第二十九話 休戦
戦いは終わった。
悪魔の軍勢は恐らく漁夫の利を取ろうと思い、俺たちが争っているところに横やりを入れてきたのだろうが、うまいこと三種族が協力し合ったことで割と難なく事は収まった。
規模の割に被害は非常に少ない。
なんなら悪魔より前の竜人とエルフの戦いの方がひどかったくらいだ。
収束した戦場で、俺はエルフの王レゴラウスと共に、エルフの軍勢の先頭に立って、竜人と獣人の軍勢の先頭に立つレイゲンと向かい合い、睨み合う。
向かい合って、いくつか気になることがある。
「レイゲン、お前……、刺されたのか?」
それは竜人の王レイゲンの胸元、正確に心臓の位置に濃い血の跡が残っていた。着物には鋭い刃物で切り裂かれた跡がある。
俺の質問に、レイゲンは下らなげに鼻を鳴らし、
「フン、おびき出すために心臓を餌にしただけだ」
そういった。
耳が腐ったのかと思った。
「心臓を餌に? 頭おかしいのか?」
「この俺を下等生物と一緒にするな。心臓を刺された程度で、俺が死ぬと思うてか」
なんだこいつ、どう生きてんの?
こんな心臓を貫かれても死なない化け物と俺は戦っていたのか。
こいつに勝つにはどうしたらいいのだろうか。そうずっと考えていたのだが、無理だな。
こんな心臓が心臓の意味を果たしてない生物なんて相手にしていられない。
きっと脳みそもまともに働いていないに違いない。
胸の血とは別にもう一つ気になることがある。
「興が削がれた。屋敷に来い。話がある」
それはレイゲンにもう戦う気が無いこと。
抜身の刃のようなぎらついた戦意が滾っていた男だったが、俺と別れた後に何かあったのか、今はすっかり竜のような戦意は消え失せていた。
レゴラウスと目を合わせ、頷く。
エルフと俺の部下三人に関してはどこかで待機するように命令し、俺とレゴラウスは二人でレイゲンの後について行くのだった。
*
懐かしい畳の匂い。
材料はイグサだったか、消臭効果もあってとても落ち着く。
灼島の王レイゲンの城。
日本の古城のような城の最上階、少し前に俺が突っ込んだ城とは違う場所だ。
さすが王様、いくつも城を立てているらしい。
聞いたところによれば、もともと灼島はいくつもの名のある戦士が領地を治め、互いにせめぎ合っていたいわば戦国時代のようなものだった。
その為にいくつもの城が割と近場に立っており、レイゲンの元、統一された現在は彼が全てを牛耳っているらしい。
どことなく既視感を覚える立派な城の一室で、座布団の上に胡坐をかいて座るのは、俺とレゴラウス、そしてレイゲンだ。
三人で三角形を描くように向かい合っていた。
「怠惰なエルフの王と対等に向かい合うことになるとはな」
ニヒルな笑みを口に浮かべるレイゲン。
一方で眉目秀麗な顔を不快げに歪めたのはレゴラウス。
「余としても傲慢な竜人の王の屋敷に上がるとは思ってもみなかった」
仲の悪い二人の王が睨み合う。
実際、灼島とユベールは長年にわたり争い合っていた。その理由はよく知らないが、なんでも太古の昔の因縁が絡んでいるらしい。
俺には興味がない。
確かミネルヴァ大図書館に伝承について記された文献があったはずだが、俺は読んでない。多分マリナかアイリスあたりが読んでいることだろう。
「そもそも貴様らが俺達の至宝を奪ったことが原因だろう。それを取り返すために俺達竜人は戦っているだけだ」
「世迷言を言うでない。あの宝玉はエルフの英雄フェイルミオスがその身を賭して得たものだ。決して野蛮な竜人のものではない」
「我ら竜人は古竜とエルフの子孫、なればこそ我らにも宝玉を所有する権利がある。何より貴様らエルフが持てあましているものを俺なら有効活用させられる。他国の者に知られれば攻め込まれるなどと臆病なことをいい、自種族の発展を自ら妨げている愚か者には過ぎた代物よ」
