第十九話 対峙する二人
灼島の中でも最も大きな城の中で、一組の男女が向かい合っていた。
上座に座るは大男。
長く艶のある黒髪を背中まで伸ばし、前髪の間から覗く眼光はとても鋭く、ぎらぎらと野心に満ちていた。
額からは竜のような鈍く光る角が生え、体の一部が鱗のように硬質化した人物。
一方、下座に座るは幼さ残る少女。
黒髪の中にわずかに白髪が混じっているが、それすらも綺麗に見えるような艶があり。そろえられた前髪の下から見えるその目は眠たげながらも優しく、しかし強い意志を感じさせる光を宿す。
男の手には少女が持っていた剣があった。
灼島伝統の刀に似た形状の武器を抜き、明かりを反射してきらきらと輝く刀身を眺める。
少女はその様子をじっと見守る。
男はやがて剣を鞘に納め、言い放つ。
「似て非なるものか。我ら竜人の刀を模倣するなど命知らずのようだ」
男が剣を少女に投げ渡す。
少女はそれを受け取るがその顔には不機嫌な気持ちがありありと浮かんでいた。
「投げないで……私の大事な物なんだから」
「フン、半人前の実力の割に武器にはこだわるようだ。お前のような未熟者には過ぎた代物だ」
少女の名はマリナ。
それに向かい合うは、圧倒的な威圧感を放つ竜人の王。
名をレイゲン。
マリナは竜人の王を前にしても一歩も引かず、相手を見つめて話す。レイゲンはそれを面白いものを見たように、口を鋭く横に引き裂きながら話をする。
「その刀を鍛えたものは誰だ? 貴様ではあるまい。何の知識もなく、ここまで我らの刀に近づけるなど不可能だ。答えろ、娘」
マリナはレイゲンの質問に少しだけ考える。
しかしすぐに毅然と男の目を見つめ答える。
「この剣を鍛えたのは私の隊の錬金術師。……そしてこの剣を作るように言ったのは私の隊長のウィル、ウィリアム・アーサー」
「名前からして竜人ではないな。その男は何者だ」
「言う必要はない……もうすぐここに来る」
「今ここで貴様を切り捨ててもよいのだぞ。その男がここに来るのならば、貴様の代わりになるだろう」
レイゲンが眼光鋭くにらみつけ脅しをかけるが、マリナは動じない。
変わらず背筋をしゃんと伸ばし、顎をクイっと引き絞る。
望むところだといわんばかりに。
「私が死ねば、その時はあなたは終わる……ウィルは強いもの。あなたになんか負けない。彼がいる限り、私たちは負けないの」
マリナが言い切る。
一歩も引かないマリナを見てレイゲンは浮かべていた笑みをさらに深くし、その口角はみるみる吊り上がる。
「貴様らを連れてきた俺の目に狂いはなかったというわけだ。面白い」
「なぜ……私たちを連れてきたの? 殺すだけならあの場でできた」
レイゲンは鼻で笑う。
「あの女、名前は何と言ったか。珍妙な格好をした小娘だ」
「ウィルベルのこと? ……彼女が何」
「あの女には竜人と同じものを感じる。使っていた妖術もな。エルフどもが手を焼くヒュドラをたったの二人で討つような人間だ。エルフの国を盗る前に、奴らの背後関係を知っておく必要がある」
エルフがもしアクセルベルクと本格的に手を組んだなら、竜人たちはエルフの国だけでなく、アクセルベルクも相手にしなければならない。
レイゲンはそれでも引く気はないが、対応を考えるために関係性を明らかにする必要があると判断し、二人をとらえた。マリナの武器に目を引かれたという理由もある。
アクセルベルクが二人のような精鋭ぞろいなら、レイゲンとて考える必要がある。特にウィルベルのことを彼は警戒し、今も厳重に捕えている。
「エルフと私たちは懇意にしている……ユベールを攻められたら出てくるのは必然」
「その程度は想定内よ。退くことなどありえぬ。貴様の話し方から察するに、アクセルベルクと軍事同盟などは結んでいないのだろう。ならば一対一を繰り返すだけ。何も問題はない」
マリナはアクセルベルクとユベールがどの程度親密なのか濁すことで、脅威度を誤認させようとしたが、レイゲンには通じなかった。彼はまだ二か国間がさほど親密ではないことと、彼女たちのような精鋭は少ないことを即座に看破する。
「この俺の前では、ほかの者など雑魚にすぎん。いくら策を弄し集まろうと無駄なことよ」
レイゲンは竜人たちを力で統べる男。
アクセルベルク以上の実力主義を掲げる竜人たちの帝王となれば、智勇兼備の英傑であった。
マリナは平然を装うも、その背中には冷や汗が伝う。
(この男は聖人……いや、もっと上……これが半神?)
