第一話 空の旅
特務師団旗艦ヘルデスビシュツァー。
10隻ある飛行船のうち、もっとも大きく性能が優れているこの飛行船は船団の旗艦であり、師団長である俺の乗艦になっている。
他に乗っているのは、参謀連中と操舵と砲手を担当する工兵と砲兵、あとは選りすぐりの歩兵たちだ。この旗艦内だけでもすべての種族が共同で仕事をしている。
歩兵は人族やエルフ、獣人だし、工兵はドワーフ、砲兵は竜人が中心となっている。
まあ、これはあくまで傾向であって砲兵にドワーフがいることもあるし、工兵に竜人や人族がいることもある。
唯一ないのは、獣人に工兵や砲兵をやらせることくらいか。
彼らは全体的に知能が少しアレだし、その身体能力は偵察だったり、戦闘で使ったほうが圧倒的にいいので、工兵や砲兵には誰一人として獣人はいない。数が少ないというのもある。
そんな立派で多種多様な艦内のブリッジの中心に置かれている机に、参謀長であるアグニと一緒に座っていた。
現在は離陸してから数時間しか経っていない。
グラノリュースまではまだまだあるし、今はすることが多くない。
「……思ったより暇だな」
「本気で言っているんですか? 今ウィリアムさん、結構な仕事してますよ」
俺がぼそりと呟くとアグニが返してきた。
確かにそうだ。
暇だなといいながら俺の目と手はずっと動いている。何故か。
「作戦中でも書類仕事ってあるんだな」
「もちろんありますよ。各艦から寄せられてくる報告や陳情をちゃんと確認して対処しないといけませんから。大事な作戦ですから、なおさら細かいところもしっかりケアして兵の士気を高めないとだめですよ」
「そうはいうけど、くだらない内容が多すぎるぞ」
そういって1枚の紙をアグニに見せる。
内容を見たアグニがあからさまに嫌そうな顔をした。
「ジュウゾウ連隊長がはしゃいでる、ですか。出発前はあんなにかっこいいこと言っていたのにもうこれですか」
「まったくだ。大砲の球はお前の頭だっつって送り返してやる」
言いながら、ジュウゾウのいる飛行船への連絡員に伝言を頼む。
「ここに書いてある言葉をジュウゾウに伝えてくれ」
「了解しました。……え、これをですか?」
「文句あるか?」
「い、いえ、ありません……」
連絡員である人族の男が少し悩むものの、すぐにジュウゾウのいる飛行船に連絡を取る。
連絡についてだが、これはベルが作った『親愛の鈴』の原理を改良したものだ。限られた範囲内であれば、声を無線で届けられる。
範囲はそう広くないが中継すればいくらでも広げられるため、飛行船自体を通信機兼中継器とすることで、編隊を組む際には必須の技術となった。
連絡員がジュウゾウと連絡を取り始めると、すぐにはなれた俺の場所にも聞こえるほどの大声が通信機越しにブリッジに響き渡る。
「ですから、団長がジュウゾウ連隊長に対して言ったんですよ」
『そんなわけないだろう! あの団長がそんなこというものか! 今こそ使うべき時だ! 本番前に使っておいた方がいいに決まっている!』
「いや、訓練で十分に撃っていたでしょう。ここで撃っても玉の無駄だと判断したようで……」
『ええい、貴様では話にならん! 団長をだせい!』
連絡員が目線で助けを求めてきたので仕方なく向かい、連絡員が持っていたコップの形をした受話器を取る。
「俺を呼び出すとはいい度胸だ」
『団長! 作戦前に一発撃つべきだ! 兵の士気も上がるし、今日の砲の調子も把握できる。さぁさぁ!』
「撃つなら標的はお前の頭だ。弾を無駄にして士気を上げずにもっと違う方法で士気を上げろ。砲の調子は仲間を信じろよ。彼らがちゃんと調整してくれている」
『いや、しかし――』
「あとでいやでも撃つことになるんだ。いいから黙れ。でないと撃ち落とすぞ」
それだけ言って一方的に連絡を切る。
ジュウゾウはこれさえなければいい指揮官なのだが、ちょっとぶっ放したい欲が強すぎる。
ベルといい、ヴェルナーといい、俺の部下はこんなのばっかか。
「ウィリアムさん、ルシウス連隊長から連絡です」
「ルシウス?」
アグニがまた1枚の紙を俺に見せてくる。
ルシウスからと聞いて真面目な連絡だと思ったので真剣に読む。
しかし、すぐに後悔した。
「竜人とエルフで食について喧嘩? 知るかよ、子供じゃあるまいし本人たちで解決しろよ」
「なんでも竜人が大人しい味付けが好きなのに対してエルフはいろいろな味付けをしますからね。見た目も鮮やかですから、竜人にはそれが気に入らないのかもしれません。ほとんどの艦で同様の諍いが起きているみたいですよ」
アグニが追加で渡してきた書類も内容は同じく食事による諍いについて。
頭を抱えながら、いら立ちを露にする。
