第二十四話 月の聖女
日が沈み暗くなった。
旗艦から飛び出して、俺は今怪我人や殉職者のもとを回っている。
今までとは違う理由で顔を見られたくなくて、またあの仮面をしている。
「無事か?」
「うぅ、ああ……」
「よく頑張ってくれた。ゆっくり休め」
重傷者は多い。
上層の中央を突き進む形で進軍した部隊は大きな被害を受けた。
途中アイリスとヴァルドロに話を聞いたら、どうやらフリウォルが民間人も自軍の兵もすべてまとめて薙ぎ払ったらしい。
これでも相手に比べれば損害は少ないらしい。
ざっと見ただけで100人以上いるのに。
医務室から出て外にある広場に向かう。
そこは静かで、でもところどころでむせび泣く声が聞こえる場所だった。
多くの人が横たわり、顔には息をすればすぐにわかるように白い布が掛けられている。
ここは殉職者がいる場所。
今回の戦で亡くなった者たちが眠る場所。
そこには大小さまざまな体があった。
人間、ドワーフ、エルフ、竜人、獣人。
これだけの人が俺のせいで亡くなった。
「本当に、ごめんなさい……いや、ありがとう」
彼らのためにいえること。
それは最後まで戦ってくれた彼らに感謝することだ。
自らの人生のためではなく、人のために命を捧げられる彼らを、俺は心から尊敬する。
そんな彼らを部下に持てて、俺は生涯誇りに思う。
大勢いる彼ら一人一人に別れの挨拶をする。
この人たちにも家族がいたはずだ。帰りを待ちわび、再会を誓ったはずだ。
それももう叶わなくなってしまった。
順に黙祷を捧げていると、遺体に縋りついて泣いている人がいた。
ドワーフの男性だった。
何も言わずに遺体の横に座り、黙祷を捧げる。
縋っている人は俺に気づいたようだった。
「ウィリアム、団長……?」
「ああ」
罵られるだろうか。どうしてもっとうまくやってくれなかったのかと。
甘んじて受け入れるしかない。
そう思っていたが、彼は泣きはらした目でまっすぐに見つめてきた。
その目には俺に対する怒りも憎しみも感じられなかった。
ただ強い意志があるだけだった。
「団長。絶対にこの戦、勝ちましょう」
「……ああ」
少し、いや、かなり驚いた。
この人はもう立ち直って前を向けるのかと。
俺はこんなにも打ちひしがれているのに。
ああ、やっぱり、俺は弱いな。
こんな強い人が想うほどのこの人は、いったいどんな人だったのだろう。
「彼はどんな人だった?」
「……彼はとても強く勇敢でした。最後の最後まで仲間を救おうとしていました」
彼は語ってくれた。
最後まで勇敢に戦った戦友を誇りたかったんだろう。
「彼の死は決して無駄ではありません。我らのために生きたのですから」
彼のために祈る。
神なんて信じていないけど、今だけはどうか、安らかにこの人たちが眠れることを。
そうしてすべての遺体の前で黙祷を捧げる。
一通り終わった。
どうしようか。
何かしていないと、頭がどうにかなりそうだ。
行く当てもなくふらついていると声を掛けられる。
「ウィリアム」
振り返ると、そこには変な白い仮面をつけた男がいた。
「オスカー……」
出発する前に参加するなといったはずだが、聞いていなかったのだろうか。
「何かあったのか。いや何もなかったわけねぇな。こんな状況じゃ」
「……」
「だいたい察しはつく。前にもこんなことがあったな」
昔話でもする気か? そんなものに付き合う気にはなれない。
オスカーの横を通り過ぎようとする。
すると彼から懐かしい名前が聞こえた。
「ソフィアがいなくなったとき。あのときもお前はこんな感じだったな。記憶があってもなくても、やっぱりお前はウィリアムだ」
「何が言いたいんだよ」
「謝りたかったんだ。出発前のことも今回の戦いのことも。俺は天上人なのに、お前よりも先輩なのに、また何もできなかった。お前にばかり、また辛い目を押し付けちまった」
背中合わせになって語りだす。
「記憶を取り戻した後、ソフィアに言われたこと、ちゃんと覚えてるか?」
「……ああ」
「俺はあの言葉の意味を理解したつもりだった。でも理解できていなかったよ」
「……俺もだよ」
ソフィアは家族だと言ってくれたのに、何もわかっていなかった。
そのツケがまわってきた。
マリナは家族だと言ってくれたのに、俺は向き合うことをしなかった。
「遅すぎるかもしれないが、あの時の約束を果たす。家族を守る。だから次こそ俺は戦う」
「勝手にしろ。ただ一つ約束しろよ」
「なんだ?」
「俺の許可なく死ぬことは許さん」
オスカーは一瞬の間をおいて、答えた。
「ああ。死ねって言われない限り俺は死なねぇよ」
「ならいい」
聞こえた声は少し嬉しそうだった。
◆
船の自室に戻る。
多くの人の死に触れて、大切な人との別れを迎えて。
胸中はぐちゃぐちゃだった。
