第二十八話 格の違い
「叫べ! 吠えろ! 踏み鳴らせ! ワシら獣人の怒り! しかと連中に教えてやるのだ!」
獣人たちが地を這うような唸り声をあげる。
手足四足で地面を踏みしめ、牙をむき出しに威嚇する。
その隣には、
「自然を穢す悪魔に精霊に代わって鉄槌を下すのだ! 余らの戦いに水を差す無粋者を灰に帰してくれようぞ!」
叫ぶレゴラウス。
呼応するようにエルフたちが高らかに、弓に矢をつがえ、統制された動きで構える。
対するは、一面を覆いつくさんばかりに殺到する黒の波。
異形の集団。
ぎょろついた目玉、歪にねじくれた角に粘土をこねくり固めたかのような灰色の肉体。
下位から中位の悪魔の大群がそこにいた。
獣人とエルフを合わせても圧倒するほどのその数に、誰もが額に汗をかく。
なにより厄介なのは、悪魔たちの大軍勢、その最後方に控える存在。
高位の悪魔。
通常、高位の悪魔は中位以下の悪魔と比較し人型に近く、人語を解する。知能も高く高度な魔法を使い、生命力が強い。
だがそこにいた悪魔は異常だった。
下位の悪魔以上に醜い。
フクロウの両手に、その辺に落ちていた瓦礫や武器をくっつけたかのようないびつな形。
顔は大きく、胴体はずんぐりとして、目玉は顔の半分を占めるのではないかと思うくらいにまん丸で大きい。
「ギガギャギャ!」
喉の形もおかしく、放つ音は言葉ですらない。
常軌を逸した形、それ以上に圧倒的な覇気を纏う高位の悪魔は、悪魔の軍勢の最後方にいるにもかかわらず、中央を横切るように配下の悪魔を蹴散らしながら突き進んできた。
「ギャギャギグゲ!」
異音を発しながら、配下の悪魔を吹き飛ばし灰へと返しながら、一目散に獣人とエルフのもとに駆けていく。
獣人並みの速度、竜人並みの力。
瓦礫や武具が歪にくっついたかのような両手で殴られれば、まず命はない。
灰の煙をあげながら迫る悪魔に迎え撃つエルフと獣人はひるむ。
ほんの少し、でも確かに足が下がった。
その少しは、大きな決壊に繋がってしまう。徐々に大きく下がっていく。
「うろたえるな! たかが一体の高位の悪魔! 余らにかかれば敵ではない!」
必死にレゴラウスが鼓舞する。
だがそれでも完全には抑えきれない。
獣人かエルフか、どちらから下がったかなどとは誰も気にしていなかった。
目の前に迫る恐怖。
黒の軍勢が目前に迫り、凶刃が彼らに迫ったときに。
「竜の威を知れ。悪魔ども」
獣人とエルフの戦士たちを飛び越えて、上から悪魔たちに先制する軍勢がいた。
竜人たち。
大陸最強の種族が瞬く間に悪魔を蹴散らし、武勇を示した。
その姿に、先ほどまで争っていたことも忘れ、敵味方関係なく高揚しだす。
「今だ! 矢を放て! 矛を構えよ! ――突撃だ!」
レゴラウスが喉が張り裂けんかとばかりに叫ぶ。
呼応するように、エルフたちも拳を掲げ、精霊に呼びかけ、戦場へと飛び込んだ。
「ワシらの怨敵! ここで噛み殺してくれる!」
獣人たちも戦略などお構いなしに、ただただ眼前の敵を食らいつくさんばかりに突っ込んだ。
エルフも竜人も獣人も、そこに諍いはすでになく、ただ共通の敵を前にその刃を振るい、矢を穿ち、牙をむき出しにして吠えていた。
瞬く間に悪魔の数は減っていく。
如何に魔法も使える悪魔といえど、精霊を従え、高い魔法耐性を持ち、優れた身体能力を誇る三種族を前にしては鎧袖一触となった。
なにより彼らを支援する力強い存在がいる。
「《諍い果てての三位の契り。足りないものを補い合い、強め支える三つの力。引き合う存在はなにがしか、願う未来はどことも知れず。ただこの時だけは確かに在りし》」
ユベールの至宝の一つ、エイリス。
彼女の唄が戦場にいる種族を問わないすべての味方の耳に染み入った。
