第三話 グラノリュースとアクセルベルク
小指から中指まで、三つ立てて一つずつ説明していく。
「二か国間の問題は三つ。一つは知っての通り地形の問題だ」
「いわゆる『魔境』ってやつだね。二つの国の間には大陸を横切る形で険しい山々がそびえているね」
「ああ、進軍するのに山をいくつも超えなきゃいけない。挙句そこは未開の地で強力な魔物が大勢いる」
グラノリュースからアクセルベルクにやってきたときに通ったあの場所。
雲を貫き、天までそびえんかという広大な山々は、グラノリュース天上国をまるで守るかのように横に広がり、どこをどう通ろうとも山越えをしなければならない。
挙句、あの山々は飛竜の巣窟だ。
「その『魔境』を歩いて踏破したウィルがいうならそうなんだろうね。軍がまともに行けば山登りに魔物の対処。たどりつくまでにどれだけ被害が出るかわかったものじゃない」
「あのときは本当に大変だった……私は足手まといで負ぶわれてるだけだったし、ベルはほうきを折っちゃった」
マリナが過去を思い出し、唇をきゅっと引き結ぶ。
彼女の言う通り、俺もベルも魔法が今ほど全然使えないし、マリナなんて歩くのもやっとだ。今思えば、本当によく生きてアクセルベルクにたどり着いたと思う。
とにかく、一つ目の問題は『魔境』という未開の地のせいで侵攻が困難ということ。
次の理由。指を一本ずつ折りたたむ。
「次は地政学上の問題だ」
「アクセルベルクは大陸の中心、グラノリュースは南端に位置しているね」
四人そろって地図の上下に視線を這わせる。
「そうだ。そして北方には悪魔の根城であるアニクアディティがある。中央は、いつかは悪魔どもを排して、アニクアディティを取り戻したいと考えているだろうな」
「わたしたちの故郷! 取り戻してくれるの!?」
獣人たちの故郷であったアニクアディティ。
獣人であるエスリリが目を輝かせて俺を見てくる。
「ああ。思惑に多少の差はあれど、悪魔を滅ぼして人の手に取り戻したいという思いは一緒だ。そのためにもまず、グラノリュースを落とさないといけない」
エスリリがぶんぶんと尻尾を振っているのを、彼女の隣に座るアイリスがなだめながら続きを促してくる。
「それはわかるよ。でもそれでどうしてグラノリュースを攻略しないといけないんだい」
「考えて見ろ。グラノリュースは南方、アニクアディティは北方。まさに上下で挟み撃ちだ。後ろが怪しいのに前になんて進めないだろ?」
「わからなくはないよ。でもやっぱり引きこもっているんだろ? だったら心配する必要もないんじゃないかな?」
「そこで効いてくるのがもう一つの問題だ」
いかに強力な軍事力と各国との連携を持っているアクセルベルクと言えど、悪魔とグラノリュースの二つを同時に相手取るのは厳しい。
だがこの二つが同時に攻めてくる確証もないのだから、放置すればいいじゃないかという考えもあり得る。
しかし、だからといって気にしないわけにもいかない。
グラノリュースはただの鎖国国家じゃない。彼の国は他国に被害をもたらしている。
グラノリュースが他国からどう呼ばれているのか。
「盗賊国家。それがグラノリュース天上国の蔑称だ」
「盗賊国家……そういえば聞いたことがあるね。ハンターを始めとした、グラノリュースに送った人材全てが帰ってこなかったって」
これがアクセルベルクがグラノリュースを諦められない最後の理由。
「和平のために送った使者も、ハンターとして派遣、出稼ぎに行った一般の連中も全員等しく帰ってこなかった」
「なるほどね。それは確かに各国は許せないだろうね。使者は大抵身分のある人間だ。それを返さないとなれば、国家としては責任を追及しないといけない」
グラノリュースが盗賊国家と呼ばれるようになった所以に関しては、アクセルベルクに来る前にベルから教わったものだ。この国に来てからはもっと詳しく知るようになったが、やはりどれも碌なものではなかった。
あの国で会ったエルフやドワーフはみんな、レオエイダンやユベールから仕事や一旗揚げにやってきた人たちだった。中には身分の高い者もいた。
彼らはみんな、下層や中層に閉じ込められ、軍に搾取されている。家族に会うこともできなくなってしまったのだ。
前の世界のどっかの国の拉致問題を思い出す。一世紀近く経っても、あの問題は未だに問題になっていた。
そして、二か国の歴史を語るうえで、外せない出来事がある。
「八十年前、アクセルベルクはグラノリュースに攻め込んだ。魔境を超えるために大量の気球と軍を派遣したんだ」
「その結果は確か……」
