プロローグ
彼は人を護ることが好きでした
だから、私たちは彼のことを護るんです
彼は人を好きになることが好きでした
だから、私たちは彼のことが好きなんです
アグニータ・ルイ・レオエイダン
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竜人との戦いや獣人との出会い、エルフたちとの別れから一か月が過ぎた頃。
俺たちは無事に南部まで帰ることができた。
その道中にもいろいろあった。
ユベールでエイリスが自分も行くとはしゃぎだして止められていたこと。
ルチナベルタ家でライノアやイリアスに睨まれたこと。
ああ、あとユベールの巨大図書館に、ベルを置いて来たこと。
まだ読み終えてない魔法書があるし、彼女は魔法使い。一律な訓練を施して個性を殺すより、そのまま長所を伸ばしたほうがいいとして、訓練には参加しない。
もっとも、ずっと図書館というわけでもない。
装備の更新だったり研究だったりで、彼女の力が必要になる。
近いうちに帰ってくるだろう。
どれも取るに足らない出来事だ。行きとは正反対に、とてもすんなり帰ってこれた。
「半年しかいなかったのに、この質素な感じが懐かしい」
久しぶりの南部。
開発が遅れていて、貧乏で質素な領主館。
西部のように無骨でも、東部のように絢爛でもない。
出来る限り立派に見せようといろいろな工夫が施され、品物一つ一つは安くても、その配置から訪れる人へのおもてなしを感じる屋敷。
どことなく傷んだ床が僅かにミシミシと音を立て軋む。
二階に続く階段を上がる。
あがってすぐ、目の前に一際大きな両開きの扉が目に飛び込んでくる。
飾りがあるわけでもない白塗りの壁。
申し訳程度の艶がある取っ手に手をかけて開く。
「できるだけ早く帰ってきたが、遅かったか?」
ノックも無し、扉を開けて中にいる人物に声をかける。
そこにいるのは、
「いや、ちょうどいいくらいだ。報告を聞いて驚いたぞ。まさか、ユベールのエルフたちと交流を深めたうえに、竜人と獣人の協力を取り付けるとはな! まったく、貴殿にはいつも驚かされる!」
豪快な声、浅黒く焼けた肌、短く切りそろえられた黒髪。
白い歯をむき出しに竹を割ったようにさっぱりと笑うのは、南部軍司令官であり南部領主。
ディアーク・レン・アインハード中将。
執務室の豪華な椅子に座った彼の言葉に、俺は肩をすくめる。
「ユベールはともかく、竜人たちには巻き込まれただけだ。脳筋の集まりで戦うしかしてないよ」
話しながら、部屋に並べられている応接用のソファに座る。
「竜人のレイゲンといえば、アクセルベルク最強のクラウス・レオ・ロフリーヴェス大将と並ぶかもしれない男だぞ。あの島の情報は伝わりづらいから、もしかすれば本当に大陸最強かもしれん。そんな男とやり合って生きているとは、貴殿も底が知れないな」
「まさか。あいつは本気を出していなかったよ。剣技でも負けていたし、二度とやり合いたくないな」
今思い出しても、ぶるりと体が震える。
レイゲンとは戦いたくない。あの男は半神に片足を突っ込んでいた。魔人に至れば、半神になる。そうなれば今よりさらに強くなるはずだ。
聖人になってるから寿命も長いし、あそこまで魔人に近づけたなら、あの男はいずれ半神になる。
できれば、その前にこの世界からとんずらしたいものだ。
レイゲンといえば、ディアークに聞きたいことがあったんだ。
「そんなことよりも、あんな男の下に支援を要請してるなんて知らなかったぞ。俺の目の前で封書を出されて、変な汗が出たんだからな」
そう、特務隊がらみの話なのに、俺に何の相談もなく出されたあの手紙。
