第十五話 エイリス再び
ベルたちがヒュドラの討伐のために別行動をしている間、俺とアイリスは急いで残った本を読破しようとしたが、厄介なことにそこに来客が現れた。
それも飛び切り面倒な奴。
「ウィリアムさん! ここでいったい何をお調べになったので? もしよかったらこの本をどうぞ! 私が書きました!」
耳に障る甲高い声。
本に落ちる俺の視線を遮るように、別の本が挟まれる。その本は神と芸術に関連する本だった。
うんざりしながら本をどけ、差し出してきた人物を見る。
「エイリス、邪魔をするな。今忙しいんだ。遊びたいなら外に行きなさい」
「ならウィリアムさんもご一緒に! 私はあなたと遊びたいので!」
「却下だ。おうちに帰りなさい」
「却下します!」
図書館にあるまじき、はきはきとした声をだすのはエイリスだ。
精霊の祭壇に行った時のようなかっちりとした服ではなく、初めて会ったときのほぼ裸の露出の高い服を着ていた。一応その上には布一枚を羽織っているが大して前を隠せていない。
ほぼ水着みたいな格好にパーカー着ているようなものだ。
ベルたちと入れ替わりのようなタイミングでやってきて、こうしてちょっかいをかけられている。
残念なことに、止めてくれそうなアイリスはちょうど席を外している。
「なんでわざわざこのタイミングで来たんだよ。エルフだって忙しいだろうに」
「確かにみんな忙しそうにしてますね。実は私も忙しいのです!」
「なら帰れ! なんでこんなところで油を売ってるんだよ!」
この半裸女は一体何しにここに来たんだ、そしてなぜそんな恰好をしているんだ。
「おや、私の身体に興味津々ですか? いいでしょう!存分にご堪能ください!」
「うるさいきもい帰れ」
「ひどい! これでも私、見た目には自信あるんですよ!?」
俺が一瞬だけ彼女の露出の理由を考えて見てしまったから、勘違いしたエイリスが羽織っていたものを広げて全身を見せてきたが、それを鼻で笑って一蹴する。
彼女は涙目になりながら抗議してくるが、そもそも俺はこういう品のない女は嫌いなんだ。
「体しか自信がないなら、帰って別のもん見つけろよ」
「他にもありますよ! 絵も音楽も書き物も! もともとこんな格好をしているのは風を、自然を、世界を! じかに感じるためですから!」
「ここにいたって感じるのは冷たい視線だけだ。とっとと帰れ」
「それもまた世界の一部! さあ! 存分にご堪能ください!」
あまりにもうるさくて近寄ってくるので、出会ったときと同じように動けなくなる程度に電撃を与える。
変な声を出しながら、エイリスが倒れる。
「あぁ、ころ、はんかふは……」
「静かにしろ。黙ってても世界は感じられるだろ」
ようやく静かになった。これで本に集中できる。
今読んでいるのは気になっていた星と世界という題の本だ。読んでみるとなかなか面白かった。
この本の内容は、この星がどういった形をしているのか、星はどういった存在なのかといったことだ。どうやらこの世界でも天動説ではなく地動説とされているらしい。別世界だから、もしかしたら違うかもしれないと思っていたがなんてことはなかった。
知っていることも多かったが、この本は魔法関連の書庫にあった。
ということはもちろん魔法と結びついている。
星が関わる魔法と言えば――
「重力か。使い道はそこまで多くない割に難易度が高いな……」
正直、重力を使うといっても他人の動きを制限するくらいしか思いつかない。
あとは筋トレを効率的に行えることくらいか。あ、それいいな。
この本にも重力を操る精霊がいて、それに類する魔法も存在するだろうとしか書いていない。あとは星を使って今後を占う占星術だ。ただこれはベルが学んだし、俺はあまり興味もないからこの際飛ばすことにした。
この本は魔法書というより物理の教科書だ。どうして重力なんてものが発見されたか、どうして星が回っているのかだ。星ができた経緯までは書かれていなかったが、この世界の文明レベルで考えれば無理もない。むしろよくできていると思う。
本を片手にうんうん唸っていると、復活したエイリスがまた近づいて、俺が読んでいる本を覗き込んでくる。
「これは学術書ですか。ウィリアムさんは勉強家ですな!」
「懲りないな。また痺れたいのか」
「ああ、あの感覚は癖になりそうです! いや、そうではなくて、この本の何がわからないのですか?」
エイリスはこの本を読んだことがあるようで、内容も理解しているようだ。
とはいえ、俺とて内容自体は理解できている。悩んでいるのはこの重力に関する魔法だ。できるとはわかってもどうやればいいのかわからない。
一度見れば、マナの動きからある程度類推することはできる。もちろん複雑な魔法となると見ただけでは無理だが、イメージができる。イメージができるできないは大違いだ。
「内容じゃなくて、この重力についてだよ」
「重力? ああ、星の魅力のことですね!」
エイリスは重力のことは星の魅力と言っているらしい。
彼女だけでなく、エルフ全体がそう呼んでいるらしい。
なぜそういうのかというと、星には魅力があって、この地に住まう人間たちはその魅力に引き寄せられていると考えられているからだ。
ちなみに重力が発見されたのは、人が倒れるときは地面に吸い寄せられてキスをするからだそう。さすがにリンゴではなかった。
倒れたときに地面にキスなんて言い方をするのも星の魅力なんて言い方をするのも、エルフなりの優雅さなのかもしれない。
いやでも手はつかないのか、顔面から転んでるのか?