「大敗だよ。軍としてまともに矛を交える前に戦闘不能に追い込まれた。いや、戦闘不能というより、完全に全滅だよ」
「一体どうして?」
「天上人さ」
大量の気球や軍人、物資を投入したにもかかわらず、結果は惨敗。
当時気球は開発されたばかりで、最新鋭と言われていた。コストも人もかつてないほど投入したために、アクセルベルクを始めとした各国は始まる前から戦勝ムードだったらしい。
だがフタを開けてみれば、結果は真逆。
何百もの気球や部隊を派遣して、帰ってきたのは十数機の部隊だけ。
帰ってきた部隊に意気揚々と話しかけた、当時の最南端基地ロイヒトゥルム指揮官は彼らの惨状に目を疑い、報告に耳を疑ったのだ。
曰く。
『グラノリュースには悪魔がいる。空を舞い、炎と死を振りまく悪魔がいる』
それを聞いた指揮官はグラノリュースが悪魔と手を組んだ、あるいは既に墜ちていると判断した。
残った連中もみんな口をそろえて空を舞う悪魔が出たと。
だが帰ってきた連中の一人、まだ若い兵士の一人はそれを否定した。
「当時のディアーク・アインハード。その時はまだ聖人に近付いてもいなくて、階級も低かったらしい。彼はその悪魔と直接戦い、残った気球を必死に守った。本人は戦いを終えた後は酷い重傷で、話すこともできなかった。報告ができるようになったのは、国に戻って、癒しの加護を持つ軍医や神官に治療をしてもらってからだそうだ」
ディアークは当時を語りたがらない。きっと凄絶な何かがあった。
「目を覚ましたディアークは悪魔ではなく、その連中は自分たちが天上人だと名乗ったといった。悪魔ではなく、人間だったと。だがその実力は悪魔と比肩しても劣ることは決してなく、一人で大隊に匹敵すると報告した。あるいはそれ以上と」
「でもそのときには、既にグラノリュースが悪魔と手を組んだという話は広まっていたんだね」
頷く。
ディアークは当時、生きのこった者たちにとって英雄だった。
たった数人で軍を壊滅に追いやった怪物を相手に、誰よりも勇敢に、仲間を守り切ったのだ。
だが軍や国の上層部は彼からの報告を世迷言だと切って捨ててしまった。
激しい戦いを行い、傷を負ったために、記憶があいまいで混濁しているのだと。
何よりも上層部は信じるわけにはいかなかったのだ。
空を飛び、炎を始めとした現象を操り、一人で大隊以上の働きをするような人間がいるなんて信じられなかった。
「上層部たちは鎖国的なグラノリュースに、それほどの人材がいるなんて信じられなかった。各国が協力しても、誰も空を飛ぶなんてできない。やっとできた気球ですら、グラノリュースの一兵士にかなわないなんてありえないと」
「だから、アクセルベルクは悪魔と断定したんだね。悪魔なら、魔法を使って空を飛ぶことも、炎を操ることもできるから」
「ああ、結果としてアクセルベルクは、不用意にグラノリュースとアニクアディティに攻め込むわけにはいかなくなった。もし攻め込んで南北から挟撃を受ければ、いくらユベールやレオエイダンから支援を受けても勝つことは難しいからだ」
それからもディアークは、グラノリュースにいるのが悪魔ではなく天上人だと言い続けた。時間が経つにつれ、彼の主張も徐々にだが認められるようになった。
しかし、既にグラノリュースと悪魔が手を組んでいる、あるいは悪魔の手に落ちているということは、多くの人々が信じ込んでいる。それを覆すことはできなかった。
この世界は情報を得るための手段が限られており、その速度も遅い。
ましてや、それがかつての最悪の情報を上書きするための情報ならばなおさらだ。
悪い噂ほど、足は速く、根は深い。
そして今、当時の戦いで聖人へと至ったディアークは、南部を統べる将軍へと昇進。今もこうしてグラノリュースに攻め込むことを諦めていないのだ。
「あいつは、俺がグラノリュースからやってきたとき。天上人だと名乗ったとき。一体どう思ったんだろうな」
「……どうだろうね。昔の話だ。ボクは生まれてもいなかった。推し量ることなんてできないよ」
部屋の中に沈黙が落ちる。
ディアークの心情はきっと複雑だっただろう。
当時の痛みや憎しみは未だに癒えていないはずだ。どういう心情だったかはわからないが、俺をしつこく軍に勧誘したのだから。
とにかく、これでアクセルベルクがグラノリュースに攻める理由は以上だ。
単なる事実としては、無視しても悪魔攻略に関係ないとはいえ、民は心中穏やかではない。それにグラノリュースがずっと何もしないとは限らない。
何より、この俺に。
あの国を攻める理由がある。
次回、「対天上人」