第三十六話 忘れない
グラノリュースの体が燃え、もはやボロボロの床だけになった城に落ちる。
後を追うようにウィリアムとウィルベルがゆっくりと降りる。
「ファグ、ラ、ヴェール……」
死の間際でも、なおも呟くグラノリュース。
「なぁ、ベルって、こいつとなんか関係があるのか?」
「え、知らないよ、初めて会ったし。それにこいつは何百年も前から生きてるんでしょ? あたしじゃないんじゃない?」
「てことはお前の親とか?」
「なにも聞いてないねぇ」
2人がグラノリュースの生死を確かめるために、ゆっくりと警戒しながら近づく。
グラノリュースはもはや戦う意志も生きる力も残っていなかった。
ただうわごとのように何かをつぶやくだけだった。
「リカルド……クラ、ラ……レオナルド……」
それは人の名前。
グラノリュースは燃えて消えていく中で、ウィルベルを見る。
「エリ……ア……ナ……」
肘から先のない腕を彼女に伸ばす。それはまるで親を探す赤子のようで。
腕は何かを掴むこともなく、地面に落ちる。
そしてグラノリュースは燃え、粒子となって消えていった。
「なんだったんだ、今のは」
「聖人って体の多くが神気でできているから、死んだら神気になって消えるのね。聞いてはいたけど不思議なものね」
「へぇ……あっ」
グラノリュースが消えたことで気の抜けたウィリアムは、その場で糸が切れた人形のように後ろ向きに倒れる。
「ちょっ!」
心配したウィルベルはウィリアムに駆け寄る。
「ああ、……少し、疲れた」
「なんだ、心配させないでよ」
ウィルベルはほっと息を吐くと、ウィリアムの横に腰を下ろし、膝を貸した。
「なんだ、どうしたよ」
「……たまには、いいでしょ。あたしも疲れたんだし」
「……そうか」
ウィルベルはウィリアムの胸を見る。
心臓の位置に手をやるも、そこは剣の形に裂けた衣服があるだけで、刺さったはずの胸は綺麗なままだった。
「ねぇ、胸……大丈夫なの?」
「ああ……マリナのおかげで平気だ。俺の加護だけじゃ死んでた」
2人の間に沈黙が流れる。
「ね、仮面、とっていい?」
「ああ」
ウィルベルが仮面をとる。
竜麟できた仮面は度重なる連戦で細かな傷だらけになっていた。
仮面の下の顔は、何の変哲もない黒髪黒目の柔和な顔をした青年。
昨夜のように泣きはらしていない、疲れてはいてもすっきりとした顔だった。
「もう、仮面はしなくていいんじゃない?」
「とったら誰かわからないだろ」
「これからわかっていけばいいのよ」
「もう、その必要はないだろ」
「……やっぱり帰るの?」
「…………」
ウィリアムは顔をそむける。
髪と腿が擦れる感覚がくすぐったいのか、ウィルベルがわずかに身じろぎする。
ウィリアムは黙ったままだった。
ウィルベルは溜息を吐き、空を見上げる。
「きれいな空ね」
空を覆っていた灰色の雲は姿を消し、白く輝く太陽が昇っていた。太陽の横には白い月がぼんやりと寄り添っている。
「……ああ、いい景色だ」
ウィルベルはウィリアムの顔を覗き込み、笑う。
「それ、あたしも含めて言ってる?」
「ああ、綺麗な太陽が二つだ」
ウィリアムの言葉が意外だったのか、ウィルベルは顔をそむける。
太陽の光に照らされてか、彼女の耳は赤かった。
「青い空はウィルの加護みたいね。きれい」
「なんだ仕返しのつもりか?」
「そうよ、精々困るといいわ」
「全然違うから困らないな。自分を太陽と思ってる少女とは違うからな」
「……撤回するわ。あんたやっぱりどす黒い嵐と一緒よ、汚いわ」
からからと屈託なく笑うウィリアム。
「マリナは……」
笑った後、ウィリアムは落ち着いた声で、わずかに後悔の色を交えた声で――
「あの加護があのときでていれば、マリナは助かったのにな……」
「後悔してるの?」
「ああ、とても」
「……後悔なんていくらでもすればいいのよ」
「さっきのあてつけか?」
違うわよ、とウィルベルはウィリアムの頭を撫でる。
「後悔は悪いことじゃないよ。それを知れば、これからもっと頑張れる。もっといい選択ができる。忘れなければいいのよ。そうすればきっと、後悔が経験に、経験が誇りに変わるから」
「彼女の死を誇れって?」
「それが嫌ならずっと後悔しなさい。そうすれば、あなたはずっとマリナを忘れない。同じ失敗は繰り返さない。それは他の命を救うことにもなる、彼女の死が無駄じゃないって示すことができる」
だから、前を向いて生きなさい――
「あの子は今もあなたの横にいるんだから、悲しんでばかりじゃ嫌われるよ? あたしたちの家族なんだから、泣いてるより笑ってる方が似合ってる」
ウィリアムの頬に雫が落ちる。
「そうだな……ありがとう」
ウィリアムがウィルベルの頬に触れ、雫を拭う。
