第十四話 腕試し
錬金術師三人が下がった後、泥だらけになった訓練場を整えていると、新たに二人の人影が現れる。
「そんな恰好で大丈夫ですか? 防御力なさそうですけど」
「いいでしょ? お父さんが仕立ててくれたんだ!」
たわいもない話をしながら訓練場に現れたのは、一見してでこぼこな二人の少女。
片や背が低く、深紅のドレスのような装いの上から、武骨ながらも絢爛に輝く鎧をまとったドワーフの少女。
片や背が高く、体にぴったりと張り付くような革の服をまとった獣の少女。
アグニとエスリリだ。
アグニは葡萄茶色の髪を肩につくかつかないかくらいの位置で切りそろえ、右耳のあたりで一房だけ編み込んでいる。
エスリリはあごのライン当たりまで山吹色の髪を伸ばし、その頭の上からはせわしなく動く三角の耳が生えている。
言動からも二人は本当にでこぼこだ。
二人の実力はよく知らない。
アグニは一度だけ共闘したことはあるが、あのときは彼女はすでに満身創痍だったし、興味もなかったから何も印象に残っていない。加護のおかげで助かったが、それだけだ。
エスリリも似たようなもので、灼島で戦った時も獣人たちにまぎれて彼女の戦いを見たことがない。
歩兵連隊で様子を見ようと思ったが、アイリスから歩兵の枠に収まらないと報告されたので、二人まとめて実力を確認することにしたのだ。
「お父様が仕立ててくれたのは、とても素敵だと思うのですが、その、戦いに出るには露出多くありませんか?」
アグニが隣のエスリリの耳の先からつま先までゆっくりとみて、露出の多さ、というより体のラインがはっきりわかる服装に戸惑っているようだ。
一方で、エスリリは、
「けっこう動きやすいし、爪を立てても破れないんだよ。むしろアグニのは動きにくそー。服貸してあげようか?」
恥ずかしさを毛ほども感じないといった具合で、むしろアグニを案じる始末。
「い、いや、これでも嫁入り前の姫なので遠慮しておきます……」
さすがに王女様だ。そうそう男の前で体を見せるような恰好はできないだろう。歯切れが悪いのは、純粋なエスリリの目に罪悪感でも沸いたか。
ちょうどよく、俺が訓練場を一通り整備し終わったところで、二人は俺の前までやってきた。
アグニは右手を胸に左手を腰に当てるアクセルベルク式の敬礼をとる。
「アグニータ・ルイ・レオエイダン、準備を完了しました。いつでもご指示を」
「え、えっと、エスリリです! 準備できました! 命令ください!」
続いてエスリリもアグニータの真似をして敬礼をする。
……残念ながら、とても正しい敬礼とはいいがたかったが。
「エスリリ、敬礼の仕方は前も教えたろ。右手は心臓の位置、左手は腰に乗せる感じだ」
「こう?」
「違う。もっとこう、背筋を伸ばして顎は引け。いや、舌は出さなくていいから」
まったく、獣人の能力は買うが、奔放性には手を焼かされる。彼女が南部に来てから一か月だが、その間はアイリスやマリナから、基本から教わっていたはずだ。
それなのに、未だ敬礼ができないとは。
これで大した戦闘力もなかったら、かなり頭の痛い話だ。
やっとの思いで敬礼の仕方を教え終わり、本題に入る。
「ひとまず二人は俺と立ち会ってもらう。一人ずつな。どちらからいく?」
「わたし先でいい?」
「エスリリか、それなら王女は悪いが少し離れてもらえるか」
アグニが軽く一礼してから離れる。
アグニがわきにある休憩所というか見学席のような、簡素な屋根にベンチがある場所に、先に座っていた錬金術師三人と軽く挨拶をしてから座った。
その間に、エスリリは既に準備運動を済ませた。その場でジャンプをしたり、手足を振ったりしている。その顔は待ちきれないとばかりに輝いていた。
「素手か?」
「うん!」
獣人が戦うのをちゃんと見るのは初めてだが、まあ確かに四足歩行で走る彼らには、剣やらなんやらは邪魔かもしれない。
ふむ、それなら。
浮かしていた盾や持っていた剣を収め、フードの中に収納する。
