第十二話 少女の友達
ウィルは変わった。
具体的にどう、といわれると困るけれど、確かに変わった。
昔ほど、この世界の人を嫌悪することも無くなって、みんなと打ち解けているようにも見える。
酒が入っているからかもしれないけど、エスリリと遊んで、ヴェルナーたちと屈託なく笑い合っている。
お酒に酔うと、人の本当の性格が浮き彫りになる。つまり今のウィルは、みんなと遊びたいと思っているんだと思う。
本人がどこまで気づいているかどうかは、わからないけれど。
本人が気づいていないだけで、みんなはもう、彼が優しいことを知っている。
だからこうして、たくさんの人が彼のもとに集まってきているのだから。
「もしかして、一番ウィリアムさんに近付いたのはエスリリさんですか?」
「ちょっと否めないかもしれないね。まさかウィルがあんなことをするなんて」
今も目の前で楽しそうに、ウィルを見て小噺に花を咲かせるアイリスとアグニ。
私も上体を前かがみにして、話に乗り出す。
「真似できない……ウィルが動物好きなんて知らなかった」
「マリナも知らなかったんだね。あの感じからして、犬の扱いとか知っていると思ったから、何か知っていると思ったんだけどね」
「動物については今まで接点はなかったよ……鷲の加護を得たけど、あまり可愛がっているようには見えないし」
「ということは犬だけなのか、エスリリさんが特別なのかですね。他のこともそうですけど、ウィリアムさんって謎が多いですよね」
そういえば、ここにいる中でもレオエイダンにいた人たちはウィルのことについて、ほとんど何も知らないんだったね。
でも、勝手に話すわけにもいかないから、アイリスが困った笑いを浮かべた。
「ああ、なんていうか、ウィルは経歴が複雑なんだよ。本人が話したがらないしね」
「私たちの中でも全部知っている人は多くない……顔を見たことがある人はこの中にもいない」
「そうなんですか。いつか話してくれますかね」
「いつかちゃんと話してくれると思う……全部が終わったら、ちゃんと」
言いながら、思う。
全部が終わったら。
そんな日が本当にくるのか、と。
いや、必ず来る。でも全部が終わるときは、文字通り何もかもが終わる日だ。
ウィルがいなくなってしまう。
彼が顔も何もかもを明かしてくれるとしたら、彼が元の世界に帰るそのときしかない。
そのときが来たら、私はどうすればいいんだろう。
ベルはウィルの顔を見たといっていたけれど、あのあと私がいくらせがんでも見せてくれることはなかった。
あの仮面の下には何があるんだろう、どんな表情を浮かべているんだろう。
いつもそれが知りたくて、ウィルのことをずっと見てきた。
今も仮面の下、笑って細まっている目元を見る。見える表情はそこしかない。それも随分と見慣れてしまったけれど。
……あれ?
目元に違和感がある。なんだろう。
注視したら、すぐにわかった。
クマだ。
目の下にわずかだけれど黒ずみがある。眠れていないのか、どうしてだろう。
そういえば、灼島でも一度ウィルが夜中に屋敷を抜け出していた。あの時は眠くて気にしていなかったけど、よく考えればおかしいことがある。
……ウィルがベルの手を取ったこと。
二人は私でも知らないことを話し合っただろうから、打ち解けたのは分かるけれど、でもそれはあくまで二人の話。
私やアイリス、ましてや会ったばかりのエスリリの前でそんなことをするだろうか。
「ねぇ、もしかして団長って男が好きとかないよね?」
「え? まさか」
私が考え事をしている間にも、アイリスとアグニは話し続ける。
アイリスの言葉にアグニが驚き、ウィルを見る。
「酔っているんじゃないですか?」
「でもボクやマリナと話している時は、あそこまで楽しそうにしてくれないよ。むしろ女性に対する扱いはぞんざいだし」
「た、確かに、ずっとそっけないですね……。でもヴェルナーさんもライナーさんとも互いにかなり言い合っているので、同性だからというより、波長が合ってるんじゃないですか? 女性でああいう皮肉というか悪口をウィリアムさんに正面切って言える人は少ないと思いますし」
「確かにみんな遠慮しちゃうからね……。あ、でも一人いる!」
アイリスが何か思い出したのか、最後に鋭い声を出した。
興味をひかれたアグニが、アイリスに顔を寄せる。
「ウィルと対等に喧嘩できる子が一人いるんだ。ウィルベルっていうんだけどね。二人は喧嘩してばかりだけど、とても仲がいいんだ」
ベルの名前が出たことで、私は思考の海から打ち上げられる。
「ウィルベルさん? ですか? どういう方なんですか? 特務隊ですか?」
アグニが何も知らないことが意外だったのか、アイリスが少し目を丸くした。
「アグニータ様は特務隊について調べていると思ったんですが、知らないのですか?」
アグニが困ったように眉根を寄せて、小さく肩をすくめる。
