第三十七話 地に残されたもの
グラノリュース天上国との戦争は終わった。
グラノリュースを倒したあとは、ひたすら事後処理に追われた。
戦争ってのは戦った後の方が忙しいらしい。
まあ精神的にはこっちの方が断然楽だ。
それでもたくさんの遺体を見るからあまりやりたいことではないけども。
ただ今回は味方の遺体はあまり見られなかった。あまりというか皆無だ。けが人はいるが死者はいない。
それもそのはず、二日目はほとんど飛行船から一方的に撃つだけの作業だ。そのあとの制圧も相手はほとんど戦意がくじけていたし、エドガルドと秀英がうまく立ち回った。
軍の象徴である天上人と天導隊が止めに入ったのだから、結末としてはまともなほうだろう。
それでもグラノリュース軍は何万という将兵が死んだ。町は惨憺たる有様だ。
復興もしなければならないがこればかりは俺たちの手に余る。
単純に人手が足りない。
敵も味方もハンターも猫の手も借りて国全体の復興に当たっている。
そんなくそ忙しい中、俺はある人を連れて、待ち合わせをしていた。
場所は宿屋、シュペルライト。
「おお、ウィリアム。お前から呼んでくれるなんて嬉しいな」
「こんにちは。戦勝おめでとう」
「ああ、ありがとう。2人も手伝ってくれたようでうれしいよ」
目の前の空いた席に座ったのはオスカーとアメリア。オスカーは変な白い仮面をもうしていない。
ちなみに俺も仮面をしてない。
「なんだか、こうしていると昔に戻ったみたいだな」
「そうね、ウィリアムが穏やかだし。記憶が戻ってもやっぱり変わらないのね」
「そりゃ2人といたときの記憶もあるからな。僕とは言わなくなったけどな」
久方ぶりに、屈託なく笑いあう。
「ちょっと言ってみろよ。もしかしたらアメリアが泣くかもしれないぞ」
「さすがに泣かないよっ、多少うっとはくるかもしれないけど」
「あいにくこないだ女が泣いたところを見たばかりなんだ。遠慮したいね」
和気あいあいとした空気が3人の中で流れる。
こんなふうに2人と話をするのは本当に久しぶりだ。こんな日はもう来ないと思っていたし、それでいいと思っていたが、いざしてみると悪くない。
とまあ、そんな話をしている中で気まずそうに……というか、俺をめちゃくちゃ睨んでくる少女がいた。
「さて、2人を呼んだのはお願いがあるからだ」
「お願い?」
「彼女をしばらく面倒見てやってほしい」
「その子は……?」
となりにいるのは黒髪のまだ若い十代の少女。
彼女の名は――
「彼女の名はマリア。俺たちと同じ天上人だよ」
◆
彼女の首を絞めていた時。
あのときに彼女の記憶を覗いた。
彼女の中は、この世界に来る前の彼女の記憶が大半を占めていて、この世界での記憶は少なかった。
だけど強い感情を伴う記憶は、こっちの世界に来てからの方が多かった。
それは彼女にとってこの世界に来てからの方が幸せだったからだ。
前の世界で、彼女は虐待を受けていた。
幼いころに両親は離婚、彼女は母親についていったが、彼女の面倒をみてはくれなかった。
学校へ行っても碌な生活を送っていない彼女は不健康な体と清潔感のない見た目から陰湿ないじめを受けた。
友人はおらず、ろくにしゃべろうとしない彼女を教師ですら忌避した。
家に帰っても食事も風呂も何もない。
親は働きに行っていると思っていたが、その実は遊んでいるだけ。
それでも彼女は、自分で生活をなんとかしようと努力した。何も教わらなくても食事も風呂も一人でやった。小学生ですでに家事は一通りできるようになっていた。
――でもそれが良くなかった。
『あっ! 綺麗になってる! 麻里亜がやったの? じゃあこれからもよろしくね~。これなら彼を家に呼んでも良さそうね!』
彼女の母親は屑だった。
生きるために覚えた家事は母親に体よく利用され、働かされた。
掃除も洗濯も食事も何もかも、彼女が母親の世話をした。
ときには男の世話も。
彼女が家事ができるようになったことで、母親は昼夜問わず男を連れ込み、嬌声を上げていた。
