第二十一話 覇道
日本の古城のような建物の最上階にある部屋に、生ぬるい風が吹きすさぶ。
向かうあう俺たちの黒髪を揺らす。
「感動の再会はもういいのか?」
目の前の男は、竜のような鋭い歯をむき出しにする挑発的な笑みを浮かべる。
「あとでゆっくりするさ。他人の前で隙を見せる気もないんでな」
マリナを背に警戒する。
しかし男は刀を抜くことなく余裕ぶったまま。
「お前は誰だ」
「フッ、この俺を知らんとは。まあよい」
男は名乗る。
「俺はレイゲン、竜人の王。この大陸最強の男よ」
気が腐る。
仮面の下、いやな汗が浮かぶ。
レイゲンと名乗るその男、大陸最強を名乗るだけあって底が知れない。今まで会ってきた人間の中で、もっとも強い威圧感を感じる。
この男は聖人だ。
そして竜人であるために、魔人にも近いために半神に近い存在だ。
全身に魔力を纏い、強い覇気が体を覆っている。
対峙するだけで、心臓を撫でられているかのように悪寒が走り、全身が総毛立つ。
半神になったわけでもないのにここまでの威圧感を放てるのは、それだけ半神とは隔絶した存在なのか、それともこの男がもともと持つ威圧感によるものか。
ともかく、今まで戦ってきた相手とは一線を画す実力の持ち主だ。
「何が目的で彼女らをさらった?」
「知れたこと。エルフどもの相手をしてやろうと思っていたが、邪魔なところに魔物と悪魔どもが蔓延っていたのでな。始末してやろうと思ったが、そこにこやつらがいたのだ。こんなところに人族がいるなど珍しいのでな。とらえて情報を聞き出そうとしたまでよ」
律儀に答えてくれる。
確かにこいつの言う通り、手荒な真似はしていないようだ。信じてもいいかもしれないが、どうにも怪しい。
先ほどからにやにやしていることから何か企んでいる気がする。
「そうかい、悪いが俺は部下を取り返しに来ただけだ。これで失礼させてもらう」
「ほう? この俺の屋敷でこれだけ暴れまわったにもかかわらず、ただで返してもらえるとでも?」
「穏便に済ませようとしたさ。だがお前の部下がこっちの話を一向に聞きやがらねぇんだ。お前がこいつらをとらえたように、こっちも実力行使に出るしかねぇだろ」
始めは城の前に立っていた竜人に用件を伝えた。
さらわれた部下を返してほしいといったが、お前のような怪しい奴が御館様に会えるものかと追い返された。別に御館様とやらに会いたいわけではないのに、追い返されたのだ。
なら、こちらも実力行使に出るしかなかった。
俺の言葉をレイゲンは鼻で笑う。
「それは当然というものだ。貴様のような面をつけた男が不躾なことをすれば誰しもが疑うというものだ」
「だからといって、はいそうですかと引き下がれるもんか」
俺が剣を向け、ずっと警戒しているにもかかわらず、この男は一切戦うそぶりを見せない。
そのくせ隙も一切見せない。この男は聖人云々を抜きにしてもかなり強い。恐らく俺よりも強い。
正面から戦っても勝ち目は薄いかもしれない。
幸いなことに相手はそこまで戦う気はないようだ。聞いた話では竜人は血気盛んと聞いていたが、御館様と呼ばれるこいつは違うのか?
