第二十一話 退却
最初、それが何かわからなかった。
ただ、振るわれた剣が首に届かなかったことだけがわかった。
やけにゆっくりに見える世界で、徐々に、徐々に、理解した。
貫かれたのは――
「っマリナ! 何してんだ!!」
白髪交じりに黒髪を腰まで伸ばした少女。炎に滾る剣が少女の背中から生えていた。
「邪魔すんじゃねぇよ!!」
炎の剣を振るう男は苛立たし気に突き刺したマリナから強引に剣を抜き、蹴とばす。
蹴り飛ばされたマリナはなおも炎に包まれていて、動きもしない。
マルコスは彼女に目を向けることもせず、一心不乱に俺へと向かう。
「てめぇは俺が殺す! その首、もらった!」
炎の剣を振るうマルコスは俺とマリナ、そして味方であるはずのマリアをも巻き込むほどの炎を放ってきた。
「精霊!!」
『了』
炎が迫ってくる直前にマリナごと精霊を使って転移する。
「グッ!」
転移した瞬間に、ミイラ化した足に衝撃を受け、鈍くも鋭い痛みが走る。
それでも歯を食いしばり、ヴェルナーとカーティスのもとに下がった俺は左手一本でなんとか這いずってマリナの容体を確認する。
「マリナ、マリナ! 何してんだお前は!!」
見ただけでわかる。
彼女は重傷だった。
胸部を貫かれ焼かれた。
マルコスの放つ炎は超高温で、その炎は傷口だけでなく彼女の全身、内臓までも焼いていた。
目の前の焼けた少女を前に、自分の右手の痛みはとっくに気にならなかった。
どうする、どうすればいい!?
彼女以外に傷を治せるものなんていない。
……まて、カーティスならもしかするかもしれない!
「カーティス、どうにかできないか!?」
「……」
マリナの横に座り容体を見る。
しばらく見ていたが、やがてカーティスはいつもの仏頂面をさらにしかめながらゆっくりと首を振る。
それが信じられなくて、何度も聞き返す。
「嘘だろ、何とかなるよな!?」
「無理だ。この場で彼女以上の治癒の力を持つ者はいない。彼女自身が治さなければ」
「! そうだ、マリナ。加護を! 治すんだよ!」
マリナに必死に声をかける。
体のいたるところが黒く炭化していた彼女は、溶けて癒着していそうな目をゆっくりと開けてこちらを見る。
小さな口からかすれた声が聞こえる。いつもの穏やかな声じゃなかった。
「……ウィル、手を……」
彼女はボロボロの手を持ち上げる。その手を無事な左手と乾き切ったミイラのような右手で触れる。
すると彼女の体が淡く白く輝いた。
加護だ。これで彼女は助かる!
「……えっ?」
光が収まったとき。
そこにはいまだボロボロのマリナ。
そして、なぜかもとに戻った俺の右手があった。
「違う、違うよ。俺じゃない。自分を治すんだよ!」
「団長! 敵が来るぞ!」
俺とカーティスがマリナを見ている間、敵を引き付けていたヴェルナーが指示を求めてくる。
「マルコス、私も殺す気だった?」
「何言ってんだよ。あの程度じゃ死なねぇんだから別にいいだろ。それよりむかつくあの生意気な野郎の首の方が大事だ」
「……私はあなたの方がむかつくわ」
「なら今ここでお前を燃やしてやろうか、あ?」
赤毛のクソ野郎と黒髪のクソアマが何やら言い合っているが、今はあんな2人にかまっている場合じゃない。
この状態で、何よりこんな室内で炎を操るマルコスを相手にするのは不利だ。ましてやこちらは重傷者がいる。
……継戦は、不可能だ。
「……撤退する」
「……わかった」
「うむ」
ヴェルナーが2人に向かっていくつもの弾丸を放つ。その弾丸は直撃する前に爆発し、部屋中に煙を充満させた。
「すぐに治すから……辛抱してくれ」
「……」
腕の中で浅い呼吸を繰り返す少女を抱えて撤退した。
◆
グラノリュース天上国上層、中央地区。
開戦前のきれいに整理されていた街並みは、跡形もなくがれきの山と化しており、あちこちに屋根のない家や木が転がり、壊れ、折れていた。
荒廃した街並みの上空にいるのは、あくびをしながら浮くサーフボードに乗った緑髪の少年。
