第四話 対天上人
「グラノリュースを攻める理由はわかったよ。でもそれが本当なら勝つ見込みはあるのかい? 天上人は本当に強い。ウィルが天上人なのは当然知っているけど、一人しかいない。そんな相手に勝てるのかい? ……そもそもウィルは勝てるのかい?」
アイリスがひどく心配した顔で俺を見る。
彼女の懸念はもっともだ。天上人の数で言えば、アクセルベルクには俺一人しかいない。対してグラノリュースはどんなに少なくとも五人はいる。
数の差で負けるのではと思うのは当然だ。
アクセルベルクは俺が来るつい最近まで、天上人についての知識は皆無。異常に強いということしか知らず、うかつに手出しができなかった。
でも天上人と普通の人間の違いなんて、大したもんじゃない。
「天上人と一般の兵士の違い。何かわかるか?」
「別の世界から来たこと?」
「それもあるが、もっと戦力的な話だ。どうして以前の戦いで、アクセルベルクは数人の天上人に惨敗したんだと思う?」
アイリスに考えてほしくて、諮問する。
「それは――むぐっ」
横にいるマリナがしゃべろうとしたが、口に指を当てて黙らせる。
「それは敵も空を飛んでくるなんて思ってなかったからでしょう? ましてや火を噴くなんてさ」
アイリスは疑問符を浮かべながら、当然といった風に言った。
頷きを返す。
「それが一つだ。当時のアクセルベルクは空中戦なんて想定していなかった。精々が気球から地上を攻撃する程度だろ。その状態で突如空中から攻めてこられれば、勝てないのは道理だ」
「だからって想定していれば勝てるということでもないんじゃないかな?」
「大事なのはなぜ天上人がここまで強いのか。他の人にはない力を持っているからだ。そうだな、アイリスが持っていなくて、俺は持っている力だ」
アイリスは少しだけ考えていたが、すぐに答えが出たようだ。
「もしかして魔法?」
「ああ、天上人はほとんどのものが魔法を使える。魔法が使えるのと使えないのではとても大きな差が開く。魔法なしでは気球なんて大仰なものが必要だけど、魔法があればその身一つで空を飛べる。銃なんてなくても簡単に遠くから人を殺すことだってできる」
「……わかっていたつもりだけど、魔法なんて反則だよ。どうやって勝てばいいのかな」
その通り、魔法なんて反則だ。もし俺に魔法がなければ、こんなに事がうまく運ぶことはなかっただろう。
だけど俺は、自分が魔法だけでここまで来たとも思わない。
「確かに魔法の有無は大きい。でも埋める方法がないわけじゃない」
「というと?」
「この方法に関しては、レオエイダンとユベールが大きく貢献してくれた。ざっくり言うと錬金術と精霊の存在だよ。この二つは道具や精霊を介して魔法を発動させているんだ。自由度や応用性、発展性は魔法に負けるが、汎用性に関しては上。戦い方によっては十分勝てる。そのための研究を俺たちはずっとしてきたんだ」
それこそが特務隊ができた理由、為してきたこと。
「それが飛行船?」
「そうだ。天上人との戦闘にも耐えうる空飛ぶ船。そして魔法のように優れた破壊力を持つヴェルナーやライナーの作る重火器や装備だ。この二つがそろえば、十分にグラノリュースと戦える。空中戦はそれでも危険が大きいが、国内に入って地上に降りればそうそう負けないだろう」
天上人と一般兵の差が如実に表れるのは空中戦。
天上人は空を自在に飛びまわり、高火力の魔法を飛んでいる大きな的に当てればいいだけだ。一方で一般兵はほとんど何もできない。
だが地上に降りてしまえば、一般兵は錬金術で作られた強力な武器を使うことができる。それらは魔法にも引けを取らないものだ。
はっきりいって、歩兵の練度や装備で言えば、グラノリュースはアクセルベルクに遠く及ばない。
あの国に錬金術なんてないから、一般兵の装備は雲泥の差だ。天上人さえなんとかできれば、こちらに負ける要素はない。