空間魔法もだいぶ苦手意識が消えて、精霊のおかげか今までの苦労が嘘のように得意になってきた。
ベルが帽子の中にほうきやらをしまうように、俺は軍服についているフードにものを収納している。
素手になり、半身になってこぶしを構える。
久しぶりだな、素手で戦うのは。
「来い」
短く挑発する。
エスリリは四つん這いの低い姿勢になり、まるでばねが跳ねる直前のように全身を屈曲させて、
「わんっ」
一直線に飛び出した。
「――っ!?」
目を見張った。
コマ送りにしたかと思うほどに、さっきまで数十歩と離れていたはずの距離を一足飛びに詰め、彼女のケモノのこぶしが俺の目と鼻の先に迫っていた。
「うをっ!」
とっさに首を傾け、紙一重でかわす。残るようになびいた髪が彼女のこぶしに触れ、切れた。
予想以上の瞬発力。速度。
彼女が踏みこんだ足場は、まるで巨人が歩いたかのように大きくへこみ、爆発したかのような粉塵が舞う。
なるほど、アイリスが投げ出すわけだ。
これほどの身体能力、アクセルベルク兵士からなる歩兵連隊では浮きまくる。
一直線にふるったこぶしをよけられたエスリリは、勢いそのままに俺の後方へと流れていく。
振り返る。
「やるね!」
「互いにな!」
振り返った途端にまた、四足歩行の地を這う姿勢から突き上げるようにエスリリの拳が迫る。
さっきは驚いたが、来るとわかっているなら対応できないこともない。
こぶしを躱し、耳のすぐ横でこぶしが空気をたたく音を聞きながら、上から殴りつけようとこぶしを振り下ろす。
だがここでまた、エスリリの姿が掻き消える。
彼女は低い姿勢から一気に飛び上がり、俺の頭上を飛び越えた。
まずい、背後をとられるっ。だがチャンスだ。
素早く体を反転させて、ついでに回転の勢いを利用して地面を削るように回し蹴りを放つ。
エスリリの着地を狙って攻撃を繰り出すが、彼女は予期していたのか、想像以上に遠くに着地し、俺の攻撃後の隙を逃さずに再び仕掛けてくる。
「っ、さすがだな!」
「まだまだいくよ!」
迫るこぶしを三度首を傾けて躱す。
すれ違う刹那、目が合った。
「楽しいね!」
「そりゃ結構で!」
彼女は笑っていた。
その後もエスリリは獣人特有の強靭なばねと俊敏性、スパイクの役目を担う足の爪を活かした機動力で翻弄してくる。
俺はすぐに切り替え、攻撃をやめてひたすら防ぐことだけ考える。
もとより、俺は攻撃よりも防御が得意なんだ。防ぐだけならいくらでも。
防御術は動きが直線的なエスリリとは相性がいい。
彼女の人並外れた拳、蹴りをひたすら防ぐ。時折ちょっとした反撃をすると、彼女は大げさによける。
何度も何度も繰り返す。
やがて形勢は傾いた。
激しく動き続けるエスリリは肩で息し始め、動きは次第に悪くなり、隙が増えていった。
その隙を見逃す手はない。
当初の勢いを失ったエスリリの拳を掴み、胸倉を掴んで背負い投げる。
「げはっ」
「勝負ありだなっ」
地面に叩きつけられ、彼女の口から空気が飛び出す。
俺は少し息が乱れただけだ。
エスリリは仰向けに俺を見上げながら、悔しそうに呻く。
「うぅ、さすがあのアクマを倒しただけあるね。一撃もいれられないなんて」
「いい動きだった。素手ならそう差はないから悲観するな。少し鍛錬すればすぐに俺に勝てるようになるよ」
「ホント!」
解放されたエスリリが先ほどの悔しさなどなかったように顔をほころばせる。
彼女の尻尾は大きく揺れ、訓練場の土をはたきだす。
事実、彼女は経験というか、体の使い方がなっていない。獣人は本能的に動くから、ある程度の身のこなしは習わずとも身に着けているが、さすがに人間たちが培った武術には劣るようだ。
まあ、戦ったのが聖人である俺じゃなければ、たいていのやつは彼女にかなわないだろう。
「これなら、エスリリは独立部隊に入れてもいいかもしれないな。あとは装備も少し考えよう」
「そうび? 何かくれるの?」
