第二話 連隊長
クローヴィス大佐とバルドウィン少佐の二人と別れる。
ディアークから言われた通り、特務師団専用の基地が建設されている場所に向かうと、そこには仮の司令部や訓練場ができていた。
工事関係の人はちらほらいるが、軍人となるとほとんど誰もいない。
工事をするとなって、緑はすべて刈り取られ、味気ない土色が広がる大地。
ぽつんぽつんと建てられている閑散とした建物。
全体の雰囲気はまだみすぼらしいが、仮とはいえ建てられた司令部はそれなりにしっかりしている。
入口の大きな木目の扉には、ステインやニスを塗ったのか、艶があり光沢がある。石材を綺麗に削って作られた取っ手は触るとひんやりしている。
軽い木材の扉に、重い石材の取っ手という組み合わせは、重心が取っ手に近くなるために扉を引くのがとても楽だ。
これは期待できそうだ。
扉をくぐり、中に入って絶句した。
クサい。
真新しい木の匂いに、薬品やら艶出しの油の臭いが全部ひっくるめてぶつかってきて、思わず顔をしかめてしまった。鼻をつまもうにも、仮面に邪魔されてつまめない。
これは悪臭の部類に入るのではないだろうか。
まあできたばかりだから仕方ないのかもしれない。もう少し喚起をすればよくなるとは思う。
臭いを抑えようと呼吸を浅くしながら、事前に聞いていた自分の部屋に入る。
建物の一番奥、他の部屋よりも少しだけ広いかなと思わなくもない部屋に入る。
そこには、
「こんにちは、隊長。先に来てゆっくりさせてもらっているよ」
アイリスがいた。
どこで淹れたのか、赤褐色の紅茶をマグカップに入れて優雅にソファに座ってくつろいでいた。
金髪青眼に良家のお嬢様であるアイリスは、これ以上ないほど様になっている。
部屋の中にいたのはアイリスだけではない。
「もう荷解きは終わったよ……ウィルのもやっておいたから」
白髪交じりの黒髪に眠たげな瞳をした少女。
マリナだ。
アイリスと一緒にソファに座ってくつろいでいる。
あともう一人。
鼻にちり紙を丸めて詰め込んだ、鼻声の少女。
「ここニオイがきついよぅ。なんとかならないかなぁ」
獣人のエスリリ。
山吹色のボブカットに頭に生えた三角のピンと立った耳。腰にふわふわの尻尾を持った彼女は、犬狼族という一際鼻のいい種族だ。
鼻が利きすぎるから、この出来立ての建物の臭いはきついだろう。
「悪いな。気分が悪くなったら、外に出て休んでもいいぞ。喚起しておけば、そのうちおさまるとは思うけど」
三人には、俺の荷物を持って先に基地にいて待っているように指示を出していた。
とっとと終わらせて優雅に休んでいたらしい。
……俺の部屋で。
苦笑しながら、ローテーブルを挟んだ両側に並べられているソファに座る。
「さて、師団について話があるんだ」
机の上に、持ってきた資料一式をすべて見えるように広げる。
話すのは、さっき決めた師団についてと、ディアークから聞いたこれからのことだ。
「まず師団だが歩兵、砲兵、工兵、輜重兵からなる四連隊編成だ。他に俺直轄の独立部隊もある。まあ、これはほとんど元特務隊のメンバーから編成する」
言いながら、マリナを見やる。
彼女は意を理解したのか、微笑みながらうなずいた。
「エスリリはまず軍について勉強だ。ひとまずは歩兵連隊の一員として、基礎から励んでくれ」
「りょーかいしました!」
エスリリは座ったまま、見よう見まねで頭に手をやって敬礼をした。
苦笑して、アイリスを見る。
アイリスは手に持っていたカップを置いて、嬉しそうに言った。
「ということはボクは独立部隊になるのかな?」
「いや、アイリスには一個連隊を任せようと思っている」
「え?」
アイリスが驚き、口を半開きにして固まった。