その天上人の装備だって、そいつらの自前がせいぜい。普通の鍛冶に毛が生えた程度。レオエイダンで培われた錬金術で作られた俺の装備にかなうわけがない。普通に戦って負ける気はない。
「というわけで、アイリスの率いる歩兵連隊の主な仕事は敵地上部隊の掃討だ。占領や自治もしてもらうから、大変だぞ?」
「了解、団長。まあ、これでも大佐だからね。領主に必要なことも一通り学んでいるから自治や占領は任せてよ」
アイリスの言葉に、いまさらながらに違和感を覚える。
「アクセルベルクってホントに変な国だよな。普通軍人が領主の真似事なんてしないだろうに。貴族じゃないんだから」
「ボクとしては貴族なんて存在の方がわからないけどね。力がなくちゃ領地を守るなんてできないでしょ。軍に精通していないといけないなら、軍人が治めたほうが効率的じゃないか」
「普通軍人は領主に必要な知識を持っていないもんだよ。軍と統治は別物ってことさ」
「ふーん。ウィルの故郷はこことは随分と違うんだね」
当然だが、元居た世界では政治と軍は別にしていた。軍が力を持ちすぎると勝手に自国のためにとか言って戦争を起こすからだ。
そもそも軍隊とは、政治的に中立でなければならない。でなければ、武力にものを言わせた脅迫政治の出来上がりだ。
もっとも、軍事政権なんてものがあって、うまくいっている国もある。一概に悪いという気はないが、日本に住んでいた身としては、違和感はぬぐえない。
まあ、この世界ではわかりやすい脅威として悪魔がいる。それのおかげで大陸がまとまっているのだから、こういう形になるのかもしれない。
とにかく、グラノリュースに攻める理由と留意しなければならないことは伝え終わった。
「ウィルの故郷の話が聞きたい……どんな国だった?」
話が一段落したところで、マリナが聞いてきた。二人はすでに俺が異世界の人間であることは知れている。
別に隠すことではないか。
「ここよりずっと文明が発達していたよ。マナなんてないから、錬金術も魔法もない。単なる物理現象を利用する科学がとても発展していたよ」
「なるほど……その根幹が電気だったんだね」
「そういうことだ」
この世界で元の世界の技術を再現するといっても、そもそもこの国の土台となる技術が足りないから、実現できないものばかりだ。
おかげで、この頭の中にある今まで学んだ工学知識の大半は錆びついたままだ。
机の上に置かれた紅茶を口に含んで一息入れる。三人も紅茶を飲みながら、机の上に置かれた菓子折りに手を伸ばしている。
頭を働かせるには糖分が必要だ。
実は前の世界にいたとき、お菓子を作ったことが何度かある。そのときの記憶を頼りにいくらか再現したのだが、思いのほか部隊員たちに好評だった。
今回はドーナツだ。
「これ、美味しい! ウィルは本当に何でもできるね!」
お菓子を食べたエスリリが元気に尻尾を振りだした。とんだ過大評価に肩をすくめて否定する。
「んなことない。作れるものなんてこれ以外には数種類だけだ。随分と作ってないから、作り方も曖昧だったよ」
「そう? じゃあ、今度一緒に作ろう? ……みんなでやれば、もっといいものが作れるかもしれないよ」
「どうせ俺じゃない誰かの腹に入るんだ。まずくてもいいだろ」
投げやりに言うと、アイリスがこぶしを握り、激情を込めて言った。
「よくないよ! それじゃあ、何のためにこの部屋に来るのかわからないじゃないか!」
「菓子のために来てんのかてめぇ」
まあ好評なのは悪い気はしない。進んで作ってやろうとは思わないが、付き合いの長い彼らに作るぐらいは、暇があればやってもいい。
小休止を挟んで、再び仕事の話をする。
「そんなわけで空中戦、国内に侵入ができれば国を落とすまではあと一歩だ。よほどあの国が力をつけていない限りは負けないだろ」
「そうはいうけど、空中戦が終わっても天上人はいるんだろう? 歩兵が戦って勝てると思う?」