娘の、目の前で。
さらに最悪は重なっていく。
やがて、母親に対して絶対的な立場の男は、母親に飽きた。
最悪だったのは、母親が男といるために、自分の娘を売ったことだ。
抵抗する彼女は、いいなりの母親とは対照的だったこともあり、男は彼女に夢中になり、強引に迫った。
結果、彼女は中学生で純潔を散らした。
彼女は泣いた。
あとになって知ったことだったが、離婚の原因は母親の不倫だった。
それでも麻里亜が母親について行ったのは、その母親が外面はよく、周囲の人間がこぞって母親の味方をしたために父親は親権を失ったから。
当時まだ幼かった麻里亜には、どちらが正しいのかわからなかった。
彼女は家を出た。
行く当てもなく寒い町を、お金も持たずに出ていった。
『お父さん……』
どこにいるかもわからない父親を探して。
そして気づけば意識を失い、この世界に来ていた。
◆
あの記憶を見て、このまま殺すのはあまりにも救われないと思った。
記憶を奪ったわけじゃなく、ただ見ただけだけど、それでも彼女の人生に同情するには十分すぎる体験だった。
「本当は俺の部隊で預かろうと思ったんだが、心情的に許せないやつらがいるかもしれないからな」
「そうか? ちゃんと説明すればわかってくれるんじゃないのか」
「彼女に罪がないとわかっても、天上人だと聞いただけで嫌な顔をされる。それくらいならいっそ離したほうがいい」
「そうはいうが俺たちハンターだってそうだぞ。天上人だってきいたら目の色を変えてくるんだ」
「でも彼女は中層以下に攻め入ったことはないだろ? それなら彼女個人に恨みがあるやつはいないはずだ」
マリアは最後の天上人だ。ほとんど城にこもっている時期だったから、彼女を知っているものはほとんどいない。
それなら黙っていればこの町で暮らすことは難しくないはずだ。
残念ながら特務師団では彼女の容姿や特徴はすべて共有されている。
隠そうにも隠せない。
「そういうわけでお願いしたい。ただ人並の生活をさせるだけでも十分だから」
「う~ん……」
オスカーは話を聞いて悩むそぶりを見せる。
横にいるマリアは不満たらたらで俺をずっと睨んでいる。
「何のつもり? 私にこんなことをして、あなたにどんなメリットがあるの?」
「気が晴れる」
「は?」
彼女を助ける理由に打算がないとは言わない。
でも一番の理由は放っておけなかったから。
たった一度の人生をあんな辛い経験で終わるなんて悲しすぎる。
「俺の気が晴れる。お前の人生は碌なもんじゃなかったんだろう? この国の軍にいてもどうせ碌な人生は待ってないんだ。だったらちゃんとした一般人の生活を送ってみろよ」
「私の生活はこないだまで順調だった。壊したのはあなた達。そのトップであるあなたが何を言っているの?」
「そうだな、それは否定しないよ。じゃあ一つ聞こう」
彼女の前に指を二本、揃えて立てる。
「この国の姿を知っているか?」
「? みんな優しくていろいろ教えてくれる。軍人だから多少厳しいけど前の世界に比べればずっと優しい」
「じゃあ、ある光景を見せてやろう」
立てた人差し指と中指をマリアの額に当てる。
不審な顔をしていたマリアは指が当たると、その顔を驚愕に染めた。
「ウィリアム、何してんだ?」
「ちょっと俺が見たこの国の現状を知ってもらってるだけさ」
今、ソフィアからもらった記憶の魔法でグラノリュース天上国の姿を見せている。
主に中層と下層だ。下層ではマリアが前世で受けていた過酷な人生と同じ人生をたくさんの人間が送っている。
そしてそれを促しているのがこの国なのだ。
つまりこの国はマリアでいうところの母親と同じだ。
自分の幸せのために平気で人の人生を食い物にしているのだから。
記憶を見せ終わると、指を彼女から話して落ち着くまで待った。
「い、いまのは現実?」
震える声。
「現実だよ。俺たちがこの国を攻めたのには理由があるってことがわかってもらえたか?」