「確かに調べましたけど、全然何も出てこないんです。優秀な錬金術師とアイリスさんがいるということくらいです。半聖人のマリナさんのことも今日初めて知ったんですよ。ウィリアムさんと付き合いが長いということは、私が調べた時にもすでにいたと思うのですけど」
特務隊は少数精鋭で事情が特殊なために、情報はいろいろ伏せられている。半聖人の私と聖人のウィルが同じ部隊とわかれば、どこからちょっかいが出るかわからない。
ベルは魔法を使うから、存在すら公にはされない。でないと、どうしてこんな子が軍にいるのかと疑われかねないから。
アイリスはアグニに、特務隊について丁寧に語りだした。
「特務隊として正式に発足した時のメンバーは、ウィリアム、ウィルベル、マリナ、ヴェルナー、ライナー、シャルロッテの六人です。そのうち、ウィルとウィルベル、マリナは軍人前からの付き合いなんだ」
「なるほど、そのあとに副官としてカーティスさんとアイリスさんが来たんですね」
アグニが納得したようにうなずいて、秘密を知れたからかうれしそうに笑った。
すると、今度は私の方を見つめてくる。
どこか考え込んでいる様子があるから、たぶん、私とベルについて気になってるのかな。
「気になりますね……」
「何がですか?」
アイリスの質問に、アグニは私を見たまま至って真剣そうな顔で答える。
「ドワーフとして、半聖人であるマリナさんもとても気になるんですが、女性でもウィリアムさんと仲のいいウィルベルさんがとても気になります。どんな人なのですか?」
アイリスが手のひらを私に向ける。
譲ってくれるらしい。
「歳の頃は私と同じくらいで、ウィルとの付き合いは一番長いの……ベルは細かいこととかめんどくさいことが嫌いで、楽しいことに目がなくて、お金遣いも荒いしそそっかしい」
「だ、大丈夫なんですか? 聞くにはその、すごい、なんというか、はい」
言葉にするのがためらわれるのか、歯切れの悪いアグニ。
おかしくて、少し笑いが漏れる。
「子供っぽいよね。だからいつもウィルはベルのことで頭を抱えてる。……でもベルは面倒見がよくて、世話好きで頭がいいんだ。背伸びしてる感じもとてもかわいいよ」
「そうなんですか、年齢はおいくつくらいなんでしょう」
「確か、今年で十七だったかな」
「おぉ……若いですね」
見た目十代のアグニが驚きの声を出す。
アグニはドワーフで長寿種族だから、実際の年齢は私たちよりも高い。といっても、ドワーフもエルフも成長してからが長いので、彼女の年齢は私たちとそこまで変わらない。
「その方は何か特殊な事情がおありなんでしょうか。マリナさんもそうですが、一切情報がありませんし、あのウィリアムさんとともにいるくらいですから」
「戦いに関してベルはウィルと並ぶか、それ以上に強い」
「え!?」
ベルのことをよく知らない上に、ウィルのことが好きなアグニは信じられないのか、部屋に響く高い声を出す。
慌てて口をふさいで周囲を見るも、幸いみんな酔っていたから気にした様子はない。
アグニはトーンを落として話し出す。
「ウィリアムさんより強いんですか?」
「ある一面においてはね……といっても実際に戦ったらどうなるかはわからない。二人とも戦い方は対極に近いから」
「対極、というと?」
「ウィルは接近戦に強くて防御編重だけど、ベルは逆……遠距離に強くて攻撃編重なんだ」
「彼女も魔法を使うんだ。魔法に関してはウィルより上だから、殲滅戦とか大物狩りはウィルベルの方が向いているね」
付け足すようにアイリスが言った。魔法が使えるということは秘密だけれど、アグニは参謀長だから把握しないといけない。そもそも彼女はウィルが魔法を使えるということを知っていて、その秘密も守っているから、大丈夫だとは思う。
「なるほど、ウィリアムさんが独立部隊なんてものを作るわけですね」
アグニが腑が落ちたと、あごに手を当て、しきりに頷く。
一方で、アイリスは肩を落としていた。
「どうしたの?」
声をかけると、彼女は、ああ、いや、と力なく笑って、
「独立部隊は対天上人部隊ってことだから、ボクじゃ実力不足なのはわかるけどね。やっぱり悔しいな」
言った。
私も少しだけ気持ちがわかる。
「それを言ったら私だってそう……独立部隊に入れはしたけど、一緒に戦うことはできないもの」
「みなさん、やっぱり独立部隊に入りたいんですね。私は参謀になって満足してしまいました」
「独立部隊って、この師団の中では最強って位置づけだからね。多分この部隊だけでどの連隊も殲滅できちゃうんじゃないかな」
アイリスが独立部隊の戦力をアグニータに教えると、アグニータは驚き、聞き返した。
「そんなにですか!?」
「そうだよ。ウィル一人でも歩兵連隊は太刀打ちできないだろうね。魔法がある時点で並みの兵士がいくら集まっても意味がないよ」