レイゲンから感じる圧倒的な威圧感。
ウィリアム以上、今まで出会ったどんな人物よりも大量の神気が男からあふれ出ていた。
明らかに聖人以上の存在。
アクセルベルクの四人の将軍を上回るレイゲンを相手に、聖人一歩手前で足踏みをしているウィリアムでは分が悪い。
非常に危険な相手。
そんなレイゲンの目的を明らかにしようと、彼女はレイゲンに問う。
「あなたは何が目的? ……なぜユベールを襲うの?」
マリナの恐れ知らずの質問にもレイゲンは機嫌を悪くすることもなく、堂々と答える。
まるで自らがそうするのが当然のように。
レイゲンはマリナに向けて手の平を上に向けて伸ばし、
「決まっている。世界を俺の手中に収めることだ」
そこに世界があるかのように、その手を握る。
レイゲンの野望は至極単純、世界制覇だった。
「そんなことをしてどうするの……今は悪魔が活発化してどこの国も大変なことになっている……そんな時にあなたが横やりを入れれば世界は乱れて、多くの犠牲が出る」
「その悪魔に対抗するためよ」
彼女の疑問を、男は刀を振り落ろすがごとく切り捨てる。
「我らが竜の偵察が察知した。この世界に悪魔の王が現れる。高位の悪魔ごときで手こずっているような脆弱な国では悪魔の王は手に負えぬ。ならばこの俺がまとめてやろうというのだ。それこそがこの大陸が生き残る唯一の方法よ」
マリナはレイゲンの言葉に驚きを覚える。
この男なりに今の現状を憂いていることに。
だがそれと同時にその方法では無理だとも。
マリナは首を横に振る。
「確かにあなたのいうことも一理あるかもしれない……でもそれで戦いを仕掛けてはそれこそ悪魔の思うつぼ。こちらが弱るだけ」
「我ら竜人を侮るな。我ら竜人の力を持てば各国の王とて無視はできん。それならばあとは交渉の席に着くだけだ。この大陸にこの俺と並び立つほどの王などおらぬ。となれば俺がまとめるは必然。ユベールへの侵攻など足掛かりにすぎん」
「つまりユベールへの侵攻は……あくまで武力の誇示ということ?」
「その通りだ。まあ、エルフは閉鎖的だ。協力したとしても悪魔との戦いでは、大して役にも立つまい。多少数が減ってもよいと考えているがな」
「……やっぱり私はあなたに協力なんてできない」
レイゲンは閉鎖的で森での戦闘に特化したエルフは悪魔との戦いでは、役に立たないと判断した。最初に攻略するとなって多少エルフを殺すことになってもいとわないと。
マリナはそんなレイゲンの考えに納得できず、協力を拒否する。
彼は彼女の考えを見通すように嘲り笑う。
「戦いを知らぬな。戦に犠牲は付き物だ。それが敵であれ、味方であれな。その覚悟もなしに戦うなど馬鹿のすることよ」
「あなたの敵は誰? ……私たちの敵は竜人じゃない。悪魔のはず」
「悪魔に勝つために犠牲を払うのは当然よ。何の犠牲もなしに勝てるわけもなし。エルフと戦い犠牲が出ることも変わらぬ。悪魔と戦うには必要だ」
マリナはこれに似た会話をどこかでした気がした。
あれはいつだったか――
それはかつてウィルベルとマリナがウィリアムの目的を知ったとき。
馬車の中でウィリアムとウィルベルが話していた時のことだった。
――誰にも犠牲を強いないなんて不可能じゃない?
