第二十三話 少女の想い
次にウィルベルが向かったのは、最初に撤退を支援した中央部隊。
今回最も被害が大きかった部隊だった。
天上人と戦い続けたアイリスとヴァルドロはボロボロで、医務室でちょうど治療を終えたところだった。
「部隊の状況はよくないね。みんな天上人の力を目の当たりにして士気が下がってしまったよ」
「あれほどの力を見せつけられれば致し方なし。だが逆に撃退できたとなれば一気に士気高揚にもつながるであろう」
2人から状況を聞いたウィルベルは違和感を感じた。
「他の部隊はどこも手を抜かれた感じがしていたみたいだけど、中央は激しかったのね」
「そうだね。実際の被害は多いよ。幸い死者がそんなに多くなかったのは救いだね。飛行船の中にいた人たちは大けがしたみたいだけど、それでも死者は数えるほどだ」
「地上にいたもの達は即座に身を伏せたから飛ばされることも少なかった。がれきや家屋が倒壊し、兵が巻き込まれることもあったが、しっかりと防具を身にまとっていたからな。骨折が精々で命に別状はない」
ウィルベルはここでも被害が少ないと聞いてやはり何かあると感じた。
ところがそれを否定する言葉がヴァルドロから放たれる。
「どちらかといえば被害が大きかったのは相手の方だろう。大量の死者が出たはずだ」
「え? 天上人がいたんでしょう? よくそれで損害を与えられたわね」
「損害を与えたのは我々ではなく、その天上人自身だ」
ヴァルドロの言葉に首をかしげるウィルベルにアイリスが丁寧に教える。天上人フリウォルの所業を細かく怨嗟も込めて説明した。
ウィルベルは露骨に顔をしかめる。
「あの緑髪のクソガキね」
「クソガキって、相手は聖人だよ? ウィルベルより歳は上じゃないかな?」
「なおさらでしょ。長生きしてあの性格ってまさしく子供じゃない……性格もそうだしやってることも最低ね。まあなんにしろそいつのおかげで敵に損害を与えられたのは儲けものかしら」
ウィルベルがそういうとアイリスが目に見えて機嫌が悪くなる。
「ごめんなさい、気を悪くしちゃった?」
「え? ああ、いやそうじゃないんだ。あの男が自分の仲間を、それどころか一般市民も巻き込んだことが許せないんだ」
フリウォルの所業が許せずにいるアイリスに同意したヴァルドロがしきりに頷く。
「まったくだ。武人の風上にも置けぬ。見たところ民間人は碌に避難ができていないようだ。大方碌に勧告など出していないのだろう。兵の練度も甘い。だが邪魔だからといって吹き飛ばしてもいいとはならんだろう」
「待って民間人がいたの?」
「そうだ、信じられないことにな。我々が来てから十分に避難させられる時間はあったはずだ。にもかかわらず避難はされていなかった。つまり最初からさせる気などなかったというわけだ。……弱肉強食が聞いてあきれる。我がレオエイダンでは考えられぬ」
「エルフもそうさ。それどころかアクセルベルクや獣人、弱肉強食を謳う竜人でさえこんなことはしない」
ウィルベルはエルフとドワーフの血をひく2人の誇り高さに感心する。
一息吐き、冷静を取り戻したアイリスがウィルベルを見る。
「ところでウィルベルは団長には会った?」
「まだよ。ひとまずみんながいることを確認してからって思って」
「そんなのはボクたちがやっておくから、ウィルベルは団長を確認してきてほしいな」
アイリスの言葉に頷く。
だが内心はあまり気が進まなかった。
(胸騒ぎがするのよね……あまりこういうことをあてにしたくないんだけど)
ざわつく胸を抑える。何かあったのではないかと。
それを知るのが怖くて、こうして全員が無事であることを確認し、彼らも無事だと思いたかったのだ。
だが全員の無事を確認してもウィルベルの不安はぬぐえなかった。
それでも行くしかない。
「じゃあ行ってくるわね。あとで来るんでしょう?」
「飛行船に乗ってね」
挨拶を済ませウィルベルは飛び立つ。
旗艦ヘルデスビシュツァーへ。
そこに悲しみがあふれていることを、彼女は直に知ることになる。
◆
ふらふらと船の中を歩く。
途中で何人かの兵士とすれ違ったが、みんな一瞬怪訝な顔をするだけだった。
誰にも顔を見せていないのだ。
仮面がなければ、だれも自分たちの団長だとは思わないのだろう。
そう考えると改めて自分のおかしさに気づく。こんな団長の顔も知らない師団があるものかと。
俺は、自分のために命を懸けて戦ってくれるみんなに顔も見せなかったのか。
……それよりマリナはどこにいるだろうか。
あんな別れは嫌だ。せめて最後まで一緒にいたい。
「錬金術……工房はこっちか」
駆け足で錬金術設備のある工房へ向かう。
何度も人とぶつかっても無視して進む。
そして広い部屋の分厚い壁の前に着く。
恐る恐る、冷たい扉を開ける。
「マリナ、カー、ティス……」
中を見た瞬間に、絶句した。
それは合成機といわれる錬金術の設備のなか。
材料を投入するはずの円柱状の大きな容器にマリナが入っていた。もう片方の容器には彼女が使っていた刀が。
その光景が信じられなくて、カーティスの横を通り抜けて容器に近付く。
マリナの目を閉じられていた。
眠っているのだろうか。