「ふぁぁ、しぶといね~。いい加減諦めたら? 僕疲れてきちゃったよ」
フリウォルの下には綺麗な金髪を土や埃で汚し、軍服もボロボロになっているアイリス。
そして屈強な体から血を流しながらも盾と槌を構えるヴァルドロだった。
「はぁ、はぁ。埒が明かないね。防戦一方だ」
「こちらからの攻撃が届かないのではどうしようもない。不幸中の幸いはこちらの兵に損害が出ていないことか」
肩で息をするアイリスは周囲を見渡す。
あたりは惨憺たる有様だった。倒壊した家屋、その中にはいくつもの人の体が横たわっている。
統一された服装を身にまとっていたものもあれば、そうでないものもいた。
統一された軍服はアクセルベルク軍ではなくほとんどがグラノリュース軍のものだった。
「本当にイカれてるよね、天上人は。敵も味方も、あまつさえ民間人ですらお構いなしに巻き込む。反吐が出るよ」
「ここまで鉄槌を下したいと思った相手は初めてであるな。悪魔相手ですらここまでの思いを抱くことはなかった」
「同感」
フリウォルは援護するために集まってきた自国の兵士も巻き込むような大魔法を躊躇なく使い、逃げ遅れ、助けを求める民間人も容赦なく、というより眼中になく殺した
そんなフリウォルはいい加減あきたと言わんばかりの口調で言う。
「もういいだろ? 諦めて投降してよ。そうすれば生かしてあげるし、ちゃんといい生活させて幸せにしてあげるよ。あ、でもその横のひげのおっさんはだめだよ。興味ないから」
人の命などなんとも思っていない言葉に、アイリスの怒りは頂点に達する。
「君なんかの下に行くならボクは死を選ぶ。悪魔以下の生き物、下種の塊の君がボクに触れるなんて絶対にない」
「……はぁ? 何いってるんだい君は。それを決めるのは君じゃないよ。この場を支配しているこの僕だ。弱者に決める権利なんて何もない。この光景がいい証拠さ」
フリウォルは周囲を見せつけるように両手を広げる。
「弱者は強者に踏みにじられるのみ。この国の人たちもみんなそうして生きてきたのさ。上層の人間はみんな中層や下層の人たちから略奪して生活しているんだ。だったら彼らより強い僕が同じことを彼らにしても文句は言えないはずさ。そうだろう?」
「とても国に仕える人間が喋る言葉ではないな。この国の象徴と言われている天上人であれば国のために尽くすものだろう」
「話しかけないでくれるかな、ひげ親父には興味ないんだ」
フリウォルはヴァルドロの言葉に聞く耳を一切持たない。
それどころか不快さを隠そうともしない。
「天上人はこの国の象徴、確かにそうだ。だから僕たちはそれを体現しているのさ。この国は弱肉強食だって。なによりもさ、人は国のためにいるんじゃなくて、国が人のためにあるもんだろう? だからこの国は僕のためにあるんだからなにしたっていいじゃないか」
「とんでもない暴論だね。確かに国は民のためにある。でもそれは君以外の民にも同じだ。君以外の民のことを考えたことはないのかい?」
「ないよ、そんなもの。いや、正確には考えるのはやめちゃったよ。だってみんな好き勝手してるんだもん。僕たちをこの世界に連れてきて働かせるんだよ? それだけでも横暴だし、上層の人たちは平気で下の人たちから奪ったもので裕福に暮らしてる。おかしいと思わないかい?」
彼の話す言葉に偽りはなかった。アイリスが事前に聞いていた話と一致している。
確かに彼のいう言葉にも一理あると。
しかし続いて話す彼の言葉によって、それは一切覆される。
「まあ、僕は死んでから来たから生まれ変われてラッキーって思ってるんだけどね。そんでこの世界じゃ魔法が使えて他の人は使えない。無双しまくりじゃないか! これは本当にラッキーだったし、この国は道徳なんてあってないようなもんだし、もう好き放題できる! 女も金も何もかもね! うんうん、まさしく僕のためにあるような世界だよね! だから僕は、この世界で何をしても許されるのさ!」
