第二十六話 あふれる気迫
マリナと向かい合うは、一人の女竜人ユズリハ。
その装いは他の竜人と異なり、鎧は纏わず、白と赤を基調とした着物に身を包んでいた。
刃も持たず、武術の構えも取ることなく。
ただ眼前にいるマリナを、目にかかる赤毛の隙間から無表情に眺めていた。
「先ほどの連携、お見事でした」
その口がぼそぼそと音を奏でる。
言葉の意味を理解したマリナは、少しだけ嬉しそうに答える。
「ありがとう……あの二人が戦うのはずっと見てきたから」
その返答に、ユズリハは糸目を開く。
「見てきた。なるほど、あなたの力はそこですね」
「……」
ユズリハは呟きと共に、周囲に何かをばらまいた。
それは剣でも銃でも爆薬でもない。
ただの紙。
ただし、その紙には一枚一枚に何かしらの模様が彫られてた呪符だった。
呪符は地面に落ちることなく、ひとりでに浮き、マリナの逃げ道を塞ぐように球状を作り出す。
「……魔法? ……いや、竜人が使うのは妖術だったね」
「その通りです。あなたの仲間にも妖術使いがいるようですね。あのような妖術は見たことがありません。ぜひともお話を聞きたかったのですが」
マリナは苦笑する。
悪い人ではないのだろうな、と。
もっとも、たとえ仲良くなって話をしたとしても、ウィルベルとウィリアムは決して魔法の話はしないだろうなとも。
マリナは剣を抜く。
鎬が青く、刃は鈍い銀に輝く剣を。
「あなたはいい人みたいだから……殺したくない」
「そうですか、それは嬉しいことです。ただ私は手加減がうまくできません。それにあなたを討てば、御館様の相手をしているあの殿方も容易に落とせるでしょうから」
「……前言撤回しようかな」
彼女の眠たげな瞳がすっと鋭く細まる。
合図もなく、ユズリハ目掛けて駆け出した。
加護を発動し、半聖人であるマリナの身体能力は決して竜人に劣らない。
急速に二人の距離は縮まっていく。
阻むものは一つだけ。
「四の法、《法爆》」
割り込むようにマリナの眼前に一枚の四角い呪符がひとりでに現れる。
妖術。
精霊術とも錬金術とも違う術を警戒し、マリナは躊躇することなくその紙を切り捨てる。
紙は何を起こすでもなくひらひらと、地に落ちる。
マリナの視線は、呪符が現れたとしてもぶれることなく、ユズリハにすべて注がれていた。
だからこそ、必然だった。
彼女の背中にいつのまにか呪符が着けられ、その爆発に巻き込まれたのは。
彼女の背中から一瞬赤い閃光が迸り、小さな体を吹き飛ばす。
「あうっ! ……げほっ」
地面にあっけなく顔をつけ、赤銅色の土を食む。
かまわず即座に立ち上がる。
顔を上げた彼女の瞳に映るのは――
「経験が足りません。――六の法、《融円地》」
全方位から殺到する呪符の津波。
連鎖的に爆発し、ウィルベルに負けず劣らずの大爆発が大地をえぐり、銅鑼のごとき轟音が鳴り響く。
「あなたの最大の武器は、剣でも加護でも何でもない。その目。すべてを見透かすその瞳」
血のような赤い色が染みた土が、雨のごとく降り注ぐ。
すべてが落ち切ったその場にいたのは、傷だらけになり、土の色よりなお赤い血を流すマリナだった。
爆発により窪んだ地面に、彼女の血だまりが出来上がる。
「ゲホッ……べほっ……傷を受けたのは久しぶり。いつも守られてばかりだから、少しだけ懐かしい」
傷だらけのマリナの体を、彼女自身の加護の光が包み込む。
治癒の加護が彼女の体を癒し、傷が徐々に薄れて消える。
しかし傷はいえても体力や気力は癒えない。それに加護によって強化されているのはユズリハも同じだった。
爆発させた呪符の補充として、また周囲に呪符をばらまく。
マリナも剣を取り、冷静に、静かにユズリハだけを見る。
背後から攻撃が来るとわかっても、彼女の視線は穴が空きそうなほどにユズリハだけに注がれる。
そのまっすぐすぎる視線を受け、ユズリハは居心地悪く眉をひそめる。