「そうして大陸中に争いの火種を撒き散らし、弱った大陸の覇権をかすめ取ろうということか。自国の民の命を大切に思わない野蛮な竜人の考えそうなことよ」
ともかく、この視線だけで火花を散らしそうなほどに睨み合っている両者の間に挟まれている俺は、とことん居心地が悪い。
こいつらの因縁が浅いとも馬鹿らしいとも思わないが、せめて俺がいるところでやらないで欲しい。
意見を求められても困るんだ。
胡坐をかいている膝に肘をつき、手のひらに顎を乗せてため息を吐く。
「わかった、お前たちの仲が悪いのは重々承知したから、話を進めてくれないか。俺は早く帰りたいんだ」
俺が言うと、二人の王はじろりと音が鳴りそうなほどに目玉を俺に向け、再び互いを見やると鼻を鳴らして黙りこむ。
揃った動き、こいつら、さては仲いいんじゃないのか。
そういえば、さっき気になることを言っていたな。
竜人は古竜とエルフの間の子だと。
なるほど、確かに改めて見て見れば、レイゲンの耳は長くはないが尖っている。
エルフの血が僅かに流れているのかもしれない。
俺が少し外れたことを考えていると、レイゲンが肘置きを指で軽く叩く。
「先ほどの悪魔の襲撃だが、連中はこの機会をずっと伺っていたようだ」
話の内容は先の悪魔の大軍勢が現れたときのこと。
「奴らは俺達竜人を滅ぼそうとずっと陰でコソコソ嗅ぎまわっていたようだ。だが高位悪魔ごとき、我ら竜人の敵ではない。勝てないと察した悪魔は小細工を弄した」
悪魔が施した小細工、心当たりはある。
「ヒュドラか」
レイゲンが頷く。
「連中はエルフ狩りも失敗した。竜人にも勝つことはできない。ならばと俺達をぶつけ、弱ったところで漁夫の利を得ようとしたということだ」
悪魔たちはヒュドラを使い、竜人とエルフの戦争を誘発した。
その為にユベールと灼島の間にある無人島に、幾度となくヒュドラを放ったのだ。
ヒュドラを討伐するのは恐らくエルフ、ヒュドラを放った無人島は灼島よりの場所であり、討伐するためにエルフを派遣すれば、そのエルフの一団は浮く形となり、竜人たちの恰好の的になる。
竜人が好機と見てエルフを襲い、同胞が犠牲になれば、閉鎖的なエルフといえど黙っていられないと、本格的な戦争になるのを期待していたらしい。
だがここで誤算が起きた。
「貴様らが臆病なエルフの代わりにヒュドラを討伐したことで、連中の計算はくるったということだ」
そう、俺たちがヒュドラを倒してしまったこと。
それによりエルフの動員は最小限となり、迅速な討伐が行われた。それこそ竜人がエルフの動きを察して動き出すよりも先に。
それでもと再びヒュドラを放ったところで、竜人たちがエルフを叩くために島に向かい、結果ベルとマリナが攫われた。
つまりだ。
「もし俺たちが介入せずに最初の計画通りにエルフがヒュドラを討伐していたら、お前たちはどうした」
俺の質問に、レイゲンは眉間の皺をこれでもかと深くした。
「業腹だが、悪魔どもの通りに動いただろうな。もっとも、あの程度の悪魔、いくら俺たちを謀ろうと大した脅威にもならん」
だが、と言葉を続ける。
「結果的に俺たちの被害が少なく済んだことも事実だ。忌々しいが、このようなことがあった以上、このような状態で戦を続ける気にはならんということだ」
なるほど、だからレイゲンはずっと不機嫌になっているというわけか。
この男にとっては、結果的にいらぬ世話を俺たちが焼いてしまったが、焼かれてしまったからにはこの戦いは一度預けると。
「どこでそれを知ったんだ?」
