねぇか!」

「くれるって言ったじゃない!」

「全部持ってく奴がいるか!」


 キッチンで醜い争いが始まった。

 2人と食事をとってもいいんだが、ベルがいいというか心配だ。

 やたら食い意地だけは張ってるから説得するのに骨が折れる。


 というか、あんだけ食ってるのに縦にも横にも体が大きくならないって不思議だな。





次回、「意思と神器」

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