「三人の見事な連携、その核は御館様の相手をしているあの男ではありません。あなたですね」
視線から逃れるように話題を変える。それでもマリナは目をそらさない。
ただ困ったように肩をすくめる。
「ウィルもベルもわかりやすいから合わせるのも簡単……あの二人が戦うのを、私は一番近くでずっと見てきた。だからわかる」
くすりと笑う。
とても幸せそうに。
「ウィルの困った目元、呆れた声、過保護な防御、ほんのわずかに迷いのある攻撃、楽しそうに喧嘩する口……きっと優しい仮面の下の顔」
つらつらと語る。
「ベルのキラキラ光る瞳、楽しそうな声、派手な攻撃、不慣れな防御、怒ってもこらえきれない爛漫さ……世話好きで背伸びしがちな可愛い顔」
その顔は、綻んでいた。
同性のユズリハから見ても美しいと感じるほどに。
「二人とも素直じゃないけれど、反面、顔はとっても素直……強くて優しい二人といるために、私はずっと自分の武器を磨いてきた」
マリナが再び剣を構え、腰を低くする。
困ったような顔を浮かべていたユズリハは腰だめに剣を構えるマリナを見て、再び呪符をばらまきだす。
「私の武器はあなたの言う通り見ること……そして斬ること」
駆けだした。
呼応するように、またマリナの前にいくつもの呪符が現れる。
再び現れた呪符を、斬ることだけに特化したマリナの剣が切り裂いた。
「同じことを」
ユズリハは同じことを繰り返すマリナを笑う。
呪符を操る。
「あなたもあの二人ほどじゃないけれど、わかりやすい」
マリナは剣を振るう。
自らの背後に。
「え?」
途端に地面に落ちるは、十にも上るほどの呪符の切れ端。
刻まれた模様が断ち切られ、ただの紙となった呪符がひらひらと落ちる。
マリナは見ることもなく、背後の呪符をすべて断ち切ったのだ。
「っ! 五の法、《罔像女神》!」
マリナを挟むような位置にある呪符から、超高圧の水鉄砲が放たれる。
だがそれすらもマリナは呪符を見ることなく、その場で跳躍することで交わし、剣を振るう。
錬金術によってつくられた、ウィリアムがマリナのために作り上げた斬ることだけに特化した剣。
それはマナを纏い、延長された刀身を形成する。
剣を振るった瞬間に、その刀身は大きく伸び、離れた場所にある呪符を断ち切った。
「ならば! 六の法、《融円地》!」
避けられ、断ち切られる。
ならば防ぎきれずよけきれないほどの数で押し切ればいい。
そう考えたユズリハはマリナの全周囲を囲むように配置していた無数の呪符を一気に殺到させる。
それでもマリナは視線を外さない。
不気味ともとれるその眠たげな瞳で、目の前の敵だけを見つめ続ける。
その視線を、殺到した爆発が遮った。
先ほど以上の量の呪符の爆発が全方位から放たれたことにより、行き場を失った空気が押し合うようにぶつかり強まり、技を放ったユズリハ本人ですら吹き飛びそうになる。
地面に痕を残しながらも踏ん張り、攻撃の後を見る。
――息を飲む。
ユズリハの眼前に、マリナが迫っていた。
赤い液体を後に残しながら、白い光を帯びた体は動く。
なおも怪しく光るその瞳は、ユズリハを見つめていた。
「――っ!?」
全身が総毛立つ。
まるで化け物、怪異を目の当たりにしたかのように、目を見開く。
銀閃が彼女の体を音もなく通り抜ける。
少しして。
どさりと、一人の体が地についた。
ユズリハの体が、地面に倒れこんだのだ。
「経験が足りないのはあなたも同じ……視線や動きでいくらフェイントを入れても、大事な動きは変わらなかった」
竜人の武術、および妖術は魔力の動きを体系化したもの。
ウィルベルやウィリアムのようにマナを感じて臨機応変に扱うことはできないために、安定して使うには、決まった動きを行う必要がある。
ユズリハは類まれな妖術使いであり、視線にも動きにもいくつものパターンとフェイントを作り、攻撃の前兆を掴ませないようにしていた。
しかし、マリナはその目で即座に看破した。