アイリスの言う通り、独立部隊は桁が違う。この一か月で南部所属の歩兵を見てきたアイリスは、そのことを痛感したらしい。
時折私のところにきて、相談に来てたから。
「それにベルもいる……ウィルとベルが組んだら、たとえ師団全部が相手をしても勝てないと思う」
「すごいですね……」
アグニはベルの話になってから、ずっと目を真ん丸に開いたまま。
ちょっと面白いし、どこか温かい気持ちになる。
「どんな人なんでしょうか。気になりますね。今はどちらにいるんですか?」
「今はユベールにいて、大図書館で勉強してるよ。……もう少ししたら帰ってくると思うよ」
「そうですか、会うのが楽しみです!」
アグニが胸の前で両手を握る。
ベルのことを話しても、アグニは特に嫉妬とかせずに、本当に会いたいと思ってくれてるみたいだった。
大好きな二人が受け入れられて、私も嬉しい。
と、思っていると、
「あぁ、うるせぇ! もう遅いからとっとと帰って寝ろ!」
ウィルの大声と何かががつんと床にぶつかる音が聞こえた。
見れば、ヴェルナーとライナーはお腹を抱えてげらげら笑い、ロッテは机の向こうから頭だけが見えてる状態だった。
多分、机の向こう側、地面に倒れて何か起きてるんだと思うけれど。
アイリスがヴェルナーに駆け寄り、話を聞く。
「何してるのさ」
「何って、団長が獣人娘をからかいすぎて襲われたんだよ。飼い犬に手を噛まれるってのはぁ、こういうことを言うんだなぁ!」
「女性の扱いがなっていない団長ですから仕方ないでしょう。この際だから思う存分噛まれればいいのです。まあ、噛まれているのではなくて舐められているようですけどね」
「二人とも止めないか! このままじゃ、大変なことに!」
アイリスやロッテの抗議もどこ吹く風と、ヴェルナーもライナーも特に止めようとせずに、涙を浮かべるほどに笑ってる。
ウィルもそうだけど、この二人がここまで笑うのも珍しい。
私もアグニも近寄って、机に隠れるように倒れているウィルとエスリリを見る。
「ふふっ」
笑いが漏れる。
そこには確かに、とても面白い光景があった。
エスリリがウィルを押し倒して、首とか耳とか手をひたすら舐めている。ウィル自身はそれがくすぐったいのか、目に凄い力を入れて瞑っている。
仮面をしてても、声を上げるのを我慢しているのがわかるほど。
ウィルはエスリリの顔を掴んで、強引に引きはがしながら叫んだ。
「お前ら! こいつをなんとかしろよ! 気持ち悪くて仕方ない! いたっ、噛みやがったな!」
「そいつ連れてきたんは団長だろうがよ。ペットの面倒はちゃんと見なきゃ駄目だぜ」
「ペットじゃねぇ! アイリス! お前の部下なんだから何とかしろ!」
アイリスは珍しい光景に止めようとせず、机に頬杖を突きながら笑う。
「団長、自分の始末は自分でやらなきゃダメだよ。部下の面倒はちゃんと見ないと」
「お前の部下でもあるだろうが! つかエスリリ、いい加減離れろよ!」
「わおぉん」
酒にも匂いにもひどく酔っているエスリリは止まらない。
「このっ!」
彼は最後の手段、実力行使に出ることにした。エスリリに弱い電気を流して、一時的に動きを止めた。
「「あばばばばっ!?」」
痺れるエスリリ。
……とシャルロッテ。
「はぁ、疲れた……」
くたりと力が抜けて、そのままウィルの上で倒れこんだエスリリをどかして、彼は立ち上がる。
べたべたになった手や首、仮面に触れて目を細める。
「べたべたじゃないか。また風呂に入らなきゃダメだな」
「容赦ないね、団長」
「まったくです。見てくださいよ、止めようとしていたシャルロッテも被害に遭ったじゃないですか」
「あっ」
ウィルがエスリリの横、白目をむいて倒れているロッテを見て、短く声を上げる。
「これじゃあ、誰も止めたいなんて思わねぇよなぁ。頑張った挙句巻き添えじゃあ、シャルロッテも浮かばれねぇ」
ヴェルナーが非難するけど、ロッテがやられたにもかかわらず、口は大きく歪んでいて、出た言葉からはおかしくてたまらないといった感情がにじみ出ていた。
ウィルもさすがに悪いと思ったのか、バツが悪そうに言った。
「悪かったよ。シャルロッテはちゃんと面倒見るから、お前らは帰れ。もう遅いし、明日もあるんだ」
「いや、さすがに女子だからボクが介抱するよ」
「手伝う……そういえばウィル、聞きたいんだけど」
アイリスがロッテを起こして、私がエスリリを起こす。
ふと思い出した疑問を、ウィルに尋ねる。
「独立部隊の訓練って具体的に何をするの? ……ほとんど特務隊だから、練兵もできていると思うんだけど」
「決まってるだろ」
ウィルは目を細め、心なしか楽しそうな声で言った。
「対天上人を想定してるんだ。当然ひたすら俺と戦ってもらう。最低でも俺とサシで戦って生き残れるようにしてもらう」
『え?』
みんなはこのとき、一気に酔いが醒めたと思う。
次回、「独立部隊の日常」