非難めいた指摘も気にすることなく、ディアークは笑う。
「そうか! それは悪いことをしたな。竜人からの支援なんて、北部も東部も断られ続けていたからな。南部ならまず断られると思って駄目元で出したら、まさかこんなことになるとは。なんとも面白いものだな!」
「面白くねぇよ。おかげで飛行船の技術を盗まれるリスクを背負うことになったぞ」
恨みがましい視線を向ける。
当然だがレイゲンは単純な老婆心で協力してくれたわけじゃない。大陸内での地位を押し上げ、グラノリュース攻略時の利権を得ると同時に、特務隊の技術を狙って兵士を派遣してくる。
俺の懸念に、ディアークは安心させるように穏やかに微笑んだ。
「大して問題はあるまい。そう簡単に真似できるような代物ではない。少し前にレオエイダンに視察に行かせてもらったが、凄いものだな。あんなものが空を飛ぶなんていまだに信じられない」
彼の言葉に少しばかり興味を持った。
どうやらディアークは俺たちが東方面にいる間に、開発現場を視察したようだ。その頃には飛行船の建造が進んでいたらしく、空を飛んでいたらしい。
早く見てみたいな。
「あいつらはいつ頃こっちに帰ってこれるかな?」
「ああ、そのことだが近々、研究設備ごとこちらに拠点を移すそうだ」
「なんで? 向こうの方が都合がいいだろうに」
俺としては、こちらで研究開発ができるようになるのは非常に助かるが、現場としてはそのままの場所でやりたいところだろうに。
疑問を口にすると、ディアークは勝ち誇ったように、
「飛行船開発のための場所がもうないのだ! レオエイダンは多くの研究所が密集しているが、悲しいことに南部は土地が余りまくっている! まったくもって開発が進んでいないからな!」
堂々と情けないことを口にした。
まあ確かに、以前赴いた研究所は大した敷地は無かった。
エンジンの開発をするくらいだから広かったが、実際に飛行船なんてものを作るとなるとまた別だ。
この世界で大型のものなんて気球か船くらい。船は港の近くの造船所で作るから大きな敷地がある。
内地で大きなものなんて精々気球くらいで、飛行船とは大きさが全然違う。
というわけでこれから本格的に建造するには、結局研究所とは別のところに引っ越さなければならないから、それならばと南部に来るらしい。
これは楽しみが増えた。
「そうか。それは本当に楽しみだ。それじゃ、こっちはこっちでその飛行船に乗る人を育てなきゃいけないな。新しい兵はどこにいるんだ?」
乗る物ができたはいいが、乗る人がいなければ意味がない。
人は城、人は生垣、人は堀ってやつだ。
エルフや竜人、獣人はまだ来てないが、彼らは数が少ない。師団の大部分を占める通常のアクセルベルクの兵士がいるはずだ。
「新しい団員たちなら増設した兵舎にいる。それともう一つ朗報だ」
「なんだ?」
「予定では五千だったが、六千までに増えたぞ。もしかしたらもっと増えるかもしれないな」
「はぁ!?」
目を剥いた。
事前に知らされていたのは五千だけ。師団としては十分な数だ。
それがここに来て大幅な増員とはいかなるものか。
驚いた俺を見て、ディアークは笑う。
「はっはっは! 貴殿も驚くのだな! 竜人や獣人から支援をしてもらえたからな。これもひとえに貴殿の人柄のおかげだな!」
「俺の人柄なんて碌な物じゃないだろうに。変な奴らだよ」
師団規模に拡大すると知らせを受けたときは、まだエルフとも竜人とも協力する約束なんてしていない。
六千まで増えたのがあの三種族のおかげということは、それ以外からすでに五千人の師団を編成できるほどの支援を受けていたはずだ。
だがそれは一体どこからだ?