「多少の被害は出るかもしれないが、数で囲めば歩兵でも倒せるだろう。魔法の差を埋めるのが錬金術だ。装備をしっかりと整えれば問題ない」
「被害か……どれだけ出ると思う?」
「何とも言えないな。被害が出るとは言ったが、基本的に歩兵に天上人の相手をさせることはない。被害が出れば、戦闘以外に支障が出る。基本的に歩兵は被害を防ぐことと遅滞戦闘に努めろ。訓練の内容もそれを前提に組め」
アイリスにこれからの訓練の内容を伝える。すでに歩兵は半数以上が揃っているからすぐにでも訓練は始められる。俺も指揮を学ぶために同席するが、より具体的な内容については連隊長であるアイリスの仕事だ。
「歩兵が相手をしないとなると……天上人とはだれが戦うの?」
「決まってる」
隣に座るマリナの目をじっと見つめる。脅すように。
「独立部隊に決まってる。それしか手はない」
「……」
魔法について最も理解のある特務隊の連中でしか相手はできない。
だがはっきり言って、軍医であるマリナを独立部隊に任命する理由は薄い。
大事なのは、俺とベルの二人に限定すれば、マリナ以上の軍医はいないということだ。そして俺とベルは問答無用で独立部隊、天上人と戦うことになる。
だから必然的に彼女は独立部隊所属だ。戦闘はさせない。
「マリナはあくまで軍医だ。戦闘は基本させない。いいな」
マリナがハッとする。眠たげな瞳を大きく開き、口をきゅっと横一文字に固く結ぶ。そして口を開き、言葉を吐こうとしたが、
「……わかった」
直前に引っ込め、俯きながら了承した。
彼女が戦いたがることは分かっている。事実彼女が軍医としての枠に収まらないことも理解している。
だが、戦闘においては彼女より上はいる。
とりあえずこれで伝えなければならないことはすべて伝えた。三人に退出していいと伝えると、彼女たちは立ち上がり、順に扉に向けて歩き出す。
エスリリ、マリナが扉をくぐり、最後にアイリスが扉に手をかけ閉める……途中で足を止め、振り返った。
「独立部隊。特務隊から編成するんだよね」
「そうだ」
「みんなは天上人に勝てる?」
「……」
アイリスの質問に俺は即答しかねた。
正直、特務隊の連中で天上人に勝てるという確証があるわけじゃない。だがやるなら特務隊の連中しか無理だろう。
「そのために最善を尽くす。大丈夫。魔法が使えるのは俺だけじゃない。ベルがいる。魔法に関していえば俺よりもずっとあいつの方が上だよ。だから天上人にだって負けないよ」
「そっか。絶対にみんなで帰ってくるんだよ。ボクだけ仲間はずれで独りぼっちなんていやだからね」
「……そうだな」
アイリスはそれだけ言って部屋から出ていった。
静かになった部屋で、俺は天井を仰ぎ見る。
何の変哲もない木目。
団長の部屋ということでそれなりに装飾があって立派だが、元の世界のものに比べればこんなものかと思うような部屋だ。
アイリスはみんなで帰ると言っていた。
でも俺は元の世界に帰るんだ。帰る場所が違う。
何より、これからグラノリュースと戦う。誰も死なないなんて無理だ。アイリスもわかっている。
それでも彼女としては付き合いの深い連中に死んでほしくないんだろう。
当然誰も死にたくはない。わかっている。
それでも俺は、彼女たちを死地に向かわせる。誰かが死ねば、きっと俺を恨むだろう。でも散々引っ掻き回した俺は、関係ないとばかりに元の世界に帰る。
特務隊を始めとした面々も、この世界の連中も俺を恨むに違いない。
それでいい。
だって俺もこの世界が嫌いだ。人の人生を奪っておいて、知らぬ存ぜぬでのうのうと生きているこの世界の人間が嫌いだ。
だからお互いに恨み合うのが正しいのだ。
「……さて、他の奴らはいつ合流するかな」
気分を変えて、俺も机の上のお菓子をつまむ。
砂糖が貴重だから控えめにしたが、思った以上に甘く感じなかった。
とても苦く感じた。
次回、「嵌められた師団長」