「あれほどの悪魔の大軍勢、獣人がいながら気づかぬわけがない。何かあると思い、調べていたらもう一体、隠密に長けた高位の悪魔がいた。おびき寄せ吐かせ、仕留めただけよ」
だから俺たちが異形の高位の悪魔を仕留めた後、こいつの胸元には血がついていたということか。
ホントに自分の心臓を囮にするとか頭おかしい。
つうかなんで死なないの? 心臓二つあんのかこいつ。
呆れつつ、
「それで獣人の代表はいないのか?」
尋ねる。
「獣人にこのような話が理解できるはずもなかろう」
とのこと。
レイゲンにしては珍しく、好戦的ではない笑みを含みながら。
獣人か、思った以上に獣に近い種族だった。
元の世界で言う猫耳とか犬耳っぽいが、その手足はまんま肉球がそのまま人の手の形をとったかのように細く伸びつつ毛がふさふさだった。
獣に近いからか、頭の中まで原始的なようだ。
「んで、これからどうすんだ」
「それを問うのは俺だ。仮面の男」
レイゲンが俺を見つめる。その目がスッと抜身の刃のように細まった。
ただ、その目は前のように好戦的な目ではなく、俺の真意を見定めるかのようだった。
「貴様をただの軍人にしておくには惜しい。聖人として大成した今、アクセルベルクに戻ればしがらみもより増えることになるだろう」
レイゲンの言葉に驚き、思わず自分の体を見下ろす。
聖人になっていた? 気づかなかったな。
体の調子がいいなと戦っている最中にちょっと感じていたくらいだった。
やはり自分の神気を感じるのは難しい。
まあいい、聖人に近付いたというのは朗報だ。ただレイゲンのいうことももっともだ。アクセルベルクに戻れば、またぞろ何か言われる可能性もある。
レイゲンは俺に手のひらを上にして向ける。
「俺の右の座を用意してやる。俺と共にこの世界を統べようではないか」
何度も聞いた勧誘の話。
これに待ったをかけたのは俺ではなく、レゴラウスだった。
「それならば余は次期王の権利を授けるとしよう。ユベールの王太子として迎える準備がある」
「――え」
驚きの声を上げる。
まさか、二か国から同時に勧誘を受けるとは思わなかった。それも王族待遇だ。
灼島は正確には国としてはまだ成り立っていないから扱いは少し難しいが、レイゲンの右腕となれば、どんなに低くとも大臣以上の階級に当たるだろう。
固まっている俺を悩んでいると思ったのか、レゴラウスが追加で言った。
「今なら妃にエイリスを付ける」
それは聞きたくなかった。
確かに今回の戦で、彼女の力には驚かされてばかりだった。
歌の力で人を強化するなんて聞いたことが無い。ベルですら知らなかった。
エイリスの力は耳ではなく、体のどこかに彼女が放った音の振動が届けばいいというひどく緩い条件の元発動する。
つまり、同じ戦場にいればまず間違いなくその力の恩恵を賜れるのだ。
それも数に制限はないし、多くなったから、遠くなったからといって力が弱まることもない。
破格の力といってもいい。
それを鑑みれば、確かにエイリスが欲しいと思わなくもない。
ただなぁ、やっぱり中身がなぁ。
うるさすぎるよ。
まあたとえ彼女が中身が淑やかでいくら見た目が好みだったとしても、二人に勧誘に関する答えは決まっている。
「謹んでお断りする。俺には目的がある。その目的のためにはお前たちのもとにいては成し遂げられない」
「その目的とはなんだ、濁さず答えよ」
問い詰めるレイゲン。
少しばかり考える。
信じてもらえるかはわからない。いやむしろ信じないだろう。
ベルやマリナ、アイリスにだって最近になって教えたばかりだ。
だがこの二人にごまかしは通じない。
なら正直にいうしかない。