男は不敵な笑みを浮かべながら、瓦礫が残る室内を回り込むように歩き出す。
「まあよい。条件次第では今回の件を不問に処す」
「条件だと? 人をさらっておいてよく言う」
「この世界は弱肉強食。弱い方が悪いのだ。むしろ、こうして無事に再会できたことを感謝してもらいたいものだな」
鞘に納めていた刀を少し動かし、また納める。
パチンと音が鳴る。
「条件とは貴様だ」
「あぁ?」
「貴様の噂は俺の密偵からタコができるほど聞いている。何よりもそこの女の剣だ」
マリナの剣を見る。
その剣は竜人たちの使う刀とよく似た形状をしている。これはもともと俺が刀を模して作った剣だ。製法も細かな仕様は異なるがベースとなったものは日本刀、頑丈さを増すために割り込み包丁のように三枚構造だ。
だから峰の部分にも小さな刃があり、鎬の部分は青く輝いている。
ただの刀ではない、ヒュドラの首も斬り落とせる名刀だ。
「貴様には俺の知り得ぬ何かがある。その力、この俺のために役立てる気はないか?」
「何言ってんだ? 時勢も読めない男のもとにいても、待つのは破滅だけだ」
「時勢も読めないか。貴様もそこの娘と同じだな。この時勢だからこそだ。もうじきに悪魔どもの王が現れる。各国は既に動き出しているが、どこも高位の悪魔風情に手間取っている。そんな連中に悪魔の王が倒せるわけがない。だからこの俺がこの大陸を纏め、手ずから打ち取ってやろうというのだ」
確かに竜人ほどの魔法抵抗力があれば高位の悪魔にも対抗できるだろう。
個人の戦闘力で言えば竜人族は群を抜いている。だが圧倒的に数が少ない。他の国と連携を取らなければ立ち向かえないだろう。
灼島はその立地故、悪魔どもの根城となってしまっているアニクアディティに最も近く、悪魔の侵攻を何度も受けているはずだ。
そんな彼らが自分たちよりも弱いアクセルベルクに業を煮やし、世界をまとめようと動くのは至極当然だ。それだけなら協力するのもやぶさかではない。
「つまり、俺にその手伝いをしろと?」
「そうだ。貴様の噂は聞いている。アクセルベルクの英雄。レオエイダン救国の立役者。東部軍を一人で圧倒する実力の持ち主とな。閉鎖的なユベールにすら盟友と称えられる貴様なら、我が覇道の一助となるだろう」
「覇道だと? 世界制覇でもする気か?」
レイゲンは歩きながら手を広げる。
「その通りだ。俺はいずれこの世界を手中に収める。群雄割拠だった竜人はすでに俺の下に一つになった。次はこの世界に竜人の威を見せつけ、従わせるのみよ」
「つまり、力で大陸をまとめ上げると?」
「それしかあるまい。考え方も宗教も種族も異なる国々をまとめ上げるなら、すべての種族に共通の力で従わせるしかあるまい。そして俺にはそれができる。すでに各国の実力者たちは調べ上げてある。無論貴様もな」
この男のいうことも一理はある。
大陸をまとめるには武力を行使するのが手っ取り早い。
この男は別に戦争をして統一しようとしているわけではない。あくまで対等以上の力を持つことで交渉の席を用意して、力をちらつかせた脅迫でまとめようということだ。戦争するよりはましか。
いくら竜人が精強かつ最強とはいえ、数が少なくては侮られるかもしれない。見たことはないが、そこに身体能力だけは種族最強の竜人に肩を並べる獣人がいれば、かなりの戦力となる。
獣人も祖国を失い、数を減らしたが精強かつ勇敢だ。
ただ個体差がとても大きい。
戦えないものは本当に戦えないし、戦うものはそれしか能がないらしい。
男が足を止める。
「答えよ。ここで俺の下に着き、ともに世界の覇権を手にするか。俺の誘いを蹴り、ここで討たれ、果てるか」
この男の下につくのが嫌だとは別に思わない。
だがつきたいとも思わない。
大事なことは変わらずにたった一つ。
俺の目的を果たすこと。
答えは決まっている。
「断る。お前のもとについたとしても、覇権を握ることはできない」
拒絶の言葉に添えて、男の覇道を否定する。
途端に男は愉快な顔を引っ込め、それだけで人を殺せそうな視線を寄こす。
「なんだと? ならばどうするというのだ」
力による支配、そんなものは歴史上何度も繰り返されてきたことだ。
欠点だって明らかだ。