長々と興奮しながら言葉を紡ぐフリウォル。
アイリスとヴァルドロはあまりな言葉にあっけにとられていた。
ここまで他人を、世界を蔑ろにできる人間が存在するのかと。
「というわけで早く降参してよ。僕にかなう人間なんて君たちの中にはいないんだからさ。苦労して作ったんだろうあのへんてこな乗り物も僕にかかれば一瞬さ。抵抗しても無駄だよ」
「……抵抗しても無駄、か」
アイリスは小さくつぶやく。
確かに自分と目の前にいる少年の力の差は明らかだった。
いままでずっと遊びのようにしか思われておらず、それでも自分たちはボロボロになっている。
悔しさでわずかに視界が滲みだした時――
「無駄なことなどありはしないのだ」
横から、重く響く金属音が鳴る。
ヴァルドロが槌を強く地面に叩きつけた。
彼は髭に隠れた口を大きく開き、いつもよりはっきりとした、力のある声を放つ。
「無駄な戦いなどありはしない。たとえ死んでも、我々の戦いは決して無駄になりはしないのだ!」
「……うるさいなぁ、おっさん。無駄なんだよ。ここで抵抗しても君たちは死んで何も残らない。無駄以外のなんだっていうのさ」
「我らが死んでも意志が残る」
ぴしゃりと言い切る。
「我らは決して折れぬ。たとえ敵わぬとわかっていようとも、死ぬとわかっていようとも、我らは戦う。我は一人ではない。たくさんの仲間が、盟友が、家族がいる。我らの意志を彼らが引き継ぐ。最後まで戦い、誇りを貫いた我らの魂は彼らの心に宿り、最後までともに戦うのだ。そこに無駄など絶対にありはしない!」
「何熱くなってんのさ。サムいよ。意志? 魂? 心? ばっかみたい。そんなものないよ。死んだらそれでおしまい。君のことを知る人もこのあと同じく僕の手によって死ぬだけさ」
「わかっていないな。小童が」
珍しくヴァルドロが鼻で笑う。
アイリスはそんな彼から目を離せなかった。
「貴様ごときに我らは負けぬ。こんな小さな国でしか威張れぬ矮小な器に、我らを率いる団長が負けることなど絶対にない。団長はすべての兵を慈しみ、愛している。我らが死んでも代わりに貴様を討つ。そうであろう?」
ヴァルドロがアイリスを見て、笑う。
ドワーフのヴァルドロと人種族で長身のアイリスでは大きな身長差がある。
でもアイリスには、横に立つヴァルドロがとても大きく感じられた。
彼の言葉にこもった想いに勇気づけられたアイリスは、改めにフリウォルに剣を向ける。
「大陸の英雄であるボクたちの団長が君なんかに負けるわけない。いや、団長が出るまでもないね。ここでボクたちが倒してあげる」
今度こそフリウォルは頭に来た。
「……むかつくね。この世界に立った数年しかいない逃げ出した腰抜けと同列どころかそれ以下?」
気の抜けた顔をしていたフリウォルの眉根が寄り、深い皺が刻まれる。
「もういいや。死んでいいよ。僕のものにならないならその綺麗な顔と体、ぐちゃぐちゃにしてあげるよ。それなら未練なんか残らないしね!!」
フリウォルが両手を挙げると、天をも巻き込む巨大な竜巻が発生した。
「さようなら! 馬鹿なことしか言えない原始人たち!」
竜巻を2人に向けようとした瞬間に、
「フリウォル!」
甲高い声がした。
声に聞き覚えのあったフリウォルはとっさに振り向く。
振り向いた彼の目に飛び込んできたのは――
「え?」
白熱した剣。
「がぁっ!」
剣が直撃し爆発により吹き飛ばされ、サーフボードから落ちる。落ちていく彼を青髪の絨毯に乗ったヴァレリアが助ける。
「フリウォル、生きてる?」
「う、うぐ、いたいいたい痛い!」
「生きてるみたいね」
ヴァレリアはフリウォルが無事なことを確認すると、もう1人の魔法使いを睨みつける。
「逃げ出す上に不意打ちとはつくづく卑怯な小物ね。胸と比例してるんじゃない?」
「……ぶっ殺すわよ」
答えたのはウィルベルだった。
彼女の姿を確認したアイリスは歓喜の声をあげる。
「ウィルベル! 無事だったんだね!」