「ああ、もっと効率よく敵を倒せるようにな。獣人には馴染みがないかもしれないが……」
「大丈夫だよ。武器を使う人もいるからね」
へぇ、獣人にも武器を使うやつがいるのか。
武器があれば、彼女のリーチの短さも、殺傷力も上げられる。
随分と鍛えがいのあるのが来たもんだ。獣人がみんな彼女並みなら、とんでもない戦力になるな。
とにかく、これでエスリリの実力は分かった。今後来る獣人の戦士たちの使い方の参考にもなる。
エスリリはご機嫌に訓練場の隅へと下がる。
代わりにやってきたのは、エスリリよりもだいぶ背の低いアグニータだ。
「エスリリさんの後では、少しやりづらいですね」
困ったように肩をすくめるアグニだったが、言葉の反面、その顔はどことなく自信に満ちている気がする。
「気にするなよ。もともと王女様は参謀なんだ。実力以外に活躍なんていくらでもできる」
「でも活躍の場が多いに越したことはないですよね?」
「まあ、そうだが」
ドワーフは王族であっても前に出て戦うらしいが、彼女自身の気質もあるのかもしれない。
確かに彼女の言う通り、参謀は指揮官の補佐という役割があるが、軍人であることには変わりなく、戦闘に参加することもある。
率先して前線に出ることもないが、もし敵に攻められた場合は迎撃しなければならない。
「高位の悪魔にやられた傷はもういいのか? 連中はもっと強いぞ?」
王女の実力は知らないが、高位の悪魔バラキエルにやられたのだから、あまり期待できないな。
そう思い、軽く脅しを込めて言ったのだが、
「いつの話をしてるんですか? 私も強くなってるんです。実はもう一度、高位の悪魔を倒してるんですよ」
「はい?」
思ってもない返答に、間抜けな声が漏れる。
強くなった、というがあんなに一方的に悪魔にやられていたのに、すでに一体倒していたとは。
現在、大陸の各地で高位の悪魔はかつてないほどに頻出している。
再びレオエイダンに悪魔が現れていたとしてもおかしくはない。しかし、アグニがそれを倒したとは。
「その腰に差している双剣のおかげか?」
気になるのは、彼女の両腰に下げられたサイズの異なる双剣。
「双剣かどうか試してみます?」
「?」
アグニは俺の問いに答えず、二本の剣を抜き放つ。
抜き放った二振りの剣は、両方とも銀一色できれいな輝きを放っていた。違うのは右手に持つ剣は幅広で大きな両手剣、左手に持つ剣は幅が狭い片手剣だ。
いや、右手の剣はサイズだけなら両手剣だが、柄の長さからして片手剣か。
さすがは聖人の血を引くドワーフ王族といったところか、華奢に見えても膂力は人並み外れているらしい。
フードの中から、剣と盾を取り出す。盾はともかく、剣はなんでもない数うちの剣だ。
参ったな。彼女の実力を試すには、装備が心もとない。
まあ、実力がわかればそれでいいか。
「そんな剣で大丈夫ですか? ウィリアムさんの実力は知っているつもりですが、これ、結構な自信作なんですよ?」
「そうはいっても、今はほかに武器がない。まともなのは盾しかないんだ」
互いに剣を構える。
今回は声をかけることはしない。
既に位置取りやにらみ合いが始まっていたからだ。
アグニは右の大剣を俺に向け、左の直剣を逆手に持ち、胸の前で構える。
俺は力まず、適度に腕と膝から力を抜き、剣先を向ける。
しばらくの間、じりじりと睨み合う。
やがてどちらからともなく駆け出した。
先に届いたのは、アグニの大剣。
見るからに重そうな剣を片手一本で、ごう、と風切り振り下ろされる。
俺は左手に持った盾でいつも通りに受け流そうと、
「おもッ!?」
したが、想像以上の重さに耐えかね、受け流し損ねた。
腕ではなく、体を動かすことで剣から逃れる。
だがじんじんと、盾を持っていた左手がしびれる。
苦痛に顔をゆがめるも、当然相手は待ってはくれない。
「ハイッ!」
「っと!」
振り下ろした大剣が、そのまま横なぎに振り上げるように迫る。斜めに切り上げられるようなその剣に、俺は身をかがめ、くぐるように躱し、剣の鎬に下から盾をぶち当てる。