「会ってからのお楽しみだ。ただ現在はまだ集まり切っていない。今いるのは南部所属だった者たちだ。他の者は順次到着する予定だ」
どうやら俺たちは思った以上に早く帰ってきてしまったようだ。まあ遅いよりいいか。
「そうかい。じゃあ、ひとまず今いる連中の教育をしてやらないとな」
「存分に鍛えるといい。グラノリュースの練兵の仕方、とくと見せてもらおう」
彼の言葉に、思わず笑いの声が漏れる。
グラノリュースで受けたことは、軍人というより騎士としての訓練だ。だからそのままは使えない。
そうそう、グラノリュースでの騎士とアクセルベルクでの騎士は、意味合いが異なる。軍人はもちろん同じだが、騎士は違う。
ややこしいが、グラノリュースでいう騎士は軍人よりも個人戦に特化し、卓抜した実力を持つ者に与えられる称号だ。
一方でアクセルベルクの騎士は教会に所属していて、国内の治安維持を担っている。いわば警察だ。教会に所属しているので聖騎士と言ったほういいだろうか。
実力的にはこちらも個人戦に特化している。まあ見たことがないから、どれくらい強いのか、どんな戦い方をするのかは知らない。
とまあ、二か国に違いはあるが、グラノリュースでも指揮に関しては学んでいる。
ゼロから始めるよりはマシだ。
「あとそうだ。貴殿のための新たな師団。通称『特務師団』専用の基地を今建設しているところだ。場所は少し遠いが、仮の司令部や訓練場はあるから、これからはそこを使ってくれ」
「そのまんまだな。忘れてたが、まだ基地もできてないのか。不便だな」
「貴殿が予想以上に暴れまわるのが悪いのだ。誰もこんな短期間でこれほどの功績をあげるとは思わないだろう」
ま、それもそうか。
俺ですらびっくりだ。
ディアークから建設中の基地の場所が記された地図を受け取る。
飛行船なんてものを扱う史上初の師団だから、広大な土地が必要だ。グラノリュースに攻めるのが目的ということもあって、かなり南の方に建てるらしい。
魔境の目の前、今いる南部の中心街からかなり遠い。
ま、俺は闇の精霊がついているから、距離なんて関係ないけれど。
「わかっているとは思うが、師団長はウィリアム、貴殿だ。必要な物は一番知っているだろうから、建設中ではあるが、何か気になることや要望があれば言ってくれ。できる限り応えよう」
「ああ、ありがとう。なら建設資料も欲しいな。好き放題に作りまくってやる」
本当に至れり尽くせりだ。よほど期待してくれているんだろう。それなら思う存分に金のかかる要望を出しまくってやる。
もっとも、貧乏な南部じゃ、あまり実現できないだろうけど。
と、思ったが……
「フハハ! 金ならある! 技術的に無理でないなら大抵のことは叶うだろうな!」
なんてことを言い出した。
これには思わず、眉根を寄せる。
「南部は貧乏なんじゃなかったのか? どっからそんな金が湧いて来るんだよ」
「当然国からだ。中央が予算を割いてくれた。それ以外からも出資があった。とにかく金のことなら心配するな! 腐るほどあるからな!」
この言葉を言ってみたかったのだ!
と、ディアークは興奮気味に言った。
ああ、哀れな。今まで金のことでたくさん苦労したんだろうな。
思い返せば、俺はこの世界に来てから金に困ったことが無い。嫌味とかではなく、単に使い道がないからだ。
天上人は、存在そのものは害悪だが、地位的には非常に高い。そのために給金はかなり多かった。だけど当時は、衣食住は支給され、使い道は日用品だけ。
記憶を取り戻してからは、武器とか必需品にしか使っていない。
アクセルベルクで軍人になってからはなおさらだ。武器だって支給されるし、味は最悪だが食事もでる。軍服も当然支給だ。
それに俺は准将、かなりの高給取りだ。いろいろ手柄を立てているから、今頃、俺の銀行口座は結構な額になっているだろう。
使えばいいと思うが、文明が発達した前の世界の人間としては、あまりこの世界の物に興味を引かれない。
だがしかし、いろいろ言ってはいるが、だからといって出費が全くないわけじゃない。
むしろ普通に生活していたら、間違いなく破産するレベルで出費がある。
なにか。
「ところで、ウィルベルとマリナは元気にしているのか?」
あの二人だ。
ディアークの質問に肩をすくめる。
「元気すぎて困っているよ。前に言った生活の面倒を見るって言葉を盾に好き放題するんだ。ユベールで金に物を言わせて、工芸品やら服やらを買い占める。うまいものばっかり食っていたから、俺まで舌が肥えてしまったよ」
「ハッハッハ! それは何よりだ! あの年頃の若者は、よく食ってよく遊び、よく寝るのが一番だ!」
ディアークが大声で笑い、釣られるように俺も笑う。
ベルは変わらず金遣いが荒いし、マリナはそんなベルに誘われて成すがままに付き合う。
南部に帰る際にユベールに寄ったときは、ベルはしばらく会えないからとひたすらマリナと遊び倒していた。その二人が遊ぶとなると、必然的に俺もついていくことになるから、出費が大きく増えてしまった。
おっと、余談だったな。
とにかく、やることはたくさんある。手早く取りかかろう。
次回、「特務師団」