自分の部屋に入ると当然真っ暗だった。でも人の気配がした。
「……ベル」
椅子の上に膝を抱えて座る少女がいた。
机の上に置かれた写真を手にしている。
あの写真はカメラをもらったマリナにせがまれて撮ったものだ。
もらった写真を捨てることもできなくて、机の上になんとなく飾っていたものだ。
「……どうして、マリナを守ってくれなかったの?」
「……ごめん」
問い詰める声に何も言えなかった。
ただ謝ることしかできなかった。
「あの子と、ずっと、一緒にいるって、言ったのに……家族って、言って、くれたのにっ」
嗚咽交じりの声。
「大事な時に、そばにいれなくて! 助けて、あげられなくて……」
「ああ……そばにいたのに、なにも、できなかった」
部屋に響く声はどれも湿っていた。
ベルが立ち上がり、抱き着いてくる。胸の中でしゃくりあげ、嗚咽を漏らして泣きじゃくる。
俺も小さな体を包むようにして、泣いた。
声にもならない声をあげて、泣き続けた。
◆
どれくらい泣いていただろうか。
落ち着いたベルは泣きはらした目をこすりながら離れた。
体中の水分が抜けるほどに泣いた俺は、なんだかくらくらしていた。
そんなときに、誰かがドアをノックした。
「……入るぞ」
カーティスの声だった。
扉を開けて入ってきたのは、彼だけではなかった。
カーティス、ヴェルナー、ライナー、シャルロッテ。
「どうした」
聞くと、カーティスが無言で何かを差し出してくる。
それは細長くてわずかに曲線を描く武器。
とても見覚えのあるもので、でも少しだけ異なるもの。
「これは……」
「マリナだ」
剣を持つ手が震える。
わかってはいた。でも信じたくなかった。
これを持ってしまえば、抜いてしまえば、彼女がもう本当に帰ってこないことを理解してしまうから。
「この剣は彼女の持つ加護の力を宿しています」
「聖人であり、強く優しい力を持つ彼女の加護を」
「こんな姿になってでもあいつの加護は、意思は変わらねぇな」
ライナー、シャルロッテ、ヴェルナーが口々に言う。
「あんたが持つべきよ」
そしてベルが持てと言ってくる。
自分ではなく俺に。
「重たいな。振るえないかもしれない」
「振らなくてもいいわ。でもあの子は……あたしたちと一緒にいたいと、あたしたちと一緒に生きたいって言ってくれたのよ。あの子は一緒に戦うためにこの姿になったの」
「……」
「これを一番うまく使えるのはあなたよ、ウィル。あの子の家族であるあなたが使うべき」
「お前もそうだろ?」
「そうね。あたしも使うべきかもしれないわ。でもあの子が剣になったことは決して意味がなかったわけじゃない」
確かに剣を使うのは俺だ。ベルが使うのは魔法だから。
……でもとてつもなく重い。
人一人の命でできた剣なんて、重すぎて振るえない。
ましてや大事な家族なら。
彼女が本当にいるのか知りたくて、少しだけ鞘から引き抜く。
抜いた瞬間、刀身の部分が眩く白く輝く。
この輝きは間違いなく――
「マリナの加護……」
「団長かウィルベルさんでないと、その輝きは現れません。これはあなたたち2人にしか扱えない剣です」
「そうか、それはとても嬉しいな。嬉しいけど……辛いな」
立っていられなくなりその場に膝をついてしまった。
いったい何度目だろう。
前が見えなくなった。
「情けないな。師団長なんてたいそうな役になっているのに、人一人死んだらこの有様だ。覚悟していたつもりだったのにな。情けないよ」
「団長……」
「笑えよ。罵ってくれていい。団長失格だって思ってるんだろ」
高級な絨毯に涙が落ちてシミを作る。
そこに誰かが座る。
「思うわけないじゃないですか。団長が一番つらいってことくらい、わかっていますから」
普段の毒舌が嘘みたいな、優しいライナーの声。
「あなたが団長に向いてないってことくらい、僕たちはみんな知っています。あなたは優しすぎるから、きっとその重責に耐えられない。……でもだからこそ、僕たちはあなたについて行くんですよ」
言っている意味がわからなくて顔を上げる。
そこにはみんなが座ってこちらを見ていた。みんな面白い顔をしていた。
ライナーはいつもの皮肉屋が嘘のような穏やかな顔。
ヴェルナーはいつもの不良なような野蛮な顔ではなく怒りを我慢している顔。
カーティスは困ったような顔。
シャルロッテはもう号泣していて酷い顔だ。
そしてベルは。
目元は真っ赤に腫れていて、大きな瞳は潤んでいた。
負けず劣らず俺もきっと酷い顔をしているんだろう。
でも、少し嬉しかった。
彼女を想う人がこんなにいる。
みんな辛い、悲しい。
それだけ、彼女が生きた意味はあったのだ。
――そうか、人が生きた意味は俺たちが作るのか。
なら彼女が生きた意味は、これからもっと大きくしていけばいいのだ。
涙をぬぐって立ち上がる。みんなも立ち上がる。