大剣は大きく上に跳ね上げられ、アグニの脇が空く。
防御によって生み出した隙を逃す気はない。
右手の剣をまっすぐに、アグニの胸、鎧で守られた部分に当てようとすると、
「わっと!」
「ちっ」
左手の直剣で防がれる。
視線を一瞬だけ上に向ける。まだ大剣は打ち上げられたまま、重い武器を振り回すと、それだけ切り返しに時間がかかる。
大剣を振れないように、さらに距離を詰め、ほとんど顔が触れそうなほどに近寄る。
「わわっ!?」
「おいこら」
突如、さっきまでの凛々しい顔が赤く、だらしなく崩れる。
何やってんだと思ったが、これも勉強、軽く小突いて――
「えい」
「うお!」
と思ったら、彼女は意外にも身をかがめ、俺の足を払おうとしてきた。
慌てて軽く跳躍して躱している間に、彼女はわずかに距離をとった。
「び、びっくりしました」
「何やってんだ。ちょっと近づいたくらいで、取り乱すなよ」
「だって、ウィリアムさんがあんなに近づいてくるとは思わなかったんですもの!」
ある意味で変わらない彼女を見て、なんというか、気が抜ける。
「戦闘中だぞ、気を抜くな」
「はい……」
あのまま続けばどうなっただろうかと、少し楽しみだったのに。
まあでも、大剣と直剣で、素早さがあまりない装備構成なら俺の敵じゃない。
と思っていたが……。
「やっぱり、悪魔はともかくウィリアムさんに大剣は相性が悪いみたいですね」
両手に持った剣を交互に見て、大剣の方を横にし、胸の前に構える。
すると、
「え?」
一瞬で、剣が姿を変えた。
まるで前の世界のなんかの映画で見た液体金属のように、銀色の剣は溶け、生きているかのように大楯の形に変わったのだ。
「これだけじゃ足りませんね」
さらに左手の直剣もぐずぐずに溶け、
「――ッ!?」
次の瞬間、何かが俺の顔、すぐ横を通過した。
耳に熱を感じ、空気を切り裂く鋭い音が鼓膜を揺らす。
少し遅れて俺の後方から、大きく腹に響く、鋭い爆発音が響き渡った。
「戦闘中ですよ? 気を抜いちゃダメですよ、ウィリアムさん」
「……っ……」
挑発気味に言う彼女に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
できるだけ平静を装って、なんでもないことのようにふるまう。
「驚いた。まさか、形ごと変わる武器とは」
アグニの手には、鈍く光る小銃が握られていた。銃口からは白く薄い硝煙が立ち上り、俺の顔から僅かに逸れる位置に向けられている。
後ろを向けば、大きく穿たれ、黒く炭化した地面が放射状に広がっていた。そこもまたぷすぷすと、焦げた匂いと煙を上げていた。
アグニは満足そうに笑みを浮かべる。
「これ、レオエイダンの錬金技術を結集して、神器を参考に作った至宝なんですよ。唯一重いのが欠点なので、聖人に近い王族しか使えないんです」
銃を再び剣の形に戻す。
「これはまた、本当に凄いな……。速射であんな威力の銃を、そんな精度で放てるなんて驚きの一言だ」
「ふふっ、ウィリアムさんを驚かせることができてとても嬉しいです! 来た甲斐があったというものですね!」
両手に武具を持ちながらも器用に口を手の甲で隠しながら彼女は笑う。
これは本気でやらないといけないな。
フードから残りの盾二つ取り出し、浮かべる。
「それがあれば、以前の悪魔の時は勝てたんじゃないか?」
「そうかもしれませんね。でもあのときはまだこの武器はできていなかったんですよ。神器以外に高位の悪魔に対抗できる武器を作る計画ができたのは、最近の情勢があってのことですから」
「よくこの短期間でそれほどのものを作れたものだ。そういえば気になっていたが、レオエイダンの神器とはどんなもんだ?」
「それはまたあとでお話ししましょう? それで続けます?」
「当然だ」
小手調べは終わり。
さあ、本気で仕合おう。
次回、「消えない軌跡」