「力による統一は現実的じゃない。そんなことをしてもより強い力が現れれば、瞬く間に瓦解する。ましてや今は目の前に悪魔という未知数の敵がいる。そんな中で一人の男を恐れ続けるなど無理だ」
力による支配は支配する側からすれば簡単だ。脅せばいうことを聞くからだ。だが欠点がある。支配者よりも強い力が現れやすい。そして現れた場合、あまりにも脆い。
強い力。
それは民衆かもしれないし、外国かもしれない。この世界では悪魔もあり得る。抑えつければ抑えつけるだけ、人は反発したくなるものだ。
この男は半神に近く、人よりもはるかに長い時間を生きるだろう。誰もが逆らえばどうなるかと恐れを抱くに違いない。
だがこの男が死んだあとはどうなる? より強い男を準備するのは危険が伴う上に、失敗すれば体制の瓦解をもたらす。
結局一時しのぎにすぎない。
もしこの男が悪魔どもの王に破れたら? 各国は無理だと諦めるか、力による支配に嫌気がさして離別するか。どちらにしろ勝ち目はない。
よしんば勝ったとしても、竜人たちの力は弱まる。それでも力で支配しようとすれば各国はそれに対抗する。それこそ悪魔の次にこの男を敵とみなし、挑むかもしれない。
「ならば貴様はどうする? この俺の考えを否定するのだ。大陸をまとめる明確な答えがあるのだろうな?」
「簡単な話だ。各国が正しく脅威を把握すればいい。レオエイダンもアクセルベルクも悪魔の脅威は正しく把握しているだろう。軍部に伝手もある。当然お前たちは悪魔を討つ分には協力してくれるんだろう?」
「無論だ。悪魔を討つまでは協力してやろう。だがエルフどもはどうだ。貴様や俺たちによって平和が守られていることに気づいていない。気づいていたとしても悪魔への脅威を正しく把握などしていないだろう。閉鎖的な臆病者どもは悪魔どもの討伐に積極的に協力するとは思えん」
「確かに、それはあり得るだろうな。彼らが今もっとも脅威に感じているのはお前たちだからな」
「その時点で程度が知れるというものだ。世界の大局ではなく、目の前の在りもしない脅威に怯える連中だ。悪魔の王の脅威をいくら説いたところで、その一厘も理解はできん」
良くも悪くもこの男の影響力が大きすぎるのだろう。
この男率いる竜人の脅威を身に染みて理解しているからこそ、ユベールは竜人を悪魔よりも警戒している。
その竜人が大陸を仕切ろうとしても、信用せずに派兵しない可能性がある。
先ほどから会話していて思ったが、この男は話せる。
野望に満ち、手段は選ばないような男だと思っていたが、大局を見通し、種族全体を含めた自らのために最善の手を考え実行できる。
部下たちの様子から優れたカリスマも持ち合わせているのだろう。まさしく大器だ。
この男なら、ちゃんと理詰めで説明することができれば、この世界において大きな力になるだろう。
俺個人としてはこの男が世界の覇権を握ろうとどちらでもいい。俺は元の世界に帰る。
この世界のことはこの世界の連中に任せるのみだ。
「もういいだろう、俺はお前の下につくことは断る。さっきも言ったが、俺は部下を取り戻しに来ただけだ。これで失礼させてもらう」
「逃がすと思うか? 配下にならず俺の邪魔をするというのなら、ここで切って捨ててくれよう」
レイゲンの足が止まる。
逃げ場を封じるために、ちょうど俺がこの部屋に飛び込んできたときにできた崩れた壁を背後にするように。
壊れた壁からは、外の景色が見える。
赤銅色の大地に橙色に光る溶岩。
西の空にかかり始めた太陽の光が男を背後から煌々と照らしていた。
その姿はさながら、大地に降りた使徒のよう。
男の威厳と相まって、思わず平伏したくなる気分にさせられる。
だけど、俺は笑った。
「お前の後ろには太陽があるな」
それは当たり前のこと。
光の加減から嫌にでもわかること。
だけど、俺の思う太陽と、レイゲンの思う太陽は違う。
訝し気に眉を顰め、後ろを振り向こうとしたそのときに。
――再び爆風が咲き乱れ、レイゲンの体を吹き飛ばした。
俺が突入してきたとき以上、城全体を揺るがすほどの大爆発。
頭上からパラパラと木片や石材が降り落ち、床の一部が陥没する。
それをしたのは、
「よーっす、元気してた? 二人とも」
太陽のような笑顔を浮かべたウィルベルだった。
次回、「背中を預け」