アイリスは元特務隊で優秀だ。俺直轄として独立部隊にしようかと考えたが、一つ大きな問題があった。
指揮官不足。
連隊を任せることができる大佐以上の人間が多くないのだ。現在はカーティスとアイリスしかいない。
二人は入隊時点では中佐だったが、各地での功績が認められて一つずつ昇進した。おかげで二人に連隊規模の指揮を任せることができる。
だがこれでは足りない。四連隊からなるなら大佐がもう二人必要だ。
「大佐を俺の下で遊ばせるわけにはいかない。アイリスには歩兵連隊を任せる。一番兵員が多いから大変だが、できるか?」
「うん、わかった。やってみせるよ。何かあったらウィル団長がフォローしてくれるんでしょ?」
「当然だ。ただ俺もこの規模の指揮なんて初なんでな。今後の訓練は厳しくやるぞ」
俺もアイリスも初の大規模な指揮官になる。至らないことがあるのは当然だ。だからこそこれからの期間はひたすら訓練と演習だ。
「それで他の連隊はどうなるんだい?」
頬杖を突き、人差し指でこめかみのあたりをとんとんと、軽くたたく。
「工兵はカーティスに任せる。彼も連隊を率いるなんて初だろうが、経験は豊富だし頭もキレるから、あまり心配いらないだろ」
俺の言葉に、アイリスはわざとらしく頬を膨らませる。
「それだとボクが能力不足みたいじゃないか」
「カーティスと比べればな。悔しければ結果で証明しろ」
発破をかけるつもりで挑発的に言うと、彼女も答えるように挑発的に笑う。
「言ったね。よし、工兵連隊に負けないように、兵士たちを鍛え上げて見せるよ」
「存分にな」
歩兵は基本にして核だ。そういう意味では、大事なのはカーティスよりもアイリスの方だ。
「それで他二つ……砲兵と輜重兵は? 指揮官がいない気がするけど」
眠たげなマリナの声が隣から上がる。
彼女の言う通り、残った二つは悩みの種だ。
砲兵は大砲や重火器を扱う兵科で、輜重兵は主に兵站を担う。
俺たちはグラノリュースに遠征する、しかもあの国は二つの層を隔てる防壁がある。突破するにはこの二つは欠かせない。
だけど指揮官がいない。
「残り二つについてだが、悩んでるんだ。連隊の中でも砲兵は規模が比較的小さい。最悪、爆破大好きヴェルナー君に任せようかと考えたが、階級が足りない」
「今少佐だったね。確かに連隊規模を任せるには少し問題があるね」
「そうだな。それにあいつの火力は俺の部隊に欲しい。だが、かといって他に連隊を任せられそうな奴がいないのも事実だ」
眉間をもむ。
まあ、誰を連隊長にするにせよ、今はカーティスもヴェルナーもレオエイダンだ。まだ工兵の訓練はできない。各連隊もまだ完全に集結したわけじゃない。
今後、合流する兵士の中に、指揮を任せられるものがいることを願おう。
レオエイダンにいる技官たちはもうすぐ飛行船の建造を終えて、こちらへやってくるはずだ。
そして工兵として飛行船の扱いや工作について訓練を行う計画になっている。
普通技官といえど、あくまで技術者なので工兵にはなりえない。
だがここはさすがは軍事大国アクセルベルクといったところか、必ず全員に兵役の義務があるため、技官でも訓練を受けている。工兵への転換はよくあることなのだそうだ。
この辺りは別の世界にいた身としてはあまり馴染みがなくて驚く。いや、戦時中であれば元の世界でもありえた話なのかもしれないが。
「訓練の期間はどれくらい与えられているの?」
アイリスの問い。
俺は指一本立てる。
「一年だ。一年で、この師団で一国を落とす」
噛みしめるようにゆっくりと告げる。
訓練に与えられた期間はたったの一年。短すぎるほどだ。
アイリスは眉間にしわを寄せる。
