第一話 別の世界で
記憶があろうとなかろうと、人の本質は変わらない
天上人 ソフィア・エルグレース
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大きく開けた場所。
地面は固い土、周りは頑丈な壁に囲まれたその場所で、金属がぶつかる甲高い音が響き渡る。
「足が止まっている、攻撃を防ぐ位置が近い、受け流せていない!」
身に纏う鎧は擦れ、まるでジャンク品を床にぶちまけたかのような不規則で耳障りな音が鳴る。
その音に紛れて、野太く迫力のある怒声が上から剣と共に降ってくる。
「ぐっ!」
その剣の勢いに負け、手に持っていた槍を横にして防いだにもかかわらず膝を土に付けてしまう。
「膝をつくな!!」
膝をついた瞬間に、視界がぶれる。
まるで大岩をぶつけられたかのような硬く重い一撃。
蹴られたのだ。
頭がそれを理解するよりも先に体が勝手に反応し、その蹴りの勢いを利用して距離を取り、即座に立ち上がる。
僕は今、戦闘訓練をしている。
全身に重しとしての役割を持たせた金属製の動きにくい鎧を纏い、手には槍を携えている。
一方で僕の相手をしているのは、黒髪に分厚い服の上からでもわかる鋼のような筋肉を纏う偉丈夫。整った容姿は歳を重ねて熟練さと華やかさを兼ね備えており、目の前に立つ者を圧倒するほどの迫力がある。
名をアティリオ・エクトルカ。
僕の戦闘の先生だ。
その先生は防具なんて一切身に着けず、手には飾り気のない刃引きされた剣があるだけ。
どうして先生は何も防具を付けていないのに、僕は完全武装なのか。
「基本の防御をおろそかにすれば、真っ先に死ぬぞ!死にたくなければ必死に抗え!」
「ぐっ、は、はい!!」
それは僕が攻撃することを禁じられているからだ。
攻撃していいのは先生だけ。まるで僕は体のいい素振り用の的当てのよう。
でもこれは決してただの嫌がらせでもいじめでもない、立派な訓練だ。
だけど――
「これで、本当に敵に勝てるのですか!?」
「お前が目指すのはなんだ!?敵を撃つ軍人か!?それとも民を守る騎士か!?」
僕の問いかけに半ば怒鳴った声で返される。
次々と槍の間合いの内側から、頭、首、腕、脚、様々な部位にほぼ同時に剣閃が襲い掛かる。
それらすべてを槍を回転させるように弾き、避け、乱す。
「僕は騎士にッ、なる!」
「ならば身に着けるべきは敵を打ち倒す剣ではない!人々を護る盾だ!」
しかし、僕のつたない防御を超えて、先生の剣が僕の胴を打ち据え――
「一度撃たれた程度で崩れるな!前に出ろ!倒れるならば敵ごとだ!」
「ガハッ!?」
とどめとばかりに僕の頭を横なぎにぶっ飛ばした。
大地が回る。
被っていた重い金属兜ごと首が回り、地に伏した。口の中に土の味、そして血の味が広がり、息が詰まる。
「ブハッ」
訓練場の味気ない地面が赤く染まる。
頭上から声が降る。
「ふむ、まあこんなところか。以前に比べれば格段に良くなっている。ほかの武器も同様だ。このまま励むといい」
「はい、先生……」
ぺっぺと、口に入った赤い土を吐きながら、よろよろと立ち上がる。
先生は剣を鞘に納め、
「午前はここまでとする。午後はいつも通り、武器を変えて鍛錬を行う」
そう告げて、踵を返し広い訓練場を後にした。
「はぁ~……」
誰もいなくなった訓練場で、重い兜を脱ぐ。大量にかいた汗が前髪をぐっしょりと濡らし、額に引っ付く。
それが気持ち悪くて、頭を振って汗を飛ばした。
殴られた頬を触ると、
「イツツッ……」
痛みが走る。恐らく青くなっていることだろう。さっき以前にも何度も体を蹴られたりぶたれたりしているから、体中青あざや腫れだらけだ。
僕がしていることは何か。
それは防御術という名の戦い方の1つを修得すること。
防御術とは、その名の通り守る戦い方。盾はもちろん、槍や剣、短剣といった様々な武具を使って攻撃を防ぎいなす技のことだ。