彼女の唄によって活力は湧き、勇気は奮え、傷の痛みも癒えていく。
他では見られない、歴史上稀に見る三種族揃っての戦場に、誰しもが高揚し、夢を見た。
――だがたった一つだけ、彼らの夢を邪魔する者がいる。
「ギャギャギグゲ!」
高位の悪魔。
その存在だけは、唄によって強化された竜人たちであっても歯が立たず、薙ぎ払われていた。
奇声を発しながら、剛腕を振るう。
竜人たちが薙ぎ払われ、彼らが落とした刀を、悪魔はその両手で触れる。
すると、落ちていた刀が水銀のように溶け、悪魔の両手から生えるように現れた。まるで早送りしたサボテンのように所狭しと刀が次々と生えてくる。
同様にエルフが放った矢も、手をかざしただけで吸収され、傷一つ付けることなく生えだした。
竜人やエルフが作り出した業物の武具を両手にはやした悪魔は、その両手を持って獣人たちを蹂躙するのだった。
*
高位の悪魔が今までにない大軍勢を率いてやってきた。
中位以下ならば獣人やエルフたちがいれば簡単に始末できるだろう。だが高位となると話は別だ。
連中は魔法を使う。
俺やベルと匹敵するレベルのものだ。そんな連中を相手に獣人とエルフの数百程度の軍勢は荷が重い。
竜人の力が必要だ。
「忌々しい。この俺の戦いに水を差すとは、無粋に手足が生えた連中だ。興が乗ってきたばかりだというのに」
隣で吐き捨てるのはレイゲンだ。その足はたしかに悪魔たちの軍勢の方へ向いていた。
レイゲンの部下たちは、既に悪魔との交戦に入っている。聞く声にはそれなりに優勢のようだ。
ただやはり高位の悪魔が問題だ。
偵察に出した鷲からは、どうやら敵の高位悪魔は悪魔の中でも一際醜悪で最悪の能力を持つようだ。
優れた竜人の刀にエルフの矢を吸収して使うなど、なるほど、遠近共にバランスの取れた最悪の能力だ。特に獣人には、手がかすっただけでも重症だ。
ただまあ、最悪の能力かもしれないが、最強の能力でもない。
あくまで相性が悪いだけだ。
「礼ってわけじゃないが、高位の悪魔は俺がやろう」
「フン、よかろう。譲ってやる。俺も気になることがあるのでな、そちらを優先させてもらおう」
「ああ、そうだな」
レイゲンが言う気になること。
それはもちろん、これだけの強力な悪魔の大軍勢がなぜ、どうやって、こんな灼島の中心地に唐突に現れたのかということだ。それも図ったようにエルフと争うこのタイミングで。
気にはなる……が、それはレイゲンに任せよう。
レイゲンは俺に背を向け、どこかに向けて歩き出した。
さて、仕事を始めよう。
「ベル、マリナ、アイリス」
呼ぶと、三人が近くにやってくる。
全員疲れているが、まだ戦えそうだった。
「いい加減、休憩したいな」
「そうね、魔法を思う存分に使えるのはいいけど、今はお菓子が食べたい気分ね!」
「私はゆっくり寝たい……みんなと一緒に」
「ボクはせっかく仲良くなれたから、エルフのみんなと落ち着いて話がしたいな」
やりたいことがあって大変結構。
さあ、さっさと終わらせよう。
*
レイゲンは悪魔との戦場からは離れ、正反対の人気のない開けた閑散とした場所に出る。
そこは火山の地熱によって熱された地下水が湧き出し、白い湯気が吹き出す場所。
ボコボコと白い泡が吹き出し、硫黄の匂いを撒き散らす。
周囲一帯が白い湯気で覆われ、視界は悪い。
暖かな熱気によって、動かずとも大量の汗が出てきそうな場所を、レイゲンは汗一つかくことなく涼やかな顔をして歩き続ける。
休むにはちょうどいい温泉地帯。
「フゥ」
目を瞑り、空を見上げるようにして一息吐いた。
――吐いたのは、息だけではなかった。
「な――に?」
赤い液体が血に落ちる。
白く沸き立つ湯に落ち、薄まり消えていく。