「アイリス! あんたこそ無事だったのね。魔法使い相手によく頑張ったじゃない!」
「いや、もうぼろぼろで何もできなかったけどね」
ウィルベルは二人を庇うように天上人との間に入る。
「生きてることが一番の成果よ。ヴァルドロもありがとうね」
「当然のことをしたまで」
「大事な事よ。当然ができる人は少ないわ。目の前のあいつらを見ればわかるでしょ」
ウィルベルは2人の天上人を睨みつけると、相手もウィルベルに憎悪のこもった目で睨みつけた。
アイリスも2人を警戒しながらウィルベルに状況を尋ねる。
「ウィルベルは団長と一緒に城に向かったんじゃないの? どうしてここへ?」
「……撤退よ」
「え?」
「もうすぐ日が沈む。今のうちに撤退して態勢を立て直すわ。あたしが殿を務めるからあんたたちは兵をまとめて下がりなさい」
有無を言わさない強い口調に戸惑いながらも、アイリスはすぐに頷きヴァルドロと共に下がっていく。
その様子を見たフリウォルは憤怒の形相で怒鳴り散らす。
「お前ら逃げるのかよ! あんだけ大口叩いておいて情けなくないのか!」
「フリウォル、私たちも下がるわよ」
「は!? 何言ってんだよ、僕はまだ――」
「命令よ、聞けないの」
「っ、……わかったよ」
怒鳴るフリウォルをヴァレリアが諭す。
その様子を見ていたウィルベルは怪訝な顔をする。
「何? あんたたちも退くの?」
「ええ、不満だけど、そういう指示が出たから退いてあげる。命拾いしたわね。まあどうせ明日には死ぬから大して変わらないでしょうけど」
「覚えておけよ、お前らは絶対この僕が潰してやるからな!」
不服そうに喚きながらフリウォルとヴァレリアは城にいる方角へ帰っていく。
(釈然としないわね。何かあったのかしら……なんだか胸騒ぎがする)
疑問に思うもウィルベルはすぐさまその場から離れて他の戦場の支援に行く。
「ウィル、マリナ……無事よね?」
◆
「中央部隊無事に撤退しました!」
「西部も徐々に後退しています! 戦場は徐々に沈静化している模様!」
「東部、なおも交戦中! 独立部隊員が殿を務めていますが撤退できておりません!」
「ドゥエルに侵入した敵はなおも抵抗を続けています! ジュウゾウ連隊長が負傷したとの報告が!」
旗艦ヘルデスビシュツァー指令室。
そこでアグニータは各地の部隊の状況を聞き、指示を出していた。
「無事に後退した中央部隊は東部に向かわせてください! エスリリさんは!?」
「ジュウゾウ連隊長と共にエドガルドと名乗る男と交戦中です!」
アグニータは歯噛みする。
予想以上に相手の天上人、天導隊の人間が厄介だった。
そしてそれ以上に気になるのは撤退を連絡してきたウィリアムの様子。
(あんな声のウィリアムさんは初めてだった……無事ですよね)
雑念を振り払い再び全体の指揮に戻る。
既に外は日が沈みはじめ、太陽が赤く染まっている。
夜戦を控えるならこのタイミングでの撤退は不自然ではない。きっと何もないと自分を納得させる。
(私も一緒に戦えたらどんなに楽だったことか……実際に戦場に出て指揮することがこんなに辛いなんて)
自分の指揮で多くの兵士たちが倒れていくのを彼女はひたすら耐える。
撤退を指揮する中で、彼女にとって大事な情報が飛び込んできた。
「足止めを食らっていた東部が無事撤退を開始しました! ファグラヴェール少佐が支援してくれた模様!」
「! それでは東部はそのまま中央部隊と合流し防壁外まで撤退してください。敵から追撃が来た場合は待機しているトゥテラリィ級が対処を!」
ファグラヴェール、つまりウィルベルが東部に向かい、足止めを食らっていた東部軍の撤退を支援したことで戦況は無事に一旦の収束に向かっていく。
一刻も早くウィリアムのもとへ向かいたいアグニータだが、今は代わって無事に軍が撤退するまで指揮しなければならない。
逸る心を抑えてひたすら頭を回す。
(私にできるのはこれだけ。どうか無事で!)
次回、「家族の証」




