第二十二話 家族の証
「マリナ! しっかりしろ! 衛生兵!」
甲板に転移してきた俺たちは、すぐに重傷を負ったマリナを助けるべく治療室に運ぼうとする。
でも腕の中から、かすれた声がした。
「……ウィル、きいて……」
「喋るなよ、傷が開く!」
「きいてっ……」
彼女が強く言うと同時に、体が白く輝く。
加護の光だ。
これなら彼女の体も治って助かる!
そう思って下手に動かすことをやめて、彼女を甲板の上にそっと寝かせる。
……でもおかしい。
加護が発動しているのに彼女の傷が治らない。俺の右手を治したように彼女の体も治るはずなのに!
「ウィル……私は、ここまで……」
「何馬鹿なこと言ってんだ! わかるか? いまちゃんとお前の加護が発現してる! ちゃんと治る! だから喋るな!」
「……ううん、違うの、ウィル……」
「違わない!」
違わない、違うはずがない。
彼女の加護は体を癒すはずだ。
だからいままで俺の体はすぐに治ってきたし、彼女自身この一年で厳しい訓練をして、ようやく聖人になったんだ。
聖人になって頑丈になって加護の力も上がった!
だから治らないなんてありえない!!
「聞いて、ほしいことがあるの……」
頬に何か当たった。
かさついて炭っぽい匂いがする。だけど。
――ずっと一緒にいた、マリナのやさしい手。
――泣きそうになるほど、あたたかくてやさしい手。
「私の加護はね……私の願いはね、家族と生きることだった……『あなた』と一緒に生きることだった。それを強く願うと答えてくれるの」
「なら、願えよ。一緒に生きるんだろ、ならこんなところで死ぬな。ちゃんと願って傷を治せ!」
「……でも『あなた』はそれを望んでない……私が『あなた』と生きたいように、『あなた』は私の知らない世界で……死にたいと願っているから」
「……っ!」
胸が詰まった。
「『あなた』がいれば……私は何もいらないよ。ただ『あなた』の傍にいられれば幸せだよ」
「なら、傷を治してくれよ…………お前がいないと……寂しいよ」
「ありがとう……でもね、あなたは強いから、きっと私がいなくても生きていけるから……」
「強くなんかない! 俺は、強くなんか、ない」
視界がにじむ。
縋るように、頬にあてられた彼女の手を両手で包む。
「お前を守れなかった……助けられた……たくさんの人が『俺』のせいで死んでる。強くなんかない」
一度溢れた感情はもう止められなかった。
今までずっと考えないようにしていた。
この世界は嫌いだからと、だからこの世界の人がどうなろうが知ったことじゃないと。
自分に嘘をついて、『偽りの人格』を演じて。
でもやっぱり無理だった。
目の前にいる少女一人の死に『俺』は耐えられそうになかった。
たった一人の少女との別れを受け入れられないほどに、『俺』は弱かった。
「向こうの世界でも、この世界でも、どこでもいい……一緒に生きよう。だから死ぬな」
仮面からこぼれた涙が少女の瞳に落ち、流れていく。
「ありがとう、ウィル……一緒に生きようね……」
「ああ、ああ!」
彼女の言葉に一縷の望みを得た気がした。
彼女が納得すればきっと加護が治してくれると。
――でも彼女の想いは俺とは違った。
「私の体は、もうダメみたい……でも、それでもあなたと一緒にいたいから……」
「ダメじゃない、治るから……!」
「私は、別の形になってあなたと、みんなと一緒に戦うよ……」
「……何を言ってるんだ?」
別の形? 一体どういう意味だ?
「カーティス……お願い……」
「……承服しかねる……」
「私はウィルと、みんなと一緒に……戦いたい、生きたいよ……」
「……」
どういうことだ?
カーティスはマリナが何をしようとしているのか、わかっているのか?
「どういうことだ? カーティス」
「……」
「ウィル……私はね……」
――神器になるよ。
「……っは?」
「あなたが助けてくれたこの命、あなたのために使う」
神器になる? 何を言ってるんだ。
……まさか。
「錬金術で剣になろうってのか」
「そうだ」
マリナに代わってカーティスが答える。
心の底から、感情が爆発した。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけんな!! 誰がそんなこと頼んだよ!! 神器になって俺の役に立つ? ふざけんじゃねぇよ!!!」
大声で叫ぶ。
誰も何も言わない。
「俺のために命を使えなんて誰が頼んだよ。神器になるなんて、自分の命を何だと思ってんだよ」
ボロボロになった、小さな少女にみっともなくすがりつく。
声が震える。
「俺のためを思うなら、ちゃんとその体で……生きてくれよ。死なないでくれよ。いくらでも休んでいい、わがまま言ってもいい。だから、一緒にいてくれよ……」
あの日、ボロボロになった彼女を助けてから、やっと彼女の人生は始まったんだ。
「人生これからじゃないか……お前はまだ、生まれたばかりなんだから……今生の別れには早すぎるよ」
彼女は何も言わない。
もうその命が尽きかけている。
加護の光はまだ輝いている。でも一向に彼女の傷を治してくれない。
この光は彼女の命を長らえさせるのが関の山だった。
もう目の焦点もあっていない。
「……最後にお願い……」
「なんだ、なんでも言え。最後とは言わずにいくらでも!」
「顔が見たいよ、あなたの顔が」
