第十五話 出撃前夜①
臨時基地の心臓部となっている巨大な旗艦ヘルデスビシュツァー。
遠征を前提にしている師団の旗艦なだけあり、いくつもの機能を備えている飛行船の一室には、錬金術を行使するための広大な部屋が存在した。
その一室に初老でくすんだ銀髪の男と白髪が混じりの黒髪の少女。
2人は、人一人が入れそうなほどに大きく透明な円柱の容器がいくつもついた設備の前に立っていた。
「これは何?」
「これは合成機。大昔からある錬金術の最も基本的な装置だ」
合成機と呼ばれた設備。
これは片方の円柱容器に入れられたものに、もう片方の容器に入ったものの機能や形状を付与するもの。
材料の特性や効果を操る錬金術において最も基本的な装置。
この装置も長年改良がくわえられ、今日では合成品の形状や大きさ、性質をある程度任意に選べるようになっている。
「これは?」
「それは分解器だ。構成する元となったものに道具を分解するものだ。これは比較的新しく作られたものだな」
葉巻から紫煙を吹かしながらカーティスは説明する。
マリナは大量にある錬金術の装置について教えてもらっていた。カーティスは当初渋っていたが、マリナに根負けして一つ一つ教えている。
「この大きさの違うたくさん試験管が生えてるのは?」
「それは変温状態固定器だ。温度を変えて状態が変わった物質を維持し続ける機械だ」
「あまり使い道はなさそう……何に使われているの?」
「この部隊ではしょっちゅう使っている。固体液体気体、三態と呼ばれる状態ではそれぞれ示す特性が異なる。特性を利用する錬金術において三態とはとても重要なものだ。レオエイダンの王女の武器もおそらくはこれを使って作られたものだろう」
「そうなんだ……カーティスは物知り。すごい」
「フン……もういいか?」
煙交じりの溜息を吐き出す。
マリナは装置を見るのをやめ、カーティスに向き合う。
「最後に一つ……これが一番知りたいこと」
「それを最初に聞くべきではないかね。そうすれば無駄な時間を浪費することもなかった」
「いいえ、必要なことだった」
カーティスが根元まで燃えて灰になった葉巻を携帯灰皿に突っ込み、眼鏡を直しながらマリナを見る。
彼女の目にはいつも以上に強い光が宿っていた。
カーティスは視線で続きを促す。
マリナは一瞬ためらうように、しかしすぐにはっきりと――
「神器、カーティスなら作れる?」
言った。
言葉の意味に、カーティスの仏頂面が忌々しそうに歪み、放つ声には怒気が含まれていた。
「知らんな。たとえ作れたとしても作る気はさらさらない」
「それは半分嘘……あなたは作り方を知ってる。知ってるからこそ、作りたくない」
カーティスは鼻で笑う。
「だとしたらなんだ。その口ぶりからお前も察しているのだろう。神器というものが禁忌を犯して作り出されたものだということを。そんなものを作った古代の人間たちは愚かとして思えん」
マリナは俯く。
カーティスの怒りとは正反対の愁いを帯びた声色で――
「……私は少しわかる気がする。彼らには死んでも成したい何かがあった。だから『もの』の姿を変えることができる錬金術に夢を見て……そして賭けた」
「賭ける? まったく勝ち目のない勝負を賭けとは言わん」
マリナは確信した。
カーティスが確実に神器の作り方を知っていることを。そして自身の考えが間違っていないことを。
他の錬金術師を始め、ウィリアムですら知らないこと。
ウィリアムが知っていれば、是が非でも止めること。
(口ではいつも私たちのことを想ってないふりをする人……でもそれは自分を偽る仮面。顔も言葉も偽る人……でも心だけは偽れない人)
マリナは話は終わりと立ち去ろうとするカーティスに、まだ終わってないとばかりに話しかける。
「ねぇ、カーティス……あなたにとって生きるってどういうこと?」
「なんだそれは。そのような曖昧な問いに答える意味は無いな」
「そうかな……大事だと思うよ。人によって違うと思うけど、だからこそ面白い」
「話が見えんな。哲学の話がしたいなら、それこそあの魔法使いとすればいい」
やれやれと肩をすくめるカーティス。
マリナは彼の正面で、まっすぐに言った。
「私にとって生きるってことはね……命を賭して、自分の夢をかなえようとすること」
生涯をかけて、自分の夢を果たし続けることだと。
カーティスは彼女の言葉を笑わない。
ただ受け止める。
「その通りなら、ほとんどの人間は生きられていないように思えるが?」
「そうだね……だからみんな生きたいと願うんだよ。かなわない夢を叶えるために。錬金術はきっとそんな願いから生まれた。神器はその想いの結晶」