荒い息を吐きながら、彼女もまた倒れるように膝をつく。
「さすがに、無茶しすぎた」
傷は少しずつ癒えていく。しかし、彼女の荒れた息と震える足は止まらない。
最後の攻撃、マリナは全方位から迫りくる呪符の一部だけを切り裂いた。
ちょうど彼女の正面、ユズリハに繋がる道にある呪符だけを。
それにより、まるで風船に穴が空いたかのように、爆発により呪符に囲まれた空間にある空気は逃げ場を求めて、呪符が無くなり爆発が起きなくなったその道にすさまじい勢いで飛び出した。
ちょうどマリナの背中を押すように。
収束した爆風に乗り、マリナはユズリハまでの距離を一足飛びに詰め、そのまま断ち切ったのだ。
「安心して、峰打ちだから……これ、言ってみたかったんだ」
半聖人とは言え、強烈な爆風を一身に受けたマリナの身は既にボロボロだった。
幸い周囲に敵はいない。
有象無象はレゴラウスが相手をしてくれていた。
ならば、彼女が次に見つめる場所は一つだけ。
「待っていて……ウィル!」
*
アイリス、エイリスと対峙するは黒づくめの恰好をした一人の竜人。
頭まですっぽり覆う頭巾に口元を隠すその男の両手には片手剣と呼ぶには少し短い短刀が二つ握られていた。
「確か、ヤクモっていってたかな」
「俗にいう忍びというやつですね。暗殺者とか隠密とか、そう呼ばれる類の者です」
アイリスに守られるように立っているエイリスの手には笛のような楽器があった。
「エイリス様は演奏を、みんなを鼓舞し続けてください」
「お任せください! 死んでも起きてしまうような音楽を奏で続けてやりますよ!」
エイリスは再び笛に口をつけ、歌うように音を奏でる。
背中をそっと押すような、体の芯から熱が湧き出すような感覚。
ユベールの三つのうちの一つの至宝。
エルフの歌姫エイリス。
彼女の唄には不思議な力があり、それを聞くものは意気軒昂、死の淵からも目覚め来ると言われ、その音楽に対峙した敵は震えあがり、体が硬直するという。
門外不出として伏せられてきたその力を、エイリスは惜しみなく使う。
アイリスは笑い、剣を向ける。
「俊敏さを武器にする敵なら、相性は悪くないね」
アクセルベルクの軍人であるアイリスは、細かな部品で構成される全身鎧、その上に鎧を隠すためのクロスを被っていた。
そのクロスに刻まれるは、空を駆ける竜の紋。
奇しくも対峙する竜人たちと酷似した紋章。
どちらからともなく、言葉を発することもなく姿を消し、あちこちで火花が散った。
「ハァッ!!」
「……疾ッ!」
気合を入れる吐息だけが漏れる。
傍から見れば何が起きているかわからない。
だが形勢は確実に傾いていた。
「――ウグッ!」
一際甲高い金属音が響き、アイリスが足を止める。
彼女の肩には、小さな刃物が突き刺さっていた。
乱雑に刃物を引き抜く。その刃物からは透明な液体が滴っていたものの、アイリスの体に異変はない。
クロスの下、隠れるように鎧があったからだ。
「チッ」
「アクセルベルクは実用的でホントに助かる。もし鎧がむき出しだったなら、もう決着がついてたな」
自嘲気味に笑う。
綺麗な青眼で敵を睨みつける。
「速さじゃ勝てないか。さすがに付け焼刃の風の精霊じゃあ鍛えられた竜人の忍びには分が悪い」
風の精霊の加護によって俊敏さを引き上げていたアイリスだったが、彼女についているのはウィルベルのような大精霊ではなく、大した力を持たない小さな精霊。
元より精鋭であり、レイゲンの加護により身体能力を引き上げられたヤクモには敵わなかった。
「でも、ボクだって今まで遊んでたわけじゃないんだ」
大きく息を吐く。
アイリスの準備を待つことなく、寡黙なヤクモはまた姿を消し、アイリスに襲い掛かった。
アイリスはその場から動くことなく、最小限の動きで反撃することなくひたすら防ぐ。
まるで体のいいサンドバッグのよう。
彼女の体の周囲から火花が散る。
(ウィルから防御について学んでいたけど、まだまだだな!)