「立ち直った? まったく世話の焼ける団長様ね」
「世話が焼けるのはお互い様だ」
「なんですって?」
「なんだ?」
ベルの言葉につい反応してしまった。するとみんな笑い出す。
さきほどの空気が嘘のように明るくなった。でもそれは彼女のことを忘れたわけじゃない。
「さ、いくわよ。もうみんな待ってるんだから」
泣きはらしたベルの顔は、しっかりと前を向いていた。
◆
5人に連れられてウィリアムは旗艦ヘルデスビシュツァーの甲板に出る。
「どこいくんだよ」
「みんなのとこよ。もう待ってるんだから」
「はぁ?」
ウィルベルに手を引かれてきたウィリアムはまだいまいち5人のすることが理解できていなかった。
彼が感じたのは旗艦の周囲にいる大勢の人間の気配だった。
「何しようってんだ」
「今日の戦いを踏まえて、みんなにねぎらいの言葉やら激励の言葉をかけてやれよ。まだ戦いは終わってねぇんだからよ」
「そうはいうが演説の準備なんてしてないぞ」
「誰も団長に綺麗な話を期待してませんよ。さんざん泣いていた人を集団で見世物にする趣味なんてありませんから」
「言ってくれるなお前は」
ヴェルナーとライナーが口々に言う。
普段と変わらない2人を見て、ウィリアムはわずかに微笑む。
「いいから、今のありのままの気持ちを伝えなさい。みんなそれが聞きたいんだから」
「……わかった」
ウィルベルが背中を押した。
ウィリアムは少しよろめきながら、全員が見渡せる場所まで歩を進める。
(我ながら情けない。部下に支えられて、年端も行かない少女に背中を押されているんだから)
全員の前に立ったウィリアムは顔を上げる。
視線の先、空の頂点には、白く輝く月があった。
ウィリアムだけではなく、ウィルベルたち5人、そして集った多くの兵全員を月が明るく照らしていた。
仮面を外したウィリアムの顔もはっきりと。
見たことのない顔の男を確認した兵士やハンターたちにざわめきが広がる。
ひとしきりのざわめきが続いた。
ざわめきの中、ウィリアムは手に持つ剣の鞘の先端で床を突く。
広大な空間に澄んだ音が染み渡り、辺りは静寂に包まれる。
静かな夜。
息を吸って、力いっぱい声を出す。
「俺はウィリアム。ウィリアム・アーサー。この師団の団長だ」
困惑する兵士たち。
「今日、多くの仲間が死んだ。多くの友が死んだ……俺の大切な家族が死んだ」
ウィリアムは続ける。
自らのために戦ってくれたすべてに向けて。
「彼女たちは自分のためではなく、人のためにその生涯をささげた。それは俺にはできない神も称える偉業だ。だから俺は今日戦ってくれたもの全員を心の底から尊敬している。俺の部下は素晴らしいんだと心の底から誇りに思う」
彼の頬を月明りに照らされた雫が伝う。
「彼らは暗いこの世界に明かりをともすべく、誰よりも先に光をもって進んだ。後に続く俺たちが進むべき道を見失わないように。俺たちが生きる世界を明るく照らすために」
ウィリアムが胸に手を当て、空を見上げる。
そこには、分け隔てなく彼らを照らす満月がある。
「彼らの意志はここにある。俺たちの心に生きている。だから俺は、決して歩くのをやめない。絶対に進み続ける。そうでもしないと、死ぬまで戦い続けて先に逝った者たちに、追いつけないからな」
少し笑いながら、泣きはらした男は言った。
その顔を笑うものはどこにもいない。
「俺がみんなに下す命令は1つだけ」
たった一つだ。
彼の言葉は、顔は、力強い意志に満ちていた。
大きく息を吸い、
「生きろ!!」
叫ぶ。
魔法も何も使わずに、その声は全兵士の耳を、魂を震わせる。
「生きてこそ! 戦いだ! 先に逝った者たちの意志は今も諸君らの心に宿っている!種族も性別も生まれも育ちも関係ない! 仲間のために命を捧げた彼らがいる限り、俺たちは決して折れない! 俺たちが戦い続ける限り、彼らは決して死なない!」
手に持つ剣を一気に引き抜く。
「俺は、諸君を照らす光となる! 諸君らは世界を照らす光となる! 生きて戦い続ける俺たちの下にはたくさんの人が集う! 今日! ここから! 世界は変わる!」
剣は月のように白く輝き、その場にいるすべてのものを照らす。
「生きろ! 生きて、戦え! 意志ある限り、俺たちは不滅だ!!」
そして地を震わすほどの叫びがあがる。
あるものを涙を流しながら、あるものは拳を突きあげながら、そしてあるものは隣にいる名も知らぬ友と肩を組みながら。
自分たちの進む道を照らしてくれる英雄の元、誓うのだった。
(この世界は嫌いだ。でも……)
ウィリアムは思う。
引き抜いた剣を月に向けて。
剣になった少女に、この世界のすばらしさを見せるように。
月と同じ輝きを放つ剣を見て、彼は決めた。
この剣の名は――
――『月の聖女』
次回、「追い風に変わる爆風」