「ぬかったな? 竜人の王、驕りの王」
湯気に紛れ、ゆらりと何かが姿を現す。
現れたのは灰色の体表を持つ以外は、いたって普通の青年。
その手には竜人が使うような短い刀。
その刀の先端が、レイゲンの胸から生えていた。
刃の切っ先から血が滴る。
レイゲンの口の端から滝のように血が吹き出し、
「これで厄介な驕りの王は死んだ。次は異分子か、怠惰の王か。ナベリウスが片方を殺してくれるとありがたいんだけどな」
刀を引き抜く。
糸が切れたように、レイゲンは湿った地面に倒れ伏し、びちゃりと臭い泥が舞う。
男は倒れたレイゲンには目もくれず、湯気の中に姿を消した。
後には、湯で薄れていく赤い液体が流れているだけだった。
*
「どうしよう! 倒せないよ! 胴体まで拳が届かない!」
「考えるのだ! きっと何か手があるに違いない! そうだ、手が駄目なら脚だ! 足の方が長い!」
「もう試した! どっちも届かないよ!」
「頭がいいな! しかし届かないとは! うぅぬうぅうう!」
巨大で異形の悪魔を相手に、山吹色の耳を生やした獣人の少女と獣人族の長が立ち回る。
針山のように腕から生えた武器を次々と拳や足で砕いていくも、悪魔は次々と落ちている武器を吸収し、再生する。
腕から生えた武具たちは命を刈り取る武器にも、迫る攻撃を削る防具にもなっていた。
「うぅぅ、このままじゃ――」
獣人の少女が唇を噛む。
そのとき、
「どいてどいてーー!!」
背後から甲高い声がした。
ぴくりと山吹色の耳がその声を拾い、咄嗟にその場から飛び退いた。
途端、
「ギャヒィ!?」
白く輝く剣が高位の悪魔の体に突き刺さり、爆散した。
砕けた武具の欠片が飛び散る。
「わわっ!」
「ぬおっ!」
回転しながら飛んでくる刃先を獣人特有の優れた動体視力で交わす二人。
五感に優れる二人は、ここでやってきた者たちの正体を察した。
「このニオイ!」
「ほう! このかぐわしく不思議な何とも言えない興奮を誘う匂いは!」
鼻を鳴らし、剣が飛んできた方角を見る。
そこには――
「速い速い速い!!? ぶつかる!」
「わがまま言わないでよ! でないと手柄取られちゃうでしょ!」
「特務隊に入るなら盾には乗れるようにしないとだめだぞ!」
「私はウィルの背中がいい!」
「わがまま言うなよ!?」
ほうきを駆るウィルベルと盾に乗るウィリアム、マリナ、アイリスだった。
彼らは目の前の悪魔たちを魔法で薙ぎ払いながら、箒や盾に乗って一直線に悪魔に向かって駆け抜けていた。
ウィルベルは左手をパチンと鳴らし、あらたに白く輝く剣を生み出し悪魔に向けて飛ばした。
「ほいほいっと!」
飛来する三つの剣を、悪魔は上空高く跳躍することで躱す。
「甘い甘い」
魔法の剣は避けられた途端に剣先を鋭角に曲げ、悪魔を追った。
「ギギッ!?」
そしてまた爆発が起こり、腕の武器が砕け散る。
戦場の上空、誰からも見える位置で、福音代わりの爆音が鳴る。
悪魔が地上に落下する。受け身も取らず、鈍重な体が地に落ちた途端に地面はくぼみ、辺りは揺れる。
恐怖をもたらした悪魔が地に伏したことは、瞬く間に三種族の戦士たちに伝わった。
「悪魔が落ちたぞ!」
「誰だやったのは!!」
「仮面の男だ! 妖術使いの女もいるぞ!」
興奮の声。
その矢面に立っているのは、四人のヒト族。
「注目浴びるのは好きじゃない。とっとと終わらせよう」
ウィルベルからまた新たな魔法の剣を借りたウィリアムが悪魔の前に躍り出る。
「私も一緒に行きたい……ウィルと戦いたいの」
その隣に眠たげな瞳をしたボロボロのマリナが並ぶ。
「本気で言ってるのか? 別に一人でも十分だし、そもそもマリナ、ボロボロじゃないか。体はともかく、軍服はもう服じゃないし、あと少しでエイリスになりそうだぞ」