これは少し誤解を生む言い方だが嘘ではない。
別にこの国の住民を救うために攻めたわけじゃない。
だが結果的には同じことだから問題もないだろう。
「こんなことをこの国の、あの城の人たちはやっていたの?」
「そうだよ。上層の人間は中層以下の人間から奪うことで生活している。命も含めてな」
「そんな……」
そのまま彼女は黙ってしまった。一度に多くの記憶を見せられて混乱しているんだろう。
あくまで見せただけで記憶を移したわけではないからそこまでショックはないはずだが、やはり見せた光景が光景だ。
そっとしておこう。
オスカーとアメリアに向き直る。
「まあそんなわけで、二人に彼女をお願いしたいんだ」
「ああ、わかったよ。でもウィリアムはどうすんだ? 彼女のことはほったらかしか?」
「様子を見に来るつもりではあるよ。ただこれからどうなるかわからないから、あまり彼女の面倒を見れそうにないんだ」
「師団長だもんな。今回の功績を考えればまた昇進か?」
「どうだろうな。俺はもう戦いたくないな。軍人をやめたいよ」
もう戦う理由がない。
この世界から帰るという目的もあと少しで果たせる。
あとは俺たちをこの世界に連れてきた神器と思われる宝玉を探すだけだ。それも今は部下を使って捜索している。
もしそれが見つかって元の世界に帰る方法が見つかったら、俺は帰る。
だから、身辺整理はしておかないといけない。
「彼女の面倒を見てくれるなら、先立つものも必要だろ?」
「なんだ、金でもくれるのか? 別にいらないぞ、俺たちハンターの悲願を果たしてくれたんだから」
じゃらり、と多くの硬貨が入った袋を二人に渡す。
「そういうな、この金でもっと3人ともいい生活してくれればいい。俺が持ってても使わないからな。……あと金食い虫がせびりに来るし」
「金食い虫?」
「ああ、銀髪で元気いっぱいの困った虫だ」
自分の金をなぜかあっという間に溶かして生活費をせびってくる元気な魔法使いを思い出す。
よくよく考えれば、彼女は少佐でかなりもらっているはずなのに、どうしてあんなに溶かすんだろうか。
今度一緒に買い物にでも行けばわかるだろうか。
そう考えていると、オスカーとアメリアがなぜかこちらをじっと見ていた。
「ん? どうした?」
「いやな……随分と嬉しそうな顔をしていると思ってな」
「その元気いっぱいの困った虫ってもしかして女の子?」
「ああーまーそうだな」
「ほほう?」
「へへぇ?」
しまった……。
このカップルめ。自分たちの色恋で満足してやがれ。
というかそんな顔をしていたのか。やっぱり仮面は必要かもしれない。
適当に人の女性関係に首を突っ込んでくるカップルをあしらう。
向こうもこちらが取り合う気はないと感じたのか、そうそうに引いてくれた。
「それはそうとウィリアム、お前日本人だよな」
「ああ」
「本当の名前は何て言うんだ?」
「……」
言葉に詰まる。
本当の名は名乗らないようにしていた。この世界の俺はあくまで前の世界の俺とは違うと定義しているから。
ただ仮面を外してしまった今、それも微妙になってしまった。
「いや、ウィリアムのままでいい」
「なんだ名乗りたくないのかよ」
「そんなところだよ。いまさら昔の名前なんて言っても違和感しかないだろうに」
「……それもそうかもな!」
少し長居してしまった。これでも師団長だから忙しい。
席を立つ。
「マリアをよろしく頼む」
「ああ、わかった。ウィリアムも元気でな」
「いつでも会いに来てね」
「ああ、式を挙げるときは言ってくれよ。ご祝儀も奮発してやるよ」
先ほどの仕返しということでちょっと2人の仲をいじると途端に顔を赤くした。
初心かお前ら。
特にオスカー、俺より年上だろうよ。もうすぐ30だろうよ。
「マリア」
「……なに?」
「また、迎えに来る。そのうちな」
「……わかった」
まだ少し頭の整理はできていないようだが、最初のこちらを敵視するような視線はなくなった。
きっと大丈夫だろう。
次回、「戦後処理」