――多くの人が助かったからって、自分は死んでもよかったなんて言う人は誰もいない。不可能だろうが何だろうが、全員が生きる道を目指すのが統治者だよ。命を懸けてな。それだけの覚悟があるからこそ、人はついていくんだよ。
マリナは思い出す。
クスリと小さな笑いをこぼす。
(本当に優しい人……優しすぎる甘い人。だけどそれだけの覚悟が彼にある)
緩んでいた口を横一文字に引き締め、再度レイゲンをその両の眼で睨み射貫く。
「犠牲が出るのは仕方ないことなのかもしれない」
「理解したか。俺はこの世界のために立ち上がろうとしているのだ。ならば貴様らも俺のために戦うのが正しいとは思わんか?」
「思わない」
レイゲンの問いに、マリナははっきりと否定の意を示す。
ここにきて初めてレイゲンは不快そうに顔をゆがめる。
「貴様は何が言いたいのだ。犠牲が出ることも世界がまとまる必要があることも理解しているのだろう。何が嫌だというのだ。まさか、悪魔と戦うのが嫌だというのではないだろうな?」
「戦うのは構わない……死ぬ覚悟だってできてる」
「ならば――」
「でもあなたの下で戦いたくない」
レイゲンの言葉を遮り、彼女は強く断る。
「犠牲が出ることはわかっている……でも犠牲が前提の戦い方で、兵が死ぬことを当然とも思っている人の下で戦いたくない……私は、私のために泣いてくれる人、みんなが生き残るために戦う人の下で戦いたい」
レイゲンは眉間に険しい皴を刻む。
「世迷言を。そのようなものは人の上に立つべきではない。大局を見通すこともできずに、目の前の命だけを救おうとするものは、いずれその重圧に耐えきれず逃げ出す。そして結果的により大勢の人間を死なせることになるのだ」
「ウィルは逃げない……みんなのために戦う彼は、みんなを救うまで絶対に逃げない」
「その男はいったいいつになったら来るのだろうな? 今ここで貴様の首を刎ねれば、その男の目も覚めるだろうな」
レイゲンが立ち上がり、刀を抜いてマリナに近付く。
火山の光を受けて真っ赤にきらめく刃がマリナの首に迫る。
だがマリナは座ったまま、視線を外す。
その瞳は窓の外に向いていた。
レイゲンがその様子を不審に思い、窓の外に目を向ける。
――見えるは一つの黒い影。
小さかった影は徐々に大きくなり、その姿が露になる。
人ではない。
見えたのは鳥。
マリナには見覚えのある鷲の姿だった。
鷲が窓から入り、彼女の伸ばした腕に止まる。
彼女は鷲を嬉しそうに見つめ、そして引き締めた顔をレイゲンに向け、言った。
「貴様、その鷲は――!」
「彼は来る……私たちのためにここに来る」
マリナが告げる。
同時に二人のいる部屋に、一人の竜人が叫びながら駆け込んだ。
「御館様! 侵入者でございます!」
その報告にレイゲンの眉間にしわが寄る。報告に来た部下に詳しい説明を求めようとしたその時に。
――外から激烈な爆発が起こり、部下を吹き飛ばす。
建物が揺れる。粉塵が乱れ舞う。
マリナとレイゲン、二人の間に一寸先も見通せぬほどの爆煙と塵埃が狭い室内に入り込む。
徐々に徐々に、壊れた壁から入り込む風によって視界が晴れる。
――そこに一人の男がいた。
「人の物を奪うやつは大嫌いだ。お前もその一人か?」
竜を模した仮面の男。
この部屋の主と同じ黒髪に鋭い眼光。
仮面の奥の目は怪しく光り、仮面の口は竜の顎のようにパックリと割れ、いびつにゆがんだ口が露になる。
やってきた侵入者を前に、レイゲンは口を歪ませ、獰猛な笑みを浮かべる。
「来たか、大陸の英雄とやら。この俺の屋敷でこの狼藉、覚悟はあるのだろうな?」
「知るか。俺はただ取り戻しに来ただけだ。それを邪魔するなら、誰だろうと容赦はしない」
二人の怒りに呼応するように、鷲がひと鳴きし、大きな翼を広げた。
次回、「勧誘」