そもそもこれは優雅なのか?
「名前の響きはいいですが、あまり使い勝手はよくないのです!」
「待て、使えるのか?」
「ええ、使えます。地属性の精霊と仲良くなれば使えます!」
なるほど、精霊の加護をもらった俺たち四人だが、地属性だけはだれも得られなかった。俺とベルも地属性魔法は後回しにしてしまっている。
「なら見せてもらえないか。気になるんだ」
「ふふ! ようやく私に興味を持っていただけました! 思う存分に見せて差し上げましょう! なんなら私の身体も――」
「とっととやれ」
長くなりそうだったので止めて急かすと、まんざらでもなさそうな顔をしながら精霊に語り掛ける。
「さぁ、みんな。みんなの魅力を私に見せて。愛しき大地の恩恵を」
普段の様子が嘘のような、耳だけでなく皮膚にも浸透していくような優しく慈愛に満ちた声で彼女は精霊に語り掛ける。
すると周辺に精霊が集まり、騒ぐ。
彼女と出会えてうれしいと、小さな体でいっぱいに表現するように踊る。
精霊が踊り始めるとすぐに違和感に気づく。
「……重い?」
突如として体が重くなった感覚に陥る。
今すぐにでも倒れてしまいたい。
周囲の木や本も心なしか、軋んでいるようだ。ミシミシと音が鳴っている。
エイリスを見ると彼女も重く感じているようで、その顔は少し強張っている。
手を振ってもう十分と伝えると彼女はまた精霊に一声かけてやめさせる。周囲から精霊が消えると、身体がふっと軽くなる。
「これが重力が強い感覚か」
「精霊にこのお願いをすると自分自身も重くなりますので、使い勝手が悪いのです。できるというだけで滅多に使われません」
「自分も重くなったら戦いにくいだけだもんな」
なるほど、敏捷性の高いエルフにとっては動きを封じる重力の魔法は相性が悪い。
精霊が対象を絞ってくれれば使えるだろうが、ここは精霊魔法の欠点だろう。魔法の発動自体が精霊頼みだから細かい要求にこたえてくれないのだ。その代わり、頼みごとをすればあとは勝手に魔法を発動してくれる。その間はエルフは自分に集中できるために魔法に関して負担は極端に少ない。
一方で魔法使いは自由に魔法を使えるし、効果も範囲も本人の技量次第で調整可能だ。ただその分、本人の負担は大きい。日常使いする分には精霊魔法の方がいいかもしれない。
だがこれで重力魔法の際に起こすマナの様子はわかった。再現できれば俺でも使えるようになるはずだ。
ただ一つだけ気になることができた。
「なぁ、さっきの精霊に語り掛けるやつって必要なのか?」
「どれくらいの力を借りるのかによりますよ。たいしたことない力なら何も言わなくてもやってもらえます。逆に強い力を使う際にはちゃんと語り掛けないと答えてくれませんし、理解してもらえません。仲良くなれば、何も言わなくてもやってくれることはありますが」
「俺たちは全然やってないけど、使えるのは弱いからか?」
「強い弱いは精霊基準ですからね。王級ともなれば軽いお願いでも結構強い力が出ますよ。もちろんもっと強い力を借りるなら時間をかけて仲良くなるか、ちゃんとお願いしないとだめですね」
へぇ~。
これは大事なことをきいた。
俺たちは今まで精霊の加護は得られたその時に個人に宿るものだと思っていた。お願いの仕方なんてわからなかったし、何より直後から自分の魔法が強化されているのがわかったからだ。王級だからか、結構強化されていて勝手に力を貸してくれているのだと思っていた。
もしかしたらマリナとアイリスは知っていたかもしれないが、俺とベルはやっていない。
修練によってなんとなくできるようになった空間魔法も、精霊に語り掛ければもっと強い魔法が使えるようになるかもしれないということか。
