第十六話 竜人たち
「それはそうとさっきので力はわかりましたか?」
一緒に闇の精霊について調べていたエイリスが聞いてくる。
「なんとなく。呼び方もどんな力が使えるのかもな。どのくらいのものかはわからないから試すしかないけど、それは直に使うときが来るから今はいい」
「今使ってくださいよ! 星の魅力もわたしの体も見せてあげたじゃないですか!」
「その二つで打ち消し合って帳消しだ」
闇の精霊の能力だが、先ほど精霊自身が使っていたものがそうだ。
一瞬で他の場所に移動する空間転移、同一空間を他の複数空間に出現させる多重空間、そしてことなる空間を作り出す亜空間だ。他にもあるのかもしれないが、わかりやすいものはこれだ。
転移がどれだけの距離を動けるのか、多重空間の使い方や亜空間の大きさもわからないが、それは後回しでいい。
「よし! この本についてはもういいな。思った以上にいい成果だな」
「見せてくださいよ! 抱き着きますよ!」
「うるせぇな。というか忙しいんだろ。見せてやるついでに送ってやるから仕事しろ」
ぎゃあぎゃあ言われては敵わないので、精霊にお願いして転移を試す次いでに、このうるさいのを返却しよう。
エイリスもこれで納得するだろうと思ったが、意外な返事が返ってきた。
「実は私はウィリアムさんに大事なお話を伝えに来たのです! だから送ると言われても困りますゆえ!」
「大事な話? 聞いてやるから早く言え。そして帰れ」
「ひどい! こうなったらずっと居座ってやります!」
ちっとも話が進まないため、無言で圧をかけるとエイリスが話し出した。
「用件というのはヒュドラの件です。てっきり皆さんで来ると思っていたために、詳細は城で伝えるつもりでした。別行動をされたために私がこうしてやってきました」
「それは普通最初に言うべきじゃないか?」
「それは、その、ウィリアムさんが面白そうなことをしていたものですから!」
頭が痛くなってきたが、ここでエイリスに突っ込んでも話が進まない。我慢して話を促す。
「お気づきのことと存じておりますが、ヒュドラがこんな短期間に現れるなど前代未聞です。この背景には高位の悪魔の存在が確認されています」
「何? また現れたのか?」
「そういえば、以前に我が国を狙っていた悪魔を討伐してくださったのでしたね。遅ればせながらユベールを代表してお礼申し上げます。今回の悪魔は報告によれば、毒を操るそうです。おそらくヒュドラの毒に耐性があり、操ることができるとのこと。それを利用して我々に攻め入ろうとしている可能性があります」
眉間にしわが寄る。
高位の悪魔も出張っているとなると話は変わってくる。
この話はあの二人も聞いているだろうから、むやみに向かったりはしないはずだ。今から俺が向かえばいいかもしれないが、ヒュドラと悪魔を同時に相手するとなると危険度は大きく上がる。
前回のヒュドラ討伐のときには悪魔はいなかったが、今回はどうだろうか。
「二人にこの話はしたのか? それと悪魔とヒュドラは行動をともしているのか?」
「もちろん城にお着きになったお二方にもこの話はしております。そしてヒュドラと悪魔は別行動をとっています。そのため、討伐できると踏んだお二方はヒュドラのもとに向かったと聞いています」
これはまずい。
悪魔だってヒュドラが倒されることは前回の個体でわかっているはずだ。にもかかわらずまたヒュドラを使ってきたということは何か考えがあるに違いない。
ここはすぐにでも向かうべきだ。思えば二人は高位の悪魔と接触したことがない。高位悪魔単体ならベルがいるから勝てるかもしれないが、さすがにヒュドラと同時となると厳しいかもしれない。
エルフの援護があるなら勝機はあるが、今は危険を冒すときじゃない。
「すぐに俺も向かう。じゃあな」
「待ってくださいよ! 置いていかないで! 私これでもこの国の姫なんですよ!」
エイリスの言葉に驚いた俺は、彼女をつい、じっと見てしまった。
姫? これが?
彼女は変わらず露出の激しい恰好をしているし、言動もおかしい。動きに品があると言えなくはないかもしれないが、気品あふれるエルフの姫にしては足りない。
結論、彼女のいつものおかしな戯言だ。
「ハッ」
「鼻で笑いましたね! 本当に姫なんですよ!」
「寝言は寝て言え。お前みたいな品のない女がエルフの姫? おかしすぎて腹がちぎれるわ。そもそもお前、花の一族じゃないか。王族は幹の一族だろうが」
「エルフは数が少ないから一夫多妻です! 王は各部族から一人ずつ娶るのが通例です! 私はその中の花の一族の王妃の娘! 立派な姫なんですよ!?」
何ということだ。これが本当にエルフの姫だと?