「……途方もないように聞こえるね。一方面を任せられることがある師団と言えど、一国を落とすなんて難しいと思うのだけど」
アイリスの言うことはもっともだ。
だが一年という数字には意味がある。
「悪魔の王……あまりゆっくりしてられない」
横にいるマリナがつぶやき、俺もうなずく。
悪魔の王がもうすぐ降臨する。そうなったとき、おそらく大陸全体が未曽有の危機に襲われる。
そうなってからでは、引きこもりのグラノリュースなんぞにかまっていられない。
「だけど、だからといって十分な訓練を行えなければ、一国を落とすなんて無謀だよ。もっと十全になるまで、我慢するべきだと思う」
慎重策のアイリスの言うこともわからないではない。
だがグラノリュースに勝つことだけを考えれば、決して不可能ではない。
「確かにな。だがそもそもグラノリュースは鎖国国家だ。単純な文明レベルや技術力では俺たちが圧倒的に勝ってる。普通にやり合えば苦戦なんてしないだろうな」
「それならどうして南部は今までグラノリュースに攻めなかったんだい? 気球があれば、魔境を超えることだってできるでしょう?」
アイリスは元東部軍だ。
グラノリュースと南部軍の関係は伝聞でしか知らない。
改めて、どうしてアクセルベルクがグラノリュースに手を焼いているのか説明することにした。
まず、どうしてアクセルベルクがグラノリュースに攻めようとしているか。
「グラノリュース天上国。この国はこの大陸の中で唯一、非協力的な国だ」
机に広げられた大陸地図。
輪郭のあやふやな十字の形をしたメガラニカ大陸、その一番下を指さす。
全員の視線が、一点に集まる。
「グラノリュースが唯一非協力的と言っても、他には竜人たちの住まう灼島もそうじゃないかな」
「灼島は正式に言えば国じゃない。領土や武力で言えば国家に匹敵するが、内情を見れば、あれはただの村落や部族の集まりで国家として経営されていないのさ。レイゲンが台頭する少し前まで、群雄割拠の戦国時代だったんだから」
竜人たちの文化というか習慣で、ひたすらに強さを求めている。
だから同族同士でも常に争いの絶えない種族であり、他の国との付き合いなんて二の次だった。
周囲の国も、あるのは閉鎖的なユベールだ。竜人たちの灼島に攻め込もうなんてしない。
海を挟んですぐ近くにある悪魔の根城、元獣人たちの国であるアニクアディティも、やってくるのは悪魔だけ。
しかしたとえ高位の悪魔が来ようとも、束になった竜人たちの前では鎧袖一触も同然だ。
高位の悪魔には他の種族が手を焼いているにもかかわらず、意にも介さず内輪もめをしている竜人を相手に攻め込もうとする国なんていない。
竜人が全種族の中でも最強と言われる所以だ。
ただ、彼らは戦いを生業としているために数が少ない。最近は獣人と手を組んだようで、国家としてやっていくのも時間の問題だろう。
恐らくレイゲンは簡単にやってのけるに違いない。
だがそんなレイゲンでも悪魔の王には警戒している。
「竜人たちももうすぐ国家として機能するだろう。竜人最強のレイゲンという男を筆頭に覇を唱え、台頭してくる。とはいえ彼らも悪魔が脅威ということはわかってる。どうにかして悪魔に対抗すると同時に、大陸内での地位を高めようとしてくるだろ」
「なるほどね。確かにそうなれば非協力的なのはグラノリュースだけだね。でも何もしてこないなら、放っておいてもいいんじゃないかな?」
「確かにこれがただの引きこもりなら、それでいいんだろうな」
「どういうこと?」
アクセルベルクがグラノリュースに手を出さないわけにはいかないのには理由がある。これは俺もこの国に来て、しばらくしてから知ったことだ。
次回、「グラノリュースとアクセルベルク」