少しずつ、少しずつ、彼女の体に赤い傷がつく。深くはない、浅い傷。
しかしそれは確実に増えていく。
アイリスは歯噛みする。
(準備はできた。でも当てられない! 防ぎきれないほどに速い!)
どんどんとヤクモの動きが速くなる。
もはや分身かと思えるほどに、黒い影がいくつも現れ、アイリスを混乱させる。
そのときに、
「さあ精霊よ、大地を震わす威厳を示せ、みんなの魅力を私に見せて。愛しき大地の恩恵を」
唄に紛れて精霊に語り掛ける声がした。
途端に、
「――ッ!?」
大地がぱっくりと割れる。
まるでガラスを叩いたかのような、蜘蛛の巣のようにひび割れる。
それだけでなく、アイリスの身にかかる重さが増した。
全身に纏う鎧が重い。
腕を上げるのも、剣を振るうのすら億劫になるほど。
驚いたアイリスは背中を見やる。
そこには額に指を当て、愛らしげに片目を瞑るエイリス。
アイリスも笑顔を返し、再び前を見やる。
そこには、重くなった重力と悪化した足元により、見えるようになった黒づくめのヤクモの姿。
その気を逃す手はない。
腕を上げるのも億劫、足を踏み出すことすらも。
でももう必要はない。
ただ、その場で突き出すだけだから。
「《貫通槍》」
間合いの外にいるヤクモ目掛けて剣を振るう。
その剣は光り、風を纏う。
アイリスの精霊、光の精霊と風の精霊、その二つの力を剣に込め、突き出した。
貫通力と速度に優れる二つの属性によって強化された彼女の剣は、重さを感じさせない速度で振るわれ、
「……なぁッ」
避けることもできず、光の剣はヤクモの体に突き刺さる。
赤い液体を撒き散らしながら、はるか後方に吹き飛ばされる。
「八雲様!」
「なんということだ!」
「急ぎ手当を!」
他のエルフの相手をしていたヤクモの部下、黒づくめの竜人たちが戦闘を放棄して彼のもとに向かう。彼らの相手をしていたエルフたちはこの隙を逃すまいと、手に刃持ち弓につがえ、放ち続ける。
攻勢に出たエルフを見て、アイリスは軽くなった体から力を抜き、息を吐く。
「ふぅ~」
「お疲れ様です、お見事でした」
彼女の肩をエイリスが叩く。
アイリスは困ったように笑い、
「エイリス様のおかげです。地属性の精霊の力が無ければ勝てませんでした」
礼を言う。
エイリスは嬉しそうに、
「速度を奪うのには地属性が最適ですから! アイリスさんが動かなくなったので、今しかないと思ったのですが、うまくいってよかったです」
胸を寄せるように手を組んだ。
二人は一度握手をして、気を引き締め戦場を見渡した。
「さて、ボクたちも加勢しにいかないと」
「そうですね、他にも手練れの竜人たちが――あれ?」
ある一点でエイリスが言葉と共に視線を止める。
くぎ付けになる。
不審に思ったアイリスがエイリスの視線を追い、そして止まる。
「あれは、ウィリアムさんが――!」
次回、「大成」