ああ、エルフはどうやら精霊と心を通わせ、気品にあふれる誇り高い完璧な種族だと思っていたが、どうやら子育ては苦手らしい。
王女がこんなとちくるった人物になるとは、彼らも頭が痛いに違いない。
おっと、こんなことをしている場合じゃなかった。早く二人に合流しなければ。
「じゃあ、お姫様はここでさよなら」
「待ってください! 連れてってください! 城でちゃんと証明して見せます!」
「いらん。たいして気になることでもない」
「そんな! ひどい! 姫とわかってなお、ここまでの扱いを受けたのは初めてです!」
初めてとか言っておきながら少し嬉しそうなのはなんなんだ。
変態か? 変態だったな。
相手にするのも時間が惜しいので、とっとと城に向かうことにした。
図書館から城に向かうのは早くとも一週間ほどかかる。三人が城に着いてエイリスがここに来るまでに二週間。今頃は三人はヒュドラの討伐に向かっているか、その真っ最中だ。もしかしたら終わっているかもしれないが、今のところその連絡はない。
何か危機があったという報告もないから、まだ間に合うはずだ。
連絡自体は鳥を使うために、そんなに時間はかからない。精々二日とかだ。
無論、俺も移動にそんな時間をかけるつもりはない。
「隊長、頼まれてた本を持ってきた――ってあれ? エイリス様? なんでこんなところに?」
ちょうどいいタイミングでアイリスが帰ってきた。
彼女にも手短に状況を説明すると、
「確かにそれは一大事だね。高位の悪魔までいるとなると、国の危機だ」
すぐに理解してくれた。
エイリスの後にアイリスと会話すると、すごく楽に感じる。
「というわけで、今から精霊に頼んで城に飛ぶ。準備しろ」
「了解」
そうしてひとしきり準備を終える。といっても荷物は全部手元にある。そう時間はかからない。
さあ行こうというところで、エイリスが駄々をこねてきた。
「私も連れて行ってくださいね! 置いてけぼりは嫌ですよ!?」
「何言ってんだ、お前がいても役に立たないんだから置いてくに決まってんだろ」
「役に立ちますよぉ! 戦いから夜のお供までなんでも!」
「いるか! そんなこと言われて誰が連れていくか! あぁもう! しがみつくな! 服を脱がすな! 俺に触るなぁ!」
「……隊長、いいから行こうよ。精霊に頼むんだったら、一人や二人増えたところで変わらないでしょう」
クソ、いやだが仕方ない。
これ以上駄々こねられて服をぼろぼろにされるのは勘弁願いたい。もう鎧がないんだ。
軍服までダメにされたら戦いに行く恰好がなくなってしまう。
ため息をついて、衣服をただす。
「わかったから、精霊を呼ぶから大人しくしてろ」
「送ってくれるんですね! わぁい! 闇の精霊だ!」
機嫌を直したエイリスの首根っこを掴んで精霊を呼び出す。
呼び方はもうわかっているから時間はかからない。再び空間が暗くなり、精霊が姿を現す。
「城まで転移だ」
『了』
精霊が答えた瞬間に目の前に不思議な穴が現れる。光を飲み込まんとする黒い門。
ここに入れということか。
「おら、行くぞ」
「ああ、そこ弱いんです! もうちょっと優しく!」
首根っこ掴んだまま文句を垂れるエイリスを無視して穴、もとい転移門に入る。
入ると一瞬だけ浮遊感に襲われ、真っ暗な空間に躍り出る。すぐに足は地に着いた。
周囲には目に見えない地面以外に何もない。
あるのはたった一つだけ、まるでトンネルの出口のように外からの光が注ぎ込まれるもう一つの転移門。
出口だ。門の外、城の中の様子が見える。
精霊に礼をいいながら門を出ると、そこはいつも俺が使っている部屋だった。きれいに清掃されていて誰もいない。
開放されたエイリスが辺りを見回して、城の中だとわかったのか、驚き興奮した声を上げる。
「城だ城です城ですよ! さっきまで図書館でしたよね!?」
「転移なんだからそうだろ。しかしほんとに便利だな。闇の精霊様様だ」
「……なんだか落ち着いてますね。転移なんてできる人間はこの世界にはいないと思うんですが。異常さはわかってますか?」
「あいにく他に転移できる人間がいることを知っているからな。異常さはお前を見ているほうが理解できる」
「いくらなんでも転移できる人間に比べれば異常でも何でもないですよ!」
ここでこんな漫才をしても埒が明かない。俺の後に続いて出てきたアイリスと一緒に、自称姫様のエイリスに案内をしてもらうことにした。
向かうのはルシウス、フェリオスの父のもとだ。
部屋を一歩出るとなんだか城の内部が騒がしい。
エルフたちが心なしか普段よりも多くいて、人の注意をひかない程度ではあるが歩調も普段より早く感じる。
……何かあったのか?
背中のあたりにざわざわと嫌な虫がいるかのような悪寒に襲われる。
エイリスも様子が違うことに気づき、口数が少なくなる。急ぎ早にルシウスの下へ案内してくれる。
ここです、とエイリスが案内してくれたのは多くのエルフが行き来する部屋。
中に入ると、そこには声を掛け合うエルフと指示を出すユリウスの姿があった。
隙を見てユリウスに話しかけると、彼は端正な顔を驚きに染め上げた。しかしすぐに元の落ち着いた表情に戻ると状況を教えてくれる。
「ウィリアム卿、よく戻られた。大変申し訳ないがこの後すぐに会議に参加していただきたい」
「会議? 一体何があったんだ? 悪魔が現れたのか?」
「それよりも厄介かもしれない」
悪魔よりも厄介な存在? そんなのがいるのか。
もしかしたらあの三人が巻き込まれるかもしれない。
心に黒い何かが沸き立つ。
脳裏に最悪がよぎる。
「悪い知らせだ。ウィルベル殿にマリナ殿が、竜人どもにさらわれた」
何だと?
次回、「盟友たる証」