それとももう……。
「マリナ……嫌だよ……」
何度も流れ、枯れたと思っていた涙がまた流れてくる。
容器に手を触れても彼女のぬくもりを感じることはできない。
容器の中に徐々に液体が満たされていく。
「カーティス……やめてくれ……」
「……」
「頼むから……彼女を、なくさないでくれ……」
カーティスは何も言ってくれない。
振り返ってみると彼もとても苦しそうだった。
彼はきっとマリナの想いを知っているのかもしれない。ずっと一緒にいた俺なんかよりも、ずっと。
悔しい。
彼女は俺に神器の相談なんてしてくれなかった。
したとしてもきっと反対した。
それがわかっていたのかもしれないが、それでも言って欲しかった。
「マリナ……お願いだ、最後にまた声をきかせてくれよ……」
容器内に水が完全に満たされる。
記憶が正しければ、直に錬金術が始まるはずだ。そうなれば彼女の体は無くなる。そういうものだから。
受け入れたくない。
そのとき、部屋の扉を乱暴に開け放つ音が響いた。
◆
ウィルベルが旗艦に辿り着くと、すぐに周囲の人間にウィリアムの居場所を尋ねた。
ただ何故か誰も知らないという。
事前に避難するときは旗艦に転移すると聞かされていたウィルベルは、もしかして彼らはまだ城にいるのではないかと考えた。
だがその考えはウィリアムの居場所を尋ね、知らないと答えた兵士の1人により否定される。
「少将は見ませんでしたが、カーティス大佐は見ましたよ」
「どこにいるの!?」
「たしか工房のほうへ――」
「ありがとう!」
ウィルベルは艦内を全力で走る。
何度も兵士とぶつかるがお構いなしで走る。
胸を焼く違和感、予感、恐怖をかき消すように。
工房に荒い息を吐きながら辿り着く。
(工房になんでいるの? 武器が壊れたとか? でもそれなら後でもいいはず、今はもっとやることがあるはずなのになぜ?)
酸素が足りず回らない頭で考える。しかし結論は出なかった。
胸の中の嫌な予感は膨らみ続け、いてもたってもいられなくなった彼女は乱暴に扉を開く。
「ウィル! ここに……ひっ!」
そこで見たものは、彼女の予想を上回る大きな絶望だった。
◆
死に瀕したことは知ってる。
もう自分が死ぬこともわかってる。
それなのに、わたしのこころとからだはあたたかい。
どうしてだろう。
それはきっと、あのふたりがいてくれるから。ずっといっしょにいてくれたから。
なにもなかったわたしの人生に色をくれた、大事な大事な家族。
死にたいと何度も思ったわたしの生を、生きたいと思わせてくれた命よりも大事な家族。
あのふたりのためになれるなら、わたしは喜んでこの命を捧げる。
だってふたりがいなかったら、とうにわたしは死んでいたから。
だからふたりが生きるためにわたしは生きるの。剣となってそばにいる。
あれ? なんだか二人の声が聞こえる気がする。そばにいるのかな。
眼を開くと、そこにはぼんやりと、見慣れた愛してやまない二人の顔が見える。ひとりはついさっき初めて見た顔だけど、絶対に忘れられない顔。
大好きな人の顔。
液体の中だから、ぼんやりとしか見えないけど、ふたりともきっと心配して悲しんでくれてるのかな。
嬉しいな。なにもなかったわたしをこんなにも想ってくれる人がいるなんて。
最後にこうしてふたりの顔が見れてわたしは幸せ。
『あついからきをつけてね』
はじめて会ったとき、食べさせてくれたご飯はあたたかくてとても美味しかった。
『名前はマリナにしよう』
『じゃあ苗字はノーナミュリンにするわ、マリナ・ノーナミュリン。いい名前ね!』
わたしのなまえはマリナ・ノーナミュリン。ふたりがつけてくれた大切な名前。
『もともとたいして長い付き合いでもない。俺のことは気にせずに、好きに生きればいい』
わたしのことを思ってくれる優しい人。
同じベッドで感じたあなたのぬくもりを、撫でてくれた大きな手の感触をずっと覚えてる。
あの日、あなたが誰よりも優しいと知ったから、うれしいときもかなしいときも、そばにいると決めたよ。
大事な人。
ウィル。
ベル。
ふたりに会えて、一緒にいられて、わたしは幸せだったよ。さいごにふたりの顔を見られたから幸せだよ。
だから喧嘩しないで?
わたしのせいでふたりが言い争っているのはわかる。
ごめんなさい。でもわたしが二人と一緒に戦い続けるにはこれしかなかった。
わたしじゃ二人のいるところまでたどり着けないから。
だからどうか、こんなわたしを許してください。
そして最後のお願い。
いつもみたいに笑ってるふたりを見せて?
いつもみたいにベルが馬鹿なことをして、ウィルがあきれて怒って、でもなんだかんだ面倒を見て楽しそうに喧嘩しているふたりが見たい。
研究に打ち込みすぎて食事もとらないウィルを、お腹が減ったベルが無理やり連れ出してパンを作らせて、一緒に食べてるふたりが見たい。
もっといろんなふたりがみたい。
ずっと一緒にいたい。
ずっと一緒に生きていたい。
前が見えないのは容器に満たされた液体のせい。
だってこれはわたしが決めたことだから。
『ありがとう。ウィル。ベル。また会おうね』
次回、「月の聖女」