「雨宿りしないとな」
「そう、ね」
再び2人は空を見上げる。
「あのときのこと、俺は一生後悔しながら生きていくんだろうな」
「あたしもそうかもね」
「マリナが言ってくれたように、俺たちは強いから、決して彼女のことを忘れない」
「そしてあたしたちは弱いから、彼女のことを忘れられない。ずっと抱えて生きていこう」
そのまま2人は、太陽が飛行船で隠れるまでずっと空を見上げていた。
◆
2人から少し離れたところにいる4人の男女。
「なぁ、あれ、声かけたほうがいいよな?」
「やめなさい、それだからデリカシーがないと言われるんです。せっかく2人の悲願が叶ったんです。そっとしておきましょう」
「んなこと言われたことねぇよ。誰だよ言ってんのは」
「知りたいんですか? 傷つきますよ?」
戦いが終わり、ヴェルナー、ライナー、シャルロッテ、エスリリが固まって座っていた。戦いを終わらせた2人が休んでいるところに声をかけるのはためらわれたために、4人も一緒に休んでいる。
そんな4人の中で1人、涙を流しているものがいた。
「うぅ、団長、ウィルベル……お幸せに! ッヒグ」
滂沱の涙を流ししゃくりあげるシャルロッテを、ヴェルナーは怪訝な目で見つめる。
「なんで泣いてんだ?」
「なんか感動したんだってー。2人の会話が聞こえてきたからロッテに教えたら泣いちゃった」
「盗み聞きかい、趣味わりぃな」
「あなたに言われたくはないでしょうが同感です。まあエスリリは耳がいいですから聞きたくなくても聞こえてくるんでしょう。そのあたりはあの二人の落ち度なんで気にしなくていいと思いますが」
「かもな、でもこいつは別だろ」
ヴェルナーがシャルロッテを指さし非難する。だがシャルロッテは言い訳を始めた。
「だって気になるじゃないか。あの2人、すごく仲がいいのにお互い恋愛感情がないんだぞ。おかしいじゃないか」
「おかしかねぇだろ。男女の友情だってあらぁ」
ヴェルナーの言葉に、ライナーが目を見開いた。
「……んだよライナー」
「いえ、ヴェルナーが男女の友情を信じてるのが、少し意外でしたので」
「なんだ、お前は女とくればみんなそういう目で見てんのか。ライナー君ったらむっつりなのね」
「そうじゃありませんよ。見た目の割にはピュアなんだなと思いまして」
「ぶっ飛ばされてぇのかテメェ」
「うるさいぞっ、聞こえないじゃないか」
言い争いを始めたヴェルナーとライナーを黙らせるシャルロッテ。それは完全に他人の恋バナに興味津々な年ごろの少女の顔だった。
それを見た男2人は呆れた目で目を合わせ頷きあう。
「まず最初にやらなきゃならねぇのは、こいつの排除だな」
「ええ、エスリリ。もうシャルロッテに2人の会話の内容を教える必要はありませんよ」
「え、でもロッテは褒めてくれるって――」
「あとでオレらがいくらでも褒めてやるしうまいもん食わせてやるから」
「わかった!」
「ああ! エスリリ、何をするヴェルナー!」
乙女なシャルロッテの盗聴行為を止めるヴェルナーと抵抗するシャルロッテ。
そしてそれを見て、うずうずするエスリリを止めるライナー。
「それよりこの男性はどうしましょうか」
暴れている2人にあえてまったく違う話を振ることで大人しくさせる。
ライナーが言っているのは保護した黒髪の中年の男のこと。ヴェルナーとシャルロッテはもみ合っていたが一転して動きを止め、男を見る。
「団長はこのおっさんを父さんって言ってたな。父親か」
「確かについ昨日見た団長の顔と似ている気がしなくもないですね」
「あのときの団長の顔はひどかったからあまりわからないぞ。黒髪は同じだが」
3人が横になっている男の顔を覗き込む。
シャルロッテが男の体を触診し異常がないことを確認する。
「異常はないな。生きてもいる」
「そういえば団長と同じくこの男性も神気を帯びていますね。聖人に近いみたいですね」
「ということはやはり天上人で団長の家族ということか。ということはウィルベルはこの人に挨拶をしなければならないということかっ!」
「アホかてめぇ。んなこといってる場合じゃねぇだろ。そもそも必要ねぇし」
エスリリが男の匂いを嗅ぐと、顔を綻ばせ、尻尾を振った。
「このひと、ウィルと同じ匂いがする!」
「つうことは確定か? どうすんのかねぇ」
ヴェルナーが空を見上げている2人を見やる。
「そろそろいいでしょうね」
「いいってどうするつもりだ?」
「それはもちろん、あの2人にこっちの世界に帰ってきてもらうのですよ」
ライナーが手首を見せつける。そこには銀色のブレスレットがついていた。
4人の場所に影が差す。
頭上には旗艦ヘルデスビシュツァーの姿があった。
次回、「地に残されたもの」