しかし、どうやって語り掛ければいいのか。
「普通に語り掛ければいいですよ。ただ精霊は気まぐれでいたずら好きな子供みたいな存在ですから、ちょっと工夫を凝らしたほうが面白がって力を貸してくれます」
だから彼女は先ほど歌うように語り掛けたのか。
なら俺も語りかけたいがさすがに歌うのは厳しい。かといって面白いことも言えない。駄洒落くらいしか言えない。
そもそも闇の精霊で空間系だから、どういった力を使うときに語り掛ければいいのだろうか。物をしまうときの収納だったり、空間拡張だったりはもう使えるようになった。これ以上に大きい空間魔法とはなんだろうか。
聞けば、仲良くなると教えてくれるらしい。呼べば話してくれるだろうか。
「おいで、精霊」
「……」
捻ったことは言えないので、とりあえず優しく呼んでみたが何の反応もなし。
反応はエイリスがアホみたいな顔して俺を見てくるくらいだ。
次は厳かな感じで呼んでみるがこれも反応なし。
その後もいろいろな呼び方をしてみたがどれも反応がない。恥を忍んで歌ったり、ちょっとおかしなことを言ってもみたがそれもダメ。
途中、エイリスが笑い始めたので三度電撃かまして大人しくさせる。
エイリスにも精霊にも腹が立ってきた。
「あぁ! いいから出てこい! 精霊! 一発ぶん殴ってやる!」
むしゃくしゃして怒鳴る。
イライラしていたからただ叫んだだけだった。
だが辺りはふっと電球が切れたように暗くなる。そこにあったはずの机も本棚も何もない。
これは前にも見た光景だ。
『我を呼んだか』
暗くなった空間で、目の前に精霊が現れた。
暗い中で精霊本体も暗い色をしているからいまいち見づらいが、その意識がこちらに向いていることはわかった。
まさか、キレたら来るとは思わなかったな。
「何度も呼んだよ。聞きたいことがあったんだ」
『何ぞ』
「その前に呼び方はさっきのでよかったのかよ」
『我は異なる空間にて、眠りについているが故、小さき声では届き得ぬ。我に』
「つまり大声で呼べってことか。それでお前は何ができるんだ」
すると精霊は忽然と姿を消した。だが周囲は暗いままだった。どこにいるのかと周囲を見回すと背後から声がした。
『我は虚空』
精霊は消え、表れ、うつろう。
精霊の言葉だけが切り離された空間に反響する。
『豊穣の光、その対となる。我はどこにでもいて、どこにでもいない。すべてを飲み込み、すべてを受け入れる』
『時間も輝きもどこにでも存在する。空虚もまたどこにでも存在する』
『すべての有は無へと帰す。すべての無は有へと繋ぐ』
気づけば周囲にはたくさんの闇の精霊がいた。全員が同じ動きをし、喋る。
時には一人ずつ、または複数が。
現れては消え、増え、減り、移動を繰り返す。
『命もまた無へと帰す。時を超え、世界を渡り、有へと至る』
「世界だと?」
『我はその力の一部を操るもの。故に汝にもその力の一部を与えたもう』
それだけ言って、精霊は姿を消した。
また現れるかと思ったが、そんなことはなかった。周囲が明るくなり、そばにいたエイリスの姿もはっきりと見えるようになった。
「なんだったんでしょうか! あれは! かっこいい!」
「静かだと思ったらそんなこと思ってたのかよ」
「そりゃそうでしょうとも! 王級の闇の精霊! 凄いですね!」
芸術家の花の一族らしく、刺激に飢えているようで新しいものに目がないようだ。
聞けば、彼女の服装も外部からの刺激を受けたいかららしい。花の一族は変わり者が多いと聞くが、中でも彼女は極めつけだ。
なんでそんな人を俺たちの担当にしたのか、理解ができないな。
次回、「竜人たち」