第三十八話 戦後処理
旗艦内の執務室。
「ウィリアムさん。東に派遣した部隊が悪魔に遭遇したようです」
「中位以下なら独立部隊から暇な奴を1人連れていけ。たしかシャルロッテが空いていたはずだ。大隊規模を編成させて連れていくといい」
「わかりました。あと中央広場付近の復興に資材が足りないと報告が――」
「中層に資材を蓄えてる町があったはずだ。木材はセビリア、石材はセウタが特産だからギルドを通して調達してくれ」
「ではそのように。次にウィルベルさんから給――」
「却下」
「はい」
戦いが終わった後は基本的にひたすら後処理だ。
特に面倒だったのが復興と、グラノリュース軍が最後に全軍が上層に引きこもったことで起きた防衛問題だ。
やはりこの国でも悪魔たちの攻撃を受けていたようで、軍はその対処に当たっていた。
この国は長大な防壁が中層下層にあるので守りやすいが、それでも中位以上の悪魔の前では心許ない。
そういう場合には、天上人や空いている天導隊が派遣されるのだが、先日軍が防衛を放棄して上層に閉じこもっていたために各所から救援要請が相次いでいる。
だがそんなことよりももっと困ったことがある。
「この国これからどうなるんだ?」
「さあ、通例であれば勝利したアクセルベルク軍の属国や植民地となりますが……今回はややこしいことに各国の連合軍ですからね。どの国も一定以上は統治の権利を有します」
「まあどこが治めるでもいいけどさ、早く代官やらなんやらを派遣してくれないかな。領主の真似事なんてできないし、王族の代わりなんてまっぴらだ」
問題はこの国の統治だ。
王がいないんだからこれからどうすればいいのか何もわからない。
追い打ちをかけるのが、この国が国家が樹立されたときからグラノリュースが統治していたということ。
数百年にわたり一人の男が統治していたのだ。
なぜか子息なんてものもいないし、血縁のあるものもいない。
子供くらい作れやと思ったが、グラノリュースがもう何人かいると思ったら、まだ今の方がマシな気がしてきた。
こうしてこの国の中枢を代わりに担うようになって、改めてこの国がいかにおかしな運営をしているのか身に染みた。
こんな国の統治なんて俺には無理だ。
「そうですか? ウィリアムさんなら少し学べば領主として十分やっていけると思いますよ?」
「まさか。税率とか政治なんてわからん。俺の知ってる知識なんて、この国には合わないよ」
「合わせてしまえばよいのでは?」
「一体それに何年かかるんだよ。それに責任ある仕事はもう十分だよ」
アグニが領主を勧めてくるが勘弁してほしい。小さな家族を支えられれば、もう十分なんだから。
「もしかして退役するのですか?」
「全部が終わればな。故郷に帰る方法が見つかれば帰る。まあ中途半端に投げ出して帰ることはないから安心しろよ」
「……そうですか。見つからなかったらどうするんですか?」
「そんときゃまた探すさ。軍人でいる必要がなくなればとっとと退役するよ」
もう戦いなんてまっぴらだ。グラノリュースの戦いで多すぎる人が死んだ。
自分の指示で大勢の敵味方の命が失われるなんてことはこりごりだ。
「ウィリアムさん。これ追加の書類です」
とっとと軍人をやめることを考えていると、目の前に引き裂きたくなるほどの大量の書類の山が現れた。
ドスンと音が鳴り、机が軋む。
「これ全部? うそだろ?」
「本当です。今日中にお願いします。それまでこの部屋から出ることは禁止です」
「……怒ってる?」
「怒ってません」
嘘だ、明らかに怒っている。
なんかわからんが彼女の周囲のマナが震えている。ついにアグニも魔法使いに目覚めたのか?
顔もなんか機嫌が悪そうだし、何かした?