マスターすれば、どんなに大勢の敵に囲まれても一切の攻撃を受け付けず、一人で何十人もの敵を足止めできる。
聞いた話では、その使い手であるアティリオ先生は戦場で傷を負ったことが無いらしい。その弟子である僕はその域までははるか先だけど。
「もうほんとうに訓練は地獄だな……いや、城の中はほとんど地獄か」
ああ、この鍛錬が午後も続くことを考えると溜息が止まらない。
ちなみに午後は槍じゃなくて盾と剣、そして短剣を使った訓練だ。
鍛錬の内容は素振りや型の練習をした後、またひたすらひたすら相手の攻撃を防ぎ続ける。
剣も短剣も槍以上に扱いになれてないから、さらにぶたれることになる。
泣いちゃいそう、泣いていいかな。
そんな切実な涙が流れそうになるのをぐっとこらえる。もっとも痛みには慣れてしまったから全然流れそうになかったけど。
こんな風に僕は防ぐことしか訓練していない。
そんな状態で、実践で相手に勝てるのか疑問を抱いていたが、不思議と相手の攻撃がよく見えるようになり、どういなして攻めればいいかわかるようになってきた。
聞けば、防御は相手をよく見ることから始まるとのこと。
踏み込みや捻り、目線といった様々な要素を観察し、そこから繰り出される攻撃の傾向や威力、パターンを経験することでようやく可能になる。それを極めれば防ぐ前にカウンターなんてこともできるらしい。
あくまでらしいだ、僕はまだ攻撃なんてしたことない。
とかく午前が終わったので、昼食の時間だ。
城の中、兵士用の食堂に足を運ぶ。廊下や食堂には僕と同じく軍服に身を包んだ幾人もの人の姿。
全員が談笑しながら、仲良さげに話している。きっと同じ部隊の人なんだろう。
対して僕は一人だけ。
唯一話すのは食堂のおばちゃん。
「おばちゃん、今日も大盛で」
「はいよぉ!天上人さんは今日も傷だらけだねぇ、大丈夫かい?」
「大丈夫じゃないよ、今なら何食べても鉄の味がしそうさ。おかげで貧血にならなくて幸せだよホント」
おばちゃんに大目によそってもらい、一人離れた席に座る。
スプーンで食事をすくい口に運ぶ。
思った通り鉄の匂いと味がする。泣きそうだ。
しかも口の中が切れてるから痛いし、せっかくの数少ない娯楽である食事が味わえない。
まあ、たとえ口の中が切れていなくても食事の時間が娯楽になんて、僕には到底なりえない。
「おい見ろよ、出来損ないがいるぜ」
「ほんとうだ。役立たずが」
「今日もまた傷だらけのあざだらけだ。兵士向いてねぇんじゃねぇ?」
聞こえてくる誰かの陰口。
「上も酔狂だよなぁ、あんな出来損ないが天上人なら、俺でも天上人になれるぜ」
「まったくだ、挙句の果てに知能も赤ん坊並みだ」
「あれの下について戦う日が来ないことを祈るよ」
誰も止めようとしない、それどころか我が我がと参戦していく。
その悪口の矛先は誰か。
僕だ。
ここにいる兵士はごく一部を除いて僕にいい思いを抱いていない。
仕方ないとは思う、それだけの事情が僕にはあるんだから。
それにこの城に勤める兵士は一部の精鋭だけだから、ここにいる人たちは強いに違いない。
だけど僕は精鋭だからここにいるわけじゃない。特殊だからここにいるだけ。強さでいえば底辺だ。
だから彼らからすれば、僕は目の上のたん瘤、いや城勤めの兵士という誇りを穢すガンかな。
彼らのいうことは間違ってない。でもだからって、何も思わないわけじゃない。
食事の手を止めて、溜息を吐く。
ここにいる精鋭の人たちと肩を並べるくらい強くなるには、どうしたらいいだろうか。
一人で鍛錬について考える。
「難しいな……もし僕にあれがあれば――」
そのときに、
「どうした?難しい顔して。勲章だらけのイケメンが台無しだぜ?」
気さくに声をかけられた。
その相手は――
「オスカー!ソフィア!」
次回、「記憶のない少年」