「俺は故郷に帰る。お前は世界を統べるつもりかもしれないが、俺は世界を超えるんだ。共に行動なんてできない。婿入りも断る。元の世界に帰るのだから、国を任せられても何もできない」
世界を超える。
その言葉に、二人はそろって沈黙した。
理解できないとばかりに眉間にしわを寄せる。
「世界を超えるだと? 戯言の類か?」
「好きにとれ、事実だ。悪魔と同じく俺は他の世界からやってきた。無理やりにな。だから故郷に帰るために、世界を渡る方法を探している。ユベールの大図書館で調べ物をしていたのはそのためだ」
レイゲンは頬杖を突きながら顎に手を突き考え込む。
レゴラウスは目を瞑り、顎を当て思案する。
部屋の中に沈黙が落ちる。
二人が信じようが信じまいが、正直どうでもいい。
大事なのは、俺が二人の国に属さないということだ。
「余とて世迷言としか思えぬ。世界を渡る方法がわからないなら、そなたはどうやってここに来た?」
レゴラウスが目を開け質問してきた。
「ある国の連中が何らかの方法で呼び出したんだ。恐らく神器だろうな。アクセルベルクで軍人なんてやっているのは、南部の将軍と利害が一致したからだ」
「ある国とは?」
レイゲンの問い。
「グラノリュース天上国」
忌々しいあの国。
放った言葉は自分でも思った以上に恨みがこもっていた。
グラノリュースの名を告げた途端、二人の眉が僅かに、しかし確かに動いた。
「かの国はずっと鎖国しているはず。それほどまでに発達した文明があるとは思えぬ。そもそもたとえ神器といえど、世界を渡るなどどいったことが可能とは思えん。灼島にも神器はあるが、世界に干渉するほどの力はないのだからな」
灼島にも神器があるのか、それはとても興味深い。
見れば、レゴラウスも知らなかったようだ。興味ない風を装っているが、瞳が僅かに動いた。
レイゲンの言う通り、俺だって神器なら世界を渡れると思っているわけではない。
「だが現にこうして俺はここにいる。あの国は文明自体は発達していないが、それでも鎖国ができているのは、ユベールと同じくあの国に秘密があるからだ」
「その秘密とは?」
「天上人だ」
天上人という存在を二人は知らないらしい。首をかしげる。
二人にもわかりやすく天上人について説明することにした。
曰く、異世界からやってきたものであること。
曰く、聖人に近い存在であり、魔法を操ること。
曰く、優れた知恵と知識を持つこと。
さすがに二人もかつてアクセルベルクがグラノリュースに攻めたときの結果は知っているようで、それが天上人によるものだと説明すると、納得がいったようで頷いていた。
「なるほど、そなたのようなものが何人もいるのであれば、外交努力も無しに実力で鎖国し続けられるのも納得というものだ」
「フン、他の世界の者の力に頼らなければ自国も守れない国など、愚かにも程がある」
二人の王はどちらもグラノリュースという国には悪感情しかないようだ。もちろん俺もだ。
……待てよ?
二人ともグラノリュース天上国をよく思っていない。つまり、あの国が亡ぼうがどうでもいいということだ。
レイゲンはともかく、レゴラウスに関してはフェリオスたち三人といった同胞があの国に捕らわれている。
攻め入るには十分な理由だ。
俺は一つ、賭けに出ることにした。
「二人に提案がある」
レイゲンとレゴラウスが二人そろって俺を見る。
考えてみれば、二か国の王を相手に、なぜ俺が同じ立場に立って議論を交わしているのだろうか。
自覚してしまうと、ストレスで吐きそうだ。
腹がむかつくのをつばを飲み込むことで押さえつけ、唇を湿らせる。
「グラノリュースを潰すことに、協力してもらえないか」
次回、「三位の契り」