カーティスは何も言わない。だがその顔は理解できないという考えをありありと示していた。
かまわずにマリナは続ける。
「ウィルは元の世界に帰れば、自分が死ぬことをわかってる……わかっていてもなお、『元の世界で生まれた自分』として生きるために、死のうとしているんだよ」
夢をかなえようと足掻くことが生きることだと、マリナは『彼』から教わった。
たとえ、夢の先が『死』であったとしても――
元の世界の人間として生きるために、その『死』を目指すと――
「悲しすぎるよ……どんなに彼がこの世界のために尽くしても、誰も元の世界の『彼』を見ていない……死にゆく『彼』に気づかない……『彼』が幸せになる未来は、あまりにも遠すぎる」
マリナは俯き、前髪で顔が隠れる。
「私は、『彼』のおかげで、今、とても幸せなんだ。……名前も知らない『彼』だけど、私に名前をくれた。意味をくれた。家族をくれた」
足元へ一つ、雫が落ちる。
顔を上げる。
その顔は、
「だから、次は私が『彼』を助ける。……私は『彼』のために生きる」
笑っていた。
カーティスは、もともと険しい顔をさらに険しくし、困ったように眉根を寄せる。口元を横一文字にキュッと引き締める。
マリナは涙をぬぐい、少しだけ微笑みながら、カーティスにしゃがむようにジェスチャーをする。
渋々と言った体でカーティスはしゃがみ、マリナと視線を合わせる。
「今はわからなくてもいいから……これだけはお願いしたいの」
「なんだ?」
マリナがカーティスの顔に口を近づける。
耳元に寄せられた小さな口からは、これまたとても小さな声が発せられた。
しかしその内容は―――
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
◆
いよいよ明日。
この国と決着をつける日だ。
まだアクセルベルクを出発してから1週間程度しか経っていないが、あっという間に上層を攻めるところまで来た。
この国を出たときは、国を落とすことはかなり困難なことだと思っていた。
でも今は違う。
この国はこんなにも矮小で脆い。
こんな国に俺は人生を滅茶苦茶にされて、挙句大事な人を何人も失ったのか。
今でもあの時のことを思い出す。
軍と戦った日。
ソフィアが死んだ日。
胸を貫かれる彼女を前にして、何もできなかった日。
記憶を取り戻した時、俺を襲ったのはとてつもない嫌悪感、吐き気、憎悪そして無力感だった。
今でも、あの時感じた怒りは、憎しみは、この胸の中に消えずに燃え続けている。
ウィルベルと出会い、マリナと出会い、特務隊の連中や各国を巡って多くの人と出会っても、俺の怒りは消えなかった。
ずっとこの世界の人が嫌いだった。
この仮面を外してしまえば、その感情はきっと溢れ出す。
そうなればきっと彼らは俺に協力しなくなる。
だから俺のために命を賭してくれる彼らの前でも俺は仮面を外さない。
彼らが戦いたくなるような指揮官を演じるために。ウィリアムなんて実在しない人間を演じるために。
基地の外、誰もいない平野を1人歩く。既に日は沈み、辺りは暗くなっている。
とても静かな夜。
でも明日には、この静けさと暗闇が嘘のように、この国は人の絶叫と燃える火であふれかえることだろう。
それをさせるのは誰だ?
前の世界にいた日本人の俺じゃない。
この世界で生まれた、この国自身が生んだウィリアムという存在だ。
「ここにいたのか、ウィリアム」
不意に声が掛けられる。
振り向くと、そこには素顔をさらしたオスカーとアメリアがいた。暗くてわかりづらいが背格好や声からしてそうだろう。
宿で会ったときは気づかなかったくせに、こんなところで俺に気づくとは。
2人にとって俺は邪魔者だろう。
なら関係ないふりをするのが一番だ。
「どちらさまで?」
「とぼけるなよ。それともまた記憶をなくしちまったのか? オスカーだよ。こっちはアメリアだ」
「久しぶりです。ウィリアムさん」
「……」
どう接すればいいかわからなくて黙ってしまう。
2人にとって俺はなんだろう。
何をしに来たんだろう。
「あのときのリベンジに来たぜ」
「リベンジ?」
「そうだよ。記憶を取り戻したとき暴れるお前と殴り合ったやつ。城での手合わせ以外でお前とガチでやり合って、そして負けたのはあの時が初めてだった。だからリベンジだ」
オスカーが腰に差した双剣を抜く。
あのときのリベンジというが殴り合いじゃないのか。見たところ刃引きもしてない剣だ。明日出撃なのに馬鹿なんだろうか。
「明日は出撃だよ。陽が落ちたばかりとは言っても、今暴れたら体の回復が追い付かないよ」
「ちゃんと寝りゃ超回復ってのが起こるから平気だよ」