仮面をとって乱雑に放る。今まで頑なにとらなかったけど、そんなことはどうでもよかった。
とった瞬間、顔に涼やかな外気が触れる。
そして――
唇に何かが触れた。
「ウィルは……仮面がない方が、かっこいいよ」
マリナがいう。
その言葉は頭に入ってこなかった。
「……カーティス、お願い……」
「……わかった」
カーティスがマリナをどこかへ運ぶ。
握っていた彼女の手が離れていく。
甲板の上で俺はみっともなく、座り込んでいた。
――家族とのキスは、血と炭の味がした。
◆
中央、右翼、左翼と別れていた部隊は、すべて壊れた防壁から中層側に出た地点で合流した。
その中で、ウィルベルは知り合いの顔がいないか空を飛びながら確認すると、2人、同じ部隊員の姿を見つけ、駆け寄った。
「ライナー、ロッテ!」
「ウィルベル! 無事だったか!」
「先ほどは助かりました! ありがとうございます」
「いいのよ、それよりそっちはどうだったの?」
ウィルベルが東部側の被害や戦果はどうだったかと聞くと、ライナーとシャルロッテは微妙な顔をした。
深刻というよりは戸惑っていた。
「妙ですね。こちらの被害が少ないのですよ。相手の無能を疑うほどに」
「? それはいいことじゃないの?」
「そうなんだが、私たちと戦った相手は化け物といってもいいほどの実力の持ち主だった。2人掛かりで足止めも満足にできないほどに」
確かにおかしな話だと、ウィルベルは額に手を当てる。
「指揮はいまいちだったとか?」
「あれほどの猛者です。長い時を生きる聖人であり、部隊を率いる立場にいるなら、それなりに学んでいるはずです。余程の素人でも我々に被害をもたらすことは可能だったでしょう。ましてや最後、撤退する際に僕たちは囲まれていましたから」
最後にウィルベルが援護に回り、突破口を開いたことで東部部隊は撤退することができた。被害が少ないのはもちろん諸手を挙げて喜ぶところではあるが、明らかに見逃されていると考えると一概に喜べない。
「まあ、どんな思惑があるにせよ、無事なことは確かです。いい報告はできませんが悪い報告もせずに済むので良しとしましょう」
「そうだな! なにかあったとしてもそれはこれから打ち破ればいいんだからな!」
「そうね、ところで他の連中は知ってる?」
ライナーとシャルロッテの無事を確認したウィルベルは、二人から聞いた次の仲間の下へ向かった。
◆
「いてて、もうちょっと優しくしてくれよ」
「えーっと、こう?」
「あいたー!」
「ジュウゾウにエスリリ、よかった無事……なのよね?」
ウィルベルが次に会えたのは、砲兵を率いるジュウゾウと、彼の手当てをしている独立部隊の獣人のエスリリだった。
「エスリリは何をしていたの?」
「くぅーん、ごめんなさい。何もできなかったの」
「え? あ、いや責めてるわけじゃなくてね!」
尻尾と耳をしょげさせて明らかにへこんでいるエスリリを見て、ウィルベルは慌ててフォローする。
ジュウゾウは首を横に振り、包帯を自力で巻きながら補足した。
「なんでも指示されてから現場に向かうまでに時間がかかったことを気にしているみたいでな! こちらに援軍としてきてくれる予定だったが、かなり遅れてきたのだ。そして実際にやってきたら俺が負傷していたので、こうして落ち込んでいるというわけだ!」
「ああ、なるほどねぇ」
「くぅーん……」
ウィルベルはそもそもどうやって飛行船に乗り移ったのかがむしろ気になった。
通信を使えば乗り込む用の梯子やロープを出してくれる。それを使えば獣人であるエスリリの身体能力であっという間に登れるはずだった。
「どうやって飛行船に乗ったの?」
「えっとね、あそこに高い建物があったの」
エスリリが指さす方向にはボロボロではあったが、周囲より頭3つほど抜けた高さの時計塔が遠くにわずかに見える。
「あそこからぴょーんて」
「あそこからぴょーん? え、まさか飛び移ったの?」
「そだよー」
ウィルベルは口をあんぐりと開けて固まる。
そしてジュウゾウが大口開けて笑う。
「はっはっは! 面白いだろう!? 俺も聞いたときは驚いた! 獣人の身体能力は知った気でいたが、どうやらその中でも彼女は一つ抜けているようだ! 確かに彼女がいれば俺は怪我しなかったかもしれぬな!」
「ごめんなさ~いぃ……」
「なに責めているわけではない。次に期待できるということだ」
「ホントに!?」
ジュウゾウに前向きな言葉をかけられてエスリリは途端に元気を取り戻す。
ウィルベルは少し気が抜けながらも西部の状況を確認することにした。しかしここでもジュウゾウは東部のライナー、シャルロッテと同じく眉根を寄せる。
「どうやら奴らは手を抜いているらしいな」
「どういうこと?」
「兵士一人一人は本気で向かってきている。だが指揮官と思しき男にやる気が見られない。一見すればありそうだが指揮の内容にはまるで侵攻する気が見られないのだ」
「西部もね、東部もそうだったわ。撤退戦で包囲までされたのに大した被害はなかったそうよ」
「ふむ、となるとやはり何か向こうには作戦があるということか。これからの行動に気を付けなければなるまい」
「具体的には?」
「さてな、そればかりは団長や参謀殿が考えることであろうよ。俺は起きたことを正確に把握し報告するまで」
ウィルベルはそんなものか思いながら、次の仲間のいる場所へ向かった。
次回、「少女の想い」