「ウィルになら……見られてもいい」
「いや、そういう問題じゃないんだけど。あと俺は別に興味ないし」
困ったように頭を掻く。
二人に対し、少し下がったところでため息を吐くのはアイリスだ。
「それもそうだけどさ、至宝といわれるエルフの姫様を反面教師みたいにするのはやめた方がいいと思うけど」
「ねー、そんなことよりこいつを早く何とかしましょうよ。マリナが風邪ひいちゃうでしょ」
上空からウィルベルが声をかける。
我に返った三人は、立ち上がろうとしている高位悪魔に目をやり、手短に指示を出す。
「アイリスは悪魔までの道を開いてくれ。ベルは支援で」
「了解」
「はいはーい」
すべきことを理解した二人は即座に準備に入る。
一方で、何も言われなかったマリナがウィリアムの裾を引っ張る。
「私は?」
「いや、だから何もしなくていいって。……はぁ、わかったよ。それじゃあ一緒に行こう」
待機させようとしたものの、じっと見つめ続けるマリナに負けたウィリアムは困ったように眉根を寄せ、ため息を吐きながら指示を出す。
マリナの足元に盾を二つ、斜めに重ねるように配置する。
ウィリアム自身の体の周囲に僅かばかりに紫電が舞う。
「ギャギャアアアアア!!」
悪魔が吠え、怒りを露に両手を振り乱し、四人の元へ地面を揺らしながら駆け出した。
雑魚悪魔が高位悪魔を守るように徒党を組んで襲い掛かる。
まず迎え撃つはアイリスの剣。
「《貫通槍》」
切り裂く風、貫く光を纏った一撃が一直線に悪魔に向かって突き出される。
四人と高位悪魔の間にいた雑魚悪魔たちが一瞬にして灰と化す。
この瞬間、四人と高位悪魔の間に遮るものは何もない。
次に向かうは上空から降り注ぐ白き剣。
「《玉響剣》」
三つの剣が変幻自在に飛びまわり、悪魔の腕を集中的に爆破した。
無数に生えていた両腕の武具が、まるでむしり取られたかのように無残に禿げる。
無防備となった悪魔。
「いくぞ」
「うん」
掛け声とともに、マリナが足元に配置された盾を踏む。すると磁気を帯び反発する盾の反動で弾丸のように彼女の体が一直線に悪魔に向かう。
「《伏雷》」
並走するように、聖人となりさらに強くなった身体強化で飛躍的に速度が向上したウィリアムが駆ける。
アイリスが開いた道、ウィルベルが作った隙に飛び込む。
マリナの剣が白い刃を作り出し、ウィリアムの白い魔法の剣が閃く。
光が交差し、真円を描く。
「《烏兎星天》」
二人の体が巨大な悪魔を通り過ぎる。
瞬間。
――悪魔の体が弾け飛ぶ。
眩い閃光に飲み込まれ、周囲に残っていた雑魚悪魔もろとも灰へと還る。
「初めて合わせたが、悪くないな」
「練習した甲斐があったね……次はベルも入れた技が欲しい」
「遊びじゃねんだぞ?」
子供に手を焼く親のように、困った顔を浮かべるウィリアム。
ボロボロながらも嬉しそうに彼を見上げるマリナ。
「終わったわね! あとは残敵掃討?」
「といっても、あとはみんなに任せてもよさそうだね。中位以下なら三種族の敵じゃないよ」
誰もが手をこまねいていた高位悪魔を倒したにもかかわらず、四人に気負った様子はない。
軽い仕事を終えたかのように、颯爽と四人はその場を後にした。
後に残ったのは、高位悪魔を相手にしていた二人の獣人。
「あれがレイゲン殿が言っていた特務隊か。なるほど、手を組みたいと考えるのも納得というものだ。なあ、エスリリ。……エスリリ?」
上半身裸で傷だらけの男が、隣にいたもう一人の獣人の少女に声をかける。
少女は男の声には答えず、消えていった四人に視線を送っていた。
鼻をひくひくと震わせながら。
「いいニオイ……」
次回、「休戦」