「今更何言ってんだ。1年間一緒にいたんだから、食事くらいで喧嘩するなよ」
「基地が完成してからは兵舎が異なっていて食事も種族間に適したものでしたからね。まさかこんなところで問題が起きるとは思いませんでしたね」
「笑い事じゃねぇよ」
「平和でいいじゃないですか」
アグニがクスクス笑っているが正直笑えない。
あと数時間もすればグラノリュースに到着するのだ。領空に入ってもっとも危険な天上人の襲撃がされる。
その直前に食事でもめ事を起こすなんてあほらしい。
だが無視するわけにもいかない。
軍人にとって数少ない娯楽が食事だ。それが不満になると目も当てられないことになりかねない。
「とにかく、料理人の方に折れさせろ。エルフの流儀かなんか知らんが食う側の要望にできるかぎり答えさせろ」
「わかりました。そのように伝えておきます」
アグニが近くの部下に二三指示を出す。
その間に現在の航行状況も確認する。
現在はちょうどグラノリュースとアクセルベルクを隔てる魔境、そこにそびえる高い山脈に差し掛かったところだった。
……懐かしい景色だ。
ベルとマリナの3人でこの山を越えたときが随分と昔に感じる。
実際には3年ほど。あの時は本当に大変だった。
ベルはまだ世間知らずで、マリナはとても体が弱かった。2人を魔物や天候から守りながらの山越えはかなりきつかった。
でも、今は違う。
ベルはしっかり魔法を学んでかなり強くなった。まだ世間知らずや小学生みたいなところは抜けていないが、十分に信頼できる。
マリナは本当に見違えるほどだ。触っただけで折れてしまいそうだった少女は今はたくましく、人を守れるほどの実力と教養を身に着けた。
俺もあのときとは違う。
何より今回は1人じゃない。
記憶を取り戻した直後のような一人で城に攻める必要なんてない。
ブリッジから外を見る。かつて見た景色が徐々に近づいている。
自分でも段々と緊張しているのがわかった。
足がふわふわと浮いているような気がして、とても落ち着かない。
「大丈夫ですか、ウィリアムさん」
「ああ、平気だ」
気づかないうちにアグニがすぐ近くに来て、周りに聞こえないような声をかけてくる。
どうやら彼女には感づかれたようだ。
「団長なんですから、冷静に堂々としていないとだめですよ」
「わかってるよ」
アグニの忠言通り、落ち着くように深呼吸する。
こういうとき心底仮面をしていてよかったと思う。
顔色や表情がわかりづらいし、呼吸もばれにくい。
深呼吸をしてみて少しは頭が冷えた気がするが、やはりどことなく落ち着かない。
まあ、俺の人生を大きく左右する戦いだから仕方ない。
「ところで武器はどうですか?」
察してくれたのか、アグニが話題を変えたので、ありがたく話に乗っかる。
「ああ、使いやすいし切れ味もいい。感謝しているよ」
「よかったです。力作なんで大事にしてくださいね」
アグニが武器の調子を聞いて笑った。
当然だが、今回の戦いに備えて武器もすべて新調している。
もともとほとんどの武器が使い物にならなくなっていたし。
新調するにあたって、俺はいつも通りにライナーに頼もうとしていた。
だがなんと、ライナーに断られたのだ。
曰く、
『ドワーフの姫様と仲良くしているんですし、彼女に作ってもらえばいいじゃないですか』
と。
ヴェルナーにも相談したが似たようなことを言われた。
何言ってんだと思ったが、驚いたことにアグニは錬金術の腕もかなりのものらしい。文武両道にもほどがあると思いながら半信半疑で相談に行った。
すると、やたら気合の入ったアグニは俺の要望を聞いてあれやこれやとよくわからない技術をつぎ込んで凄いものを作ってくれた。
「盾も剣も槍も気に入ったよ。鎧まで作ってくれてありがとう」
「! いえいえ、ウィリアムさんのためなら何てことありません!」
改めて感謝するとアグニが満面の笑みを浮かべて喜んだ。
その瞬間、
「―――ッ!?」
背後から殺気を感じた。
振り向けど、そこには敵らしき気配は感じられない。
なんだスパイでもいるのか、団長に殺気を向けるとは不敬極まりない。
それはそうと、アグニが作ってくれた装備は本当にいいものだった。使うのが楽しみでもある。
他にもこの1年で飛行船自体も大きく変わったし、兵士たちの装備も更新された。
以前とは比べ物にならないほど師団の戦力は底上げされている。
なんだかんだで俺もジュウゾウが大砲をぶっ放したくなる気持ちがわかる。もちろんしないが。
「もうすぐか」
外を見て、フードの中にある装備を意識する。
山脈頂上の横を通り過ぎ、グラノリュースがわずかに見えてきた。もう数刻ほどで交戦に入る。
気を引き締めていかなければ。
次回、「天上人たち」