目の前に積まれた書類を見て仮面の中から溜息を吐く。生暖かい空気が仮面に反射して口元にこもる。
「助っ人を呼ぼうぜ」
「……誰がいるんですか?」
「ルシウスを呼ぼう。ユベールの大臣だし書類仕事は得意なはずだ」
「ルシウス様なら本国に帰りましたよ。今回の報告と支援を要請しに」
「え!? そんな指示誰が出した?」
「私が出しました。ついさっき」
「……やっぱり怒ってるだろ」
「怒ってません」
クソ、他に仕事ができそうなやつ……。
「よし、ならアイリスだ!」
「アイリスさんは復興に忙しいので駄目です。工兵も歩兵もずっと外で警邏と復興支援に動き回っているので。ヴァルドロさんも同様です」
「くっ……カーティス」
「ダメです。墜落したドゥエルの復旧作業中です」
「ライナー」
「ダメです。カーティスさんと同様です」
「ヴェルナー」
「同様」
「シャルロッテ」
「さっきご自分で出した指示をお忘れですか?」
「ちくしょうめ!」
助っ人がいないこの状況に絶望して机に拳を振り下ろす。
突き上げられた書類が揺れてはらりと何枚か落ちてくる。
「もう諦めてください。2人で頑張りましょう?」
「嫌だ。こんな仕事はしたくない」
「……」
ダメだ、アグニの顔が怖い、見れない!
文句を言うのはいいとして、せめて手を動かそう。
幸いにもこの世界の文書はシンプルで一枚一枚はたいしたことがない。
前の世界の利用規約とかの方がよっぽど手ごわい。ひたすら量が多いだけだ。
ただやっぱり目の前に積み上げられた書類の山を見ると気分が落ちる。
げんなりしながらも、そのまま小一時間ほど書類をひたすら処理し続ける。そのうちアグニの雰囲気も戻っていった。
よかった。
「アグニ、少しお茶でもしよう」
「いいですよ、結構進みましたね。なんだかんだ言って得意じゃないですか」
「一枚一枚はそうでもないからな。ただ量が多すぎて嫌になるけどな」
「あはは、そうですね。普段からこれだと嫌になっちゃいます」
デスクとは別のソファに対面になって座り、紅茶を飲む。
例にもれず俺が淹れたものだ。御姫様の舌を満足させられるほどのものは淹れられないが、アグニはできた王女だから文句は言ってこない。
むしろ用意されたお菓子をぱくついている。
「このお菓子、美味しいです。いつも思うんですけど、ウィリアムさんのお部屋にあるお菓子は美味しいですよね。独特ですし」
「俺が作ってるから独特なのは仕方ない。味が気に入ってもらえたようでなによりだ」
「え、これウィリアムさんが作ってるんですか?」
「ああ。簡単な物なら自分で作ってるよ。あとパンも作る。これはベルが気に入ってくれたよ」
「へぇ、そうなんですか……」
南部で師団を結成してから、休日はほぼ毎日お菓子やらパンやらを作っている。前の世界で趣味程度でやっていたものが、ここで活きることになるとは思わなかった。
こんなことならもっとレパートリーを増やせばよかったと思うが、まあ後の祭り。
アグニが食べるのをやめてじっとお菓子を見ている。
ちょびちょび食べて断面を見たり表面をじっくり見ている。
「どうした?」
「いえ、どうやって作ったのかなと……。こういうお菓子はずっと専用の機械がないと作れないと思っていたんですけど、ウィリアムさんの部屋には機械とかないですよね」
「これくらいなら簡単な調理器具と材料があれば作れるぞ」
「そうなんですか……。じゃあやっぱり特別な技術が必要なんでしょうか」
「そんなもんいらん。作り方を知ってれば誰でも作れる」
「そうなんですか!?」
机を挟んでいるにもかかわらず体を乗り出して迫ってくるアグニに、思わずのけぞる。
「あ、ああ……作りたいのか?」
「教えてくれるんですか!?」
「それくらいならいいけど……礼もしたいしな」
「? 最後何か言いました?」
「なにも」
言わないがアグニもわざわざレオエイダンを1年以上も空けて戦ってくれたのだ。今もこうして一緒に書類と戦ってくれてるし礼はしないといけない。
言わないが。
「じゃあ次のお休みは一緒にしましょう。忘れないでくださいね」
「ああ、覚えておくよ。ただ……」
「ええ……」
2人して机の上を見る。
「あの書類が片付けばの話だけどな」
「そうですね」
また2人そろって溜息をつく。
それを見て、またお互い笑いあう。
次回、「鷲と宝玉」