「理解してないだろ、それ」
超回復は激しい運動をした後に休んで疲労が取れた後にもとの能力以上の力が引き出せる状態になったときのことを言う。すぐに疲労が取れるのが超回復ってわけじゃない。
説得しても聞かなそうなので仕方なく、亜空間から剣を取り出す。
「へっ、槍じゃなくていいのかよ」
「どっちも変わらないさ」
「そうか、いっ!」
言葉尻と同時にオスカーが俺に突撃してくる。暗いことも相まって姿が捕らえづらい。なるほど、この状況じゃ速さを活かす戦い方の彼に有利だ。
まあ、関係ないな。
「がっ!」
暗闇に覆われた空間に突如紫電が発生する。
紫電に思いっきり突っ込み、まともに痺れたオスカーは俺の下に来ることも敵わずにその場に倒れる。
そんなに強くないから数分で起き上がれるはずだ。
「いったろ? 関係ないって」
「き、汚ねぇ……」
「……俺は軍人なんだ。そして明日、戦が始まる。汚かろうがなんだろうが勝たなきゃいけないんだ。騙し討ちも不意打ちも数に物言わせて攻めることだって平気でやるさ」
「こういうのは大抵腕っぷしだけって相場は決まってるだろうが」
「知らねぇよ、そんなの。言ってくれなかったし。むしろ俺は最初あの時のリベンジっていうから殴り合いかと思ったのに、剣を抜くから何でもありなんだと思ったよ」
徐々に体の感覚が戻ってきたオスカーがゆっくりと立ち上がる。
「ああ、じゃあ俺が最初に卑怯な手を使ったってことかぁ」
立ち上がったオスカーからは戦う気概は感じられない。
……やる気があるのか?
「なんでこんな馬鹿なことをする。明日戦うってのに体を酷使するなんてやる気があるのか。聞けば昨日、ジュウゾウともやり合ったそうだな」
「なんでぇ、知ってたのかよ」
通信でアグニを呼び出した後、何をしていたのか尋ねたら教えてくれた。アンドリューと名乗る仮面男とジュウゾウが戦っていたと。
それを止めるために出向いたら2人と仲良くなったとも。
意識が低いんじゃないのか。
明日が本当に大事な日だとわかっていればこんな馬鹿なことはできない。それをするってことは目の前にいる男は大馬鹿だ。
もしくは俺の目的を軽く見ているということか。
「この国の外の連中がどんくらい強いのか知りたくてな。奴さんも乗り気みたいだったからついつい乗っちまったよ」
「もういい。オスカー、アメリア。明日は戦いに参加するな。町に引きこもってろ」
「はっ!?」
「えっ!?」
告げると2人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
理解ができないとばかりに食って掛かる。
「なんでだよ!? 明日はこの国の行く末を決める大事な戦いだろ!? 俺たちが参加しないでどうすんだよ!」
「そうだよ! 私は戦えないけど後方でできることを頑張るから!」
2人の言い分に頭の血が熱くなっているのを感じる。
冷静じゃないと自分でもわかる。でも止められない。
本当にこの戦いが大事だと思ってないだろ。
足を引っ張っても楽勝だとでも思ってるだろ。
「大事な戦いだってわかってるなら、馬鹿みてぇに戦いを挑んできてんじゃねぇ。怪我して戦えなくなったらどうするつもりだ? 今お前たちの前にいるのが誰だかわかってねぇのか?」
「あ? 俺たちの前にいるのは戦友のウィリアムだろうが。戦友だから一緒に戦うんだろうが!」
「本当にすっからかんの頭をしているな。記憶がなかったころの俺以上にすっからかんだ。戦友どうこうなんざどうでもいいんだよ。お前の目の前にいる人間が、どういう、立場の、人間か。理解してるのか?」
わかりやすく細かく区切っていってやる。それでもなお理解できないといった顔をしているオスカー。
思わずここで殴り殺してやろうかと思ってしまった。
一方でアメリアは俺の言わんとしていることが理解できたようだ。
「そうだ、オスカー。ウィリアムは今師団長なんだよ! ケガなんかしたら……!」
「っ!」
ようやく理解したオスカーにゆっくりと歩み寄る。
「俺はもう、あのときのウィリアムじゃない。軍団を率いるウィリアムだ。以前みたいなお遊びに付き合っていられるほど能天気じゃねぇんだよ。……ここには、死に物狂いで来てんだよ。命を懸けて来てんだよ!!」
周囲を紫電が舞い、明滅する。
こちらを見上げるオスカーの顔が青白く照らされる。顔色が悪く見えるのは照らす紫電の光のせいか、そうじゃないのかはわからなかった。
動かない2人に背を向けて、基地に戻る。
頭を冷やすための散歩で、こんなことになるとは。
これなら部屋で本でも読んでりゃよかったな。
次回、「出撃前夜②」